ラブハンターの敗北




来栖川綾香が砧夕霧の軍勢と初めて遭遇したのは、午前十時を少し回った頃のことだった。
概ねの対策を練っていたこともあり、作戦の立案は迅速だった。
乱戦に向かない芹香は離れた場所に降ろし、セリオと綾香は夕霧の群れに仕掛けていった。
豊富な弾薬を背景にセリオを前衛に出して敵陣形を撹乱し、それを綾香が端から仕留めるという作戦は功を奏した。
そもそも砧シリーズの生産は来栖川重工で請け負っていたのだ。
運用面からその弱点まで、綾香に知らぬことはないといっても良かった。

「ったく、仕様書にない運用で無駄遣いして……」

正面の個体に銃弾を叩き込みながら、綾香が毒づく。
光学兵器である砧夕霧シリーズは砲兵として開発された個体だ。
基本的に人体ベースであり、装甲や防禦能力は無に等しい。
パワードスーツ着用の歩兵、あるいは機甲部隊が前面に展開してこそ、その真価を発揮するものだった。
自走はするが、単体で浸透突破を図るためのものではなかった。
銃底に新しいマガジンを叩き込み、綾香が掃射を再開する。
軽快な発砲音と共に、マズルフラッシュが閃いた。
前方に展開する夕霧の群れが赤い花を咲かせながら斃れていく。

「―――綾香様、あれを」

両手にそれぞれ掴んだ夕霧の頭部を同時に地面へと叩きつけながら言うセリオの声に、綾香が視線を向ける。
曇天の下、ぎらぎらと煌く眼鏡と額の集合の向こうに、周囲とは違う色があった。
群青色のブレザー。傍らに立つカーキ色は軍服だろうか。

「この距離じゃわかんない。そっちで確認できる?」

頭部バイザーによる視力補正は、明け方の少年との戦いの際に失われていた。
綾香の言葉を受けて、セリオが即座に応答する。

「―――照合完了。久瀬様に間違いありません。随伴は陸軍下士官章を着用。……照合、データ無し」
「久瀬大臣絡みの直衛……?」

一瞬訝しげな色を浮かべた綾香の表情が、すぐに引き締まる。

「何にせよ、ようやく見つけたってわけね……」
「突破なさいますか」
「お願い」

セリオの短い問いに、同じく短く答える綾香。
間を置かず、セリオが駆け出していく。
奔る閃光を縫うように走り抜けるセリオの長い髪が、風を受けて靡いた。
夕霧の群れが割れ、閃光が明後日の方向へと乱舞しだすのを確認して、綾香もまた一気に加速する。

「……脆い」

楔として打ち込まれたセリオの突撃により、夕霧の統制は完全に乱れていた。
光学兵器としての夕霧の恐ろしさは、そのユニット戦術にある。
弱い光でも、数体で集まって反射を繰り返して位相を揃えることでレーザーとしての威力を確保し、
或いは増幅して撃ち出す。それこそが、量産体の基礎運用であった。
しかし、こうして肉薄した上で標的を絞らせないように素早い移動を繰り返せば、その運用は崩壊する。
統制の取れない夕霧など、単なる畸形の自走鏡でしかない。
無防備な身体に幾つもの穴を開けて、夕霧が死んでいく。

「―――久瀬ぇ……っ!」

綾香が声を張り上げる。
既に距離は縮まり、綾香の目でも久瀬の顔が判別できるところまで近づいていた。
しかし久瀬は振り返らない。
途切れずに響き続ける銃声を聞き逃しているはずがないのに、歩みを止めようとはしない。
人の波の向こうに見え隠れする久瀬の後ろ姿に、綾香は手を伸ばす。
その視界を、夕霧の一体が遮った。
一瞬の躊躇もなく、トリガーを引く。無数の弾丸を叩き込まれ、夕霧の顔が爆ぜた。
口元に垂れた返り血を唾と一緒に吐き棄てて、綾香が踏み出す。
セリオの切り開いた道が、またすぐに夕霧の群れに押し寄せられて塞がっていく。
久瀬の後ろ姿が遠ざかっていく。

「久瀬……っ!」

聞こえないはずがない。
それでも、久瀬は振り返らない。
それがどうにも許せなくて、綾香は引き金を引いた。
砧夕霧が、数体まとめて物言わぬ塊となる。

セリオが手近な夕霧の遺体を蹴り上げると、その足を無造作に掴んだ。振り回す。
人体同士の激突する鈍い音。血と、それ以外の体液が宙を舞って輝いた。
再び道が開く。そこを綾香は一気に走り抜けた。
距離が、縮まる。
手を差し伸べれば届きそうな近さで、だから綾香はもう声は上げずに、腕を伸ばした。
長く白い指が、久瀬の背に触れるかと見えた、そのとき。
音もなく、その僅かな隙間に割り込む影があった。

「―――届かんよ」

静かな、そして巌のように頑なな、それは声だった。

綾香の目に、銀色が映る。
老爺の如き白髪をしたその男はしかし、未だ壮年としか見えなかった。
軍服の上からでもわかる、引き締まった屈強な肉体。
硬い意志を感じさせる面立ちの中で、夜の湖のような底知れぬ静謐を宿した瞳が、綾香を射抜いていた。
思わず気圧されそうになるのを感じて、綾香はそんな自分を張り倒すように声を上げる。

「……どけ、白髪頭っ!」

言いながら向けた左手の銃口は、だが男を捉えること適わない。
男の手が静かに銃身に添えられたかと思えば、どうしたことか、その射線が逸らされていた。
特に力を入れている風でもないというのに、押し負けている。
否、力の軸線を逸らされているのだ、と綾香が気づいたときには、その手から銃が取り落とされていた。
同時に男が身体を入れてくる。
頭一つ上背の違う男の圧力に、綾香が思わず距離を取ろうと退きかけた瞬間。
綾香の身体が、ふわりと浮いていた。

「―――ッ!」

引こうとしたその足を、絶妙のタイミングで刈られた。
同時にいつの間にか伸ばされていた男の手が、綾香の襟首を掴んでいた。
大外狩り。オーソドックスな柔道の技だったが、綾香の脳裏には最大級の警告音が鳴り響いていた。
国軍に制式採用されている柔は、スポーツ競技ではない。
格闘家としての知識が告げるそれは、殺人の技。投げを単なる投げでは終わらせない。
即ち、掴んだ襟首を離さず、その喉元に腕を捻じ込むようにしながら―――

(―――全体重で、相手の頸を潰す技……ッ!)

頭部バイザーのない今の状態で叩きつけられれば、怪我では済まない。
綾香の判断は迅速だった。
宙に浮かされた状態では、体を入れ替えることもままならない。
そしてまた、相手の男はそれを許すほど生易しい腕ではなかった。

「なら……!」

瞬間、綾香の纏った銀色の鎧、KPS-U1改が爆発するように弾け飛んだ。
強制パージ。胸部装甲が男の顔面を直撃し、背部装甲は接地の勢いを相殺する。
転瞬、緩んだ男の手を身を捩って引き剥がしながら、綾香が地面に手をついた。
逆立ちをするような格好。しなやかな脚が、ぐるりと回転しながら男の側頭部を襲う。
だが、

「外した……!?」

視界を塞がれたはずの男は、綾香の動きを読んでいたかのように身を沈めていた。
同時に地を這うような回し蹴りが来る。
体重は乗っていないが、綾香を支える腕を狙った動きだった。
咄嗟に腕に力を込め、ハンドスプリングの要領で飛び退る綾香。
彼我の距離が開いた。

「ようやく思い出した。どっかで見たことあると思ったら……昼間パシリに使った強化兵」
「……」
「合気に柔、拳法もこなすって? 骨抜きの国軍にしちゃ随分と優秀じゃない」

身体のラインも露わなアンダースーツのまま、綾香が口を開く。
余裕のあるような口ぶりだったが、その表情には隠しようもない焦燥が浮かんでいた。
久瀬の背は、再び遠ざかろうとしていた。

「……戦は長く、歴戦の兵は多くが死んだ。だが俺は生き延びている。それだけのことだ」
「そ。ま、―――興味ないんだけどね、あんたなんかにはっ!」

言いざま、綾香が飛び出す。
だがKPS-U1改の補助を失ったその加速は、先刻までと比べて明らかに劣っていた。
身を沈めながら放たれる綾香の中段蹴りを、男は易々とかわしてみせる。
蹴り足の戻しよりも早く、男の拳が飛ぶ。
速いが、スウェー状態から打たれた拳には腰が入っていない。
ジャブ気味に放たれたそれを、綾香が軽く頭を振って回避しようとした、その刹那。
握られていたはずの男の拳が、突然に五指を開いた。

「なっ……!」

綾香の視界、その左半分が塞がれていた。
まずい、と思考するより早く、綾香は反射的に飛び退ろうとする。
左右は危険。死角からの蹴りを定石とすれば、その裏は向かって右、男の空いた左による突き。
どちらを選んでもリスクが大きかった。
ならば、と咄嗟にバックステップを踏もうとした綾香の視界が、唐突に揺れた。
まず感じたのは、首への衝撃。
そして頭部、否、頭皮からの激痛だった。

(髪を―――!)

流れた長い髪を掴まれたのだと理解した瞬間、意識が飛びかけた。
咄嗟に上げたガードの下。腹に、男の拳がめり込んでいた。
一瞬、モザイクをかけられたように歪んだ視界が戻ってくると同時、胃の内容物がせり上がってくる。
奥歯を食い縛って堪えると、綾香は必死に視線を上げる。
そこに男の姿はなかった。感じる気配は、背後から。
反射的に打った肘が正確にブロックされた。
舌打ちした綾香だったが、次の瞬間、目を見開かされていた。
呼吸が、できない。

「か……ぁ……」

首に何かが巻きついている。
綾香自身の髪だと、すぐに気づいた。
長くしなやかな黒髪が、綾香の頚動脈と気管を的確に締め上げていた。

「型は正確だ。応用力もある。咄嗟の反応も悪くない。―――だが、道場拳法だ」

ぎりぎりと音がするほどに綾香の首を絞めながら、男が静かに言う。
頭蓋の中で脳がはちきれんばかりに膨張しているが如き激痛の中で、綾香の耳朶を打つその言葉は、
どうしてだかひどく鮮明に聞こえていた。

「髪を掴むは反則か。美しく相手を打ち倒すが道か。―――そうしてお前は死ぬのか」

苦痛が薄れていく。男の声だけが、脳裏に残響を残す。
落とされれば確実に死ぬと、それだけを綾香は理解していた。
最後に残った感覚の全てを、右腕に集中する。
ぐらぐらと揺れて、七色のノイズに侵蝕されていく視界の中で、綾香はその力を解放した。
振るう。ブチリ、と嫌な音がした。

「……ァァアアッ!」

振り抜いた。ブチブチと、音がする。
途端、視界が回復した。全身が酸素を要求し、肺が急速に収縮する。
盛大に咳き込みながら、綾香はその腕を背後に向けて裏拳気味に放つ。
空振り。男は既に、充分な距離をとっていた。

「……ほう。その腕―――固有種のものか」

眉筋一つ動かさず、男は綾香を見ている。
必死に呼吸を整えながら、綾香は男へと向き直った。
その右腕は漆黒の皮膚と真紅の爪を備え、曇天の林道に異様な存在感を放っている。
綾香が、痰混じりの唾を吐き棄てる。
はらはらと、何か黒いものが風に乗って舞い散った。
地面一杯に、まるで絨毯模様のように広がったそれは、綾香の黒髪であった。
己が爪で切り落としたその髪を踏みしだいて、綾香が鬼の手を握り、開く。
爛々と輝くその眼は、ただ男だけを睨み据えていた。
周囲を幾重にも取り巻く夕霧など、まるで存在しないかのようだった。
毛先のひどく不揃いな短髪を振り乱して、来栖川綾香は立っていた。

「どけ」

短く、綾香が口にする。
応えるように口を開いた男は、どこか乾いたような声音で言った。

「……お前を囲んでいる者たちの名を知っているか」
「……」
「砧夕霧という」
「知ってる。私の会社が造った兵器だ」
「……いいや、いいや分かっていない。お前は、この娘の名を」

男は、哀しげとすら見える表情で続けた。

「―――それでは届かんよ。お前の拳も、声も」
「説教臭いんだよ、白髪頭……!」

鬼の腕を振りかざすように、綾香が駆ける。
奇妙な静けさの中で、男が静かに告げた。

「―――坂神蝉丸。覚えておけ、この名を」

転瞬、男の姿が掻き消えた。
否、その踏み込みを目で追いきれず、消えたように見えたのだ、と。
交錯の瞬間、鳩尾に男の提げた軍刀の柄頭を叩き込まれて意識を失う寸前に、綾香は理解していた。


******


「……何故、殺さなかったのですか?」

傍らの少年が静かに訊ねるのに、男、坂神蝉丸はやはり淡々と答えた。

「殺すのは容易い。だが、あれには最後まで見届けさせたかったのだ」
「何を、ですか」
「己の造った者たちが選び取る、未来の形を」

蝉丸は、少年に寄り添うように歩く少女を見やり、そしてまた周囲を歩く無数の少女たちを見回しながら言った。

「あれを討つのは俺ではない。打ち棄てられた者たちの、歓喜の声だ。そうあるべきだと、俺は思う」
「……」

少年は無言のまま、眼前に聳える山の頂を見上げていた。
無数の足音だけが、蝉丸の言葉に応えていた。

「それより、君こそいいのか」

しばらくの間を置いて、蝉丸が少年、久瀬に問いかけた。

「あれは、君の昔馴染みだったのだろう」
「……構いません。あの人のことです、きっと僕を連れ戻そうとしてくれていたんでしょう。
 一緒に帰ろうとか、上手く取り成してやるとか、何なら自分の会社で使ってやるとか。
 ……そんなこと、できるはずがないのに」

久瀬が苦笑する。 
歳相応の少年じみた表情を、蝉丸は静かに見つめていた。

「僕は踏み出してしまった。―――あとはもう、進むことしかできないんですから」

決然と言った久瀬の表情は、既に少年のそれではなかった。
その顔を見て蝉丸は一つ頷くと、口を閉ざした。

死を齎す軍勢は、粛々とその行進を続けている。


******


目を覚ました来栖川綾香が最初にしたのは、傍らのセリオに時刻を訊ねることだった。

「……一時間は経っちゃいない、か。まだ間に合うわね」

すっかり晴れ上がった青い空の眩しさに目を細めながら立ち上がり、振り返る。
夕霧の群れが歩いていた方向には、神塚山が聳えていた。
となれば、久瀬の目論見にも概ねの見当がつく。
制限時間は正午きっかりといったところか。

「坂神、蝉丸……。情けをかけたことを後悔させてやる―――」
「―――綾香様、」

呟き、歩き出そうとした綾香に、背後からセリオの声がかけられた。
眉を顰めて振り向いた綾香だったが、続くセリオの言葉に見る見る表情を変えていく。
驚愕と困惑、それらがない交ぜになった表情。

「何、ですって……? もう一度言ってみなさい……!」

震える声で促す綾香の言葉にも、セリオは動じない。
やはり淡々と、体温を感じさせない声でそれを告げた。

「―――芹香様が、どこにもいらっしゃいません」




【時間:2日目午前11時前】
【場所:G−7】

来栖川綾香
 【持ち物:各種重火器、こんなこともあろうかとバッグ】
 【状態:ラーニング(エルクゥ、(;゚皿゚)、魔弾の射手)、短髪】
セリオ
 【持ち物:なし】
 【状態:グリーン】
イルファ
 【状態:スリープ】

来栖川芹香
 【持ち物:水晶玉、都合のいい支給品、うぐぅ、狐(首だけ)、蝙蝠の羽】
 【状態:盲目、行方不明】
 【持ち霊:うぐぅ、あうー、珊瑚&瑠璃、みゅー、智代、幸村、弥生、祐介】


【場所:G−5】

久瀬
 【状態:悲壮】
坂神蝉丸
 【状態:健康】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り26238(到達0)】
 【状態:進軍中】
-


BACK