偽りの希望




見渡す限り、白色で覆われた世界。
何処まで行っても何も無い、完全なる虚無の世界の中で、春原陽平は一人膝を抱えて座り込んでいた。
音も無い。闇も無い、光も、希望も、暖かさも無い。もう、終わってしまった世界。
だけど、それでも良いと思った。
これこそ今の自分が望んでいる世界だから。
ルーシー・マリア・ミソラを守り切れなかった時点で、彼女を失った時点で、全ては終わった。
もう何もせずに、ただ彼女との思い出をひたすら反芻して過ごしたかった。
敵討ち?主催者の打倒?そんなものは知らない。
どうせ何をやってもるーこは帰ってこない。馬鹿な自分でも『優勝者への褒美』が嘘だという事くらいは分かる。
だからもう、これ以上自分が出来る事もすべき事も、何も無いのだ。
だというのに現実世界は、また自分を呼び戻す。
もう自分は何もしたくないのに――

    *     *     *

そこで陽平の意識は覚醒した。
目を開けると、こちらを覗きこんでいる藤林杏が目に入った。
それから後頭部に暖かい感触を覚え、それでようやく陽平は、自分が膝枕をされているのだという事に気付いた。
「お早う、陽平――いや、この時間なら今晩は、かな?」
「……杏?」
続いて陽平はゆっくりと身体を起こして辺りを見渡し、自分が杏に連れられて、役場に来たのを思い出した。
陽平が寝惚け眼のままで、ぼんやりと杏の顔を眺めていると、次第に彼女の頬が赤く染まってゆく。
「な、なんか恥ずかしいね……」
「…………?」
意味が分からない。あの杏が何故、顔を見られた程度で恥ずかしがっている?
(……ああ、そっか。僕は杏とキスしたんだったな)
そうだ――自分は確かに杏と口付けを交わし、抱擁までし合った筈。
決して軽んじられるような行為では無いのに、簡単に忘れてしまうくらい、今の自分は現世に対して興味が薄れているのだ。
それでも杏が窮地に晒されている自分を救ってくれたのは事実だし、元より彼女は数少ない友人の一人である。
半ば同意の上での触れ合いはともかく、暴力を振るった事に関してはケジメをつけておくべきだろう。

陽平はもう一度きちんと謝り――それから、警告しておく事にした。
「杏……さっきは本当にごめん。ついカッとなって、お前に酷い事をしちまった」
陽平がそう言うと、杏は首をゆっくりと横に振った。
「ううん、良いの。あたしが無神経だった」
「…………」
二人は謝罪し合った後、僅かの時間、確かに微笑みを浮かべて見つめ合った。
しかし陽平は軽く息を吸った後、すぐに険しい顔付きとなって、言った。
「一つだけ注意しといてくれ。僕のるーこに対する気持ちは、他の奴に理解出来るようなレベルなんかじゃないんだ。
 それなのにさも分かった風に説教されたら、またとんでもない事をしでかしてしまうかも知れない……」
告げる陽平の、瞳の奥底に見え隠れする昏い影――恋人の喪失によって芽生えた、深い狂気。
先程までの抜け殻のような陽平とはまるで違う、禍々しい何か。
それを垣間見た杏は何も口にする事が出来ず、ただ静かに頷くしか無かった。

   *     *     *    *     *     *

それからまた暫く経った後。
膝の上に乗せたボタンを撫でながら、ヒーターで温まっていた杏が唐突に言った。
「ねえ陽平。あたし思ったんだけど」
「ん?」
「このまま此処にいてもどうしようもないし、一端教会に戻ろうと思うの」
それは確かにその通りで、役場に留まり続けた所で状況は何一つ改善しない。
これだけ時間が経っても自分達は無事であるのだから、殺人者に尾行されている心配も無いだろう。
しかし陽平は少し考えた後、軽く肩を竦めてみせた。
「うーん、でも教会にも敵が来ちまってるかも知れないじゃん」
正直な所陽平としては、何も考えずただ流れに身を任せたかったのだが、友人を無駄死にさせたくは無い。
だからこそ不安材料を述べるに至ったが、唐突に杏が得意げな笑みを浮かべた。
「ふっふっふ……」
「い、いきなりなんスか……?」
意味が分からず、陽平は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
すると杏はおもむろにポケットへ手を突っ込んで、長方形状の物体を取り出した。
「そこでコレの出番って訳よ」
「――携帯電話?」
「そ。コレを使えば安全に教会の状態を確認出来るでしょ」
杏が持っている携帯電話は、元は名倉由依の支給品であり、既に全施設の番号が登録済みであったのだ。

◆

「じゃ、掛けてみるわね」
杏はそう言うと、携帯電話の電話帳を開き、教会への交信を開始した。
何か異変が無い限り、教会にはまだ河野貴明達が残っている筈。
しかしそう遠く無い位置であれだけ危険な殺人者達による死闘が行われていたのだから、戦火が教会にまで及んでいる可能性もある。
(お願い……皆、無事でいて……)
何度も何度もコール音が繰り返される中、杏はぐっと唇を引き締め、ただ願った。
そして無限にも思える十数秒間が過ぎ去った後、突如コール音が途絶えた。

『……もしもし』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、少女の控え目な声。
杏はその声に聞き覚えがあった。
「渚……? あんた、渚よね!?」
『――藤林さんですか?』
「うん、そうよ。渚……無事で良かったわ」
友人の無事を確認した杏は、胸を撫で下ろしながら、ホッと大きく息を吐いた。
既に多くの人間が死んでしまったこの過酷な環境で、身体の弱い古河渚が未だに生きていてくれたのは喜ばしい事だった。

「そっちは今どう? 河野達は元気?」
『……すいません、河野さんって誰ですか?』
「え? 教会にあたしの仲間達がいる筈なんだけど、見なかった?」
『はい。私が教会に着いた時には誰もいませんでした』
「そん……な……」
そこまで聞いた杏は、頭の中で嫌な想像が膨らんでゆくのを止められなかった。
教会に誰もいない以上、貴明達は全員で移動したと考える他無い。
拠点となっている教会を軽々しく放棄したりはしない筈だから、やはり敵の襲撃を受けてしまったのだろうか?
いやしかし、渚が今教会にいるのだから、敵などいない筈では――

『あのー、もしもし……?』
杏が考え込んでいると、訝しむような声が耳に入った。
「あ、ああ……ゴメン、ちょっと考え事してた。一応確認しておきたいんだけど、そっちに敵はいないのね?」
『はい』
「――それじゃあたしも陽平と一緒に、今からそっちに行くわ。色々と話もしたいし、急ぎの用事が無ければ待っててくれない?」
『……分かりました』
「ありがと。それじゃ、一旦切るわね――それと最後に忠告。平瀬村には危険な奴がウヨウヨしてるから、周りには十分注意しなさい」
手短に話を済ませると、杏は携帯電話の通信を切った。
教会に行って、現地で直接話をする――それで、間違いない筈だった。
首輪の解除方法が判明している事も可能ならば伝えたかったが、今は無理だろう。
主催者に盗聴されている以上、電話を用いての情報交換は最小限に留めたい。

杏は正面に座っている陽平へ視線を移し、言った。
「陽平――話は聞いてたわね? 早速準備して行きましょう」
陽平がこくりと頷くのを確認すると、杏は手早く荷物を纏め始めた。
(大丈夫……首輪の解除方法はある。河野達だってきっと無事よ。まだまだ何とかなる)
工具は役場内できちんと探し出しておいた。
貴明達だって、そう簡単にやられてしまうタマでは無いように思えた。

しかし今の杏には知る由も無いのだが――教会に居た仲間の半数は、既に激戦の末命を落としてしまっていた。
そして杏が頼りにしている首輪解除方法は、主催者の用意したダミーに過ぎない。
偽りの、壊れかけの希望を信じて、杏は前に進む。

   *     *     *    *     *     *

杏との通話を終えた後、照明を落とした礼拝堂の中、渚は独り地面に座り込みながら膝を抱えていた。
「朋也君……私はどうすれば良いんでしょうか……」

――宮沢有紀寧達が岡崎朋也を連れて立ち去った後、渚は古河秋生の死体を埋葬した。
体格の良い秋生が入るだけの穴を掘るのには苦労した。
冷たくなってしまった秋生に触れる度、気が狂いそうになる程に胸の痛みを覚えた。
完成した穴に秋生を入れて、土を被せてゆく度に――止め処も無く涙が零れ落ちた。
それでも父の遺体を野晒しになどしたくなかったから、やり遂げた。
降り注ぐ雨の中で二時間以上も掛けて、心と身体を痛めながらもやり遂げたのだ。

しかし渚にとっての悪夢はまだ終わりでは無い。
逃れようのない枷が自分にも朋也にも、有紀寧と主催者によって課せられているのだ。
「お父さん……お母さん……どうして……こんな事にっ……」
暗闇に包まれた礼拝堂に、渚のすすり泣く声だけが木霊していた。




【時間:3日目・1:45】
【場所:F-2平瀬村役場】
春原陽平
 【持ち物1:FN Five-SeveNの予備マガジン(20発入り)×2、LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、他支給品一式(食料と水を少し消費)】
 【持ち物2:鉈、スタンガン・鋏・鉄パイプ・首輪の解除方法を載せた紙・他支給品一式、工具】
 【状態:精神不安定、無気力。全身打撲(大分マシになっている)・右足刺し傷・左肩銃創・数ヶ所に軽い切り傷・頭と脇腹に打撲跡(どれも大体は治療済み)】
 【目的:流れに身を任せる(自分の命は軽視)。一応友人を死なせたくは無い】
藤林杏
 【装備:ワルサー P38(残弾数4/8)、Remington M870の予備弾(12番ゲージ弾)×27】
 【所持品1:予備弾(12番ゲージ弾)×27、辞書×2(和英、英和)、救急箱、食料など家から持ってきた様々な品々、9ミリパラベラム弾13発入り予備マガジン】
 【所持品2:ワルサー P38の予備マガジン(9ミリパラベラム弾8発入り)×2、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)、、支給品一式×2】
 【所持品3:工具】
 【状態:全身打撲】
 【目的:教会へ移動、主催者の打倒】
ボタン
 【状態:健康】


【時間:3日目・1:45】
【場所:g-3左上教会】
古河渚
【所持品:鍬、クラッカー残り一個、双眼鏡、包丁、S&W M29(残弾数0/6)・支給品一式(食料3人分)、支給品一式】 
【状態@:有紀寧とリサへの激しい憎悪、左の頬を浅く抉られている(手当て済み)、右太腿貫通(手当て済み、少し痛みを伴うが歩ける程度に回復)】
【状態A:すすり泣き、精神肉体共に疲労、首輪爆発まで首輪爆破まであと20:50(本人は44:50後だと思っている)】
【目的:教会の留まり情報を集める、有紀寧に大人しく従い続けるかは不明】


【備考:秋生の死体は埋葬済み・礼拝堂の血痕は掃除済み】
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