これまで既に何度も、大規模な戦いの舞台となっている平瀬村。 来栖川綾香と朝霧麻亜子が最初に出会ったのも、この村だった。 何の因果か――彼女達の三度目の、そして恐らくは最後となるであろう対決もまた、この村で行われようとしていた。 空を覆う暗雲に見守られ、二人の獣は実力行使の末に入手した銃器を構える。 綾香の暗い狂気を灯した瞳が、眼前の怨敵を射抜く。 その眼光の鋭さを前にしては、並の人間なら一目散に逃げ出すか腰を抜かしてしまうだろう。 しかし殺人を重ね狂気の世界に馴染んでしまった麻亜子は、半ば怪物と化した敵に対しても平然とした様子で口を開く。 「あやりゃん、駄目じゃないか。ストーカー行為は犯罪だぞう?」 「あら? 私はあんたみたいな小学生並のスタイルで、そんな派手な服を着てる方が犯罪だと思うけど?」 そう言って綾香は、多分に侮蔑の意を含んだ笑みを浮かべる。 すると麻亜子も同じように、自信たっぷりに唇の端を吊り上げた。 「チッチッ、甘いぞ。世の中にはこういったものを好む殿方がごまんといるのさ」 「へえ、頭のネジが飛んでる奴がそんなにいるとは知らなかったわ。あんたなんかを好む奴が多いんじゃ、世も末ね」 お互いに軽口を叩く。それは因縁の二人が出会ったにしては、余りにも静かな対話だった。 しかしそのような状態が、長く続く筈も無い。 復讐鬼と化した綾香が、いつまでも只の会話に甘んじていられる筈が無いのだ。 「……韜晦はここまでにしときましょうか。アンタなんかと長話をするつもりは無いしね」 綾香の声の調子が、これまでとは打って変わって重いものとなる。 「うん、それはあたしも同感だぞ、あやりゃん君」 それを感じ取った麻亜子の声もまた、殺気を包み隠さない鋭いものとなった。 距離にして約20メートル程である二人の間を、灼けつくような殺気が飛び交う。 これは殺し合いであって、正当なルールに則って行われる決闘などでは無い。 どんな手を使おうとも最終的に生き延びた側が勝者であり、死んだ者は等しく敗者として扱われる。 だからこそ、気勢を猛らせる二人の決戦は唐突に、何の合図も無しに、開幕の時を迎えた。 「――――ッ!」 先に動いたのは麻亜子だった。 麻亜子は綾香の方へ顔を向けたまま、円を描くような軌道で走り回る。 その間、手元のRemington M870は沈黙を守り続けたままだった。 散弾銃という武器はきちんと照準を定めてから撃ちさえすれば、高確率で命中が期待出来る武器だったが、弾丸は無限にある訳では無い。 麻亜子がRemington M870の残弾を調べた時点で四つ――先程二発撃ってしまったのだから、今は二つしか残っていない筈だ。 ならば軽々しく使ってはならない。強力な切り札は、ここぞという時まで温存しておくべきだ。 傷んだ身体で大地を駆け回るのは少々堪えるが、ここは足を止めずに好機を待つしかない。 「ちょこまかと……鬱陶しい!」 綾香は苛立ちを隠せない様子で叫びを上げた後、手に握ったIMI マイクロUZIの引き金を絞った。 しかし連射された弾丸が、軽快な動きを見せる麻亜子に突き刺さる事は無く、空気を裂くに留まった。 綾香は地の上に仁王立ちしたまま、次なる一手はどうすべきか、思案を巡らす。 (――どうする。距離を詰めて一気に畳み掛けるか……いや、それはマズイわね) マシンガンとは弾丸のシャワーであるので、近距離なら絶対に当たる武器だったが、敵も銃を持っている。 万全の状態ならともかく、今の消耗しきった自分にとって、散弾銃の存在は大きな脅威だ。 非常に広範囲に渡るあの攻撃は、防弾チョッキでも防ぎ切れるかどうか分からない。 それに敵はあの朝霧麻亜子なのだ、たとえ防弾チョッキで命を拾えたとしても、油断せずにトドメを刺しに来るだろう。 となれば、距離を保ったまま持久戦に持ち込むのが最良だ。 大丈夫、こと残弾数に関して自分が遅れを取る可能性は非常に低い。 まだ予備カートリッジだって二つある。焦らずじっくり、追い詰めていけば良いのだ。 ――麻亜子は完全な回避に、綾香は消極的な攻撃に、方針を絞った。 自然と二人の戦いは逃げ回る麻亜子に対して、綾香が断続的に攻撃を加える形へと収束してゆく。 綾香はIMI マイクロUZIの発射方式を単発へと切り替え、銃弾の消費を抑えていた。 不規則に、一発ずつ、闇夜の中で銃声が鳴り響く。 「わざわざ一発ずつ撃ってあげてるんだから、頑張って避け続けなさい。 でも気を付ける事ね、あんまし派手に動き回るとすぐバテちゃうわよ?」 「…………っ」 狩りを愉しむハンターのように、綾香が余裕綽々たる面持ちで、狙撃を続ける。 綾香の身体は満身創痍の状態だったが、左腕だけは大した怪我を負っていない。 IMI マイクロUZIの引き金を絞る度に、銃身より伝わる衝撃が左肩の患部に響くが、十分耐えれるレベルの痛みだ。 敵が攻撃の意志を見せていない以上、こちらは足を止めたままで良いのだから、疲労の蓄積だって抑えられている。 対する麻亜子は余裕など一切無く、今にも息が上がりそうだった。 るーこと戦っていた時から続けてきた、過度の運動による疲労が負債となって、臓器に襲い掛かる。 このまま動き続ければ、いずれ体力が尽きる――そんな事は、麻亜子自身が一番良く分かっている。 それでも、弾丸を見てから躱すなどという芸当は不可能な以上、銃から放たれる攻撃を凌ぐ方法は一つしかない。 絶対に一箇所へと留まらず、銃口の先より身を躱すよう動き続けるしかないのだ。 麻亜子は相変わらず、綾香を中心として円状に走り回っている。 そしてその後を追うように銃弾が発射され、麻亜子の後ろ髪を掠めてゆく。 先程からその図式が続いていたのだが――綾香はいつまでも同じ攻撃パターンを繰り返す程、お人好しでは無い。 「――――!?」 綾香の手に握られたIMI マイクロUZIの先端がすいと動くのを見て、麻亜子は戦慄した。 距離がある為何処を狙っているかなど分からないが、恐らく―― 「ふぁいと、いっぱーつ!」 形振り構わず大地を踏み締めて、高速で移動していた体の勢いを押し留める。 直後麻亜子の眼前にある空間を猛り狂う弾丸が切り裂き、少し離れた場所にあった木の幹から木片が撒き散らされる。 巻き起こった風を肌で感じ取れる程、ぎりぎりの所で命を拾い、麻亜子の頬を冷たい汗が伝った。 綾香は、一定の方向へと走る麻亜子の動きを読んで、銃弾を『置いて』きたのだ。 それは驚くような事では無く、思考能力を持つ人間が相手である以上、寧ろ予想してしかるべき事態だ。 何も考えずに攻撃を続けてくれるような者はせいぜい、正気を失ってしまった者か、或いはよほど間抜けな者くらいだろう。 それに対策だってある。 相手が先読みしようとしても、不規則に方向転換を繰り返しながら動き回れば、予測を狂わせる事が出来る。 しかし―― 「つうっ……」 麻亜子は顔を僅かに歪め、先程るーこに撃たれた部位である腹の辺りを押さえた。 銃口から逃れようと転進した反動で、腹部の傷が酷く痛む。 勢いのついた身体を急停止させて、進行方向を変えるのは、負担が相当に大きいのだ。 「ほらほら、休んでる暇なんか無いわよ? 弾はいくらだってあるんだから!」 綾香がにやりと凄惨な笑みを浮かべ、次々と新たなる凶弾を放ってゆく。 麻亜子は必死の思いで、損傷している体を酷使し、限界ぎりぎりの回避を繰り返していた。 (ぐぬぬぅ……調子に乗りおってからにぃ……) 一方的に攻め立てられる現状を腹立たしく思い、麻亜子がぎりぎりと歯軋りする。 ナイフはまだ一本残っているが、距離がある為に投擲するのは厳しいだろう。 綾香の攻撃は単発へと切り替わっている為、Remington M870を構える時間はあるが、残弾は残り僅か。 敵もこちらの銃だけは警戒しているだろうし、今使用するべきでは無いように思えた。 だがそこまで考えた時、麻亜子はとある事に気付いた。 途端に、地面を蹴り飛ばして綾香の方へ、Remington M870を構えながら疾駆する。 「――――来たか!」 間もなく放たれるであろう粒弾の群れから身を躱すべく、綾香が素早く横方向へと跳躍する。 綾香からすればここで危険を犯して迎撃などせずとも、一先ず受けに回り麻亜子の弾切れを待てば良いだけだった。 「…………?」 しかし、聞こえてくるものは二人の足音だけ。いつまで経っても、銃声は鳴り響かない。 麻亜子が左右にステップを踏みながら前進を続け、二人の間合いが縮まってゆく。 麻亜子の狙いは至極単純――こちらがいつ弾を放つかなどバレる訳が無いのだから、とにかく銃口を向けて威嚇しようというものだった。 やがて綾香も敵の意図を悟ったが、だからといって銃口の前でジッと突っ立っている訳にはいかない。 そのような愚行に及んでしまえば、ここぞとばかりに麻亜子は引き金を絞るだろう。 かと言ってただ動き回っているだけでも、状況は不利になってゆくだけだ。 片目がほぼ塞がっている今の状態では、近距離まで寄られてしまえば麻亜子の姿を満足に捉えきれまい。 「クソッ……こざかしい!」 綾香は忌々しげに吐き捨てた後、IMI マイクロUZIの発射方式を連射へと切り替えた。 間髪入れずに引き金を絞り麻亜子の前進を遮ると共に、距離を取るべく足を動かし後退してゆく。 再び約20メートル程の間合いを確保した所で、銃が弾切れを引き起こす。 綾香は予備マガジンを左腕の小指と薬指の間に挟み込むと、その先端を口の前まで持ってゆく。 口で咥え込む事により予備マガジンの先端を固定し、その上からIMI マイクロUZIを叩きつける形で装填した。 装填している隙を狙われるかとも思っていたが、麻亜子は攻撃せずにボウガンへと新たな矢を補充していた。 麻亜子は右腕にRemington M870を、左腕にボウガンを握る形で、息を整えつつ綾香と向かい合う。 綾香はすぐに攻撃へ移ろうとはせず、自分を落ち着かせるように一つ深呼吸してから、口を開いた。 「流石にやるわね……。この私をここまで怒らせたんだから、そうでなくっちゃ困るわ」 それは皮肉などでは無く、本心からの言葉だった。 綾香にとって麻亜子は絶対に許せない怨敵であるが、その卓越した実力だけは認めていた。 綾香の台詞を受けた麻亜子が、得意げに無い胸を逸らす。 「はっはっはっ、すごかろう」 「ホントにね。全く、そこでただ泣いてるだけのへタレとはえらい違いね?」 そう言って綾香は油断無く銃を構えたまま、視線だけを横に移した。 麻亜子が目でその後を追うと、そこでは先程戦った敵の片割れ――春原陽平が、少女の亡骸を抱えて泣きじゃくっていた。 「ううっ……るーこ……るーこぉ……」 弱々しく肩を震わせながら嗚咽を上げるその姿は、本当に先の勇敢な少年と同一人物なのか疑いたくなる程だった。 その様子は余りにも痛々しく、るーこと呼ばれた少女が、少年にとってどれだけ大事な存在だったのかを明確に物語っていた。 (違う……そいつはへタレなんかじゃない。もしさーりゃんが死んじゃったら、きっとあたしだって……) そう考えると胸の奥がズキリと痛んだが、麻亜子はすぐに頭を振って思考を切り替える。 余計な事を考える暇があるのなら、その時間を消耗した体力の補充に充てなければならないのだ。 少しでも会話を引き伸ばし時間を稼ぐべく、麻亜子が口を開く。 「なかなかどうして、あやりゃんも修羅が板についてきたようだね」 「……私だって最初からこんな風に生きてた訳じゃない。皆と協力して、主催者を倒そうと考えてた時だってあった。 でもアンタのお陰で、この島ではどう生きれば良いのか、嫌って程思い知らされたわ。 所詮この世は弱肉強食、強い者が生き、弱い者が死ぬ。倫理観なんてとっとと捨てて、自分が備えた力を思う存分振るうべきなのよ」 まだ心の何処かに僅かながら罪悪感が残っていたのだろうか、言い訳するように綾香が自白する。 「そうだろう、勉強になったろう。礼には及ばないぞ、あやりゃん。でもどうしてもって言うんなら、そのマシンガンで手を打ってあげるぞ」 「ハッ、何言ってんだか……、――――ッ!?」 麻亜子の言葉を、綾香が一笑に付そうとしたその時、ジャリッと瓦礫の破片を踏み締める音がした。 「動かないで!」 辺り一帯によく響き渡る、澄んだ叫び声。 麻亜子と綾香が聞こえてきた声の方に首を向けると、少女――藤林杏が、ワルサーP38を右腕で構えながら立っていた。 吊り上った眉、引き締められた口元、目には、強い怒りと悲しみの色が灯っている。 しかし綾香は杏の怒りにもまるで動揺せず、それ以上の怒気を以って睨み付けた。 「……すっこんでろ。誰だか知らないけど、今はアンタなんかに用は無い。 殺されたくなかったら今すぐこの場から消えなさい」 静かな、しかし明確な殺意を籠めた警告。 怨敵との決戦を、こんなどうでも良い相手に妨害されるなど、到底許容出来なかった。 「言ってくれるじゃない。今あたしを狙ったら、あんたは麻亜子に撃たれちゃう筈だけど?」 「御託は要らない。もう一度だけ言ってやる……殺されなくなきゃ、今すぐ消えろ」 (ヤバイわね……) 全てを凍りつかせるような殺気を一身に受け、杏が小さく舌打ちする。 ようやく失意の底から立ち直り、急いで陽平達の救援に向かったのだが、遅過ぎた。 杏が現場に辿り着いた時には、既にるーこは殺されてしまっており、二人の殺人鬼による激しい戦闘が繰り広げられていた。 朝霧麻亜子と対峙している女は、『あやりゃん』と呼ばれていた。会話の内容から察するに、来栖川綾香と考えて間違いないだろう。 数々の殺人を重ねてきたこの二人に、拳銃一つで対抗出来るとは露程にも思わぬが、敵はお互い潰し合っている。 その間隙を突けば場を制圧出来ると思い介入したのだが、綾香は予想以上に腹を立てている様子。 これでは下手な事をすれば、綾香は激情に身を任せ、こちらへの攻撃を優先してしまうかも知れなかった。 なら―― 杏は口元に手を当て、暫しの間考え込んだ後、一つの答えを出した。 「じゃあ、そうさせて貰うわ。但し――陽平も、一緒にね」 そう言って、杏は今も泣きじゃくっている陽平へと視線を移した。 彼の手の中で横たわっているるーこは頭を打ち抜かれており、死亡している事は疑いようが無い。 自分がもう少し早く駆けつけていればと、後悔の念が湧き上がってくるが、それを喉元で押し留める。 後悔するのは後で良い――今はここで出来る事を精一杯やるべきだ、と自分に言い聞かせて。 しかし、陽平と禍根のある綾香が、簡単に杏の要求を受け入れる道理は存在しない。 「あんまり調子に乗るな。そいつには散々ムカつかされたんだから、逃がしてなんかやらないわよ」 鋭い声で、ぴしゃりと跳ね付ける。それから馬鹿にするような口調で続けた。 「さあ、一人でとっとと消えなさい。大体ね、アンタにしろ春原にしろ覚悟が足りないのよ。 でも私やまーりゃんは違う。私なら間違いなく、声なんか掛けずに問答無用で銃をぶっ放してたわ。 それが出来ない時点でアンタは負け犬なのよ。負け犬は負け犬らしく、尻尾を巻いて逃げてろ」 言われて、杏は息を飲んだ――言い方こそ悪いが、綾香の言葉は的を得ている。 そもそも、こんな中途半端なタイミングで乱入する必要など無かったのだ。 声など掛けずに息を潜め、綾香と麻亜子の勝負が終わったその瞬間に、生き残った方を撃ち殺せばそれで全ては終わっていた。 それを出来なかったのは、結局の所自分はまだ何処か平和ボケしている為だろう。 手違いから柊勝平を殺してしまった時は本当に辛かった、苦しかった。 二度とあんな思いはしたくないし、出来ればこの場も人を殺さず済ませたいと考えている。 仲間が何人も死んでしまったこの状況ですらそう思うのだから、貶されても何の弁明もしようが無い。 「そうね。……あたしはあんた達みたいに、人を殺す覚悟は無いわ」 杏がそう言うと、綾香は心底馬鹿にしたような笑みを浮かべた。 だからお前は何も出来ない、だからお前は誰も守れない――そう言いたげに。 だが杏は向けられた嘲笑をさらりと受け流し、真剣な面持ちで言葉を続ける。 「でもね、仲間の命が掛かってるなら話は別。陽平を置いていけってんなら、あたしは戦う。 敵わないだろうけど、アンタだけを狙い続けて、傷の一つくらい負わせてみせる」 それが、杏の決意。自分に覚悟が足りないと言われれば、甘んじて受け入れよう。 しかし目の前で友人が危機に瀕しているのを見過ごす程、腐ってはいない。 たとえ命を落とそうとも、或いは殺人の罪悪感に再び襲われようとも、仲間を見捨てるという選択肢だけは断固拒否する。 「チッ……」 綾香は杏の台詞を軽んじる事が出来なかった。 こちらを射抜く目……強い光を灯したあの瞳は、橘敬介や国崎往人のソレと全く同じ類のものだ。 綾香や麻亜子とは異なる、しかし揺るがない強い決意を秘めた人間の瞳だ。 橘敬介とやり合った時も、国崎往人と戦った時も、手痛い一撃を被った。 どれだけ力量差があろうとも、決意を固めた人間だけは軽視してはいけないのだ。 その事を綾香は自らの体験により、十分に理解している。 だからこそ、ここで杏と麻亜子の二人を同時に相手すれば、間違いなくやられるという結論に思い至った。 綾香は苛立たしげに一度地面を蹴りつけた後、呟いた。 「……仕方が無い。せいぜい残り少ない余生を満喫する事ね」 怒りに震えるその声を確認すると、杏は綾香から視線を外して、陽平の下へと歩み寄った。 「うううっ……ああああっ……」 「陽平……」 この世の終わりが来たかのように泣き続ける陽平を見て、杏は掠れた声を出した。 ここへ移動する最中に見た、陽平のとても頼もしい表情は、全てるーこによって支えられていたのだという事を実感する。 掛け替えのない存在を目の前で失ったショックは、きっと自分が勝平を殺してしまった時以上のものだろう。 あの時自分は取り乱してしまった――それ以上のショックを受けているのだから、陽平がこうなってしまうのも当然だ。 それでも自分達が生き延びるチャンスは、今を置いて他に無い。 杏は恐る恐る、陽平の背中に言葉を投げ掛けた。 「さ、今なら逃げれるから……行こうよ……」 「……放っといて……くれよ……」 どうやらかろうじて正気は保っているようで、陽平は短く言葉を返してきた。 「放ってなんて……いける訳、ないでしょ……」 途切れ途切れに、杏が言葉を搾り出す。 それでも陽平は、るーこの胸に顔を埋めて嗚咽を上げ続けるのみ。 杏はグッと奥歯を噛み締めた後、陽平の肩を掴み、自分の方へと振り向かせた。 「陽平、しっかりしなさい! アンタ男でしょっ!?」 「嫌だ……もう何もしたくない……!」 陽平がぶんぶんと首を左右に振り回し、その反動で涙が杏の頬にまで飛び散った。 杏は陽平の肩を掴む力を強め、ガクガクと勢い良くその身体を揺さぶった。 「何言ってんのよ! アンタはまだ動ける、まだ生きてる! だったら最後まで精一杯生き抜きなさいよっ!」 「もう嫌だ……もう嫌だ……るーこが居ない世界で、生きていくなんて……嫌だっ……!」 陽平はこの世界全てを拒むような様子で、杏の言葉を聞き入れようとはしない。 杏は表情を苦々しく歪めた後、大きく息を吸い込み、腹の奥底から力の限り叫んだ。 「――――もういい!」 言って分からないなら、強引に連れて行くまで――杏は陽平の後ろ襟を掴み、ズルズルと引き摺り始める。 反動でるーこの身体が、陽平の腕より零れ落ちる。それでも杏は、足を止めなかった。 綾香も麻亜子も、杏の背中を狙ったりはしなかった。そんな隙の大きい行動を取れば、次の瞬間、眼前の宿敵に撃ち抜かれるからだ。 「ま、待ってくれ……るーこを置いていきたくないよっ……!」 悲痛な声で訴える陽平から目を逸らし、杏はゆっくりと、しかし着実に戦場から遠ざかってゆく。 そんな最中、背後から麻亜子の声が聞こえてきた。 「何だ、行っちゃうのか。あたしを放っておいて良いのかね?」 そうだ、朝霧麻亜子はマナを殺した張本人であり、許せない存在だ。 しかしそれでも、今は生きている仲間の方を優先しなくてはならない。 「……次に会ったら、絶対一発ブン殴ってやるからね」 悔しさと怒りをたっぷり籠めて、杏は返答した。 そのまま力任せに陽平の身体を引き続け、仲間達の死体が横たわる地を後にする。 心を、後悔と怒りと悲しみの感情で押し潰されそうになりながら。 杏の行き先は――教会では無い。何処に行くか決めてなどはいないが、教会だけは駄目だ。 このまま教会に向かい、万一綾香か麻亜子のどちらかに追跡されてしまえば、より多くの犠牲者が出るだろう。 ここは何としてでも自分達の力だけで、逃げ延びなければならなかった。 「るーこ……、るーこぉぉぉぉ……」 敵の姿も、るーこの遺骸も見えなくなってからも、陽平はうわ言のように少女の名前を繰り返していた。 「ごめんね……陽平」 一粒の涙と共に、少女は懺悔した。 【時間:2日目・20:35】 【場所:g-2右上】 来栖川綾香 【所持品1:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×1)】 【所持品2:防弾チョッキ・支給品一式・携帯型レーザー式誘導装置 弾数1・レーダー(予備電池付き、一部損傷した為近距離の光点のみしか映せない)】 【状態1:右腕大火傷(腕を動かせない位)。肋骨損傷(激しい動きは痛みを伴う)。左肩口刺し傷(治療済み)。全身に軽い火傷、疲労中、体の節々に痛み】 【状態2:左目失明寸前、右肩負傷、麻亜子と対峙】 【目的:何としてでも麻亜子を殺害。ささらと、さらに彼女と同じ制服の人間を捕捉して排除する。好機があれば珊瑚の殺害も狙う。】 朝霧麻亜子 【所持品1:Remington M870(残弾数2/4)、デザート・イーグル .50AE(0/7)、ボウガン(矢装填済み)、バタフライナイフ】 【所持品2:防弾ファミレス制服×2(トロピカルタイプ、ぱろぱろタイプ)、ささらサイズのスクール水着、制服(上着の胸元に穴)、支給品一式(3人分)】 【状態:綾香と対峙、マーダー。スク水の上に防弾ファミレス制服(フローラルミントタイプ)を着ている、頬に掠り傷、肋骨二本骨折、内臓にダメージ、全身に痛み、疲労大】 【目的:目標は生徒会メンバー以外の排除、特に綾香の殺害。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと。】 【時間:2日目・20:40】 【場所:g-2右上】 春原陽平 【持ち物1:FN Five-SeveNの予備マガジン(20発入り)×2、LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、他支給品一式(食料と水を少し消費)】 【持ち物2:鉈、スタンガン・鋏・鉄パイプ・首輪の解除方法を載せた紙・他支給品一式】 【状態:深い絶望。右足刺し傷、左肩銃創、全身打撲(大分マシになっている)・数ヶ所に軽い切り傷・頭と脇腹に打撲跡(どれも大体は治療済み)】 藤林杏 【装備:ワルサー P38(残弾数4/8)、Remington M870の予備弾(12番ゲージ弾)×27】 【所持品1:予備弾(12番ゲージ弾)×27、辞書×2(和英、英和)、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々、支給品一式】 【所持品2:ワルサー P38の予備マガジン(9ミリパラベラム弾8発入り)×2、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)、9ミリパラベラム弾13発 入り予備マガジン、他支給品一式】 【状態:やり切れない思い、身体は健康】 【目的:最終目的は主催者の打倒、まずは陽平を連れてもっと離れた場所まで逃げる】 ボタン 【状態:健康、杏の鞄の中に入れられている】 【備考】 ・以下の物は綾香達の近くに落ちています。 ・サバイバルナイフ、投げナイフ、H&K SMG‖(5/30)、予備マガジン(30発入り)×2、包丁、スペツナズナイフ、LL牛乳×6 ・ブロックタイプ栄養食品×5、他支給品一式(2人分) - BACK