フィニッシュ




淀んだ空気、辺り一帯に充満した死の気配。
満身創痍の身体に残った力を振り絞って、対峙する二つの影――来栖川綾香と、朝霧麻亜子。
「……邪魔者も消えたし、いい加減決着をつけましょうか」
綾香の言葉通り、この地には自分達以外の人間は一人として存在しなかった。
ルーシー・マリア・ミソラも死んだ。
観月マナも死んだ。
神尾観鈴も死んだ。
それぞれがそれぞれの決意を胸に秘め、先立った仲間達の想いを背負っていたにも拘らず、死んでしまった。
彼女達が弱かった訳では無い。彼女達の想いが半端なものだった訳でも無い。
ただそれ以上に綾香と麻亜子が強く、凄まじい執念と決意を持ち合わせていただけの事――

いくら装備と元の実力で大きく上回るとは言え、綾香の怪我は麻亜子より遥かに酷い。
鍛えに鍛え抜いた片腕は焼け爛れ、尋常でない動体視力を誇った眼も片方は失明寸前で、小さな傷ならそれこそ無数に負っている。
最早余裕など欠片も無い筈なのに、それでも綾香は嘲笑うような声で言った。
「一つ予告しといてやるわ。私はアンタを殺した後、久寿川ささらも殺す。
 たっぷりと痛めつけて、生きたまま目玉をくり抜いてから殺してやる」
「……なるへそ。あやりゃんはまずあたしを殺してから、さーりゃんを虐めたいと、そういう事だね?」
麻亜子が確認するように質問すると、綾香は愉しげに笑いを噛み殺した。
「ええ。この世に生まれてきたのを後悔するくらい、ズタボロにしてやるわ。
 泣き叫んで必死に懇願してきても、絶対に許してやらない。ふふ、久寿川ささらも災難ね?
 アンタみたいな知り合いを持ったお陰で、そんな目に合うんだから」
語る綾香には、おおよそ人間らしい感情はもう殆ど見られない。
あるのは際限無く膨れ上がった復讐心と闘争心だけだ。
綾香の言葉を受けた麻亜子は、殺し合いの最中にも拘らず、そっと眼を閉じて言った。少し、哀しげな声で。
「……そうだね。あたしみたいな知り合いを持っちゃったさーりゃんは、不幸なのかもね。でも――」
麻亜子の眼が大きく開かれる。
「それでもあたしはさーりゃんが大好きなの! 生きていて欲しいの! あたしは刺し違えてでもお前を倒して、さーりゃんを守ってみせるっ!」
麻亜子は腹の奥底から絶叫した。最後の方は殆ど涙声だった。
それを受けた綾香は――

「ク――――アハハ! アハハハハハハハハハハッ!」
堪えきれない、といった様子で狂ったような笑い声を上げた。
「やっと本心をぶち捲けたわね! 結局アンタも甘ちゃんだった訳だ……。良いわ、その甘ったれた考えごとアンタを粉砕してあげる!!」
IMI マイクロUZIの銃口が持ち上げられる。復讐鬼は、どこまでも愉しげに決戦の火蓋を切って落とした。

二つの疾風が闇夜の中に吹き荒れる。麻亜子はただひたすらに、前方へと駆けた。
ボーガンも散弾銃も、ある程度距離を詰めてこそ真価を発揮する武器。
何より麻亜子は体力を消耗し切っている。一刻も早く、勝負を決めなければならない。
ささらにとって最大の脅威である筈の来栖川綾香を、ここで何としてでも仕留めてみせる。
ささらに嫌われたって良い。悲しませたくは無いが、それも止むを得ない。
他の何を差し置いてでも、自分の命を犠牲にしてでも、ささらを生き延びらせる。

そして綾香も――怨敵目掛けて、かつてない程の狂気を湛えて疾駆する。
残弾数では大きく上回っているが、片目を失った事で、距離が近いと敵の姿を追いきれない。
この条件を考慮に入れれば、距離を保ち長期戦を挑んだ方が、綾香にとっては有利である。
しかし綾香は、もう止まれなかった。目の前にあれだけ憎い敵がいる。
自分にこの島での生き方を教えたあの女が、かつて屠ってきた弱者どもと同じ奇麗事を口にした。
自分と同類である筈のあの女が、『誰かの為に命を捨てる』などといった戯言を口にした。
反吐が出る、吐き気もする、今すぐこの世から抹消してしまわねば気が狂ってしまう。

殺意を剥き出しにして噛み合う野獣達の戦いが、長引く道理は存在しない。
あれ程永きに渡り、他者を巻き込んで繰り広げられた二人の決戦は、終焉を迎えるまで長い時間を必要としないのだ。
両者の距離が10メートル程まで縮まった所で、綾香のIMI マイクロUZIが死の咆哮を上げる。
麻亜子は横に転がり込む事で、迫り来る銃弾を回避する。
連続して破壊を巻き起こす機関銃相手に、体勢を整えている時間などある訳が無い。
麻亜子は身体の勢いが止まらぬうちに、揺れる視界の中でRemington M870を放った。
放たれた散弾は麻亜子の狙った位置には飛ばなかったが、広範囲の攻撃、そしてこの近距離。
狙いを外してなお粒弾の片割れは綾香の右肩に食い込み、鮮血を撒き散らす。
続いて麻亜子はボーガンを構えようとするが、その瞬間綾香と目が合った。
綾香は先の一撃に怯む事無く、鬼のような形相で引き金を思い切り絞る。
近距離より放たれた弾丸のシャワーは、容赦無く麻亜子に牙を剥く。
放たれた銃弾は七発、そのうちの二発が麻亜子の身体を捉えていた。
防弾服の上からでも衝撃は伝わり、麻亜子の肋骨に皹が生成される。
そして完全に無防備な状態である左耳介は、跡形も無く消し飛び、その余波で鼓膜も破れた。
しかしそれでも、裂帛の気合を胸中に宿した麻亜子は止まらない。
未だかつて経験した事の無い痛みを受けても武器は取り落とさず、敵の姿を双眸に収め続ける。
ボーガンの銃身が振り上げられ、間を置かずに矢が放たれた。
矢は綾香の胴体目掛けて彗星の如く宙を突き進む。
綾香が咄嗟の反応で横に跳躍しようとするが、人体で最も的の大きい胴体を狙われた所為で躱し切れない。
しかし綾香は防弾チョッキを装備している。
橘敬介の、国崎往人の、るーこの、決死の攻撃を防いだ最強の防具で身を守っている。
矢の着弾点は綾香の脇腹であり、そこは防弾チョッキで守られている箇所だったが――
矢は今まで誰も破れなかった防弾チョッキを貫通し、綾香の脇腹に突き刺さっていた。

綾香の着用している防弾チョッキは繊維を用いたタイプであり、非常に軽量で動きも束縛しにくいというメリットがある。
だからこそ柳川祐也や古河秋生との格闘戦で、あれ程俊敏な動きが出来たのだが、良い事ばかりではない。
繊維を使用したものは先端が尖っている貫通力の高い銃器や、細身の刃物などは通しやすいというデメリットがあるのだ。
元より獲物を刺し貫く為のみに作られている非常に鋭利な矢を、この距離で防ぎ切れる筈が、無かった。

腹より血を迸らせ、たたらを踏んで後退する綾香に、Remington M870の銃口が向けられる。
Remington M870に残された銃弾は後一発、そしてその使い所は此処を置いて他に無い。
今の綾香の身体では横に跳躍する事も、身を屈める事も叶うまい。
だが、引き金にかけた麻亜子の指に力が込められたその瞬間、事は起こった。


――来栖川綾香はすぐ感情的になる性格の為、生き延びると言う事に関しては少々格が落ちるかも知れない。
綾香程の装備を、宮沢有紀寧のような狡猾な者が持ったのなら、もっと上手く立ち回っただろう。
分かりやすい例を挙げるなら、レーダーの使い方だ。折角、遠距離から敵の存在を把握出来るのだ。
本来ならレーダーは尾行などよりも、敵を避け自分の身を守る事に使うべきなのだ。
いくら強力な装備を持っていようとも、攻めるだけではいずれ限界が来るのは当然の事だ。
しかしどれだけ感情に任せて暴走しようとも――こと闘争に関しては、綾香は紛れも無く天才だった。
そう、腹を穿たれて尚、来栖川綾香は闘争の天才だったのだ。



「――――!?」
麻亜子の目が、驚愕に大きく見開かれる。
綾香は上体を大きく逸らし、更に首を後ろへと曲げて、最小限の動作で被弾範囲を腹部のみに絞っていた。
防弾チョッキに守られている腹部を盾とする形で、剥き出しの頭部を守っていたのだ。
粒弾の群れの多くは綾香の身体を捉え、幾つかは防弾チョッキに守られていない生身の部分に突き刺さる。
防弾チョッキの届かぬ下腹部から血が噴き出し、右腕が千切れ飛び、地面に背中から叩きつけられる。
それでも即死には至らない。もう呼吸をしているかも怪しかったが、即死には至らない。
地面に倒れた綾香の上半身が起き上がり、麻亜子と一瞬視線がかち合う。
綾香はにやりと笑みを浮かべ、その時にはもうIMIマイクロUZIが銃声を上げていた。
麻亜子は咄嗟に頭部を腕で覆い、生身の部分を優先して守ろうとする。
連続して麻亜子の身体に衝撃が跳ね、その小さな身体が後方に弾き飛ばされた。
綾香は間髪入れずに起き上がり、怨敵の顔に残った残弾全てを叩き込むべく駆け出す。
両眼球の機能がどんどん低下してゆき、視界が霞んでいく為、小さな的を射抜くには距離を詰めるしかない。
ずるずると下腹部より臓器が漏れ出るが、最早それすらも意に介さない。
死に体である綾香に残された最後の動力源は、絶対の自尊心。

自分は凡人とは違う、言わば選ばれた人間なのだ。
名家に生まれ、尚且つ類稀な運動神経にも恵まれた。
欲しい物の殆どを難無く手に入れる事が出来た。
小学生の頃から何をやっても、他人に遅れを取ったりなどしなかった。
総合格闘技エクストリームのチャンピオンにだってなった。
ならばこんな何処の馬の骨とも知れぬ女になど、負けてはいけない。
良いように弄ばれて、利用され続けたままで終わるなど以っての他。
松原葵の――否、全国の女子挌闘家の目標である自分は、未来永劫勝者として君臨するのだ――!

綾香は足を縺れさせながらも前進を続け、痙攣を起こし始めた左腕を上げ、銃口を麻亜子の顔に合わせる。
それとほぼ同時に麻亜子が身体を起こし、手に握った物を綾香に向けた。
半ば機能を失っている綾香の頭脳では、もう認識出来なかったが――麻亜子の手に握られていたのは、先の散弾銃では無い。
Remington M870は銃弾が尽きているし、ボウガンに矢を装填している時間も無かった。
麻亜子が握っているのは、かつて綾香に防弾チョッキの上から襲い掛かったH&K SMG‖だった。
構えたのはほぼ同時なのだから、後は引き金を絞る速度で勝負が決まる。
痙攣している綾香の指では、その勝負を制する事が出来る筈も無く、H&K SMG‖が一方的に火を噴く。
綾香の顔に幾つもの風穴が空き、脳漿が辺り一帯に飛散した。
頭部の大半を失い立ち尽くす肉体に、もう一度銃弾が打ち込まれる。
その衝撃で、最早肉塊と化した綾香の身体は地面に倒れ、もうピクリとも動かなかった。
今度こそ来栖川綾香の意識は消失し、完全に事切れていた。

修羅と復讐鬼。
純粋な実力では復讐鬼、来栖川綾香の方が数段上回っていた。
しかし綾香は己の感情に身を任せ続け、様々な人間の恨みを買い、結果要らぬ怪我を負ってしまった。
対する麻亜子は、極力自分の目的を遂行する為に動き、無駄な被害を最小限で抑えた。
その差が二人の戦力差を打ち消し、互角の勝負を展開させた。
そして最後に、二人の明暗を決定的に隔てたのは、僅かな運の差だった。
麻亜子が勝利を獲得し得たのは、吹き飛ばされた位置にたまたまH&K SMG‖が落ちていたからだ。
ともかく、多くの人間を犠牲にした二人の戦いは、修羅の勝利で幕を閉じた。


「あ……」
冷たい感触が頬に伝わり、麻亜子が声を上げる。
「雨……」
戦いの終わりを待っていたかのように、雨が降り始めていた。
雨はどんどんと勢いを増し、耳障りな雨音が延々と響き渡る(もっとも、片方の耳は聴力を失っていたが)。
戦場跡に引っ切り無しに雨が降り注ぎ、傷付いた麻亜子の身体を、倒れ伏せる死者達の亡骸を、塗らしてゆく。
「雨って何だか涙みたいだよね……。この雨は誰の涙かな?
 さっきのるーこって奴か……あやりゃんか……それとも……あたし?」
答える者は全て死に絶えた残劇の地で、少女は静かに呟いた。

【残り34名】




【時間:2日目・20:45】
【場所:g-2右上】
朝霧麻亜子
【所持品1:Remington M870(残弾数0/4)、デザート・イーグル .50AE(0/7)、H&K SMG‖(0/30)、ボウガン、バタフライナイフ】
【所持品2:防弾ファミレス制服×2(トロピカルタイプ、ぱろぱろタイプ)、ささらサイズのスクール水着、制服(上着の胸元に穴)、支給品一式(3人分)】
【状態@:マーダー。スク水の上に防弾ファミレス制服(フローラルミントタイプ)を着ている、肋骨二本骨折、二本亀裂骨折、内臓にダメージ、全身に痛み】
【状態A:頬に掠り傷、左耳介と鼓膜消失、両腕に重度の打撲、疲労大】
【目的:目標は生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと】

来栖川綾香
【所持品1:IMI マイクロUZI 残弾数(12/30)・予備カートリッジ(30発入×1)】
【所持品2:防弾チョッキ(半壊)・支給品一式・携帯型レーザー式誘導装置 弾数1・レーダー(予備電池付き、一部損傷した為近距離の光点のみしか映せない)】
【状態:死亡】

【備考】
・以下の物は麻亜子の近くに落ちています。
・サバイバルナイフ、投げナイフ、H&K SMG‖の予備マガジン(30発入り)×2、包丁、スペツナズナイフ、LL牛乳×6
・ブロックタイプ栄養食品×5、他支給品一式(2人分)
※20:45頃から雨が降り始めました。
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