かけがえのないあなた




このような死んだ目の少年を、柚原春夏は見たことがなかった。
年は馴染み深い河野貴明と同じくらいだろうか、見覚えのある学ランが月明かりに照らされ闇の中その黒を主張しているのが春夏の視界にそっと入る。
学ランなんてどこの学校でも同じようなデザインだ、しかしそれにしても似た形作りにしばし春夏が目を取られている時だった。

「……何で、こんなことになっちまったんだろうな」

声、乾いたそれは目の前の覇気のない少年のものに間違いはない。
付近に自分達以外の人間がいないのだから当たり前である、春夏はその生気を吸い取られたかのような濁った瞳をじっと見つめた。
虚空を見つめるそれが、一体何を求めているのか……春夏は、何故か無性に気になって仕方なかった。

「あーあ、こんなはずじゃなかったんだがな……」

少年は言う。
自らの頭をポリポリと掻きながら、心の底から不思議そうに。

「でも、俺。何か見たことがある気もするんだ」

少年は言う。
それが何のことなのか、勿論春夏が分かるはずなどない。

「どうしてだろうな。それとも、俺は……繰り返した、だけなのか」

もしかしたら自身の存在に気がつかれていないのだろうか、春夏も錯覚しそうになる。
ぼんやりとした外郭の独り言を聞き流しながら、春夏はこの少年を見つけたときの事を思い出した。

柏木耕一と川澄舞の二人から逃げた先、ふと耳についた人の声で春夏は即座に足を止めた。
静かな森の中ではちょっとした音でも響いてしまう。その中でもごく僅かな部類に入るそれを聞き取った春夏は、瞬時に身を隠し出所を探ろうとした。
視線を側面に当たる目立たない茂みの奥にやる春夏、ひっそりとしたその場所で木の幹に腰掛ける少年の上半身が春夏の目に入った。
跳ね上がった鼓動を抑えようとして、春夏は一つ深呼吸をした。
少年は脱力した体を背後の木に任せたままぼーっと虚空を見つめているだけだった、その正面では漆黒の髪を広げた少女がうつ伏せに寝転んでいる。
二人とも、身動きをとろうとする気配はない。

そっと自身のデイバッグに手を伸ばし、残っていたもう一丁の銃……デザートイーグルを徐に取り出し、春夏はそっと利き手で構えた。
そのまま二人の元へと歩みだす、最低限音を立てないよう気をつけても静かな場では多少鳴ってしまうそれに対し春夏の中でも苛立つ思いが滲み出る。
場所が場所なので仕方ないと割り切るしかない、とにかく冷静さを失わないようにと春夏は改めて肝に銘じた。
その間もしその二人が逃げ出そうと背中を向けてくるならば、春夏はその場で発砲する気であった。
しかし二人がそのよう動きを見せることは一切無く、春夏が距離を詰める際に立ててしまう音にすらも全く反応を返さなかった。
あまりにもおかしすぎると、二人の様子に懸念を抱き始めたものの春夏が歩みを止めることは無い。

そして、ついにほぼ彼等の全身が見えるくらいまで近づいた時に、やっと春夏は気づいたのだった。
月光の中に浮かぶ漆黒の髪の少女の着用しているオフホワイトのセーター、背中にあたる部位を中心をどす黒く染めているものの正体が何か。
少年の足先まで漏れているかもしれない、おびただしい量の出血が物語る少女の状態……少女は、とっくの昔に息の根を引き取っていた。
はっとなる春夏、まさか少年の方も……と思ったが、確かにぼーっとしたままであるが僅かに上下する胸部を見た限り彼は無事なようであった。

死んだ目、まさに春夏がそう感じた少年の瞳の具合からして、もしや目を開けたまま眠っているのではないかと彼女の中でも疑問が生まれる。
だが、それでは春夏が聞き取った人の声という物の正体が分からなくなってしまう。
ごくりと一つ息を飲んだ春夏が、少年の状態をどう判断するか悩んでいた時だった……彼が、この不自然な独白を始めた、いや、再開したのは。

「あー、でもな。デジャヴって言えばいいのか? 何だろうな、こんなことに見覚えを感じるなんて最低だろうけど」

春夏がぽかんとしている際も、少年の語りは延々と続けられていたらしい。
彼女が少年の存在を思い出したかのごとく意識をそちらに戻せたのは、今まで前方にあった彼の顔がいつの間にか春夏の方に向けられていたからだ。
……ぞっとした、無表情のままいつからかこちらに対してぼそぼそと話していた少年の意図が、春夏に伝わるはずも無い。
そして、今までずっと独り言だと思っていたそれが、不意に……春夏に、投げかけられた。

「俺は前もこうして、崩れていくみさきに何もできなかった気がする。ああ、本当にそうなんだろうか……どう、思う?」

自信の無さそうな、しかし答えを求めている割には力の抜けたその言葉。
どう答えるべきか、むしろ答えていいものなのか春夏の頭はますます混乱しそうになった。
意味が分からなければ放置すればいい、その選択肢も勿論ある。
今の春夏には時間がない、さっさとこの少年を始末して次の獲物を探しに行くということの方が条理にも叶っていたかもしれない。

だが、春夏はそれらを選ばなかった、否……選べな、かった。

「終わったことにグチグチ言わないの、男の子でしょ?
 それにその子を守れなかったっていうのもあなたの責任なら、そうやって他のことのせいにしようとする方がお門違いじゃないかしら」

ぐじゃぐじゃになりかけた頭の中で、春夏は少年の言葉の中から不明慮な点を除いた上で自分が思ったことを口にした。
言いたい台詞が固まった時、春夏はそれを絶対伝えなければと確信していた。
いや、春夏自身この少年に対し言いたかったのだ……起きた事象の責任を自分で取ろうとせず、さも自分は悪くないと言っているような彼に対し。

春夏が少年に突きつけたのは容赦のない現実だった、そこには一切の甘さすら残さない。
余程思いがけない言葉だったのだろう、、死んだ目の少年の表情にも多少の変化が生まれだす。
少年は物珍しそうに、春夏をまじまじと見だした。
そしてそのままじっと春夏の顔を見つめ、少年は……とても悲しい、悲しい笑みを浮かべるのだった。

「……きっと、あなたでも幸せになれる世界があるわ」

自虐に満ちたそれに邪気が削がれ、気がついたら春夏はそんな気休めにも似た言葉を彼に送っていた。
驚いたように目を見開くと、少年は少しだけ顔を綻ばせる……その表情は、大人びた容姿に比べ随分あどけないものだった。

「じゃあ、もういいかしら。それとも、やっぱり未練が残る?」

静かにデザートイーグルを構える春夏が、今度は少年に問いただす。
ふるふると小さく首を振って目を瞑る少年に、抵抗の色は皆無であった。

「次こそ、幸せになりたいもんだ」

先ほどまでの褪せた言葉とは比べ物にならないくらい、感情の込められたそれ。
少年は湛えた笑みを崩さなかった、そしてそのまま最期の時を待つかの如く一切の動きを止める。

「さようなら」

贈られた言葉と銃声が鳴り響いたのは、ほぼ同時であった。





眉間に銃弾を撃ち込まれた少年は、背後の木に勢いよくぶつかるとその反動で前のめりに倒れこんだ。
……あくまで偶然であろうが、倒れこんだ少年はうつ伏せの少女の隣で動きを止めた。
そして彼の左手は、これまた偶然にも……倒れていた少女の手に、ゆっくりと重なった。
地面には混ざり合う二つの血液、放出されたばかりの生暖かいそれが渇いた少女の血を溶かす。
混ざり合う波紋から目を離し、春夏は一人呟いた。

「……これで、5人」

味気ない自分の台詞に自然と浮かぶ苦笑い、春夏に残された時間は決して多くない。
しかし、それは絶対にこなさなくてはいけない春夏の使命であった。

「諦めたら終わりだものね、頑張らなくっちゃ」

耕一に銃を突きつけられた時、春夏はもう自身の終わりを確信していた。
しかし実際こうして逃げ延び、新たな犠牲者を出すことで春夏は使命を全うしていた。

「私は諦めないわ。絶対、もう二度と……このみのためにも」

強い決意の言葉とともに、春夏はまた歩き出す。
疲れきった体を休めることなく、ただ愛する娘を生かすためだけに。





「浩之、ちゃん…?」

寄り添うように黒髪の少女、川名みさきに手を伸ばす少年の姿。
地面を濡らす血液の量から二人とも既に絶命しているということは誰が見ても分かるだろう、神岸あかりはガクンとその場で膝をつき呆然と二人の遺体を見やっていた。
見覚えのある学ランが月明かりに照らされ闇の中その黒を主張する、学ランなんてどこの学校でも同じようなデザインだが覗き込んだ少年の面影はあかりの知る彼と間違いなく一致していた。
そう、あかりにとっては誰よりもかけがえのない存在であった、彼と。
あかりが見間違うはずも無い……前のめりに伏しかけた少年の横顔は、幼なじみである藤田浩之本人であった。

「え、どうして……え、浩之ちゃん? どうして、どうして」

尽きない疑問、慌てて駆け寄って触れた彼の体に温度がまだ残っていたことが、ますますあかりの悲しみを膨らませる。
何だか周囲が騒がしかった、何が起きているか分からなかった、そうしたら銃声がした。
銃声がした方面へと急いで掻けてきた、そんなあかりを待っていたのがこの光景で。
あかりの涙腺は既に破壊されていた、泣きながら無心にガクガクと浩之の肩を揺すり続ける彼女の心は消耗していく一方だった。

「おい、神岸……」
「どうして浩之ちゃんが、どうしてどうして……いや、いやぁ……」

溢れた涙があかりの頬を濡らしていく、しまいには頭を抱えだしいやいやをするように後ずさりを始める彼女の体を国崎往人は慌てて後ろから支えだした。
肩を掴む、それは往人が想像していたものよりもひどくか細いものだった。
確かに手当をしたことからあかりの体自体は往人も多少視野に入れたことがあった、だが改めて触れた彼女は紛れなく儚さに満ちた存在であり。
小刻みに振るえ続けるあかりの体、往人が手を離してしまえば簡単に崩れてしまいそうな脆さで作られたそれは、ただただ真っ直ぐな悲しみを訴え続ける。
それに対し往人は、もう何も言うことができなかった。

森に響く小さな叫び、あかりの中で希望と呼ばれていた欠片が粉々に砕けた瞬間だった。




柚原春夏
【時間:2日目午前5時】
【場所:G−5】
【所持品:要塞開錠用IDカード/武器庫用鍵/要塞見取り図/支給品一式】
【武器(装備):デザートイーグル、防弾アーマー】
【武器(バッグ内):おたま/レミントンの予備弾×20/34徳ナイフ(スイス製)マグナム&デザートイーグルの予備弾】
【状態:このみのためにゲームに乗る】
【残り時間/殺害数:8時間19分/5人(残り5人)】

神岸あかり
【時間:2日目午前5時】
【場所:G−5】
【所持品:水と食料以外の支給品一式】
【状態:号泣、往人と知り合いを探す。月島拓也の学ラン着用。打撲、他は治療済み(動くと多少痛みは伴う)】

国崎往人
【時間:2日目午前5時】
【場所:G−5】
【所持品1:トカレフTT30の弾倉、ラーメンセット(レトルト)】
【所持品2:化粧品ポーチ、支給品一式(食料のみ2人分)】
【状態:満腹。あかりと知り合いを探す】


藤田浩之  死亡
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