一筋の涙




「んん……」
昼間に寝すぎた所為か、睡眠は約半刻程しか続かなかった。
視界が正常に機能する事を許容せぬ漆黒の闇の中、鹿沼葉子は目を醒ました。
意識を取り戻した葉子は、自分の頬に違和感を覚え、疑問を解決するべく手を伸ばす。
すると生暖かい液体の感触が、掌に伝わった。
「これは……涙……?」
葉子は困惑を隠し切れない声で呟いた。
どうして涙を流しているのか、その理由にはすぐに思い当たった。
とどのつまり、自分の心は――予想以上に、天沢郁未の死を嘆き悲しんでいたのだ。
「ふふ……まさか私がいつまでも泣いてるような、女々しい人間だとは思いませんでした」
僅かばかりの悲しみと、強い自嘲の念を込めて、言葉を紡ぐ。
本当に意外だった。
郁未は唯一心を開いて接する事の出来た存在ではあったが、まさかここまで自分の心に影響を与えているとは思わなかった。
それ程までに郁未の存在は自分にとって大きかったのだ。
この島で郁未と交わした約束を思い出す。
「郁未さんと私が最後まで生き残ったら決着をつけましょう、か……。馬鹿ですね、私。
 私が郁未さんを殺せる筈が無いのに。その時が来てしまえば、きっと私は黙ってこの命を差し出すしか無かったのに……」
すっと目を閉じて、郁未の顔を思い出す。もう素直に本心と向き合おう。
年相応の脆さと冷淡な強さを併せ持った郁未が、大好きだった。
自分に生きるという事を教えてくれた郁未が、大好きだった。
自然に目の奥から涙が溢れ出し、閉じた瞼の隙間から流れ落ちる。
でもこの一筋の涙で最後。もう泣かない。もう悲しまない。
ここで自分まで死んでしまっては、郁未がこれまで何の為に生きてきたか分からなくなる。
あの施設の仲間達も、もう死んでしまった。
だからこそ、郁未から掛け替えのない物を沢山教えられてきた自分だけでも、絶対に生き延びなくてはならない。
泥を啜ってでもこの島より生還し、外の世界で、郁未の想いを心の奥底に刻み込んで生き続ける。
ならばこれ以上感傷に浸っている暇など無いのだ。
まずはこれからの方針を、より具体的且つ効率的なものに絞ってゆかねばならないだろう。

当然の事ながら、未だに痛みを訴え続けるこの足では、積極的に人を殺して回るのは下策に過ぎる。
クラスAの能力者である自分でも、能力を制限されている上に負傷している今の状態では、ただの一般人と大差無い。
そして何より自分には、銃が無い。それが致命的だった。
第三回放送によれば生き残りはもう、約三分の一程度まで減っている。
今もなおこの島で己が生命を堅持している人間達は、ただ幸運に守られて生き抜いてきたという訳では無いだろう。
ある者は心強い仲間に守られ、ある者は鍛え抜いた自身の能力に守られ、そしてある者は強力な銃火器に守られてきた筈。
今の自分がそんな連中を相手に、正面から勝利を得られるとはとても思えない。
となるとやはり寝る前に考えていた、主催者を斃そうとする者達と消極的ながらも行動を共にする、という方針の下に動くべきである。
他の人間達と行動を共にすれば銃火器を手に入れる機会もあるかも知れないし、ゲームに乗った者からも逃げやすくなるだろう。
だが冷静に考えてみれば一つ、大きな問題点があった。
自分がゲームに乗っている事を知っている人間が、ごく少数ながら存在するのだ。
自分と郁未に襲撃され、今もなお生き延びている人間、古河渚、古河秋生。
この二人と出会ってしまえばどのような弁明をしようとも、戦闘は避けられまい。
もしかしたら、芳野祐介に守られていた筈の、あの見知らぬ少女も生きているかも知れない。
そして――情報は時が経てば経つ程拡散してゆく。
こうして座している間にも、古河親子が葉子の悪名を吹聴して回っているかも知れないのだ。
噂が島中の人間に知れ渡ってしまえば、善意の参加者を装って他の人間に取り入るのは絶望的となる。
その前に何とかしなければならない。何とかして、自分の正体を知らない人間の信用を得なければならない。
逆に言えば先に信頼さえ獲得出来れば、その後で自分の正体を知る者達と出会ってもどうにかなる。
疑心暗鬼が各々の心に巣食うこの環境下では、どちらの言い分が正しいかなど分かりはしない。
何を言われようとも否定し、自分の正当性を訴え続ければ良いのだ。
少なくとも参加者達の矛先が、全て自分に向くのは避けられる。
これはスピード勝負なのだ。噂の拡散と、自分が偽りの仲間を手に入れるのと、どちらが速いかの。
となれば、今すぐに動くべきなのだが――何処に行けば良いのだろうか?
自分と郁未が古河早苗を殺害し、秋生と渚に正体を知られてしまったのは、氷川村の診療所に居た時だ。
そして先程氷川村では、大規模な戦闘が行われていた様子だった。
これらの事項を踏まえると、氷川村は自分にとって最も危険な場所であり、絶対に近付くべきでは無いだろう。
ゲームに乗った者達や自分の正体を知る者達と出会う可能性が、最も低い村は――氷川村とは間逆の位置にある、鎌石村だ。
まずは鎌石村に向かい、それからゲームに乗っていない人間と接触し、仲間として同行するのだ。

社の床下より這い出て、葉子は鷹野神社を後にする。
足の痛みは若干ではあるがマシになっている。それでも険しい山道を早足で進むのは堪えるが、立ち止まってなどいられない。
「道は見えました……。郁未さん、どうか見守っていてください。貴女の想いは、私が引き継いで生きてゆきます」
人を騙してでも、殺してでも、生き延びる。それが自らに課した、絶対の使命なのだから。




【時間:2日目19:55頃】
【場所:G−6 】 
鹿沼葉子
【所持品:メス、支給品一式(食料なし、水は残り3/4)】
【状態:鎌石村へ急行。肩に軽症(手当て済み)、右大腿部銃弾貫通(手当て済み、激しい動きは痛みを伴う)。マーダー】
【目的:何としてでも生き延びる、まずは偽りの仲間を作る】
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