再会は雷鳴と共に




雷による轟音と共に、周囲が照らされる。
桃色の髪を雨に濡らしたまま、修羅は哂う。
右手には最強の復讐鬼を屠ったH&K SMG‖が握り締められている。
そんな死神ともいうべき存在を前にして、小牧愛佳は呆然と口を開く。
「貴女は前生徒会長の……まーりゃん先輩!?」
すると修羅――朝霧麻亜子は満足気に無い胸を逸らした。
「いえすっ! あいどうーん! まい・すいーとはーと、まーりゃん先輩でーす!」
この戦場に不釣合いな、明るく軽い少女の声。
だがそれを聞いても、愛佳達が警戒を緩めるというような事は無い。
それも当然だった。愛佳達は目の前の少女から奇襲を受け、既に手痛い損害を被っているのだから。
吉岡チエは血に染まった右肩を押さえながら、鋭い視線を麻亜子に送る。
「まーりゃん先輩、で良いんスよね? ……どうしてこんな事をするんスか」
すると麻亜子は口の両端を吊り上げて、悠然と首を傾けた。
「おやおや、チミは撃たれたのに、まだそんな事を言ってるのかね? 見れば分かるじゃあないか、あたしは殺し合いに乗ったのさ」
告げられるその声音、向けられるその眼光には、一切の迷いが感じられない。
チエは試みるまでもなく説得不可能な状況である事を思い知らされていた。
そして、柏木千鶴との激戦を潜り抜けた今なら分かる。
この女は、自分達如きがまともに戦って勝てる相手ではない。
敵の片手に堅持されたマシンガン、冷静を保ったままに向けられる刺々しい殺気。
千鶴が獰猛な肉食獣だとすれば、麻亜子はさしずめ冷徹な暗殺者といった所だろう。
純粋な戦闘能力だけ見れば千鶴には劣るかも知れないが、この女にはそれを補う『何か』がある。
そう直感が報せていた。
(河野先輩……藤田先輩……あたしどうすれば良いんスか……!?)
思わず、この場にいない河野貴明や今は亡き藤田浩之に縋り付きたくなってしまう。
それ程、自分達が置かれている状況は絶望的だった。
敵との距離は僅か十五メートル程度、逃亡という選択肢は成功率が極めて低いと言わざるを得ない。
かと言って正面勝負を挑んだ所で、ポケットに入れてあるグロック19と愛佳のドラグノフだけでは火力不足。
地面に落としてしまった89式小銃を拾い上げようとしても、その前にマシンガンで穴だらけにされるのがオチだろう。
一体どうすれば――そこでチエの思考は中断される事となる。
「チエちゃん、後ろに走って!」
叫びとほぼ同時、真横より銃声がした。
愛佳がドラグノフの銃口を持ち上げ、すぐさま引き金を引いたのだ。
しかしその行動を予期していた麻亜子は既に身を躱しており、即座に反撃体勢を取る。

◆

「歯ぁ食いしばれ! そんな後輩、修正してやる!」
麻亜子は横に駆けながらH&K SMG‖を構え、その直後にはもう撃っていた。
素人では走りながらの射撃は難しいが、数撃てば当たるという言葉もある。
マシンガンより吐き出された銃弾の何発かは、愛佳を貫く軌道で突き進む。
そして相手が防弾性の装備をしている可能性も考慮し、麻亜子は既に第二射の準備に入ってる。
たとえ敵が防弾性の服を着ていたとしても、弾丸は莫大な衝撃により標的に損傷を与えるだろう。
その隙を狙って一気に勝負を決めれば良い筈だった。
だが次の瞬間に起こった、予測し得ぬ事態に麻亜子は己の目を疑った。
「にゃにぃっ!?」
銃弾は全て、愛佳のデイパックに隠されていた強力無比な防具――強化プラスチック製大盾により遮られていたのだ。
アサルトライフルすら防ぎ切るその圧倒的装甲の前に、マシンガンの銃弾は悉くが大した役目も成さずに弾き飛ばされる。
愛佳は剥き出しになった大盾で身を守りながら、後ろ向きに走ってゆく。
しかし麻亜子がこのまま敵の逃亡を許容する筈も無く、即座に大地を蹴って追い縋る。
背面走状態の愛佳と、全力疾走をしている麻亜子では速度に大きな差がある。
「ぬっふっふ、すぐに追いついて刺し身にしてあげようではないか」
麻亜子はそう呟きながら、左手の中でくるくるとバタフライナイフを回した。
遠距離からの銃撃が効かないのなら、近距離で直接牙を突き立てれば良いのだ。

◆

「っ――――」
両者の距離は、後十メートル。
愛佳は必死の思いで盾を構えたまま、後方への背走を続けていた。
進行方向には背中を向けている為眼を向ける事が出来ず、正面の視界も大盾に遮られている。
閉ざされた視界の中、修羅の近付いてくる音だけが聞こえてくる。
後五メートル。
「――っあ――くぅぅ……」
急げ急げ、もっと速く逃げなければすぐに追いつかれてしまう。
極度の緊張に息が詰まり、心臓がドクンドクンと大きく早鐘を打つ。
たとえ姿が見えずとも無視できない死が、すぐ傍まで迫ってきている。
後一メートル。
「あ……?」
愛佳が横を振り向いた時には、既に状況は致命的なまでに悪化していた。
視線を向けた先には、二つの大きな瞳。
麻亜子が真横を併走しながら、サバイバルナイフを振り上げていたのだ。
「き……きゃぁぁぁぁぁっ!」
一秒後には降りかかるであろう絶対の死を前にして、愛佳は無意識に両目を閉ざす。
足も竦みあがって止まってしまい、完全に無防備な姿を晒してしまう。
続いて鳴り響く銃声、頬に降りかかる鮮血。
「…………?」
痛みも死も訪れない事を疑問に思い、愛佳が目を開けると。
「つぅ……あぐぐっ……」
先程まで自分を執拗に狙っていた麻亜子が、赤く染まった左肩を押さえながら呻いていた。
地面にはそれまで麻亜子が握り締めていたH&K SMG‖とサバイバルナイフが落ちている。
「先輩、こっちッス!」
呆然としていた愛佳だったが、後ろから聞こえてきた声に振り返り、ようやく事態を理解した。
チエが深い茂みの前で眉を吊り上げながら、グロック19を水平に構えていたのだ。
「う……うんっ!」
逃げ出す好機はこの瞬間、この好機を置いて他には存在しない――
愛佳はもう盾を投げ捨てて、形振り構わずチエの方へと駆けた。

◆

「ぐぬぅ……逃がさないよっ!」
麻亜子は苦痛に顔を歪めながらも、取り落とした
H&K SMG‖を拾い上げようとする。
だがその刹那、背筋に嫌な予感が奔り、麻亜子はそれまで自分がいた場所を飛び退いた。
遅れて甲高い音が聞こえ、すぐ傍の地面が弾け飛んだ。
チエが逃げる愛佳を援護する形で、麻亜子に攻撃を仕掛けていたのだ。
チエによる攻撃の手が休められる事は無く、銃弾が何度も放たれる。
「ぬあっ、くぅ、おわっととっ!」
数々の激戦で鍛えられた常人離れした勘と、類稀な身のこなしにより、麻亜子はその猛攻を凌いでゆく。
しかし傷付いた今の身体ではそれで限界であり、反撃にまではとても手が回らない。
銃声が止んだ時にはもう、チエ達の姿は闇の中へと消えてしまっていた。

麻亜子は肩より伝わる激痛を意にも介さず、すぐに次の行動へと移る。
痛みなどには屈しぬと決めてあるのだから、怪我の治療など後回しで良い。
周囲の状況を確認し、落ちている武器を次々と拾い上げると、チエ達が消えた方向に向かって呟いた。
「ここまで生き残ってきただけあって、なかなかやるじゃないか……。でもこのまま逃げ切れると思ったら大間違いだぞぅ?」

   *     *     *    *     *     *

麻亜子の襲撃をどうにか凌いだ愛佳達は、百メートルばかり先の茂みの中で息を潜めていた。
全速力で逃亡を続けるという選択肢もあったが、敵があの女だけとは限らない。
銃声を聞きつけた他の誰かが、漁夫の利を狙って近付いてきているかも知れないし、目立つ真似は出来るだけ避けるべきなように思えた。
だからこそ愛佳達は敵を振り切ったと判断した時点で足を止め、大人しく隠れる事にしたのだ。

愛佳はチエと地面に座り込んだまま、ぜえぜえと肩で息をしていた。
「ふぅ〜……、ここまで来れば大丈夫そうッスね」
「そうだね。チエちゃん、本当にありがとうね……凄い助かったよ」
愛佳が穏やかに笑ってそう告げると、チエは顔を少し紅潮させた。
「そ……そんな、お互い様ッスよ。あたしだって、小牧先輩がいなきゃどうなってたか……」
チエはそう言って手を振ろうとする。
だが途端に先程撃たれた右肩がズキズキと痛み、慌てて手を元に戻した。
「もう、無理はいけないよぉ? さ、怪我の手当てをしようよ」
「すいませんッス……」
「謝る必要なんて無いよ。こんな時だからこそお互い助け合わなきゃね」
愛佳は静かに答えた後、鞄から救急箱を取り出した。
雨で濡れた茂みの雑草を軽く払いのけた後、箱を地面に置く。
それから愛佳は救急箱の蓋を開けようとして――大きく息を飲んだ。
「――――ッ!?」
間断無く続く雨音に混じって、生い茂る雑草の向こう側より足音が聞こえてきたのだ。
茂みで視界が遮られている為に姿こそ見えぬが、確認するまでも無い――タイミング的に、間違いなく朝霧麻亜子のものだろう。
気付いたのはチエも同じで、彼女もまた動揺を隠し切れぬ表情をしていた。

(そんな……ちゃんと振り切った筈なのにどうして――?)
焦りで、恐怖で、疑問で、愛佳の身体が凍り付いてゆく。
自分達は麻亜子の姿が見えなくなったのを確認してから、すぐに逃げる方向を変えた。
ならば敵は追いついてなど来れぬ筈なのに、どうやってここまで再び肉薄してきたのか。
まるで検討もつかない。
唯一分かる事はここまで近付かれてしまった以上、取りうる選択肢は限られてくるという事だ。
今から茂みを飛び出しても到底逃げ切れないし、敵の姿が見えない以上、まだ奇襲は難しい。
となると、残された道は一つ。
このまま茂みの中に身を隠し続け――もし敵の姿が視界に入ったら、機先を制して攻撃を仕掛ける。
これならば上手くいけば敵をやり過ごせるし、発見されそうになっても先手を取れるのだから勝機はある筈だった。

愛佳は地面に腰を落とした姿勢のまま、ドラグノフを聞こえてくる方に足音の向けて構えた。
出来れば見つりませんようにと祈りながらも、銃身を握り締める手には確実に力を籠める。
掌の中が汗と雨でじっとりと濡れており、しっかりと銃を握っていなければ取り落としてしまいかねなかった。
――大丈夫、敵が見えぬという事は、即ち相手もこちら側を視認出来ぬという事。
このまま警戒態勢を取り続け、もし敵の姿が見えたらその瞬間に銃を放てば良いのだ。
そう自分に言い聞かせながら、愛佳は引き金にかけた指に全集中力を注ぎ込む。
横では同じように吉岡チエがグロック19を構えている。
そしてなおも近付いてくる足音に、二人の緊張が最大限まで高まったその時だった。
――視界が、燃え盛る液体の濁流で埋め尽くされたのは。

「――――危ないっ!」
「えっ!?」
愛佳は半ば反射的に真横にいるチエを突き飛ばし、その次の瞬間には炎に飲まれていた。
「ああああああああぁぁぁぁっ!!」
想像を絶する激痛が、耐え難い灼熱が、雪崩の如く襲い掛かってくる。
顔も、胴体も、足も、例外無く真っ赤な炎に包まれてしまった。
「消えてっ……消え……てよぉっ……!」
火達磨となった愛佳は纏わりつく炎を消すべく、必死に両手で己の身体を叩き続ける。
しかしそれは、川の流れを手で押し留めようとするのと何ら変わらぬ行為。
雨の中でも勢いを失わぬ豪炎を、手を振るう程度で消すなど到底不可能だ。
ましてや愛佳自身の手も燃え盛っているのだから、火が勢いを緩める事など有り得ない。
「うああ……うあああぁぁぁっ……」
全身の機能を破壊されてゆき急激に力が抜けてくるが、莫大な苦痛と熱だけは未だに伝わってくる。
火炎放射器は『不快な死を撒き散らす』というのが特徴の武器であり、それにより与えられる苦しみは並大抵の物では無かった。
(いや……だ…………誰か……たすけてよ…………)
混乱し、疲弊し切った思考の中に、その想いだけが浮かぶ。
死にたくなかった。この苦痛から解放されたかった。助かりたかった。
そして、愛佳は見た。
前方五メートル程離れた所で、怯えた表情で地面にへたり込んでいるチエを。
「チ……エ……チャ……ン……タス…ケテ……」
そうだ――自分だって身を挺してチエを庇ったのだから、次はこちらが救ってもらう番だ。
その結論に達した愛佳は、炎に包まれたまま一歩、また一歩とチエの方へと歩を進める。
「小……牧…………先……輩……」
チエが物の怪を見るような眼差しを、愛佳へと送る。
それ程今の愛佳の姿は異常であり、焼け爛れた喉から発せられる声音も怪物のものだった。
愛佳がまた一歩足を踏み出すと、チエは尻餅をついたまま一歩後退した。
「チエ……チャン……ドウシテ……ニゲルノ……」
炎を消す手段を持たぬチエが逃げるのは当然なのだが、それは愛佳からすれば許し難い裏切り行為だ。
「ドウシ……テッ……!」
苦痛と憎悪で無茶苦茶となった思考に従い、愛佳が更に歩くペースを早めようとする。
そこで上空から火炎放射器の本体が飛来し、続いて連続した銃声が聞こえ――辺り一帯が閃光に包まれた。
最早狂ってしまった愛佳の頭では到底理解出来なかったが、銃弾で撃ち抜かれた火炎放射器が爆発を巻き起こしたのだ。
「ウアアアアアアアアアアアッッ……!!」
何者にも祈りを捧げる事無く、ただ己の境遇を呪いながら、愛佳の意識は闇の奥底へと飲み込まれていった。

◆

「……ここまで酷い武器だとは思わなかったよ。修羅といえども、これはちょっと後味が悪いね」
火炎と爆風により半ば焼け野原と化した地の上で、肩を落としながら呟く少女の名は、朝霧麻亜子。
近くには見るも無残な焼け焦げた死体と、今にも息絶えそうなチエが横たわっている。

――麻亜子はチエ達に逃げられた後、レーダーを頼りに追撃を行った。
しかし間近までレーダーを点けたままで行こうとすると、漏れ出る光により自身の位置を悟られてしまう為、電源を切りざるを得なかった。
敵の大体の位置は把握してるとは言え、その状態で正確な攻撃を決めるのは難しい。
そこで麻亜子は攻撃範囲の大きい――チエ達が落としていった火炎放射器を使用したのだ。
結果は予想以上のもので、燃え盛る火炎は茂みに隠れていた獲物の片割れを完全に飲み込んだ。
麻亜子はその機を逃さず、砲丸投げの要領で火炎放射器を投げ込み、続いて狙撃を行った。
狙い通り生み出された爆発は火塗れの愛佳だけでなく、傍にいたチエすらも蹂躙した。
結果は上々、左肩を撃たれてしまったが幸いにも、『まだ』左腕は動く。
指一本動かす度に激痛が跳ね、放っておけば治療不可能な状態まで悪化してしまうかも知れないが、『まだ』何とか動く。
だが一度に二人の獲物を仕留めたとは言え、火達磨となった愛佳の惨状は麻亜子にとってもショックが大きかった。
この世のものとは思えぬ絶叫、直視に耐えぬ黒焦げの亡骸。
かつて人だった者が目の前で、自分の手によって、人間では無い何かへと変貌していった。

ともかく先程の爆発音はかなり広範囲に響き渡った筈なのだから、今すぐこの場を離れなければならない。
息を乱しているチエに手早くトドメを刺し、戦利品を回収して、怪我の治療を行わねばならない。
しかし麻亜子は苦々しく表情を歪めたまま、自身が生み出した惨状を眺めていた。
それは修羅としての役目を成すには、決して抱いてはいけない罪悪感によるものだった。
それが決定打となり、麻亜子は再会を果たす事となる。
「……むっ!?」
遠くより駆けてくる足音に、麻亜子が振り向く。
麻亜子は手馴れた動作でH&K SMG‖を構えたが、近付いてくる人影の正体を認識した瞬間、ぽろりと銃を取り落とした。
「たか……りゃん……」
現れたのは、麻亜子にとって二番目に大切な存在――河野貴明だったのだ。

◆

「こ……これは……」
河野貴明が戦場に辿り着いた時、眼前に広がったのは正しく地獄の光景だった。
焼け焦げた地面、鼻をつく嫌な臭い。
呆然とした顔で視線を送ってくる麻亜子を意にも介さず、貴明は地面に倒れ伏せているチエを抱き上げた。
先の爆発音の時に負傷したのろうか、チエの背中は血で濡れていた。
「吉岡さん……」
声を掛けると、それまで目を閉じていたチエが、ゆっくりと瞼を押し上げた。
「せ……先輩……やっと会えたッス……」
それは今にも消え入りそうな声。
まるで少年との一戦を終えた後の、笹森花梨のように。
「一体何があったんだ?」
心の奥底より沸き上がる『嫌な予感』を振り払うように、震える声で訊ねる。
「まーりゃんって人に襲われて……頑張ったけど、やられちゃいました……」
「そっか……」
そんな事は分かっていた。『嫌な予感』はこれでは無い。
そして、麻亜子がいくら憎かろうとも、今は戦うべき時じゃない。
「もう良い――治療出来る場所を探しに行くから、今は喋っちゃ駄目だ」
そうだ、復讐よりも目の前の人を救う方が大切だ。
今はチエの救助を最優先に行動すべきなのだ。
『嫌な予感』を、現実のものとせぬ為に。

しかしチエはゆっくりと首を振って、言った。
「それよりも…………先輩、聞いて欲しい事があるんスよ……」
「……何かな?」
チエはこれまで見せた事の無い程真剣な瞳で、こちらを見つめていた。
その視線を一身に受けた貴明は、素直に話を聞くしかなかった。
「あたしね……このみと会ったんスよ。夢の中で――もう死んじゃった筈のこのみと会ったんスよ」
「このみと?」
「このみはね……、河野先輩の事が……好きだったんスよ。ずっとずっと……、昔から……好きだったんスよ。
 このみは……心配してました。自分が死んだ事を嘆くよりも……、残された河野先輩を……心配してました」
「そっか……」
このみらしいな、と思った。
彼女は子供のように見えて、芯の部分では自分などより余程しっかりしているから。
それに自分がこのみより先に死んでしまったとしたら、同じように残された相手の心配をするだろう。
自分とこのみはそういう関係なのだ。
「それでこのみは……、あたしに言ったんスよ。『よっちにタカくんをお願いしたいの』って……」
「――吉岡さんに? どうして?」
分からなかった。自分とチエは、親しい仲では無い。
環や雄二に頼むのなら分かるが、このみがどうしてチエにそんな事を言ったのか、理解出来なかった。

目を丸くしている貴明を見て、チエが優しく微笑む。
「あたし……河野先輩が好きなんスよ」
「――――え?」
思わず、随分と間抜けな声で訊ね返してしまう。
今チエは何と言ったのだ?自分の聞き間違えで無ければ――
「あたし……河野先輩の事が大好きなんスよ。このみはそれを知ってたから、あたしに頼んだんだと思うッス……」
「――――!」
チエの言葉を聞いた瞬間、貴明は後頭部を思い切り殴り付けられたようなショックを受けた。
目を大きく見開いた後、震える唇をどうにか動かす。
「そうだった……んだ……」
「……でも、このみに怒られちゃいますね」
「どうしてさ?」
貴明が聞き返すと、チエは沈んだ表情を浮かべた。
「あたしは……もうそろそろ死んじゃうから……河野先輩を支えて上げられないから……約束を果たせないッス……」
これが、『嫌な予感』だった。チエの姿は、今際の際の花梨とあまりにも似すぎていたのだ。
やはり、もうチエは――

「吉岡さんッ!」
貴明は叫んだ。
チエの身体を強く抱き締めて、精一杯叫んだ。
「吉岡さんは十分頑張ってくれたよ! 今だって辛いだろ!? 痛いだろ!? 
 それなのに吉岡さんは、気力を振り絞ってこのみと自分の思いを伝えてくれたじゃないか!」
「先輩……」
腕に籠めた力をより一層強めながら、半ば涙声で続ける。
「ゴメン、吉岡さん……。俺がもう少し駆けつけてくるのが早ければ、守ってあげれたのに……」
「良いんスよ……でもその代わり、少しだけお顔を見せてくれませんか?」
言われて、貴明は少しだけチエから身体を離した。
それでも少し動けば口付けが出来そうなくらいの距離で、チエがゆっくりと口を開く。
「河野せんぱ、ううん……貴明先輩。これだけはずっと覚えておいて欲しいッス。貴方を好きな女の子が、二人いたって事を――」
言い終えると、チエは眠るように静かに目を閉じた。
その寝顔は場違いな程、穏やかに見えた。
「よし……おか……さん……?」
呼び掛けても返事は無い。チエはもう、動かなかった。
まだまだ伝えたい言葉があったのに。
死を迎えるその瞬間まで精一杯想いをぶつけてくれた少女に、色々言ってあげたかったのに。
自分は馬鹿で、鈍感で、その所為でチエの好意にも気付いてやれなかった。
女が苦手だからなどという理由で、チエとの関わり合いを避け続けてしまった。
その事を謝りたかったのに。
もうそれは、永久に叶わぬ願いとなってしまった。
「吉岡さん……お休み」
貴明は静かにそう呟くと、るーこの時と同様に、チエの瞼を優しく閉じさせた。
それからすくっと立ち上がって、もう一人の亡骸へと目をやる。
「小牧さん……」
それは既に原型を留めていない黒焦げの死体だったが、髪型と焼け残った制服からかろうじて判別がついた。
愛佳の亡骸は、顔の大部分が焼け爛れており、閉じさせてやる瞼すら存在しない。
特に苦しい死に方の一つに、焼死が挙げられる。
生きたまま火に巻かれ、意識を保ったまま身体の機能を破壊されてゆくのは、どれ程の苦痛なのだろうか。
きっと、想像もつかないものなのだろう。
自分がこれまで負ってきた傷よりも、何百倍も痛かった筈だ。

貴明はくるりと身体の向きを変え、首を上げた。
あの女を――かつての先輩で、そして最早怨敵と化した相手を、視界に収める為に。
「まーりゃん先輩……俺は貴女を――」
貴明の塗れた瞳が、紅い涙を流す双眸が、麻亜子を睨みつけた。
表現しようが無い程の悲しみと憎しみを乗せた声で、告げる。
「殺します」
猛り狂う雷鳴が、二人を照らし出した。




【2日目・23:05】
【場所:F−2右下】

朝霧麻亜子
 【所持品1:H&K SMG‖(11/30)、H&K SMG‖の予備マガジン(30発入り)×1、IMI マイクロUZI 残弾数(12/30)・予備カートリッジ(30発入×1】
 【所持品2:防弾ファミレス制服×2(トロピカルタイプ、ぱろぱろタイプ)、ささらサイズのスクール水着、制服(上着の胸元に穴)、支給品一式(3人分)】
 【所持品3:サバイバルナイフ、投げナイフ、携帯型レーザー式誘導装置 弾数1・レーダー(予備電池付き、一部損傷した為近距離の光点のみしか映せない)】
 【所持品4:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、89式小銃(銃剣付き・残弾30/30)、ボウガン、バタフライナイフ】
 【状態@:マーダー。スク水の上に防弾ファミレス制服(フローラルミントタイプ)を着ている、肋骨二本骨折、二本亀裂骨折、内臓にダメージ、全身に痛み】
 【状態A:精神状態不明、頬に掠り傷、左耳介と鼓膜消失、左肩重傷(動かすと激痛を伴う)、両腕に重度の打撲、疲労中】
 【目的:目標は生徒会メンバー以外の排除(貴明に対する対応は不明)。最終的な目標はささらを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと】

河野貴明
 【装備品:ステアーAUG(30/30)、フェイファー ツェリスカ(5/5)、仕込み鉄扇、良祐の黒コート】
 【所持品:ステアーの予備マガジン(30発入り)×2、フェイファー ツェリスカの予備弾(×10)】
 【状態:激怒、左脇腹、左肩、右腕、右肩を負傷・左腕刺し傷(全て応急処置および治療済み)、疲労小、マーダーキラー】
 【目的:麻亜子の殺害、ゲームに乗った者への復讐(麻亜子含む)、仲間が襲われていれば命懸けで救う】

吉岡チエ
 【装備:、グロック19(残弾数2/15)、投げナイフ(×2)】
 【所持品1:89式小銃の予備弾(30発)、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×14】
 【所持品2:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)、救急箱(少し消費)、支給品一式(×2)】
 【状態:死亡】
小牧愛佳
 【所持品:備考参照】
 【状態:死亡】

【備考】
※愛佳の荷物【ドラグノフ(5/10)、包丁、缶詰数種類、食料いくつか、支給品一式(×1+1/2)】
は一部が焼失していると思われますが、具体的な内容は後続任せ。
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