日はすっかり沈み、周辺を映す光は何もない無学寺の一室。 水瀬秋子と水瀬名雪は寄り添いあいながら休息を取っていた。 月島拓也を迎撃し彼らと別行動を開始した後、二人は終始無言で歩きつづけた。 再会は出来た、だがこれで終わりなどではない。 むしろこれからが重要なのだ。自分は手負いの中、なんとしてでも娘を守らなければならない。 疲労と、怪我と、そしていつまた襲われるとも限らない危機感に、秋子はとても安堵に浸る余裕などなくなっていた。 それを感じ取ったのか、隣を歩く名雪も秋子の腕にしがみつきうつむいたまま寄り添いながら歩きつづけ、何事もなく目的地に着いたのが数刻前の出来事。 惨劇の島に閉じ込められながらも,初めて訪れた親子水入らずの一時。 小さく寝息を立てる名雪の頭をひざに乗せ優しく撫でるその顔は、娘を慈しむ一人の親の顔で。 とても怒りに人を殺したなどとは思えないほど慈悲に満ち溢れていた。 「―ーう……ん……、ゆう……い……ち……」 閉じた瞳から一筋の涙が零れると同時に、名雪の口が小さく開く。 不意に発せられた人名に秋子の手がピタリと止まっていた。 娘の大好きだった甥っ子、そして自身も二人を見ていて暖かい気持ちになれていた。 ……だがそんな彼も目の前で死なせてしまった。 寺に向かう道中名雪と交わした唯一の会話を思い返す。 『祐一の名前が呼ばれちゃったんだ……』 秋子の胸がちくりと痛む。 あの時自分がもっと冷静にだったならば、祐一も、そして澪もあのような事にならなかったのではないか。 少なくとも自分の行動が原因の一端を担っていると言っても間違いはない。 だからなにも答えることは出来なかった。 『その話は後でしましょう。今は安全な場所へ』 そう答えるのがやっとでしかなく、再び彼のことを聞かれた時いまだになんと答えればいいのか秋子は判断できなかった。 止めた手をゆっくりと下げながら名雪の頬に当て、流れ落ちたしずくをぬぐい考え続ける。 目の前で死んだ事を隠し彼の遺志までも握りつぶしてしまうべきなのか……いやそんなことは出来ない。 だが正直に話して、娘は自分を許してくれるのか……。 答えは出ないまま、極度の疲労が秋子を襲い、逆らうことも出来ずに意識は闇へと落ちていった。 ・ ・ ・ パラパラと断続的な音が耳に届き、その音に秋子はボンヤリと目を開けた。 ――雨かしら? まどろんだ意識の中、そんなことを考えながら視線を下に落とし、そこに寝ていたはずの娘の姿がなくなっていることに驚愕を覚えた。 「名雪っ!?」 首を左右に振りあたりを見渡すも、そこに気配は何も感じられなかった。 ――まさか誰かが? 我を忘れ立ち上がると、娘の名前を再び叫んでいた。 拍子に腹部がズキリと痛み足がもつれかけるが、なんとか重心を建て直し、そして部屋を飛び出していた。 気の休まる暇なんてあるはずなどないはわかりきっていたはずなのに。 娘を守れるのはもう自分しかいないと言うのに何たるざまだ。 顔を顰めながらも、周囲に注意を飛ばし声を上げ続けながら隣の部屋を扉を勢いよく開く。 ……だが何の気配もそこにはなく冷たい空気が秋子の体を包み込む。 閉めることも忘れ、その隣の部屋の扉も開けるが結果は変わらなかった。 庭のほうに目を向けるが、秋子の邪魔をしようとしているのか雨はますます強くなっていた。 地面を跳ねた雨が、素晒しの渡り廊下を僅かながらに濡らしていく。 耳障りな音に苛立ちを隠そうともせずに足を踏み出した瞬間……再び腹部を激痛が襲い、大きくバランスを崩し秋子は倒れこんでしまう。 「――くっ……」 衝撃に嗚咽が漏れる。 倒れこんだ秋子の視線の先……立っていては木に邪魔され見えなかった位置。 雨から逃げようともせずにその身で受け、立ち尽くす少女の後姿。 光も差さぬ暗闇。視界を奪う雨。 だが見誤う訳がない。 「……な、名雪? 名雪ぃぃぃっ!!」 痛みのことも忘れ、秋子は雨の中へと駆け出していた。 最愛の娘の下へ。 「あ、お母さん」 秋子の葛藤も知らぬそぶりで、名雪はゆっくりと振り返り笑顔を浮かべながら答えた。 ……違和感を覚えた。 その顔も、その声も、ずっと一緒に暮らしてきた娘のものであることは間違いないはずなのに。 瞬間、秋子の足は止まっていた。 すぐに近寄って抱きしめたい衝動に狩られながら、体は拒絶するように秋子の体を押さえ込んでいた。 向かい合う二人の前に沈黙が訪れる。 声をかけたい、でも口が動かない。 ――何故!? 名雪がくるりと秋子に背を向け、そして顔を天に向けた。 雨は名雪の額を、頬を、顔のすべてを打ち付けているにもかかわらう、一向に気にする様子もないまま天を仰ぎ続ける。 「――お母さんは……」 背を向けたまま、名雪がポツリと口を開く。 「放送を聞いた?」 直感でその問いが祐一の死を指すものだと気づく。 「祐一さんは……」 言葉に詰まる。 いまだかける言葉が思い立っていなかった。 だが秋子の答えを待たずして帰ってきた返事は、秋子の想像とはまた違ったものだった。 「違うよ、……祐一が死んだって放送もそうだけど、それは私も聞いたから。 私が聞きたいのは1回目と2回目の放送の事。おぼろげに流れたのは覚えてるんだけど、走るのに必死になってて全然覚えてないの」 真琴やあゆちゃん、香里さんの事を聞きたいのだろうか。 何の疑問もなく単純にそう考え、そして彼女らの死をも伝えなければならないのかと秋子の顔が悲痛にゆがむ。 「瑞佳さんが言ってたよね」 ――ああ、彼女から聞いていたのか――と考え、苛立ちが募っていた。 けして喜ばしいことではないことなのに、自分の口から告げなくて良いことに安堵している自分がいて許せなかった。 さらに気持ちを整理する間もなく問い掛けられた次の質問に、秋子の全身が凍りついた。 「『放送でいってた優勝したら何でも願いを叶える』……お母さんはこれを聞いた?」 ……もちろん聞いている。 そしてそんなことは嘘だとも考えている。 自分達に殺し合いをさせるために用意された餌でしかない、と言う事。 「私ね、起きてからずっと考えてたんだ」 「私達これからどうなっちゃうんだろうって」 「何にもしてないのに、みんな私を殺そうとやってくる」 「最初に会った人もそう、月島さんだってそう」 「誰にされたかはわからないけど、お母さんはひどい怪我をして」 「……祐一も死んじゃった」 一拍一拍と息をつきながら、淡々と告げる言葉に秋子は黙って耳を傾けていた。 そこで名雪の口が止まり、雨音だけが場を支配する。 なんて声をかけてはやれば良いか正解はわからないが、それでもかける言葉を探しながら秋子が口を開こうとした瞬間、名雪が不意に叫んだ。 「だからね!」 秋子へと振り返りながら、名雪は屈託のない笑顔を浮かべた。 見慣れているはずなのに、どこか無機質に感じるその微笑みを秋子は恐ろしく感じた。 想像したその先の言葉は聞きたくなかった。 娘の口からそんな言葉が出るなんて想像したくもなかった事だ。 娘には普通の生活を、幸せな生活を送らせることだけが自分の夢だったはずなのに。 願いむなしく、無情にも名雪は続けてその言葉を発した。 「逃げてちゃダメなんだよ! みんな殺して、優勝すれば、きっと元の生活に戻れると思うんだ!」 頭を鈍器で殴られたような衝撃に襲われた。 なんでこんな時だけ自分の予想は当たるのか。 「……名雪、そんなことは言うものじゃありませんよ」 諭すように言葉を投げかけるものの、口が震えて止まらない。 「え?」 名雪の顔が疑問の色に染まる。 「私間違った事言ってるのかな。私かお母さんが優勝して、この島にくる前の生活に戻してもらえば良いんじゃないの?」 「名雪、死んだ人はね。生き返らないのよ」 「願いは何でもかなうんでしょ? だったら生き返らせることだって出来るよね?」 「ううん、それはないわ。人は死んだらもう生き返ることは出来ないの。だから必死に生きるの。悔いの無いようにね、精一杯楽しむの」 「嘘だよ!!」 名雪の目が見開かれ、驚愕の表情を浮かべながら秋子を見つづける。 「どうしてお母さん、いつもみたいに『了承』って言ってくれないの? お母さんが何を言ってるのかわからないよ?」 そう力の限り叫んだ後、絶望に満ちた顔が一瞬で喜びのものへと変わりパンッと軽い手拍子を打ちながら言った。 「そっか、これは夢なんだ。そっか、そうだよ。こんなことあるわけないもんね。今ごろ目を覚まさない私を祐一が呆れ顔で覗き込んでて、必死に起こそうと体をゆすってくれていて。 それでも起きなくてしょうがなく私の顔を覗き込んで、そして悪戯心にキスなんかしようとして、私がそこでいきなり目を開けて驚いて飛びのいちゃうの。それで私は寝たふりでもしてればよかったってきっと後悔するんだよね。 あっ! こんなことしてる場合じゃないよ。早く目を覚まさないと祐一に会えないよ」 叩いた手を頬へと持っていき、そして軽くつねる。 だが期待とは裏腹に、名雪の頬に訪れた痛みにきょとんとした表情を浮かべる。 「あれ、痛い。おかしいな。覚めないよ」 今度はもう片方の手も頬へと回し、両側から両手でつねっていた。 それでも結果は変わらないものだった。 「痛い。痛い。何で? 何で?」 「止めなさい、名雪!!」 止めようと近寄る秋子の静止も無視しながら頬をつねり続けるその腕を抑えると、名雪は膝を突く。 濡れた地面から泥が跳ね名雪の顔にかかるものの、それを拭おうともせずに名雪は呟き始めた。 「嘘だよ、こんなの嘘だよ…。夢じゃなきゃおかしいよ……」 「夢じゃないのよ……祐一さんはもういないの」 自身の服の袖で名雪の顔を拭きながら、非情な、それでも伝えなければいけない現実を初めて口にした。 「そんなの嫌だよ! 祐一がいないと私もう笑えないよ! なんで!! どうして!!!」 会いたい……。祐一に会いたいよ。祐一がいない世界なんて生きてたってしょうがないよっ!!」 その叫びと同時に、名雪がポケットをまさぐり取り出した右手にはいつの間に持ち出したのか八徳ナイフが握られていた。 勢いよく上に振りかざし、振り子のように切っ先が腹部へと吸い込まれるように振り下ろされる。 「止めなさい!!」 ナイフが突き刺さる寸前、秋子の腕は名雪の腕を必死に捕らえる。 同時に反対の手でナイフをを弾き飛ばし、ナイフはコロコロと地面を転がっていった。 「なんで……? 祐一はもういないんだよ?」 全身から力が抜け、糸の切れたマリオネットのようにうなだれる名雪の身体を抱き寄せながら秋子は大粒の涙をこぼした。 雨に混じりながら名雪の頭へと流れ落ちる涙をぬぐおうともせず、名雪にとっての祐一の存在の大きさ、そして彼を目の前で死なせてしまった自分の罪を再びかみ締めている。 この怪我で、この殺し合いを仕組んだものを倒すなんてことは出来るのだろうか。 開いた傷口より流れ出る血が巻かれた包帯から染み出し、服を赤く染めていた。 それ以前に我が子を守り通すことすら出来るのだろうか。 そもそも守り通しても名雪は喜んでくれるのだろうか。 「……名雪」 今娘が自分に対して望んでいることは只一つ……。 「祐一さんを生き返らせて欲しい?」 言葉は返ってこなかったが、抱きしめた名雪の頭が胸の中で上下に動いた。 この怪我ではどこまで出来るかはわからない。 だが今まで出会った人間に自分はゲームに進んで乗っているとは思われていないはず。 それが自分に取っての大きな利点だ。 まず出会ったことのある人間を探し、彼らに隠れて知らない人間を排除していこう。 だが、同じように考えている人間も必ずいるはずだ。 診療所で出会った人間はことごとく名前を呼び上げられているのがその顕著な例だろう。 そう、3回目放送にはあの橘敬介の名前が挙げられていなかったのだから……。 もしかしたら他の誰かに襲われたのかもしれないが、彼が裏切ったかどうかなんて今は些細な問題でしかなかった。 自分が考えついたのだから他の誰かだって考えつくはずなのだから。 こうなっては他人なんか信用できるはずも無い、する必要も無い。 信用も出来ない他人と手を組み、この殺し合いを仕組んだものを殺すよりも……一縷の望みにかけて優勝したほうがよほど現実的な可能性に思えた。 だから―― 「……了承」 それが娘の願いならば全霊を尽くそう、そう誓いを立て秋子ははっきりと答えたのだった。 【時間:二日目・22:30】 【場所:無学寺】 水瀬秋子 【持ち物1:ジェリコ941(残弾9/14)、トカレフTT30の弾倉、澪のスケッチブック、支給品一式】 【状態:腹部重症(傷口は開いている)、出血大量、疲労大、優勝に向けゲームへの参加を決意、名雪の身の安全が第一優先】 水瀬名雪 【持ち物:八徳ナイフ(地面に転がってる)】 【状態:疲労、マーダーへの強い憎悪】 - BACK