蜘蛛の糸のような希望を信じて




ハンバーグの香ばしい香りが充満する、大きな居間。
岡崎朋也とその仲間達は、第三回放送で受けた衝撃よりようやく立ち直りつつあった。
一つのテーブルを皆で囲み、ゆっくりとハンバーグを食べながら、話し合いを進めてゆく。

「――教会へ行く?」
北川潤が確認するように尋ねると、古河秋生はコクリと頷いた。
「ああ。もう陽も完全に落ちちまったし、休憩も十分に取った。これ以上ここに留まる意味もねえからな」
それから秋生は気遣うような表情で、古河渚に視線を向ける。
「そういう事だが、渚――いけそうか?」
「はいっ、大丈夫です。まだ走るのは無理ですけど、歩くだけなら平気です」
気丈に返答した渚だったが、銃で撃ち抜かれた傷が一日やそこらで良くなるとは考え難い。
渚は口で大丈夫と言いながらも、無理をしてしまう女の子である。
それをよく理解している朋也が、渚の手を優しく握って語りかける。
「あんま無理すんなよ。いざとなったら俺が背負ってやるからさ」
「えっ、そんな……迷惑かけちゃいますから」
渚が申し訳なさそうに首を横へ振ると、朋也は手に込める力を少し強めた。
「今更何言ってんだよ。渚が無理して苦しむ方が、俺にとっちゃよっぽど迷惑だ」
朋也の真っ直ぐな視線を受けて、渚は少し微笑んでから、言った。
「……分かりました。どうしても駄目だったら、言います」
「ああ、そうしてくれ」
「でも、出来るだけそうならないように頑張りますっ」
自分を奮い立たせるようにぐっと目を瞑る渚を見て、朋也は苦笑しながら答えた。
「……そうだな、頑張る事も大切だもんな」

秋生は娘と朋也のやり取りを温かい目で見守った後、広瀬真希に問い掛ける。
「なあ、広瀬の嬢ちゃん。一つ聞いときたいんだが、おめえら工場は屋根裏以外調べてねえのか?」
「うん、ガソリン臭かったからとっとと屋根裏へ行ったわ。それがどうかしたの?」
工場で前回参加者の痕跡を見つけた事についてはもう全て伝えていたので、秋生が何を言いたいのか、真希には良く分からなかった。
「いや、工場なら何か使えるもんがあるんじゃねえかと思ってな。こんな状況なんだ、武器は一つでも多い方が良いだろ?」
「あ……そっか……」
秋生の言う通り――工場なら、一般の民家には置いてないような、貴重な物があるかも知れないのだ。
真希も、そして北川も、自分の迂闊さに気付き表情を曇らせた。
もしきちんと工場を全て調べていたら、そして何か有用な物を発見出来ていたら、美凪を救えたかも知れない――
「……ガソリン臭えって事は、少なくとも火炎瓶の材料くらいはありそうだし、そのうち調べてみっか」
二人の内心を察した秋生は、それだけ言うとこの話題を早々に切り上げた。
今後の方針は決まった――まずは、教会へ向かう事だ。
教会では今も姫百合珊瑚らハッキング班が頑張っている筈だ。
北川が珊瑚達と別れてからだいぶ時間も経っているし、何か新しい情報が入っているかもしれない。
今後どうやって主催者に対抗していくかは、珊瑚達と合流してから考えるべきだろう。

結論が出た後は各自、軽い雑談を交えながら食事を続けてゆく。
そんな中、朋也は周りより一足早く、ハンバーグを食べ終えた。
横へ視線を移すと、みちるが美味しそうにハンバーグを頬張っている。
みちるが元気になってくれて良かったと思う一方で、先程のあの言葉が気になった。
――みちるは美凪の夢なんだから
これは、一体どういう意味なのだろうか?
聞こうとすれば、遠野美凪の死に触れなければならないから、この場の穏やかな雰囲気を壊してしまうかも知れない。
しかし何故か朋也は、決して見過ごしてはいけない謎が、みちるの言葉に秘められている気がしてならなかった。
「……なあ、みちる」
「んに?」
みちるが屈託の無い笑顔を向けてくる。朋也は一度息を吸い込んだ後、言った。
「さっきお前が言ってた『みちるは美凪の夢なんだから』って、どういう意味だ?
 『美凪が死んだら……みちるも消えちゃう』って、一体何の事なんだ?」
途端に場がシンと静まり返り、みちると朋也を除いた全員が、訳も分からず怪訝な表情となる。
それでも朋也は、真剣な面持ちで言葉を続ける。
「言いたくないなら、言わなくたって構わない。でも、もし良ければ教えてくれないか?
 北川の話だと、『鬼の力』なんてもんを持ってる奴もいるらしいし、今俺達が置かれてる環境は現実離れし過ぎてる。
 そして、俺達にはまだまだ知らない事が多過ぎる。今は一つでも多くの情報が欲しいんだ」
「うにゅぅ……」
みちるはフォークを動かす手を止め、困ったような目で朋也を見た。
朋也もこれ以上質問を続けて良いものか分からず、じっとみちるの顔を見つめる事しか出来ない。
しかしそこで、朋也を後押しするように北川が口を開いた。
「……出来れば俺からも頼みたい。俺は美凪の想いを背負って生きていきたいんだ。
 アイツの分まで頑張りたいんだ。だから、頼む。もし美凪に関して何か知ってるなら、教えてくれ。
 真希もきっと、同じ事を思ってる筈だ」
北川が、そうだよな?と問い掛けると、真希は強く頷いた。
みちるは暫くの間、顔を下に向けて黙り込んでいたが、やがてゆっくりと言葉を搾り出した。
「うん……分かった」

   *     *     *

「――という訳なんだ。……信じてくれる?」
みちるが不安げな顔で尋ねてくるが、誰もすぐには返答出来ない。
説明を聞き終えた後。全員の頭は等しく混乱し切っていたからだ。
それ程に、北川達が聞かされた話は現実離れしていた。

――みちるは美凪の妹であったが、生まれてくる前に死んでしまった。
――しかし美凪の夢が、空にいる少女の魂を一部だけ分け与えられて実現する事によって、『みちる』という存在が生まれた。
――だから美凪が死んでしまえば夢は終わり、自分は消えてしまう筈だと、みちるは説明した。

にわかには信じ難い話だった。空にいる少女……夢の実現……いつもなら、笑い飛ばしてしまったかもしれない。
しかし、北川は思う。
『鬼の力』などという、常識では決して説明出来ない力が存在するのだ。
ならば、他にもそういったある種超常的な現象や力が有ったとしても可笑しくは無い。
既存の概念に捉われていては、とても大切な物を見落としてしまうかも知れないのだ。
何より話をしている時の、みちるの真剣な表情が、真っ直ぐな瞳が、嘘など一切吐いてないという確信を齎す。
だから北川は、いの一番に言った。

「俺は……みちるの話を信じるよ。正直まだ半分も理解出来てないけど、本当だと思う」
北川がそう言うと、渚も、朋也も、秋生も、そして勿論真希も、首を縦に振った。
するとみちるは、肩から力を抜いてにっこりと微笑んだ。
「……ありがとう」
続けて、落ち着いた表情で――見てて悲しくなるくらい落ち着いた表情で、言った。
「だからね、みちるには美凪が死んだってどうしても信じられないの。
 みちるはまだこの世界にいるし……それにね、美凪の『想い』を感じるの」
「……想い?」
北川が問い返すと、みちるはこくんと頷いた。
「うん。美凪がまだ何処かで見守っていてくれてるような――みちるの事を想ってくれてるような、そんな気がする」
「みちる……」
北川はみちるの瞳の奥に宿る、不安の色を見て取った。
みちるは自分の感覚を――美凪がまだ何処かにいるという感覚を、必死で信じようしているのだ。
だからこそみちるは、美凪の死を知っても泣かなかった。また会えるかも知れないという希望を持っていたから。
しかしそれは余りにも脆い希望であり、いつ崩れ去ってしまってもおかしくないものだ。
ほんの些細な切欠で霧散してしまう、儚い希望なのだ。
そう思うと居ても立ってもいられなくなり、北川はすくっと立ち上がった。
「……じゃ、決まりだな」
「え?」
北川は、とても強い意志を秘めた声で、言葉を続けてゆく。
「美凪の『想い』をまだ感じ取れるんだろ? だったら、俺と真希――そしてみちるがやるべき事は、一つに決まってる」
真っ先に北川の意図を理解した真希が、確認するように問い掛ける。
「……美凪の『心』を探しに行くのね?」
「そうだ。美凪は死んだ……これは間違いない。でもな、みちるが抱いてる感覚だって、嘘じゃないと思う。
 きっとこの島の何処かに……美凪の『想い』が、『心』が、残されてるんだよ。俺は、そう信じたい」
北川はゆっくりとした口調で、言葉一つ一つの意味を噛み締めるように言い切った。
美凪の『心』が残されている――科学的には決して有り得ない事だが、出鱈目な推論とも言い切れない。
美凪の夢があってこそみちるがこの世界に居られるというのなら、夢を見る為の心だって何所かにまだ存在する筈。
蜘蛛の糸のようなか細い希望に縋る論理ではあるが、可能性はゼロじゃない。

少しばかりの静寂の後、真希がみちるの顔を覗き込んだ。
「……みちるは、どうしたい?」
みちるの瞳が自分に向けられるのを確認した後、真希は言葉を止めた。
首に掛けた美凪のロザリオを引っ張って、みちるの手に握らせる。
「あたし達は出来れば美凪の心を探したい。もう一度会って、話がしたい。
 だから後はみちるの気持ちだけ。みちるが賛同してくれるなら、あたし達は全力で美凪を探すわ」
真希はこれからどうすべきか、迷わなかった。
まだ状況を理解し切れてはいないけれど、美凪の『心』を何としてでも探し当てるつもりだ。
これは【自分達にしか出来ないことをする】と同時に、【自分達がやらねばならないことをする】という事でもあるのだ。
勿論美凪と会えるものならもう一度会いたいというのもあるが、それだけでは無い。
死んでしまった人間の思念が残留するなどという不思議な現象があるのなら、そこに大きな秘密が隠されている気がした。
そう、もしかしたら全ての謎を解き明かす鍵となるくらい、大きな秘密が。
だが美凪の肉体は確実に死んでしまっている以上、恐らく結末はとても悲しいものとなるだろう。
徒労に終わる可能性だって十分ある。だから実行に移すには、みちるの承認が必要だった。
しかし直ぐに、自分の考えが浅はかだったという事を思い知らされる。
真希がはっと目を見開く――みちるの双眼が、じっとりと潤んでいた。
「マキマキは……馬鹿だなあ……」
息を飲む真希に構わず、みちるが言葉を吐き出してゆく。半ば、涙声で。
「そんなの、探したいに……もう一度美凪に会いたいに……決まってるよっ……!」
そうだ――こんな事、聞くまでも無かった。気丈に振舞っていた少女に、わざわざ返答を強いる必要など無かった。
みちるは、美凪の『想い』を感じ取れると言った。自身を美凪の『夢』であると言った。
美凪と一心同体であるこの少女が、何を望むかなど分かりきっている事だった。
真希は喉から転がり出そうになった謝罪の言葉を、必死に抑え込んだ。
ここで謝ってしまえば、きっとみちるは泣いてしまう。これ以上、この少女に悲しい顔をさせたくは無い。
「……そうだよね。じゃ、決まり。あたし達と一緒に美凪の心を探しに行きましょう」
真希がそう言うと、みちるは強く――とても強く、頷いた。



程無くして朋也達は出発の準備を終え、民家の門を出た所まで移動していた。
結局古河親子と朋也は教会へ向かい、北川、真希、みちるの三人は美凪の心を探す事になった。
合流の難しいこの島で別行動をするのは出来れば避けたかったが、渚の足では長い時間動き回るのは厳しいものがある。
だから朋也達は、真っ直ぐに教会を目指すしか無かったのだ。
朋也は膝を落とし、みちるの頭の上にポンと手を乗せる。
「みちる。北川達に迷惑を掛けないよう、良い子にしとくんだぞ」
「むむむ……」
すると、みちるの上半身がすっと下に沈み、
「子供扱いすんなーっ!!」
「ぐおっ!」
朋也の水月に、鋭い頭突きが叩き込まれた。
腹を押さえて悶絶する朋也を見下ろし、みちるが悪戯っぽい笑みを浮かべながら語り掛ける。
「岡崎朋也……あたしがいないからって、あんま寂しがっちゃ駄目だよ?」
「誰が寂しがるかっ!」
朋也はゲンコツを振り下ろしたが、手加減していたのもあってあっさりと避けられてしまう。
よろよろと起き上がる朋也に対し、みちるは一旦間を置いて、言った。
「――岡崎朋也」
「……あんだよ」
別れ際の挨拶で頭突きを見舞われるのは、流石に気分が良いものでは無い。
朋也は不満げな様子で、短く言葉を返す。
しかしみちるは珍しく、真面目な、そして少し寂しげな表情で、口を開いた。
「岡崎朋也に何かあったら、みちるはちょっとだけ悲しいから……。元気でね?」
朋也は目を丸くして、みちるを見つめていた。意地っ張りなみちるが、そんな事を言ってくれるとは思わなかった。
そして、思い出す。普段は生意気な態度を決して崩さぬみちるだったが、いざという時は違った。
放送で父の死を知った時も、由真と風子の死体を発見した時も、みちるは自分を気遣ってくれた。
本当は、みちるはとても心優しい少女であり、自分をずっと支えてきてくれたのだ。
朋也はどう返答するか迷ったが――自分達らしいやり取りを、最後まで続けようと思った。
「ああ。お前の方こそ元気にしとかないと、ゲンコツ食らわせるからな」
「なにをーっ……岡崎朋也の方こそ、次会った時に暗い顔してたりしたら、許さないんだから!」
出会ったばかりの頃と同じ、素直になり切れない、子供のような、友達のような、兄妹のような挨拶を最後に。
二人は、別れた。




時間:二日目・19:30】
【場所:B-3】

北川潤
 【持ち物@:SPAS12ショットガン8/8発+予備8発+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発、支給品】
 【持ち物A:スコップ、防弾性割烹着&頭巾(衝撃対策有) お米券】
 【状況:チョッキ越しに背中に弾痕(治療済み)】
 【目的:美凪の『想い』、『心』を探す】
広瀬真希
 【持ち物@:ワルサーP38アンクルモデル8/8+予備マガジン×2、防弾性割烹着&頭巾(衝撃対策有)】
 【持ち物A:ハリセン、美凪のロザリオ、包丁、救急箱、ドリンク剤×4 お米券、支給品、携帯電話】
 【状況:チョッキ越しに背中に弾痕(治療済み)】
 【目的:美凪の『想い』、『心』を探す】
みちる
 【所持品:セイカクハンテンダケ×2、防弾性割烹着&頭巾(衝撃対策有)他支給品一式】
 【状況:健康】
 【目的:美凪の『想い』、『心』を探す】


古河秋生
 【所持品:包丁、S&W M29(残弾数0/6)・支給品一式(食料3人分)】
 【状態:左肩裂傷・左脇腹等、数箇所軽症(全て手当て済み)】
 【目的:まずは教会へ移動。渚を守る、ゲームに乗っていない参加者と合流、機会があれば平瀬村工場内を調べてみる】
古河渚
 【所持品:鍬、クラッカー残り一個、双眼鏡、他支給品一式】
 【状態:左の頬を浅く抉られている(手当て済み)、右太腿貫通(手当て済み、少し痛みを伴うが歩ける程度に回復)】
 【目的:まずは教会へ移動】
岡崎朋也
 【所持品:トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)・三角帽子、薙刀、殺虫剤、風子の支給品一式】
 【状態:マーダーへの激しい憎悪、全身に痛み(治療済み)。最優先目標は渚を守る事】
 【目的:まずは教会へ移動】
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