絶対包囲




神塚山麓北側、山道から外れた林。
踏み入る者とてないはずの木々の合間に、いくつもの気配が蠢いていた。
砧夕霧の群れである。
一路山頂を目指すはずの一群が、しかし今はその足を止めていた。
光芒が閃いた。どうやら夕霧たちは、戦闘に入っているようだった。

幾筋もの光が交錯する先には、小さな影があった。
突然、夕霧の内の何人かが、何か鋭い刃物で切り裂かれたように身体を断ち割られ、鮮血を噴いて倒れた。
小さな影が投擲した武器によるものだった。
木洩れ日を受けて鈍色に煌く武器が、円弧を描いて影の手元に戻っていく。
受け止めた小さな影の、その背丈の半分ほどもある、それは星型の手裏剣だった。

影が、吼える。
威嚇の色を強く打ち出したその咆哮にも、しかし夕霧たちは表情一つ変えない。
倒れた前列の同胞の遺骸を踏みしだいて、その穴を埋めるように新たな夕霧が現れる。
膨大な数の夕霧が、小さな影を十重二十重に取り囲んでいた。

光線が、影を掠める。
影は身を捩って光線をかわすと、再び手裏剣を投げる。
幾人かの夕霧が倒れ、それに倍する数の光線が影に向かって飛んだ。
影の小さな身体のそこかしこから、嫌な臭いのする煙が上がっていた。
ほとんど狙い撃ちにされながらも、影はその場を動こうとしない。

影の足元からも、煙が上がっていた。
襤褸雑巾のような様相のそれには、よく見れば手足がついていた。
黒焦げになった、それは人間の遺体だった。
影はその傍に立ち、そうしてそこから動かない。

己が身を厭うこともなく、影は遺骸に寄り添うように立っていた。
光線が影を灼き、咆哮が上がる。


******


目も眩まんばかりの光芒の嵐の中で、伊吹風子は思い出していた。
心に刻まれた、最後の命令。そしてそれと相反する、自分の使命を。


化け物、と主は言った。
踵を返して走り去るその背を、風子は無言で見守っていた。
主の厳しい顔は少しだけ悲しかったが、心の中で自身の使命を繰り返し唱えて、その姿を追う。
主の身を守る、それだけが風子の果たすべき使命であり、存在の意味だった。

周囲に嫌な気配が漂っているのはわかっていた。
何度もそれを警告しようとしたが、主は決して耳を傾けようとはしなかった。
ただ、悲鳴のような声を上げて、走り去るだけだった。
獣の身体が、少し恨めしかった。
喉を鳴らす。遠雷のような音が、木々の合間に木霊した。
主がまた声を上げて、足を速めた。


程なくして、主は嫌な気配に取り囲まれていた。
敵だと直感した。主の前に飛び出す。

 ―――風子、参上。

声は言葉の体をなさず、獣の咆哮が朗々と響いた。
爪と牙、そして海星の刃が、敵を断ち割り、噛み裂き、押し潰した。
今ならばまだ囲みを抜けられると、主のほうを振り向く。

主は、その場に座り込んでいた。
その身に何かあったのかと、慌てて駆け寄る。
主が奇妙な声を漏らして後ずさりした。
寄るだけ、逃げられた。
主の奇態は心配だったが、今は囲みを抜けるのが先だと考える。
逃げるより早く駆け寄って、身体を擦り付ける。
背に乗れと、そう訴えた。
身体は主の方が大きかったが、その程度なら乗せて走ることは造作もなかった。

主が、金切り声を上げた。
見れば、身体を擦り付けたところの服が、赤く染まっていた。
返り血がこびり付いていたのだった。
主の服を汚した非礼に怒っているのだと、そう思って身を縮めた。
許しを請うように、主の足元に頭を垂れて、詫びる。
主が、叫んでいた。

来るな。
近づくな。
化け物、化け物、化け物。
来るな、来るな、近づくな。その顔を近づけるな、化け物。
いなくなってしまえ。消えろ。消えろ、化け物。

そう、叫んでいた。
主命が、風子を拘束する。
それは身を引き裂かれるような、命令だった。
敵の新手は、すぐ傍まで迫っていた。
今、主を残して去れば、その身が無事であるとは思えなかった。
主を守るという使命と、去れという主命が、風子を責め苛んだ。

許しを請うた。
消えろと、言葉が返された。

絶対の主命が、強制の力をもって風子の身体を突き動かす。
心中の抵抗が、徐々に押し返されていく。
そしてついには、主から遠ざかっていくように、足が動き出した。

幾度も振り返り、主を見た。
厳しい視線が、風子を貫いていた。


主が新たな敵に遭遇し、逃げ惑い、その身を焼かれて倒れるのを、風子は遠くからじっと見ていた。
主が血を流し、苦痛に呻くたび、風子は己が抉られるような痛みを覚えていた。
最後に何事かを呟いて、主は事切れていた。

それを見届けてから、風子はゆっくりと歩き出した。
主命は、いまやその強制力を失っていた。
ならば、残された使命こそが、風子の在り続ける唯一の意味だった。
主を踏み躙らんとする敵から、その身を守るのが、伊吹風子だった。

静かに主の傍らに跪き、酷い火傷の痕が走るその顔を、舐め上げた。
小さく主の名を呼んで、身を起こす。
周囲の敵を一瞥した。

主の墓所に踏み入らんとする愚かな敵に向けて、手にした海星を投擲する。
幾つもの首が、刎ねられて転がった。
戻ってくる海星を、片手で受け止めた。
大きく息を吸う。

 ―――風子、参上。

天に届けと、地に轟けと、名乗った。


******


神塚山麓北側、山道から外れた林。
踏み入る者とてない木々の合間に、小さな影があった。

小さな二つの影は、木洩れ日の中、寄り添うように倒れている。




 【時間:2日目午前11時前】
 【場所:E−5】

伊吹風子
 【所持品:彫りかけのヒトデ】
 【状態:死亡】

岡崎朋也
 【状態:死亡】

砧夕霧
 【残り26765(到達0)】
 【状態:進軍中】
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