静まり返った鎌石村消防分署内で、長森瑞佳の息遣いだけが、ますます激しさを増していた。 顔は青く染まり、身体は僅かな時間の間で相当やつれたように見えた。 月島拓也は瑞佳の身体を抱き締めながら、深い後悔と自責の念に襲われていた。 (僕の所為だ……僕が優勝を狙うなんて言い出さなければ……!) 瑞佳の治療を行う為に鎌石村に向かう途中で、自分は優勝者への褒美などという戯言に騙されて無駄な揉め事を起こしてしまった。 あの時間の浪費さえ無ければ、もっと早くに瑞佳の治療を行えた筈である。 瑞佳は自らの命を狙われてもなお、庇ってくれたというのに――自分は瑞佳に対して何もしてやれなかった。 結局の所自分はどうしようもない位愚かな男に過ぎず、その所為で今瑞佳は危機を迎えている。 「瑞佳……」 拓也が瑞佳の冷たい手を握り締めると、微力ながらも確かに握り返してきた。 「おに……いちゃん……」 昏睡状態でもう意識など無い筈なのに、声まで返してきてくれる。 拓也は瑞佳をより一層強く抱き締めて、両目から涙を零し始めた。 「僕は馬鹿だ……。瑞佳はこんなにも僕の事を想ってくれているのに……」 「瑠璃子が死んで全てを失った僕を支えてくれたのに……その気持ちを踏み躙って」 「神様頼む……もう他には何も望まないから……瑞佳を助けてやってくれ……」 「もう二度と悪い事はしないから……ずっと瑞佳を守り続けるから……」 「瑞佳……瑞佳っ……」 必死の想いで唯只瑞佳の回復を祈り続けるが、容態は一向に改善の兆しを見せない。 拓也は奥歯をぎりぎりと噛み締め、途方も無い無力感に苛まれていた。 (クソッ……僕は瑞佳に何もしてあげられないのか!?) 救いたかった。苦しんでいる瑞佳を。 恨めしかった。何も出来ない自分が。 (何が毒電波だ……肝心な時に大切な人を救えない力なんて、何の意味も無いじゃないか!) 毒電波で出来る事といえば精々、苦痛を和らげてあげる程度だろう。 それすらも力を制限されている今では、どこまで可能なのか分からない。 何しろ自分は既に同じ手を試みて、失敗してしまっているのだ。 それでももう、他にやるべき事など見当たらなかった。 このまま何もせずに回復を願い続けても、瑞佳は衰弱していく一方だろう。 「長瀬君……瑠璃子……力を貸してくれ」 とうの昔に慣れてしまった作業を、かつてない真剣な面持ちで行ってゆく。 拓也は生まれて初めて、狂気の一切混じらぬ、純粋な感情の下で毒電波を生成したのだ。 しかし毒電波とは狂気が強ければ強い程力を増すものであり、『人を救いたい』という願いは寧ろ邪魔ですらある。 そんな条件下で無理に毒電波を生成する事は、拓也の精神と肉体を急激に疲弊させていった。 「くそ……諦めて……堪るもんかぁ……!」 それでも拓也はただ瑞佳を救う事だけを考え続け、電波を送り続けた。 瑞佳の身体に悪影響を与えぬよう微調整しながら、何十分にも渡り電波を放出する。 もう二度と電波の力が使えなくなっても良い、自分が壊れてしまっても良い――その代わり、せめてこの子だけは。 * * * 深い深い闇の中、ぽつんと置かれているベッドの上に、一人の小さな少年が座っていた。 少年は体育座りの格好をしたまま、両の目から大粒の涙を流し続けていた。 その傍らに真っ白な服と長い髪を携えた小さな少女が現れて、優しく少年へと話し掛ける。 「……どうしたの? 何で君は泣いてるの?」 すると少年は服の袖で涙を拭って、嗚咽交じりの弱々しい声で答えた。 「瑠璃子が……僕の妹が……死んじゃったんだ…………」 「そう……。でも今の君には、新しい妹がいるじゃない」 少女がそう言うと、少年はゆっくりと首を横に振った。 「ううん、瑞佳ももう死んじゃいそうなんだ。結局僕は、妹一人すら満足に守ってやれないんだ……」 それから少年は背を丸めて、顔を両膝の間に埋めると、小刻みに身体を震わせ始めた。 そのまま先に倍する勢いで涙を流し、聞いてるだけで胸が張り裂けそうな嗚咽を上げ続ける。 「瑠璃子……瑞佳……ごめん、ごめん……! 僕がもっとしっかりしていれば、二人とも死なずに済んだ筈なのに……!」 少年――月島拓也は精神世界の中に閉じ篭り、ひたすら自分を責めていた。 かつて彼が抱いていた強大な狂気も憎悪も、今や全て自分自身に向けられている。 瑞佳は言うに及ばず、この島では出会う事が無かった瑠璃子だって狂気の世界に足を踏み入れていなければ、生き延びれたかも知れない。 そして瑠璃子を狂気の世界に叩き落したのは、他の誰でも無い拓也自身だ。 自分の心が弱かったばかりに誰も救えなかったという現実を、拓也はようやく認めたのだ。 しかし自責という名の鎖に捕らわれている拓也に対して、少女は言った。 「――お兄ちゃん、自分を責めないで。私はもう、お兄ちゃんを許しているんだから」 「え?」 拓也が聞き返すと、少女は胸にそっと手を当てて、言葉を繰り返した。 「大丈夫、私は死なないよ。永遠は此処にあるから……」 「君は……瑞佳?」 拓也がようやく少女の正体に気付くと、瑞佳はにこりと柔らかい笑みを浮かべた。 「お兄ちゃん。こんな暗い世界なんか捨てて――私とずっと一緒に生きていこうよ」 そう言って瑞佳は、拓也の目の前に小さな手を差し出す。 拓也がゆっくりとその手を握り締めると、それまで辺りを覆っていった闇が急激に薄れていった。 少女は少年を許し、救いの手を差し伸べた。 だから悪夢はここで終わり。後に残るのは永遠の盟約のみだ。 ――永遠はあるよ。ここにあるよ すっかり光に包まれた世界の中で、少女がそう呟いた。 * * * 「――ほら、起きてよお兄ちゃん」 聞こえてきた声に、拓也はゆっくりと目を開ける。 いの一番に視界に入ったのは、座り込んだままこちらを覗き見る瑞佳の顔だった。 「……やっと起きた」 無理に電波を生成し過ぎた所為だろうか――気だるい疲労感を覚えたが、そんなものはどうでも良い。 拓也は弾かれるように上半身を起こすと、がっと瑞佳の肩を掴んだ。 「瑞佳!? 大丈夫なのか!?」 「わ……」 訊ねる拓也の凄まじい剣幕に瑞佳は一瞬戸惑いを見せたが、すぐに表情を柔らかくした。 「おかげさまでだいぶ楽になったよ、ありがとう」 言われて拓也は、まじまじと瑞佳の顔を観察した。 血色の良い顔、目に宿った強い光――拓也の記憶の中にあるどの瑞佳よりも、生命力に満ち溢れて見える。 続けて瑞佳の手を握り締めると、確かな暖かさが伝わってきた。 もう疑う余地は無い――瑞佳の容態は峠を越えて、快方に向かっているのだ。 「瑞佳ぁ!」 拓也は両腕で瑞佳の身体を包み込むと、思い切り抱き締めた。 その暖かさを噛み締めるように、強く、強く。 「ちょっと、お兄ちゃん……!?」 「良かった……本当に良かった」 突然の出来事に瑞佳が驚いたような声を出すが、拓也の耳には届かない。 拓也は肩を震わせ嗚咽を上げながら、ただ純粋に瑞佳の回復を喜んでいた。 「あはは……痛いよお兄ちゃん……」 瑞佳はそう言いながらも、上半身を傾けて、頭を拓也の肩に預けた。 二人はその体勢のまま、随分と長い間抱き合っていた。 だがしかし、やがて瑞佳が思い出したように言った。 「ねえ、お兄ちゃん。私行きたい所があるんだけど……」 「――え?」 拓也は目を丸くして、言葉の続きを待った。 「お兄ちゃんが眠ってる間に、近くの施設に電話を掛けてみたんだよ。それでね、一つ隣のエリアにある消防署に、私の知り合いが居るらしいの。 出来れば早めに合流した方が良いと思うんだけど、どうかな?」 * * * 鎌石村消防署の入り口から一番近い部屋で、坂上智代はニューナンブM60片手に、来客を待ち侘びていた。 長森瑞佳と名乗る人物から電話があったのは、今から三十分程前だ。 確か瑞佳という女性は柚木詩子の知り合いであった筈なので、電話を代わって確認して貰うと、間違いなく本人の声であるとの事。 此処から割と近くにある施設で休養を取っていると聞き、智代が合流を提案すると二つ返事で快諾して貰えた。 何か問題が起きない限りは、瑞佳の同行者が起床次第こちらに来てくれる筈である。 「ふふふ……やっぱり良い人ばかりじゃないか。殺し合いを望んで行う者など、もう死に絶えたんだ」 智代は口元を笑みの形に歪め、弾んだ声でそう呟いた。 自分がこの島で出会った人間は、皆善良な者ばかりだった。 里村茜は少々人を疑い過ぎるきらいがあるが、自分が落ち込んでいる時には叱咤激励してくれた。 電話が掛かってきた際に茜は起こさなかった為、まだ長森瑞佳が来る事を話していないが、彼女とは知り合いである筈だし問題無いだろう。 詩子は、性格の違いから衝突しがちな自分と茜を宥める、所謂緩衝材的な役目を果たしてくれている。 鹿沼葉子は――とても尊敬の出来る、素晴らしい人物だ。 落ち着いた物腰、人を惹き付ける不思議な雰囲気、そしてかつて自分が対峙した喧嘩自慢の者達などとは比べ物にならぬ威圧感。 彼女は自分達の中で最年長でもあるし、茜の誤解さえ払拭出来ればリーダーとなって貰うべきだろう。 そしてこれから更に二人、新たな仲間が加わる。 空回りし続けてた今までが嘘かのように、順調に物事が進んでゆく。 そう考えると智代は、こみ上げる笑みを抑え切る事が出来なかった。 ――余りにも上手く行き過ぎる仲間集めに、今や智代の警戒心は致命的なまでに低下していた。 【時間:三日目・04:40】 【場所:C-06鎌石村消防分署】 月島拓也 【持ち物:消防斧、支給品一式(食料は空)】 【状態:両手に貫通創(処置済み)、睾丸捻挫、背中に軽い痛み、疲労】 【目的:瑞佳を何としてでも守り切る、瑞佳の提案に対してどう行動するかは不明】 長森瑞佳 【持ち物:ボウガンの矢一本、支給品一式(食料は空)】 【状態:出血多量(止血済み)、脇腹の傷口化膿(処置済み、快方に向かっている)】 【目的:拓也と一緒に生き延びる。まずは詩子達と合流したい】 【時間:三日目・04:40頃】 【場所:鎌石村消防署(C-05)】 坂上智代 【持ち物1:ニューナンブM60(5発装填)、予備弾丸2セット(10発)、ブロックタイプ栄養食品×3、食料1食分(幸村)、他支給品一式(食料は残り1食分)】 【持ち物2:専用バズーカ砲&捕縛用ネット弾(残り1発)、38口径ダブルアクション式拳銃用予備弾薬69発ホローポイント弾11発使用、手斧、LL牛乳×3】 【状態:見張り中。健康、意気揚々、葉子を妄信、他人に対する警戒心が極度に低下】 【目的:同志を集める】 里村茜 【持ち物1:包丁、フォーク、他支給品一式(食料は残り1食分)】 【持ち物2:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、救急箱、食料二人分(由真・花梨】 【状態:就寝中、簡単に人を信用しない、まだ葉子を信用していない】 【目的:同志を集める】 柚木詩子 【持ち物1:鉈、他支給品一式(食料は残り1食分)】 【持ち物2:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、食料1食分(智子)】 【状態:就寝中、健康、葉子にやや懐疑心を持つ】 【目的:同志を集める】 鹿沼葉子 【所持品:メス、支給品一式(食料なし)】 【状態1:消防署員の制服着用、マーダー】 【状態2:就寝中、肩に軽症(手当て済み)、右大腿部銃弾貫通(手当て済み、全力で動くと痛みを伴う)】 【目的:何としてでも生き延びる、まずは偽りの仲間を作る】 【備考1:ニューナンブM60と予備弾丸セットは見張り交代の度に貸与】 【備考2:智代、茜、詩子は葉子から見聞きしたことを聞いている(天沢郁未と古河親子を除く)】 【備考3:葉子は智代達の知人や見聞きしたことを聞いている(古河親子と長森瑞佳を除く)】 - BACK