離脱




「……んー、あっち随分うるさいな」
「何かあったのでしょうか」

入り口付近にて見張を担当していた折原浩平と久寿川ささらのもとにも、その喧騒は伝わっていた。
二人で見張を始めてから早一時間程、しかし正面切っての侵入者は今の所無い。
それなのに、何故こんなにも屋内の方が騒がしいのか。疑問が浮かぶのは自然の流れであった。

「オレ、ちょっと見てきますね」
「あ、でしたら私も……」
「いや、ささらさんはこっち見ててくださいよ。オレも確認したらすぐ戻ってきますから」
「……はい、分かりました」

婦女子に手間をかけさせるわけにはいかないと、変にフェミニストをきかせながら場を去る浩平。
ささらはその背中を不安そうに見送るのであった。





一方いきなり現れたイルファにより急変した場面、仁王立つ彼女は今もまだ煙を放つ大型拳銃を構えたままであった。
今は遺体となってしまった小牧郁乃が転がっているそのすぐ傍、沢渡真琴は呆然とそんなイルファの姿を見つめていた。
ほしのゆめみが、朝霧麻亜子が、そしてイルファが現れた今でも……真琴は、何もできないでいた。
悲鳴もあげられなかった、恐怖で硬直してしまった真琴の体では倒れる郁乃に手を伸ばすことすらできなかった。

真琴と郁乃はここ、無学寺にて知り合った関係であり、これまでの間でも交流と呼べるようなものがそこまで深くあったわけではなかった。
立田七海と共に休んでいた郁乃の元に真琴達四人のグループは合流した形なので、時間で言っても出会って間もない部類に入るだろう。
それこそ郁乃のような少しきつい性格に真琴も自然と苦手意識を持ってしまうような空気も流れていて、どちらかというと真琴は彼女の連れである七海と一緒にいる時の方が多かった。
相性的にも大人しい七海の気質は真琴にぴったり合ったようで、真琴が七海と接した時間は郁乃のそれよりずっと長く充実したものだった。

でも、それでも。
このような形で郁乃を失うことになるなんて想像を、真琴ができるはずもなく。
いくら関わりが少ないとは言え、郁乃がいなくてもいい存在だなんて思うはずもなく。

震えが、真琴の体を走り抜ける。
先ほどまで同じ時間を過ごした仲間がこんなにも簡単に消えてしまうという恐怖、その重みに真琴の精神が啄ばめられてゆく。
……怖いという率直な感情、その矛先がいつ自分に向かうか分からないという状態。
真琴は、動けずにいた。矛先をこちらに向かせないための、それが唯一の努力でもあったから。
ほしのゆめみが窮地に追いやられていても手を貸さなかった、郁乃のように後方からの援護をすることもしなかった。
全ては、彼女が自己の安全を優先した結果だった。
しかしそれで場が良くなるはずもなく、苦戦を強いられたゆめみはついに追い込まれることになる。

(どうしよう、どうしよう……ゆめみがやられちゃったら、どうすればいいのよ……っ)

そんな時だった、突如あのイレギュラーが現れたのは。
イルファは真琴にとって、言わば救世主と呼べるべき存在であった。
「この人なら何とかしてくれる」「自分達を助けてくれる」といった願望は瞬時に膨れ上がり、絶望に染まりかけた真琴の心に希望の光を灯しだす。

(やった! 何でもいいのよ、もう皆で生き残れれば何でもいいのっ! お願い何とかして……)

願う、真琴はひたすら願い続けた。
その願いを実行に移すための後ろ盾を自分では一切用意することもなく、思いだけを先行させる姿には根本的な楽観さが抜けきれない幼稚なものにも見えてくる。
……いや、違う。彼女の場合そこには「思いだけ」しかないのではなく、真琴自身が何かを変えようとする様事態が、全くなかったのだ。

そんな自覚を持つことなく、真琴は尚眠り続ける振りをした。
期待を胸に込め、自分では何もせず救世主である女性の次の言葉を待つのだった。
安全な所で一人、場が収束する所を。待つのだった。

そのような真琴の様子に当の本人、イルファが気がつくことはない。
今起こっている事を目で見ることでしか判断できない彼女にとっては、身動きを取らない真琴は気絶した七海等と同列の認識しかできないでいた。

そんなイルファが目を覚ましたのは、本当につい先ほどのことであった。
バッテリーが切れてから数時間、ある程度の充電が完了した時点で彼女の自我は再び表に出ることになる。
目が覚めた所で見知らぬ部屋にて横になっていた自身の状態に驚きは隠せなかったイルファは、すぐさま飛び起き自分の損傷具合を確認した。
千鶴との戦闘で受けたダメージの他は特に新しいダメージもなかったようで、イルファは安堵の溜息を漏らす。
自身のデイバックがすぐ隣に置かれていたことから、誰か親切な人が保護をしてくれたのであろうことも簡単に想像がつくだろう。

(何はどうであれ、助かりました……)

落ち着いた所で自らの浅はかな行動を恥じる思いに駆られるイルファ、しかしその瞬間どうして自身がそこまで取り乱していたのかというのも思い出す。
何故あれだけ必死になって走り回っていたのか、それも予備バッテリーまで使い込んでしまう程。
そう、姫百合珊瑚と姫百合瑠璃の二人を保護しなければいけないという一番大切な彼女の任が、一気にイルファの思考回路を埋め尽くしていった。

「こうしてはいられません……っ!」

慌てて荷物を掴み、イルファはまだ充電が終わっていないプラグを力ずくで引っこ抜くとそのまま部屋を飛び出した。
あれからどれだけ時間が過ぎたのか、時計のないこの部屋では知る術もなくイルファの焦りは一層助長させることになる。
とにかく早く行動を起こさなければいけない、そうやって廊下を駆け出したイルファの聴覚器官に値する部々が捉えたのが、例の部屋で行われていた乱闘の喧しさであった。

本当ならば、主君の安全を考え無視して進むべきである。
しかしイルファとて、そこまで冷徹な思考回路を所持しているわけではなかった。

(誰か襲われているのでしたら、見過ごすことなどできませんね……)

もしかしたら自分を助けてくれた人が危ない目にあっているのかもしれない、そんな義理人情的なものもイルファの背中を軽く押す。
深く考えている時間はない、イルファは支給品であるツェリスカを取り出し足音を立てぬよう静かにその部屋の前へと走りこんだ。
開け放たれた扉、覗くまでもなく鳴り響いた轟音で銃器を使った戦闘が行われていることはその時点でイルファも理解できた。
そして、次の瞬間彼女の視界に入り込んだのが、ちょうど朝霧麻亜子がゆめみに対しSIGの引き金を引こうとした様であった。
反射的に構えたツェリスカで麻亜子を撃退するイルファは、放心しているゆめみに声をかけながらじっくりと部屋の状態を見渡し始める。

そこには争っていた二人の他にも、身動きを取らぬ三人の少女らしき人物が存在していた。
見るだけならば気を失っているだけなのか、既に命を落としているのかという判断材料はほとんどない。
だが、その中でも一際目立つ存在感をかもし出す少女がいた。
……その少女は、一人だけ血溜まりに浸っていた。

脇目も振らず駆けて行くイルファを止める者はいない、赤く染まってしまったピンクのセーラー服を着込んだ少女の体をイルファはゆっくりと抱き起こした。
くたん、と力なく垂れる体に力が再び入る様子はなかった。
制服だけでなく顔も真っ赤になってしまっている少女の額に空いた、一つの空洞が物語る。
それはどう見ても致命傷であり、彼女が再び動き出すことが決してないという宣告でもあった。
少女の命が尽きているということ、イルファは走りよった時に比べ随分冷静にそれを受け入れているようだった。
しかしそれと同時に滲み出た怒りという名の感情が、彼女の口にする言葉に率直に表れていく。

「……これは、どういうことですか?」

静かだが、脅しているかのごとく低い声色に場の温度が下がっていく。
イルファの感情回路を刺激した要因は、二つであった。
一つは少女の着用していた制服が、誰よりも大切な存在である主君のものと同じだったということ。
そして、もう一つは・・・・・・少女の近くに転がっている、多分彼女の持ち物であろう車椅子。
半壊させられたそれを見ることで、浮かび上がる一つの可能性。
そう、もしこの少女の死因が乱闘していた二人に巻き込まれたことであるとしたら、それを見過ごすわけにはいかないのがイルファの性分であった。
背後に投げかけた問いに対する返答はまだ来ていない、郁乃の体を再び横にした後イルファはゆっくりと振り返りもう一度あの問いを繰り返した。

「これはどういうことですか。返答次第では、お二方とも処分させていただきます」
「しょ……っ?!」

ストレートに表された言葉に、たじろぐ二人の姿がイルファの視界に入る。
睨みつけながらイルファはツェリスカの銃口を二人に向け構えなおし、尚様子を窺い続けるのだった。

「おいおい、どうすんだよ」
「あちきに聞くなっつーの。あんたの仲間っしょ?」
「知るか、あんなの覚えてねーよ」
「何おぅ」
「何だよ」

ぼそぼそとくだらないやり取りをしだす二人、そんな不謹慎な様子に苛立ちを覚えながらイルファは手にするツェリスカに握力をかけていく。
しかしそこで、ある重要なことに気がつくのだった。
イルファが手にするこの大型拳銃、本来常人が発砲することすら難しい代物であるというのは有名なこと。
一応使いこなしてはいたイルファだが、それは決して易々できたという訳でもなかっただろう。
やはりここにきて無理が出てしまったということを、他でもない彼女の体が叫んでいた。
先ほどの発砲にて左腕が動かないことから右手のみを駆使して引き金を引いたことが致命的だった、反動を抑えるべく自然と力を込めた結果予想よりも強いそれはイルファの指の関節コードをボロボロににしてしまっていた。

(こんな時に……っ!)

どんなに信号を送っても、イルファの指が再び動く気配はなかった。反応も全く返ってこない。
しかしここで相手にこれを悟られたら終わりである、内心の焦りを隠しながらイルファはじっと耐えていた。

「むー……しゃーないっ、ここは一端逃げとくか」

そんな彼女の心情は伝わっていないはずだが、銃口の先にてゆめみと二人並んでいる状態の麻亜子はこのタイミングでそれを口にした。
勿論イルファには届かないよう、ゆめみにだけ聞こえるくらいの小さな囁きで、だが。

「あぁ? 生言ってんじゃねーぞ、コラ!」

眉間に皺を寄せ凄むようにしながらも答えるゆめみ、この状態で何を言い出すのかと呆れながら舌を打つ彼女の様子を気に止めることなく、麻亜子は飄々と言ってのける。

「あんたはあっちから、あちきはこっちから」
「おい、俺の方が遠いじゃねーかよ?!」
「気にしたらダメぞよ。ほれ一、二の三!」
「なっ?!」

ゆめみが止める暇もなかった。
瞬時に反応したものの銃口を向けるだけで発砲をしてこないイルファを尻目に、麻亜子は外に通じる窓、しかし閉じられたままのそこに頭から突っ込んでいった。
ガラスが粉々になっていく激しい雑音が響き渡る、この部屋から彼女が消えたのに五秒とかかっていないだろう。

「ま、待ちなさいっ!」

張り上げられた声、追随しようとイルファも窓枠に手をかけるが既に麻亜子の姿は闇の中に溶け込んでいた。
どうしたものかと少しまごつくものの結局イルファも麻亜子の後を追うようにし、窓から外へと飛び出していく。
結局、部屋に残されたのは立ち尽くすゆめみとその他寝転がったままの少女のみとなった。

「あー、仕方ねぇなぁ……」

頭をポリポリと掻きながら、ゆめみが呟く。
麻亜子の思惑通りになったかどうかは定かではないが、イルファが彼女を追随したため今ゆめみが逃げようとしても邪魔するような輩はもうここにはいないはずであった。
部屋の入り口が空いたことにより退路も確保できていた、この隙にお暇するのが無難であろうとゆめみもこの場から離脱する決心をする。
だが、何もしないでただ去るというのも彼女の性分に当てはまらず。
ゆめみの中の男である人格、久しぶりに目覚めたそれは今だ性欲を持て余したままである。
その捌け口を、ゆめみは欲していた。
せめてもの戦利品ということで、ゆめみは今だ目を覚まさない七海に近づきそのままひょいっと抱え上げた。
まだ育ちきっていない感はあるがこの際選んではいられないと自身に言い聞かせ、保障済みである感度の良さにゆめみは大きな期待を込める。
しかし手土産も無事入手しそのまま部屋を去ろうとするゆめみを呼び止める者が、まだこの部屋には残っていた。

「ま、待ってよ!」

思いもよらない背後からの声かけに、ゆめみは慌てて振り返る。
声の主はすぐに見つかった。郁乃の遺体の向こうで半身を起こしこちらを見つめる真琴、彼女とゆめみの視線がぶつかり合うのはすぐのことだった。
今の今まで存在感を全く顕わにしていなかった真琴に対する疑問が、ゆめみの中で沸かない訳はない。
ゆめみはそれを口にする前に、様子を見るべく真琴のの出方を窺うのだった。

「なんで、どうして七海を連れていっちゃうのよぅ」

半分涙声の弱々しい声色で訴えかけてくる真琴は、もう今にも泣き出しそうな様子であった。
しかしここでゆめみが気になったのは、そんな彼女の庇護欲を掻き立てられる姿ではなく。

(こいつ……いくらなんでも、このタイミングは狙ったとしか思えないぞ……)

この余りにも図ったような間合いのきな臭さに眉間に皺を寄せるゆめみ、その中で導き出された一つの解答にほくそ笑む。

「ははーん、成る程。……卑怯だな」
「え?!」
「お前、ずっと起きてたんだろ。ずるいなぁ、何もしないで高みの見物ってか」
「ち、違うもん!真琴はっ……」

慌てて否定してくる彼女の姿の怪しさに、ゆめみは意地悪そうな笑みを浮かべながらもそれが図星であると確信した。

「そうか、真琴って言うのか。覚えといてやるよ、お前みたいなクズは嫌いじゃないぜ?
 やっぱ我が身は可愛いもんな、がーっはっはっはっ」
「……ゆめみさん?」

ゆめみの高笑い、気持ち良さそうなそれは中途半端なところで突然途切れることになる。
また、彼女の聞き覚えのない声が場に響いたからだ。
部屋の入り口、真琴に声をかけられたことによりそこで立ち止まっていたゆめみがそっと顔を横に向けると、そこには。
不思議そうに彼女を見やる少年が、部屋に続く廊下の先にて佇んでいた。

「ちっ、新手か」
「え、どこ行くんですかゆめみさん!!」

そのまま庭へと駆け出すゆめみ、少年の声を背に受けても今度は振り返ることなく彼女もまた闇の中へと姿を消すのであった。

「な……どういう、ことだ?」
「うう、あうううぅぅぅぅ……」

残されたのは泣き崩れる真琴と、今場に到着したということで事態をさっぱり飲み込めていない浩平だけであった。
浩平がこの事態をきちんと把握するのは、またもう少し後のことになる。
慌てて駆け寄った彼の視界を占めた光景は、ふるふると震える真琴や血の海に沈んだ郁乃の姿という惨状の残骸のみ。
それだけの状況証拠では語ることのできない現実が、彼の目の前には在った。




【時間:2日目午前1時半】
【場所:F−9・無学寺(離脱済み)】

立田七海
【持ち物:無し】
【状況:汚臭で気絶、ゆめみ郁乃と共に愛佳及び宗一達の捜索】

ほしのゆめみ?
【所持品:支給品一式】
【状態:七海を抱えて離脱、性欲を持て余している】

朝霧麻亜子
 【所持品:SIG(P232)残弾数(1/7)・バタフライナイフ・投げナイフ・制服・支給品一式】
 【状態:離脱・着物(臭い上に脇部分損失)を着衣(それでも防弾性能あり)・貴明とささら以外の参加者の排除】

イルファ
【持ち物:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、他支給品一式×2】
【状態:麻亜子を追う・首輪が外れている・右手の指、左腕が動かない・充電は途中まで・珊瑚瑠璃との合流を目指す】


【時間:2日目午前1時半】
【場所:F−9・無学寺】

沢渡真琴
【所持品:無し】
【状態:号泣】

折原浩平
【所持品:だんご大家族(だんご残り95人)、イルファの首輪、他支給品一式(地図紛失)】
【状態:呆然】


【時間:2日目午前1時半】
【場所:F−9・無学寺入り口】

久寿川ささら
【所持品:日本刀】
【状態:不安、見張りを続けている】

・ささら・真琴・郁乃・七海の支給品は部屋に放置
(スイッチ&他支給品一式・スコップ&食料など家から持ってきたさまざまな品々&他支給品一式・写真集二冊&他支給品一式・フラッシュメモリ&他支給品一式)
【備考:食料少し消費】

・ボーガン、仕込み鉄扇は部屋の周辺に落ちています
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