埋葬




暗い森の中、来た道を戻るようにイルファはとぼとぼと歩いていた。
結局朝霧麻亜子に追いつくことは叶わなかったようで、落胆と悔しさで顔を歪ませる彼女の表情に明るさは一切無い。
悪戯に時間を使ってしまったことも、イルファを苛立たせる理由の一つだったろう。
じわじわと広がる自己嫌悪、しかしそれに拘り続けていても仕方ないということはイルファ自身も理解しなくてはいけない現実である。

まずは目先の問題を解決しなくてはいけない、とりあえずは寺に戻り状況を確認するのが第一だとイルファは判断する。
何が起きたかなどの情報は件の張本人である麻亜子以外のもう一人の存在、ほしのゆめみに問いただすのが一番の近道であろう。
だがまだゆめみが寺に留まり続けているとう保障もない、その可能性が高くないであろうことも理解できないイルファではない。
……既に逃走している場合、どう対処するべきかは悩む所である。イルファの中のジレンマの色はますます濃くなるばかりだった。

移動の間、イルファの中には勿論テンションに身を流してしまったことに対し反省する思いが表面的には一番強かった。
しかしその奥、彼女の回路を一番に締めるのは、やはり大切な主君である姫百合瑠璃の安否に関することであり。

さっさと事を終えて主君を探しに行きたいというもどかしさも勿論ある、しかし放置してきた事態を無視することもできない苛立ち、歯がゆさがイルファにも確かに存在する心を痛ませた。
……小さくかぶりを振ることで何とか気を取り直そうとするイルファ、ネガティブな思考に身を任せるようなことだけは避けようとしているのかもしれない。
ただでさえ体の状態が万全ではないのである、内面まで負に捕らわれてしまうことをイルファは恐れた。
右手に握ったままであるツェリスカを落とさないよう腕を抱き込んだ所で、込みあがってきた苦笑いをイルファは隠すことができなかった。

(こんな状態で、私は瑠璃様をお守りできるのでしょうか……)

どんなに信号を送り続けても指先には僅かな握力しか与えられない、今イルファがツェリスカを取り落とした場合それを拾い上げることは不可能に等しいだろう。
もう撃つことも叶わない拳銃、宝の持ち腐れと言っていいかもしれないそれを所持し続けること自体にイルファも疑問を感じない訳ではない。
現在のイルファにとって、これは無用の長物そのものだった。
それにも関わらずイルファはツェリスカを手放そうとはしなかった、そこにはこのツェリスカ自体を守らなければという彼女の強い思いも関係していた。

この大型拳銃は威力が威力であることから、常人が使いこなすにもそれなりの技術が必要不可欠である。
つまり、普通の参加者が使用を求めてもまともに扱えず不利になる可能性を増すだけなのだ。
それによって不利益を得る参加者が出てしまうかもしれないという悲劇を避けるためにも、イルファはツェリスカを監視する役目が義務だと納得している面はあった。
……ただ、本当に危機的状態になった場合、そんなことを気にかけ行動に支障が出てしまったら本末転倒にも程があるのだが。

そんなことを思いながら足を進め続けたイルファの視界に、ついに目的地である無学寺の姿が映る。
見覚えのある外観を確認したうえで、イルファはそっと建物に近づき自身が飛び出した例の部屋を探し出した。
土の上に散らばる破片が月の光を反射する、麻亜子が飛び出したことで舞ったガラスのおかげで部屋自体はイルファもすぐに発見することができたようだった。
建物自体は平屋の作りである、窓の位置もそこまで高くなく両腕が不自由な状態のイルファでも何とか進入することはできるだろう。
しかしイルファは、距離をあけたままじっと部屋の様子を窺い続けていた。
疑いの色を濃く表したイルファの瞳、彼女のセンサーが寺内から僅かに漏れ出した物音を拾い上げる。
出所は、例の部屋からだった。

(……逃げないで、残っててくださった? いえ、でもあの場にはまだ他にも倒れていた方がいらっしゃいましたし早計はできませんね)

またそれ以外の可能性も視野に入れなければいけないのだから、自然とイルファの中でも緊張感が膨らむことになる。
窓から覗こうにもこの距離では難しい、足音を立てないようイルファも歩みを再開させた。

「………っ」
「………!」

断続的に漏れてくる人の声、もう少し近づけば完全に聞き取れると判断しイルファはさらに気を配りながらも進んでいく。

「……ひっぐ、あううぅ〜」
「泣いてちゃ分かんないだろ、何があったんだ真琴……」

声は徐々に明確になっていった。行われているやり取りも把握できるようになった頃には、イルファと部屋の距離は目と鼻の先のものになった。
会話から察するに、中にいるのは最低でも二人であるのは確かである……しかしそのどちらの声も、イルファにとっては聞き覚えのないものだった。
すぐさま自身のメモリーに検索をかけるイルファだが、結果はやはり「unknown」である。

ただ、様子からしてイルファと敵外する恐れがあるような存在でないとの予測はついた。
あくまでイルファ自身の状態が芳しくないことから気を抜くことは出来ないのだが、それでも安心する面というのは強いだろう。
掴んでいるのが精一杯のツェリスカを構えながら、イルファはゆっくりとまた足を踏み出した。
今の所彼女の中に逃げるという選択肢はない、とにかく今この部屋の中がどのような状況になっているか確認することがイルファにとっての最優先事項だった。

……しかし突如、それは起こった。

パリンッという甲高い雑音が静かなこの場に鳴り響く、それにより部屋から漏れていた会話も止み辺りには本当の無音が訪れた。
何故か。
即座にイルファが下方へと視線をやると、自身の靴が踏みしめているガラスの破片が目に入る。
明らかな原因、意識が部屋の中に集中してしまったイルファの起こしたケアレスミスだった。

「なっ……誰だ!」

放たれた怒声は部屋の中から発せられたもの、それは間違いなく外にいるイルファに向けられたものである。
これに対しどう対応するか、イルファの中で迷いが生まれる。
穏便に済ませなくてはいけないがそれでも武装を解くわけにはいかない、しかし脅迫にしか使えないツェリスカで本当に場を納められるかなんてイルファでも予測はできない。
どうするべきかイルファが諮詢している時だった……今度は鈍い木材などををこすり合わせたような、耳障りな音が響き渡る。
今はイルファの真横に存在するガラスの割れた例の部屋の窓、それがスライドされたことで発生したのだろう。
立ち尽くすイルファ、そんな彼女と目があったのは……窓から顔を覗かせてきた、学生服の少年だった。
多分イルファが踏みつけられたガラスの音の出所を確かめるために、外の様子を見にきたのだろう。
そんな少年が発見したのが、この暗闇の中唯一の光源である月光の下にて固まっているイルファだった。

生まれる沈黙、イルファは少年が攻撃的な態度を取ってきたらすぐさまツェリスカを向け威嚇を施すつもりであった。
しかし、少年がそのような強行に出る気配はない。
むしろ一体何を考えているのか、少年は無防備にもじろじろとイルファを見るだけで何のアクションも仕掛けてこようとしなかった。
これにはイルファも自身がどう対応すべきか、困惑する一方である。
そんな時だった。

「……あんた、もう動けたのか!」

驚きで見開かれた瞳、瞬間嬉しそうに少年が叫ぶ。
向けられた暖かな言葉、しかしそのようなことを言われる節のないイルファはただただ首を傾げるだけである。

「心配したんだ。よかった、本当に壊れてなかったんだな」

ほっとしたのだろうか、少年の頬がイルファの目の前でどんどん緩んでいく。

「ちょっと待ってろ、今こっち何とかするから」

そう言って少年は開けた窓の面積をさらに広げ、イルファが部屋の中に入りやすいようにと誘導してきた。
……もしかして、自分を誰かと勘違いしているのではないだろうか。イルファの中で疑問が沸く。
しかし、とりあえずは攻撃される危険性が低いというのは目で見て理解できることである。
イルファは状況に甘えることにして、何とか動く右腕を駆使し体を庇いながら部屋の中へと飛び込んだ。

(これで罠だったら、なんて……疑心暗鬼、すぎますよね)

一瞬浮かぶ嫌な予想、しかし戻ってきたイルファを出迎えたあの部屋は、数十分前の様子とほぼ変わらぬ状態であった。
しいて上げる違いとすれば、やはり既に逃亡したであろうゆめみの姿がないことと、横になっていた少女一人が起き上がっていたことだろう。
そして……このどこから沸いて出てきたか分からない五体満足な少年の存在、これもイルファにとっては謎だった。
改めて少年を見つめるイルファだが、その容姿に見覚えは全くなく検索をかけても該当して出てくるものもやはりない。
それでも少年は、にこやかな笑顔でイルファを見つめ返していた。様子からして勘違いのケースではないらしい。

そう、こうして二人が向き合うのは確かに初めてだろう。
だが少年からすれば……イルファは、苦労してこの無学寺まで担いできたという過程がある。
それが少年こと、折原浩平の中で彼女に対する警戒心を緩ませている理由でもあり、今も好意的に接している原因だった。
事情を知らないイルファにとっては理解しがたい様子だというのも頷けることである、ただ心底ほっとしたような表情を浮かべる浩平に対しイルファも毒気を抜かれたというのもまた一つの事実だった。

「それにしても、何で外に行ってたんだ?」
「……人を、追っていました」
「人?」

不思議そうな浩平の様子、その台詞で窺えるのは事態を知らない第三者という一種の確証でしかない。
イルファ自身も件には途中から乱入した身であったため、やはり詳しい事情を知る訳ではなかった。
故に説明し難い事象について、イルファが浩平に対しどう答えようか迷っていた時だった。

「う、あ……うあああああぁぁぁぁぁぁ!!」

いきなりイルファに向かって飛び込んで来たのは、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫びだした少女だった。
少女はイルファの腰に体当たりとも呼べる勢いでしがみつき、そのままわんわんと泣き崩れてしまう。

「ま、真琴?」

何事かと浩平も慌てて駆け寄って行くが、少女はイルファの体に顔を埋めたままイヤイヤと頭を振るだけで彼とのコミュニケーションを拒否する。
これでは浩平も戸惑いの声を上げるしかない。そしてイルファもどうしていいか分からず、呆然と少女を見守やるしかなかった。
部屋に溢れる微妙な空気、音として響くのは少女の、沢渡真琴の泣き声だけだった。





「……ふぅ」

今、浩平はあの部屋を出た先の廊下に出ていた。
泣き喚く真琴に対しどうすることもできず、浩平はオロオロするだけだった。
そんな時、不意にイルファから浩平に向かってアイコンタクトが送られる。
真琴のことを任せろという意味だと解釈し、浩平は小さく頷いた後そのまま部屋の入り口へと足を向けた。
浩平の後ろからはイルファが真琴をあやしているのだろう、優しい声が聞こえてくる。
不安を取り除くことはできないが、それでも結局は場をどうすることもできない浩平がいつまでも居座っていても同じことだった。

部屋を出た浩平は、今何を自分がするべきなのかを考えた。
何をすればいいのか、何をしなければいけないのか。
あの部屋の惨状から何を見出すか。

「……駄目だ、さっぱり分からん。っていうか久寿川さん置いたままだったな……」

要素が少なすぎて想像することすら難しい。それこそ浩平はイルファの持つヒントよりもよっぽど少ない、現状の証拠しか目にすることができなかったのだ。
とりあえずは見張としておいてきたままである久寿川ささらに話をするのが先決だと判断し、浩平は少し前も歩いた廊下を戻るように進みだした。
時間にすれば数分程度だろう、見覚えのある暗い門構えまではあっという間の距離である。
ちょこんと座っている少女の後姿、栗色の長い髪からそれがささらであることは間違い。
手を上げ、浩平が声をかけようとした所でささらも浩平の存在に気づいたらしく振り返ってきた。
ささらの表情は硬かった、横に立てかけていた刀を手に次の瞬間浩平の元までささらは慌てて掻けてくる。

「どうでしたかっ」

投げかけられたのは焦りも含まれているだろう必死な問い、そこには一人取り残されたという孤独から来る不安もあったかもしれない。
心配そうに見やってくるささらの不安定な様子に、浩平も何とか彼女を落ち着かせようと説明しようとした。
しかし浩平自身も思いがけない出来事だった上事情自体も分からない身の上では、やはり上手く伝えることなど叶うはずもなく。
それでも意図だけは伝わったようで、ささらもこの重い状況に対し改めて顔を強ばらせるのだった。

こうしていては時間も勿体無いと、ささらはすぐにイルファ達のいる例の部屋へ戻ることを提案する。
ただ、浩平としては先ほどの真琴の様子もあり、時間を置かずに向かうことに対しては抵抗が隠せなかった。
……結局はささらの勢いに負けた形で、同行することにはなってしまうのだが。

なので、実際浩平達が部屋の扉を開けた時には真琴の癇癪も既に収まっていたというのは本当に運が良かったのだろう。
落ち着きを取り戻したように見える真琴の姿は、焦りや不安で乱されかけた浩平の心をひどく安心させた。
イルファの膝の上で体を丸めている真琴の様子は、さながら小動物のそれをも彷彿させる。
浩平とささらが現れたと同時に一瞬肩を震わせるものの、イルファに優しく撫でられることでその表情は安堵のものへとすぐに変化した。
この短い間に二人がどのような関わりを持つようになったか、浩平が分かるはずもない。
だが、それでも自分ではなだめることができなかった真琴の信頼をこうまで得ているイルファの存在は、浩平からしても何だか輝かしいものに見えるのだった。

……そういえばこの部屋の惨状を見てささらはどう感じたのであろうか、浩平の中で疑問が浮かぶ。
気づかれないようにと、浩平はちらっと横目で隣に佇む彼女を見やった。
浩平自身先ほどこの部屋にやってきた時は、とにかくショックが大きすぎて上手く思考回路を働かせることができないでいた。
床や壁に埋まる銃弾、破壊された車椅子、そして……既に絶命してしまっている郁乃の姿。
月の光が差し込む薄暗い部屋の中で存在の主張をするそれらの痛ましさは、改めて見ることになる浩平でさえも負担を感じる。
しかしそんな浩平以上のショックを受けたであろうささらは、気丈にも取り乱すことなく真摯に現実を受け止めているようだった。
眉間に酔った皺が気持ちの高ぶりを表していているのが見て取れる、しかしささらはそれを周りにぶつけようとも吐き出そうともしなかった。
ただ、一筋だけの涙がささらの頬を濡らす。それに込められた悲しみの集大成に、浩平は絶句するしかなかった。

「このままじゃ、可哀想ですよね……郁乃さん、埋葬してあげましょう」

ささらの提案、異論を上げるものはいない。
さしあたって場所をどうするかについてだが、無学寺の敷地の広さからここの庭に埋葬することになった。
一応唯一の男性人でもあるということで、浩平は特に誰にも告げることなく倒れる郁乃の傍へと近づいて行く。
勿論、外に運ぶためである。
場所的に月の明かりが上手く届いていないようで、郁乃の表情などを浩平が見て取ることはできなかった。
しかし痛ましい状態であるのはおびただしい量の血液で判断できる、そんな光景を認識した浩平が胸を痛めていた時だった。

「あたしが……やるっ」

どんっと肩に走るちょっとした衝撃、後方からいきなり浩平を追い抜いたのはまだ少し鼻声の残る真琴だった。
そのまま浩平からひったくるように、真琴は眉間を銃弾で撃ちぬかれた郁乃の体をを抱きしめた。頑なな様子に浩平も声が出せず呆然となる。

「その方の、好きなようにしてさしあげてはいかがでしょう」

気がついたら浩平の隣に立っていたイルファが囁く、その間も真琴は血塗れた郁乃の体を抱きしめたまま微動だにしなかった。
着用している上着に、黄色のタートルネックに黒く変色した血液がべたつこうとも、真琴は気にするような様子を見せず抱きしめる力を弱めようともしないでいた。
そこには、他者が入り込む隙間などない。

イルファと二人真琴の姿を見つめていた時だった、浩平はふと隣を誰かが通っていく感覚を得た。
慌てて視線をやると、ささらが部屋の隅に向かっている後姿が浩平の目に入る。
そこは、支給された荷物がまとめられている一角だった。
浩平だけ真琴にダンゴをつまみ食いされたこともあり用心して自分で持ち歩いていたが、他のメンバーの持ち物は皆ここにまとめられていた。
ガサゴソと、ささらは周りを気にすることなくそのまま荷物を漁りだす。
目当ての物はすぐに見つけられたようだった、すくっと立ち上がった彼女の手には……一つのスコップが、握られていた。

「穴を……郁乃さんが入られる場所を、作らなければいけませんからね」

真琴が民家から持ってきたそれが、まさかこのような用途で使われることになろうとはささらも、そして当の本人である真琴も想像できなかっただろう。
重い空気が晴れる気配はなかった。





庭にあたる場所の土は浩平が思っていたよりも柔らかく、空洞を用意する作業もそこまで困難なものではなかった。
イルファとささらが見守る中、掘り終えた浩平が軒先にて腰を落としている真琴に合図を送る。
立ち上がる真琴の動作は、ひどくゆっくりとしたものだった。
抱き上げることはできなかったようで背負うことにしたらしい郁乃を、落とさないようにと細心の注意を払ってのことだろう。
ささらが手を貸そうと近寄ろうとするが、彼女の肩に右手を置きイルファはただ静かに首を振った。

真琴の額に脂汗が浮かび上がっていく、痩せている方とはいえ同年代の少女を一人背負う作業はつらいに違いない。
その上亡くなっていることも関係し、背中にかかる大きな負担は真琴のか細い体力をどんどん削っていくことになるだろう。
それでも、真琴は決して譲ろうとはしなかった。
周りのメンバーが見守る中、真琴はゆっくりと進みだす。
浩平も、イルファも、ささらも皆、誰も言葉を発さずただ黙って真琴のことを見守り続けていた。
ふらふらとした真琴の足取りは、いつ体勢は崩れてしまってもおかしくないことを表している。
転倒してしまうかもしれないという可能性、真琴は慎重に一歩一歩を踏みしめているがそのぎこちない足取りも彼等の不安を煽る要素だった。

距離としては遠いものではない、浩平は心の中でひらすら真琴にエールを送っていた。
何故彼女がこのようなことに固執しているか、浩平も想像の範疇で答えを出す訳には行かない。
真琴が何を求めているのか、何を拘っているのか。分からない、浩平には何も分からないがそれでも。
こんなにも懸命な彼女の姿を見ていれば、誰だって応援はしたくなるというのが、浩平の出した結論だった。
やり遂げて欲しいと思った、泣くだけで事を終えず何かのけじめをつけようとする真琴の姿に浩平の心は揺り動かされていた。

最初はただのガキだと思っていたこと、会った直後にブン殴られ気絶させられたという恨みが浩平の中で消えた訳ではない。
その後も荷物を勝手に漁られダンゴを食べられたりと、これまでの浩平は真琴に対し悪印象しか持っていなかった。

そんな真琴を子供だからだと、幼いからだということで片付けられるほど浩平も達観できていない。
笑って済ませられる寛容性もない。
……でも今、そんな浩平の中での真琴の存在と言うのは、正に180度転回したといっても過言でないくらいの変容を遂げていた。

あと数歩、ついに真琴は浩平が掘った穴のある場所まで進むことに成功していた。
浩平は空洞の横にいた、そこでスコップを手に真琴の姿を見守っていた。
滴る真琴の汗が、道中の地面に垂れ落ちていく様まで浩平の目に入っていく。
荒い息遣いが、浩平の耳について離れない。
何度名前を呼ぼうと思ったか、何度イルファに止められたささらのように手を貸そうと思っただろうか。
それでも握りこぶしに力を込め、浩平は自分を押し止めていた。
見ていて可哀想、そんな同情で彼女の道を妨げてしまう方が失礼なことなんだと、浩平は自分に言い聞かせる。

一歩。足が上がらないのか、擦る様に真琴は右足を踏み出す。
二歩。後ろ足を痛めている訳でもないのに、やはり擦るようにして真琴は左足を右足の横に揃えた。
三歩。もう一度右足を前へ、とにかく前へ。
四歩。ゆっくりとした動作で、左足を揃える真琴。そして、ついに。


「ご、ごーる……」


―― ついに真琴は、掘られた穴の前まで辿り着いた。

「ごめ、はぁ……ごめんね、郁乃……あ、あたし、今これくらいしかしてあげられい、けど……」

―― 途中途中でブレスが入る、鼓動の早まりのせいだろう。

「もう、逃げたり、しない、から……あう、約束、するもん、だか、ら……」

―― ゆっくりと膝をつき、背中を掘られた空洞に向ける真琴。

「……おやすみ、郁乃」

―― そしてそのまま、優しく遺体を穴に向けて降ろすのだった。





顔を上げた真琴の目に、もう涙は浮かんでいない。
泣くだけの受身体勢でいた自分と、真琴が決別した証である。
浩平はそんな彼女へとゆっくり近づき、その隣に腰を降ろした。
そのまま少し乱れ汗に濡れた真琴の髪をくしゃっと撫でる浩平、文句を吐くことなく真琴は黙って愛撫を受けていた。
駆け寄ってきたささらも、勢いのまま真琴を後ろから抱きしめる。
浩平の、そしてささらの体温が真琴を包んでいく。先ほどまで背負っていた冷たい彼女の体とは違ったそれが、真琴はせつなくて仕方なかった。
穏やかなひと時、その価値の大きさを真琴は心から実感する。
失ったことでその大切さに気づいたというのもあるかもしれないだろう。
噛み締めた甘い優しさを胸に、真琴はもう一度だけ小さく彼女に別れを告げた。

「さようなら」




【時間:2日目午前2時半】
【場所:F−9・無学寺】

沢渡真琴
【所持品:無し】
【状態:決意表明】

折原浩平
【所持品:スコップ、だんご大家族(だんご残り95人)、イルファの首輪、他支給品一式(地図紛失)】
【状態:普通】

久寿川ささら
【所持品:日本刀】
【状態:普通】

イルファ
【持ち物:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、他支給品一式×2】
【状態:首輪が外れている・右手の指、左腕が動かない・充電は途中まで・珊瑚瑠璃との合流を目指す】

・ささら・真琴・郁乃・七海の支給品は部屋に放置
(スイッチ&他支給品一式・食料など家から持ってきたさまざまな品々&他支給品一式・写真集二冊&他支給品一式・フラッシュメモリ&他支給品一式)
【備考:食料少し消費】

・ボーガン、仕込み鉄扇は部屋の中に落ちています
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