女二人の語り合い




倉田佐祐理は、最早帰らぬ人となった藤井冬弥の亡骸に縋りつく七瀬留美を、眺め下ろしていた。
「うう……うううっ……」
留美の目からは大粒の涙がぼろぼろと零れている。
一度別れて以来、冬弥を捜し求めてきた。何回か死にそうな目にあったけど――それでも、再び逢えたのに。
初めて実った恋の余りにも早すぎる崩壊に、留美は酷く打ちのめされていた。
「どうしてよぉ……やっと……分かり合えたのに…………」
その悲痛に過ぎる嗚咽を聞き、佐祐理は胸が張り裂けそうな感覚に襲われた。
慰めてあげたかった。自分と同じく、目の前で大切な人を失ったこの少女を。
ずっと冬弥の遺骸の傍にいさせてあげたかった。せめて、泣き止むまでは。
それでも佐祐理は告げなければならない。非情な現実を。
「七瀬さん」
「…………何?」
留美が止め処も無く溢れる涙を拭おうともしないまま、視線をこちらに向ける。
佐祐理は覚悟を決める為に、一度だけ大きく深呼吸をした。
柳川は最強の敵にたった一人で立ち向かい、離れ離れになってしまった。
ここで留美に言葉を伝えられるのは自分しかいない。
ならばどれだけ疎まれようとも、心を鬼にして自分の役目を果たさねばならない。
この場で柳川ならどうするか――深い悲しみを乗り越えた、今なら分かる。
「私達は氷川村で何人かに、全てを話してしまいました。つまりリサさん達も、教会で行われている事に関する情報を、入手している可能性があります。
 事態は一刻を争います――もう、行きましょう。……泣いている時間なんてありません」
冷酷な宣告。確かに時間的な余裕は皆無と言って良いだろう。
何としてでもリサ達より先に教会へ辿り着き、仲間に危険を知らせねばならない。
しかしそれでも、留美の行為は本来咎められるようなものでは無い。
大切な者を失った人間が悲しみに暮れるのは当たり前であり、かつて佐祐理自身だって行った事だ。
だが佐祐理はそれを完全に否定した。ただ目的を果たす為だけに、少女の涙を否定した。
「…………?」
留美には分からなかった。今自分に浴びせられた言葉は、どのようなものだったのか。
呆然としたまま固まり――言葉の意味を理解した瞬間、佐祐理の胸倉を掴み上げていた。
「ふざけないで! 人事だと思って!」
激しい怒りで理性が消し飛び、脳内が真っ赤に埋め尽くされる。

――この女は何を言っているのだ?自分だって、冬弥に助けられた癖に。
冬弥が身を挺して行動してくれなければ、きっと一人残らず宮沢有紀寧に殺されてしまっていたのに。
その命の恩人たる冬弥の死に対して、事もあろうか涙を流す時間すらも無い、だと?

「……もう一度だけ聞いてあげる。本気でそんな事を言ってるの? そうじゃないわよね?
 ちょっと冗談を言ってみたくなっただけだよね?」
沸き上がる感情をぎりぎりの所で抑えながら、どうにかそれだけを口にする。
佐祐理は大切な仲間だ。出来る事ならば――憎悪の対象にはなって欲しくない。
しかし留美の願いも虚しく、佐祐理は縦に、首を振った。
「冗談なんかでこんな事言える訳がありません。理解出来なかったのなら何度でも言ってあげます。
 こんな所でこれ以上泣いてる暇は無いんです、早く出発しま……」
「――――!!」
最後まで聞いてなどいられなかった。
留美はもう憤怒の炎に抗おうとはせず、佐祐理の頬を張り飛ばしていた。
「あっ……!」
男勝りの膂力をモロに受けて、佐祐理はどすんと地面に尻餅をついた。
留美がわなわなと肩を震わせながら、大きな怒声を上げる。
「よくも……よくも、そんなふざけた台詞を吐けるわねっ! あんたは悲しくないのっ!?
 そりゃ佐祐理と藤井さんは、殆ど面識が無かったかもしれないけど……。でも藤井さんは、命掛けで私達を助けてくれたじゃない!
 それなのに、涙も流さず! 埋葬もしてあげないで! 藤井さんの事なんか忘れて、とっとと先に進めって言うの!?」
その言葉を聞いた瞬間、佐祐理の眉が吊り上り、口元がぎゅっと引き締められた。
怒りの表情を浮かべたまま佐祐理は立ち上がり、つかつかと留美に歩み寄り、そして――

「…………な?」
パチンッ、という軽い音が薄暗い森の中に響き渡る。
佐祐理は初めて人に――それも女性に、手を上げていた。
「ふざけているのはそっちです! 悲しくない訳がありません! 忘れろなんて言ってません!」
「だったらどうして! 藤井さんを放って行くなんて言うのよ! どうし……?」
そこで、留美は初めて気付く……佐祐理の瞳の奥に、たっぷりと涙が溜まっている事に。
「……佐祐理?」
留美は自分の中に巣食っていた怒りが、急速に醒めていくのを感じた。
もう泣かないって決めたから――佐祐理が必死に涙を堪えながら、言葉を紡ぐ。
「もし逆に七瀬さんが藤井さんを庇って死んでしまったとしたら、何を願いますか? 藤井さんにどうして欲しいと思いますか?」
「そ、それは……」
「……私なら助けた人には生き残って欲しいと思います。前を向いて、自分の分も生き続けて欲しいと思います!
 もしここで泣き続けた所為で! 希望が全てリサさん達に……摘み取られてしまったら! 藤井さんは……きっと……悲しみます…………!」
最後の方は、嗚咽が交じっていた。泣かないと決めていたのに、これ以上は無理だった。
堪え切れなくなった佐祐理は、両手で顔を覆って、堰を切ったように涙を流し始める。
「だから……早く……行きま……しょう…………」
そのまま佐祐理は、その場に力無く座り込んでしまった。
「さ……ゆり……」
留美の瞳からもまた、再び涙が溢れてくる。
そのまま崩れ落ちそうになるが――瞬間、留美は傍にあった木を殴りつけた。
拳より伝わる痛みが痺れた意識を回復させ、体に力を戻してゆく。
留美は血に濡れた手を伸ばし、佐祐理の腕を引き上げた。
「ごめん佐祐理……私が間違ってたわ……」
「七瀬さん……」
「そうだよね。ここで私達が無駄に時間を使って、その所為で全てが終わっちゃったら、藤井さんは絶対悲しむもんね」
話し終えると、留美はじっと佐祐理の顔を見つめた。
佐祐理が視線を返すと、留美の瞳の奥に――強い決意の色が宿っていた。

「さ、行きましょ。早く教会に行って、柳川さんや他の皆と合流しないとね」
「七瀬さん……もう平気ですか?」
佐祐理が服の袖でごしごしと涙を拭きながら尋ねると、留美は悪戯っぽく笑った。
「そう言ってるでしょ。それよりさ、敬語はもう止めてくれないかな。私の方が年下なんだし、堅苦しい事はナシにしましょ」
「え……でも……」
佐祐理が困ったような表情になり、言葉を濁す。すると留美がぽんぽんと佐祐理の右肩を叩いた。
「まあまあ、拳で……いや、この場合掌か……で、語り合った仲じゃない。ほら、とっとと行くわよ」
そう言うと留美は素早く動き、地面に置いていある荷物を次々と拾い上げた。
S&W M1076を鞄から取り出して、ポケットに入れる。
「ちょっと、待ってくださ……、待ってよ〜!」
佐祐理が慌てて自分の荷物を拾い上げるべく、走り出す。
「そうそう、その調子よ。チームプレイには必要以上の丁寧さなんて要らないんだから。
 二人で力を合わせて、柳川さんよりも活躍して、ビックリさせてやりましょ」
留美は冬弥の分も生きる為に、強く――せめて心だけは誰よりも強くあろうと、決意していた。
それだけの強さを、彼女は心の内に秘めていた。
そして留美は最後に視線を動かして、佐祐理に聞こえぬよう小さな声で呟いた。
「藤井さん、私本当に貴方が好きでした。藤井さんの事は一生……ううん、死んでも忘れません」




【時間:2日目19:45】
【場所:H−7】
倉田佐祐理
【所持品1:支給品一式×3(内一つの食料と水残り2/3)、救急箱、吹き矢セット(青×3:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】
【所持品2:二連式デリンジャー(残弾0発)、暗殺用十徳ナイフ、投げナイフ(残り2本)、レジャーシート】
【状態:左肩重症(止血処置済み)、教会へ急行】

七瀬留美
【所持品1:S&W M1076 残弾数(7/7)予備マガジン(7発入り×3)、消防斧、日本刀、あかりのヘアバンド、青い矢(麻酔薬)】
【所持品2:何かの充電機、ノートパソコン、支給品一式(2人分、そのうち一つの食料と水残り2/3)】
【状態:決意。右拳軽傷、人を殺す気、ゲームに乗る気は皆無、教会へ急行】
-


BACK