嘲笑う者




都会ならば、たとえ夜であったとしても街灯の光や、或いは遠くビルより漏れる光により、暗闇は訪れないだろう。
だがこの殺戮の島では違う。この地において夜の訪れは、即ち闇の訪れである。
闇は身を隠す為の、最高の道具だ。ある者は自分の安全を確保する為に、そしてある者は愚かな獲物を仕留める為に、息を潜めるだろう。
しかしそれらは全て弱者の理論であり、気配すら悟れぬ未熟者の為にある戦術。
真に強き者ならば、必要以上の小細工など無用――そう言わんばかりに、リサ=ヴィクセンは堂々と街道を往く。
目的地は一つ、教会だ。橘敬介の言う『脱出できる糸口』とやらを叩き潰す為に、リサはひたすら突き進む。
ゲームの脱出――どのような方法なのかは分からない。しかし、二つ確信を持てる事がある。
まず一つ目。敬介の言う『脱出できる糸口』というのは、即ち『首輪を解除する糸口』と考えて間違いない。
このゲームを成り立たせている一番の要因は首輪なのだから、それをどうにか出来るアテがあるこそ『脱出の糸口』と表現したのだろう。
そして二つ目。主催者を打倒しての脱出は、不可能だ。
主催者は、自分や宗一、篁や醍醐といった猛者達を完全に弄ぶ事が出来る程の怪物。
そのような怪物を宗一やエディ、それに軍の力添え無しで打倒するなど、絶対に不可能だ。
なら生き延びる為には殺し合いをするしか無いのか?――リサは、そう思わない。
別に生き延びるだけなら主催者を倒す必要など無い。
何とかして首輪を解除し、この島から逃げ出してしまえば良いのだ。
勝ち目の全く無い勝負に身を投じるより、そちらの方が余程現実的な選択だ。
恐らくは今主催者打倒を掲げている連中も、やがて自分達の行いが無謀である事に気付く筈。
死ぬまで意志を曲げずに戦い続ける人間もいるだろうが――いずれ何人かは、心変わりする筈。
此処は犬死するよりも生き延びる事を優先するべきだと、主催者など放っておいて逃げ出すべきだと、そう考える筈なのだ。
その結論に至ってしまえば、後は簡単だろう。
首輪さえ外せれば、この島から逃げ出すなど造作も無い事。
首輪を外せる程の技術力を持った人間が存在するならば、脱出用の船など容易に準備出来るだろうから。
しかし、である。
(脱出なんて、絶対にさせない……!)

主催者は『見事優勝した暁には好きな願いを一つ、例えどんな願いであろうと叶えてあげよう』と言った。
即ち、誰かの逃亡などという形でゲームを台無しにされてしまっては、誰も生き返らせれない。
宗一も、エディも、そして栞やその大切な者も、誰も。
それでは何の為にゲームを肯定し、殺戮の道を選び取ったのか分からなくなる。
自分は宗一とエディを生き返らせ、彼らと力を合わせて主催者に復讐しなければならない。
たとえ泥を被ってでも巨悪を断ち、二度とこのような悪夢が起こらないようにしなければならないのだ。
栞だって、自分に全てを託して死んでしまった。
ならば脱出など絶対にさせる訳にいかない。必ず叩き潰し、ゲームを続行させてみせる。

次に宮沢有紀寧への対処だが……まだ考える必要は無いだろう。
有紀寧の行動原理は難解なように見えて、本当の所は至極単純である。
有紀寧は常に、自分の保身を最優先として動き、最後の一人となって生き延びようとしている。
そのような人間、全く信用ならないように見えるが――性質さえ掴んでいれば、問題無い。
有紀寧は自分にとって利用価値のある人間へ、無闇に攻撃を仕掛けたりしない。
あくまで有紀寧の目的は保身であるのだから、生存確率を下げるような選択肢は絶対に取らない。
まだ参加者が四十人以上(放送より時間が経った今では、もう少し減っているかも知れないが)いるこの段階で、裏切ってくる事は無いだろう。
氷川村での戦いのように、仲間がいれば敵集団を分散させる事も出来るし、有紀寧は自分にとってもまだ利用価値がある。
特に柳川祐也のような優れた力を持つ強敵は、他の敵と分断してから確実に仕留めたい所。
そうやってまずは脱出派の集団を殲滅し尽し、その後で有紀寧も殺せば良いのだ。
裏切りに裏切りを重ね、諸悪の根源である主催者に懇願して宗一達を生き返らせる――それは下衆にも劣る行いだろう。
だが、後で蘇った宗一に殴られたって良い。どれだけ多くの人間の恨みを買ったって良い。
悪を討てず、仲間を死なせたまま、犬死にするよりはよっぽど良い。
雌狐は、躊躇わない。




一方、雌狐を盾にするような位置取りで足を進める少女の名は、宮沢有紀寧。
有紀寧の身体は、快調にあるとはとても言い難い状態だった。
(くぅっ……不味いですね)
一歩一歩足を踏み出す度に、左腕の患部へと鈍い痛みが奔る。
応急処置を行い、小休止も取った為に一時よりはマシになっているが、それでも全快とは程遠い。
その上追い討ちを掛けるように雨まで降り始め、塗れた服が背中にべっとりと張り付く。
この過酷な殺し合いを無傷で勝ち残れるなどという甘い考えは抱いていなかったが、長瀬祐介相手にこれ程の手傷を被ってしまうとは思っていなかった。
それもこれも、全てはあの『毒電波』という異常な超能力の所為だ。
思い出すだけでも震えが来る。あの力の前には、どんな策略も武器もまるで意味を為さない。
何しろ本人の意思に関係無く、身体の自由を完璧に奪われてしまうのだから。
――『参加者の中には何人か人間とは思えないような連中が居るからね』
ゲームの開始時に、あのウサギが言っていたのはこういう事だったのだ。
その人外連中の一人である長瀬祐介はどうにか打倒したが、自分一人では確実に殺されていた。
人外の力……本当に馬鹿げた話だが、確かにそれは実在している。
リサの情報によると、柳川祐也も『鬼の力』という異常な能力を持っているらしい。
そして、今は形式上仲間であるリサ自身も、その柳川と互角以上の戦闘を繰り広げたとの事。
優勝する為には、柳川ともリサとも、何時かは雌雄を決する必要があるのだが……。
正直な所、こんな怪物達の相手などしていられない。正面から戦っては、命が幾つあっても足りないだろう。
なら騙まし討ちはどうか?……少なくとも、リサには通じまい。
こうして前を進むリサの背中を見ているだけでも、こちらに拳銃を向けられている錯覚に襲われる。
何をやっても、一秒後には自分が殺されてしまっているイメージしか浮かび上がらない。
騙まし討ちをされても凌げる自信があるからこそ、リサは自分と手を結んでいるのだ。
となれば取るべき道は一つ、まずはリサという最強の盾を隠れ蓑とし、安全を確保しながら他の参加者達を蹂躙してゆこう。
生き残りの数が減れば減る程優勝が近付くのは間違いないし、焦る事は無い。
ぬくぬくと力を蓄え、怪我を癒し、怪物狩りの準備を整えさせて貰おうではないか。
そうしていくうちに、いずれまた柳川とも対峙する時が来るだろう。
その時に、柳川とリサを潰し合わせる――そうすればどちらが勝つにしても、生き残った方も相当の傷を負う筈。
幸いリサは柳川と因縁があるようだし、怪物は怪物同士で潰し合わせれば良い。
自分は最後まで危険な戦いになど身を投じず、強敵は傷付くのを待ってから打倒するのだ。


二人はそれぞれの思惑を胸に、人の気配が感じられぬ寂れた街道をどんどんと進んでゆく。
やがて目的の地が段々と近付いてきたので、闇に包まれた森へと進路を変える。
敬介が残したメモを頼りにそのまま森の中を歩いてゆくと、やがて視界が大きく開け、その先に目的の建物が見えてきた。
本来ならば美しい筈なのに、この暗雲の下では不気味にすら見える建造物――教会を目前にして、リサは突然足を止めた。
その様子を不審に思った有紀寧が囁き声で尋ねると、リサはそれを制すように左手を伸ばした。
「どうしたんですか?」
「静かにして。……誰か来るわ」
それで有紀寧は黙り込み、リサに促されるまま近くの茂みへと身を潜めた。
そのまま待っていると、程無くして複数の足音が近付いてくる。
教会内部の電気は消灯されていない為僅かに外へと光が漏れており、現れた者達の顔まで認める事が出来た。
(あれは……)
その中には、有紀寧がよく知る――恐らく参加者の中で、自分と一番親しい間柄であろう人物の姿もあった。

    *     *     *

綺麗なシャンデリアより発せられる光に照らされた、厳かな雰囲気を保つ礼拝堂。
既にもぬけの殻となってしまったその場所で、古河秋生がボソリと呟いた。
「……誰もいねえじゃねえか」
人がいた形跡こそ断片的に見られるが、少なくとも目に見える範囲には自分達以外誰も居ない。
別の部屋に隠れているのだろうか――その疑問を秋生が口にする前に、朋也が素早く行動に移る。
「一応他の部屋も確認してくる。オッサンと渚はここで待っててくれ」
朋也はそれだけ言うと、油断無く銃を構えて奥の方へと消えていった。
秋生はその後ろ姿を見て頼もしく思うと同時に、酷く寂しいものを感じた。
少なくとも戦いとは無縁の生活を送っていた筈の朋也が、この過酷な環境に順応し切っている。
――殺し合いへと、順応してしまっている。
それは生き延びる上で必要な変化ではあり、成長とも表現出来る物だが、年端も行かぬ少年に危険な役目を任せたく無かった。
それでも怪我を負っている自分が無理に動くより、ここは朋也が先行すべきなのは明らかである。
秋生は自分自身を不甲斐なく思い、ぎりぎりと奥歯を軋ませた。
程無くして朋也が礼拝堂に戻ってきて、大きく溜息をつく。
「駄目だ。奥にも誰もいなかった」
「……そうか。ったく、何処に行っちまったんだろうな」
秋生は不満げな声を上げると、懐から煙草を取り出し口に咥えた。
銃を一つしか持たぬ自分達が、ここまで敵と遭遇する事なく無傷で辿り着けたのは僥倖だったが、これでは意味が無い。
仲間と合流するという目的を果たせなければ、ただの徒労に過ぎぬのだ。

朋也は、秋生の後ろにいる渚へと視線を移す。
「渚、足の調子はどうだ? それに雨で随分身体が塗れちまっただろうけど、風邪を引いたりしてないか?」
「ありがとうございます。でも途中で何回か休みましたし、平気です」
間髪入れずに、渚が力強い答えを返す。
朋也は確認するように渚の顔をじっくりと眺めてみた。
顔色が悪化しているというような事も無いので、本当に大丈夫そうに思えた。
それから朋也はふと視界の端に、少し違和感を覚えた。
よく目を凝らすと少し離れた床に、何かの紙が落ちているのが分かった。
朋也はそれを拾い上げようとし――その時、入り口の扉が鈍い音を立てて開いた。

「――っ!?」
いち早く反応した朋也がトカレフ(TT30)を構えようとするが、引き金を絞るより早く手に衝撃が走り、銃を取り落とす。
その衝撃が飛来した懐中電灯によって与えられたものだと分かった時には、乱入者がこちらに向けて疾駆していた。
ブロンドの女性――リサ=ヴィクセンは、両手に一対のトンファーを構え、一気に間合いを詰める。
そのままカマイタチの如き一撃が、未だ次なる動作へと移れていない朋也の顔を捉え――無かった。
「――嬢ちゃん、オイタはいけねえな」
「…………!」
リサが驚愕に目を見開く。
相手の意識を奪い取るべく裂帛の気合で放った一撃が、横から伸びた包丁に止められていた。
並の人間では反応する事さえ困難な筈のソレを、受け止められたのだ。
「何なんだ、テメエは!」
朋也が怒りに満ちた絶叫を上げながら、鞄より薙刀を取り出して、横薙ぎに振るう。
リサは宙に跳躍する事で迫る白刃より身を躱すと、そのままバック転の要領で一旦距離を取った。
朋也が素早くその後を追おうとするが、秋生がそれを手で制した。
訝しげな表情を浮かべる朋也に構わず、秋生は包丁を構えながら落ち着いた声で言った。
「一度だけ聞く。テメェ――殺し合いに乗ってるのか?」
「答える必要は無いわ」
リサはそれだけ吐き捨てると、また突撃を仕掛けるべく姿勢を低くした。
これ以上の問答などまるで意味を為さぬと、烈火の炎を宿した青い瞳が語っていた。
獰猛な殺気、先程見せた尋常で無い身のこなし、明らかに戦い慣れしている。
悩んでいる暇は無い。怪我をしている今の秋生に、殺人への禁忌に気を取られている余裕などある筈が無い。
朋也は元より、秋生すらも、目の前の女を殺傷せしめるべき敵だと断定した。
「……乗ったんだな」
秋生が返答するとほぼ同時、礼拝堂に一陣の突風が吹き荒れる。

リサは一対のトンファー、秋生は包丁、そして朋也はこの中で一番リーチの長い薙刀を武器としている。
飛燕の如き速さで近付いてくる敵の横腹目掛けて、朋也は躊躇せず刃を突き出した。
リサが足を止めぬまま、その薙刀をトンファーで力任せに払いのける。
「ぐっ……!」
女性のものとはとても思えぬ膂力を受けて、朋也の薙刀が大きく横へ流される。
がら空きとなった朋也の懐にブロンドの殺戮者が潜り込み、両手に握ったトンファーを大きく振りかぶる。
朋也は敵の狂眼を間近で見据えて、かつてない程の戦慄を覚えた――この女は今までの敵とまるで桁が違うと、本能が警鐘を鳴らしていた。
一瞬で全身に鳥肌が立ち、冷たい手で心臓を鷲掴みにされているような感覚に襲われる。
大きく動揺する朋也の喉元へ、リサの振るう牙が突き立てられそうになる。
「させっかよ!」
当然、それを秋生が黙って見過ごす筈も無い。
腰を捻り反動をつけて、渾身の一撃を見舞うべく包丁を振り下ろす。
たとえ受けられたとしても、敵の得物を弾き飛ばすつもりで、豪腕に力を込める。
だが敵のトンファーと包丁が接触した瞬間、秋生は妙な違和感を覚えた。
まるで手応えが無いのだ。そう、正にのれんに腕押しといったような――

リサは衝突の瞬間にトンファーの角度を変えて、秋生の攻撃を綺麗に受け流していた。
思い切り力んでいた事が仇となり、力の行き場を失った秋生の上体が大きく横に流される。
「がっ……!」
完全に無防備な姿を晒した秋生の腹部へ、高速の蹴撃が叩き込まれた。
リサは敵を蹴り飛ばした反動に身を任せ、そのまま大きく後ろへ跳躍する。
その直後にそれまでリサがいた空間を、薙刀の先端に備え付けられた鋭利な刃が切り裂いていた。
「オッサン、平気か!?」
朋也が手を差し出すが、秋生は助けを借りるまでも無く自力で立ち上がった。
秋生は苦痛に顔を歪めながらも、戦意は決して衰えぬ双眸で眼前の敵を睨みつける。
「今のは効いたぜ……。昨日の女といい、この島にはじゃじゃ馬が多いみてえだな」
その様子を目の当たりにしたリサは少し驚いた表情となったが、すぐに溢れんばかりの殺気を瞳に灯す。
「信じられないくらいタフね。一体どういう鍛え方してるのかしら」
「……それを聞きてえのはこっちの方だ」
金髪のハンターが放った言葉に、秋生は焦りを隠し切れぬ声で答えた。
腹部からは絶え間なく鈍痛が伝わってくる。
蹴られる寸前に腹筋を固め防御したが、その上からでも内臓まで衝撃が響いてしまった。
昨日戦った来栖川綾香も相当優れた格闘能力を誇っていたが、この女程では無い。
少なくとも秋生の常識では、一対二の状況で女に押されるなど有り得ない。
今自分達は常識など通用せぬ実力を秘めた、屈強な殺戮者と事を交えているのだ。
秋生はかつてない戦慄を覚え、背中に冷たい汗を掻きながら、再び包丁を深く構えた。
朋也もそれに合わせて、薙刀を両腕で強く握り締め、その切っ先を敵に向ける。
「小僧……分かってんな?」
「――こっちが二人いようが絶対に油断するなってんだろ?」
朋也も敵が桁外れの技量を持っている事は、十分に理解しているつもりだ。
長柄の得物は、懐に入られてしまうとそのリーチが弱点となり、大きな隙を晒してしまう。
先程のせめぎ合いで、敵は薙刀の弱点を的確に突き、加えて人間離れした動きにより自分達二人を圧倒した。
相手は女だとか、二人掛かりは卑怯などという倫理観は、この状況では笑い話でしか無い。
敵は明らかに異常な存在――決死の覚悟で戦って然るべき相手である。
朋也と秋生が腰を落とし、同時に駆け出そうとする。

「皆さん――残念ですが、お楽しみの時間はそこまでです」
そこで、朋也のよく知る声が聞こえてきた。
朋也と秋生がその声がした方へ首を向けるとほぼ同時――声の主、宮沢有紀寧がさっとリモコンを水平に構えた。
次の瞬間、すぐ近くにいた渚の首輪が紅い点滅を始め出す。
「な……宮沢!?」
朋也の驚愕を視認した有紀寧は、にこりと優雅な笑みを浮かべてから語り始める。
「騒がずに聞いて下さい。古河渚さん……ですよね、彼女の首輪に備えられている爆弾を作動させました。
 もし岡崎さん達が妙な真似をすれば、即座に爆発させるので注意してくださいね?」
朋也の、秋生の、渚の顔面が、蒼白となってゆく。チェックメイト……完全なる詰み。
その事実を認識した朋也は、自分の愚かさを悔やんだ。
何の事は無い。敵は二人居て――ブロンド女性の方は、ただの囮に過ぎなかったのだ。
「宮沢、てめえっ……!」
朋也は憎々しげに舌打ちした後、思い切り有紀寧を睨みつけた。

その憎悪を一身に受けた有紀寧が、目を丸く見開き意外そうな表情となる。
「あら? あまり驚かないんですね。岡崎さんなら、私が殺し合いに乗っている事を疑問に思ってくれそうでしたのに……」
朋也とはそれなりに親交があったし、まずはこの状況に驚いてくれるものだと思っていた。
だが朋也の驚愕は一瞬のうちに終わり、すぐに親の仇を見るような目をこちらに向けてきた。
まるで最初から、有紀寧がゲームに乗っているのを知っていたかのように。
限界まで抑えようとし、それでも尚隠し切れない怒気を孕んだ声音で、朋也が話す。
「お前の悪事は大体知ってんだよ。柏木家の奴らを散々利用したのも、俺の名前を騙って掲示板に書き込みしたのもな……!」
「……そういう事ですか。全く耕一さんの口の軽さにはほとほと困らされます。
 念には念を押して、リサさんに先行して貰っておいて助かりました」
――教会前で渚を庇うように歩く朋也を発見し、有紀寧は一計を講じた。
そこで、襲撃を仕掛けようとしていたリサを押し留め、策を伝えた。
ただ相手を殺すよりも、傀儡として自分達の手駒にした方が後々役に立つと考えたのだ。
作戦を実行に移す際に、有紀寧は自ら姿を見せて朋也と接触しようと考えたが、すぐに噂が広がっている危険へと思い至った。
だからこそリサに先行させ、朋也達が激しい戦闘を繰り広げている隙に悠々と渚へ肉薄したのだ。

有紀寧は真横にいる渚へと視線を移し、言った。
「渚さん、話を聞いていたなら貴女にも状況が分かるでしょう。首を飛ばされたくなければ大人しくしておいてくださいね」
臆面も無く、、恐ろしい台詞をあっさりと言ってのける。
しかし渚は天沢郁未や来栖川綾香に脅迫された時も、自分の命を惜しんで信念を曲げたりはしなかった。
逆らえば待っているのは確実なる死――それでも渚は澄み渡った目で有紀寧を睨み返す。
「嫌です。私は絶対に人殺しの言いなりになんかなりません」
渚は自分がどうなろうと人殺しには屈さぬと、矜持は捨てぬと、そう言っているのだ。
だがその渚の決意を聞いても、有紀寧の顔に動揺の色は浮かばない。
かつて利用し尽くした柏木初音も、渚と同じタイプだった以上、この程度の事態は想定済みだ。
(ふふ……また馬鹿が一人。でも貴女がいくら拒否しようとした所で……)
有紀寧がすいとリモコンを渚に向けて持ち上げると、その瞬間に叫び声が上がる。
「渚、逆らうな!」
声がした方へ一同の視線が集中する。声は、秋生によって発されたものだった。
渚は殆ど泣きそうな、やるせなげな表情で、必死に反論する。
「だ、駄目ですっ! この人はお父さん達に悪い事をさせようとするに決まってます!」
秋生は渚の言葉にまるで取り合わず、とても鋭い声で叫んだ。
「ゴチャゴチャうるせえっ! 俺が何とかしてやるから、今は大人しくしとけっ!」
礼拝堂という神聖な場所を舞台に、親子の激しい口論が繰り広げられる。

朋也はその様子を直視し続ける事が出来ず、俯きながらぎりぎりと奥歯を噛み締めていた。
(くそっ……くそくそくそっ! どうすりゃ良いんだっ……!)
打開策を必死に模索しようとするが、状況は余りにも不利だった。
自分達が有紀寧に掴みかかろうとしても、間違いなくそれより先にスイッチを押されて、渚は殺されてしまうだろう。
それにどうにか首尾よく有紀寧の隙を突く事が出来たとしても、敵は一人だけじゃ無い。
有紀寧からリモコンを奪い取るまでの間、あの強力無比なブロンド女が黙って見ているなど有り得ないだろう。
今自分達は人質を取られている上に、純粋な戦力でも圧倒されてしまっているのだ。
絶望感に打ちひしがれる朋也に、更なる追い討ちを掛けるように、有紀寧は言った。
「――ダラダラと口論を続けられても面倒ですし、こうしましょう。……リサさん、やはり当初の予定通りに」
その言葉で全員が振り返った時にはもう、包丁を構えたリサが秋生の懐にまで潜り込んでいた。
誰一人として声を上げる間も無く、閃光と化した刃が秋生の腹を深く穿つ。
朋也の、渚の眼前で、スローモーションのようにゆっくりと秋生の身体が崩れていった。
倒れ込んだ秋生の身体の下、冷たい床の上にどんどんと赤い染みが広がってゆく。
そこでようやく、朋也と渚が弾かれたように動き出した。
「オッサァァァァン!」
「お……お父さんっ!」
二人はほぼ同時に駆け、倒れ伏した秋生の身体を抱き起こす。
だがそんな折に、突然朋也の首輪が赤く点滅し始めた。
「渚さんが大人しく従わないからこうなるんですよ? 岡崎さんの首輪爆弾を作動させましたから、犠牲者を二人に増やしたくなければ今後は自重して下さい」
まるで秋生がこんな目にあったのはお前の所為だと言わんばかりに、有紀寧が無慈悲に責め立てる。

瞬間、朋也の理性が完全に吹き飛んだ。
「てめえぇぇぇぇぇぇぇ!」
朋也はばっと立ち上がり、はちきれんばかりに拳を握り締め、有紀寧目掛けて疾駆する。
だが拳が目標に到達するよりも早く、リサの回し蹴りが朋也の横っ腹に炸裂した。
強烈な衝撃を受けた朋也は、もんどり打って地面に倒れ込む。
それでも朋也はすぐに両手で床を押し上げて、再び立ち上がった。
「岡崎さん……ここで犬死になさるつもりですか?」
「黙れっ! 殺してやる! てめえは絶対にぶっ殺してやる!」
有紀寧の警告を無視し、怒号を上げ、再び駆け出そうとする。そこで後ろから、掠れた声が聞こえてきた。
「やめろ……小僧……」
朋也が振り返ると、渚に抱きかかえられた秋生が、口元を血で染めながらこちらに視線を送っていた。
「――オッサン!?」
朋也は秋生の傍に膝をついて、その顔を覗き込んだ。秋生の目は、焦点が定まっていなかった。

「死ぬな! 死ぬんじゃねえ! オッサ……?」
喚きたてる朋也を落ち着かせるように、秋生がそっと手を掲げていた。
それから秋生は力の無い声で、話し始める。
「良いか小僧……今は……耐えるんだ……」
「え?」
「ここは怒りを抑えて……生き延びろ……。もうお前しか……渚を守ってやれる奴は……いねえんだからよ……」
言ってる傍から、どんどんと秋生の顔が白く変色してゆく。
「お父さん、しっかりしてください!」
渚がぼろぼろと大粒の涙を零していた。
秋生が渚の頬に、軽く手を沿える。
「渚……最後まで守ってやれなくて……すまねえな……」
秋生は朋也の方へと視線を移し、震える声で言葉を綴る。
「小僧……結局俺は……早苗も守れず……渚も……お前に任せたまま逝っちまうんだな……。
 ったく……ざまあねえぜ……とんだ駄目親父だ……」
言い終えると、秋生は血に塗れた口元を笑みの形に歪めた。
まるで不甲斐ない自分自身を、嘲笑うかのように。
朋也はがっと秋生の肩を掴んで、悲痛な叫び声を上げた。
「そんな……そんな事ねえよ! アンタは立派な父親だったよ! アンタは俺の目標だったよ!」
そうだ――古河秋生は自分にとって、絶対に越えられない目標だった。
羨ましかった。古河一家の築いてきた暖かい家庭が。
尊敬していた。自らの夢を諦めてまで、娘の為に尽くした秋生を。
「アンタは父親としての役目を精一杯やり通した! アンタ以上の父親なんていねえよ! なあ渚、そうだろっ!?」
「はい……私お父さんの事、大好きですっ!」
渚と朋也がそう言って、秋生の手を握り締める。
秋生はすっと目を閉じて、穏やかな笑みを浮かべた――重荷から解放されたように。
「ありがと……な……。小僧…………渚を……たの……む……」
そこまで言ったところで秋生の手から力が抜け、荒れていた呼吸も止まった。
朋也と渚は秋生の手を握り締めたまま、暫く泣いていた。


そのまま数分間が経過した後、有紀寧が淡々とした口調で言った。
「さて、もう良いでしょう。そろそろ話をさせて貰います」
渚と朋也は掛けられた声を無視して、秋生の亡骸に縋り付いている。
そんな二人の様子を意にも介さず、有紀寧は言葉を続ける。
「ご承知の通り、渚さんと岡崎さんの首輪爆弾を作動させました。放っておけば48時間後に爆発します。
 またリモコンで操作を行えば対象が何処にいようとも、即座に爆発させられるので逃げても無意味です。
 貴方達のどちらか一方が私の警告や命令を無視した場合、両方の首輪を爆発させますから、そのつもりで」
四十八時間後に爆発するというのも嘘だし、対象が何処にいようとも爆発させられるというのも嘘だった。
そもそもリモコンはもう使用回数切れであるし、だからこそ秋生を殺害したのだ。
だがそれらの事実は、有紀寧以外の者には知る由も無い。
リモコンの詳細を知っているのは未だ自分だけである筈だという事を、有紀寧は巧みに利用していた。

ようやく朋也が立ち上がり、憤怒の炎を宿した双眸で有紀寧を睨みつけた。
渚も遅れてよろよろと立ち上がり、精一杯の怒りを込めて有紀寧を見据える。
「……俺達に、何をさせようってんだ?」
「岡崎さんにはこれから私達と同行して、戦闘の手伝いをして貰います。渚さんはとても役立ちそうにないので、ここに置いていきます。
 教会にはこれからも人が来そうですし、出来るだけ情報を集めて下さい。私達の事を話したり、謀反を企てた場合は……分かってますね?」
それは即ち、ゲームの打倒を企てている人間を裏切って、有紀寧へ協力しろという事だった。
だが命を完全に握られている朋也達には、黙って頷く以外に選択肢は無い。
「心配しなくても大丈夫ですよ、大人しく従い続けてくれればいずれ爆弾を解除してあげますから」
有紀寧はにこっと笑ってそう言うと、床に落ちているトカレフ(TT30)を拾い上げた。
「ふふ……銃も新たに手に入ったし、戦力が整ってきましたね。どうですかリサさん、私の言う通りにして正解だったでしょう?」
「……そうね。貴女のやり方には反吐が出るけど、選択が間違いだったとは思わないわ。
 手駒は一つでも多い方が良いし、情報だってもっと欲しい。脱出派の人間はきっと、徒党を組んで私達を潰そうとするでしょうからね」
嫌悪感を露にしながらも、リサは有紀寧の悪行を諫めたりとはしなかった。
やり方は違えど、自分だって善良な参加者を犠牲として、優勝を目指しているのは同じなのだから。

怒りに震える声で、朋也が問い掛ける。
「宮沢……一つだけ教えろ。どうしてお前は、殺し合いに乗っちまったんだ?」
有紀寧はにこっと笑って、優しく口にした。初音に聞かれた時と、同じ答えを。
「決まってるじゃないですか――私は死にたくないだけですよ」




【残り33人】

【時間:2日目22:45】
【場所:g-3左上教会】
リサ=ヴィクセン
【所持品:包丁、鉄芯入りウッドトンファー、懐中電灯、支給品一式×2、M4カービン(残弾7、予備マガジン×3)、携帯電話(GPS付き)、ツールセット】
【状態:精神、肉体共に軽度の疲労、マーダー】
【目的:当面は有紀寧に協力、脱出派の集団を叩き潰した後有紀寧も殺す。最終目標は優勝して願いを叶え、その後主催者を打倒する事】
宮沢有紀寧
【所持品@:トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)・参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(0/6)】
【所持品A:ノートパソコン、ゴルフクラブ、コルトバイソン(1/6)、包丁、ベネリM3(0/7)、支給品一式】
【状態:肉体的に疲労、精神的には軽度の疲労、前腕軽傷(治療済み)、腹にダメージ、歯を数本欠損、左上腕部骨折(応急処置済み)】
【目的:当面はリサに協力、朋也と渚を操り有利な状況を作る。リサと柳川を潰し合わせる。自分の安全を最優先】

岡崎朋也
【所持品:・三角帽子、薙刀、殺虫剤、風子の支給品一式】
【状態@:マーダー、特に有紀寧とリサへの激しい憎悪。全身に痛み(治療済み)、腹部打撲。最優先目標は渚を守る事】
【状態A:首輪爆破まであと23:55(本人は47:55後だと思っている)
【目的:有紀寧に同行、有紀寧に大人しく従い続けるかは不明】
古河渚
【所持品:鍬、クラッカー残り一個、双眼鏡、他支給品一式】 
【状態@:有紀寧とリサへの激しい憎悪、左の頬を浅く抉られている(手当て済み)、右太腿貫通(手当て済み、少し痛みを伴うが歩ける程度に回復)】
【状態A:首輪爆発まで首輪爆破まであと23:50(本人は47:50後だと思っている)】
【目的:教会の留まり情報を集める、有紀寧に大人しく従い続けるかは不明】

古河秋生
【所持品:包丁、S&W M29(残弾数0/6)・支給品一式(食料3人分)】
【状態:死亡】
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