思うさま叩きつけた拳にこびり付いた血と鼻汁を、次の一人の腹に正拳を捻じ込むことで拭き取る。 「―――二百と、十八」 淡々とした声。 身体をくの字に曲げた眼鏡の少女、砧夕霧の無防備な首筋に肘を落としながら、松原葵はカウントを一つ増やす。 腕を折ろうと膝を砕こうと蠢き続ける夕霧に対して、葵が見出した最も簡易な対処法は、頚骨を砕くことであった。 延髄を破壊してしまえば、さしもの夕霧も生命活動を止める。 頭蓋を砕くよりも、頸を折る方が早かった。 葵が歩を進める。 身を沈め、右の脚を鞭のようにしならせて繰り出す。 相手の足を刈るような水面蹴り。 重心を強引にずらされ、夕霧が綺麗に横転する。 倒れた夕霧を、何の感情も浮かべない瞳で見下ろして、葵は足を踏み出した。 震脚。何気ない動作に全体重を乗せたその踏み込みに、夕霧の喉がひとたまりもなく弾けた。 けく、と空気の抜ける音を残して、夕霧が息絶える。 「二百十九」 呼吸すら乱さず、葵が次の夕霧を殺すために視線を動かした。 その先には、にたにたと笑みを浮かべた夕霧がいる。 空虚な笑みを、その命ごと破壊するために、葵が拳を振るった。 瑠璃子と呼ばれた女の足取りを追うのは、容易かった。 葵の行く先には、常にどこからともなく砧夕霧が現れていた。 それが瑠璃子の差し金であることは疑いようがなかった。 何となれば、葵の前に姿を見せた夕霧は、一様に同じ表情を浮かべていたのである。 どろりと濁った瞳に、張り付いたような中身のない笑み。 見紛いようもない、瑠璃子と呼ばれていた女の浮かべていたものと寸分違わぬ表情だった。 まるで葵を誘うように、夕霧は現れた。 そのすべてを殺し、砕き、壊しながら、葵は歩き続けていた。 拳に死を纏う、それは道行きであった。 松原葵は死ぬべきだと、葵は思っている。 悪に敗れた拳に、存在意義などありはしなかった。 暴力に屈した強さなど、辱められ、絶望の中で死ぬべきだと、そう思う。 瑠璃子と呼ばれた女は、葵を辱め、そして去った。 ならば、あとは絶望の中で死ぬことだけが、葵に残された道だった。 それが、松原葵の奉じる強さの末路であるべきだった。 だが、葵は生きている。 殺されず、生き恥を晒している。 ならば自らの手で死のうと思い、そして果たせなかった。 恐怖ゆえにではない。未練ゆえにでは、断じてない。 ただ、足りなかった。 己を埋め尽くし、塗り潰すだけの絶望が。 見上げた空には一片の希望もなかったが、絶望もありはしなかった。 虚ろな灰色の空が、ひどく近く思えて、手を伸ばした。 何一つ、掴めなかった。 死ねなかった。 絶望もなく、悲嘆もなく、身を切るような悔恨もなく、こんなに虚ろなままでは死ねないと、 死んではいけないと、思った、 もっと、もっともっと、絶叫と涙に塗れて、あらゆる後悔に苛まれながら、死ぬべきだと思った。 だから、瑠璃子と同じ表情の少女たちが現れたとき、葵は微笑みすらしたものだ。 これが慈悲かと、目にはうっすらと感謝の涙を浮かべながら、最初の一人を殺した。 道は、続いていた。絶望という救済へ続く道を、瑠璃子は残しておいてくれたのだ。 終末は、完成された死だった。 己が命を弄びながら、松原葵は夕霧を殺していった。 眼前が、開けていた。 鎌石小中学校。傍らのプレートには、そう刻まれていた。 門をくぐれば、そこは校舎に囲まれた中庭のようだった。 中央には噴水が配され、休み時間ともなれば学徒たちの憩いの場となるのだろう。 だが、今そこに立っているのは前途洋々たる子供たちではなかった。 虚ろな笑みを浮かべたまま、中庭を埋め尽くしていたのは、砧夕霧の大軍勢である。 それを見やって、嬉しそうに笑うと、松原葵はそっと呟いた。 「―――殺してもらいに、来ました」 瞬間、すべての砧夕霧が、葵に目掛けて殺到していた。 葵もまた、応えるように、拳を固めて走り出した。 殺意なき殺戮が、始まった。 【時間:2日目午前10時30分過ぎ】 【場所:D−6 鎌石小中学校・校門】 松原葵 【持ち物:支給品一式】 【状態:空虚】 砧夕霧 【残り27328(到達0)】 【状態:電波】 - BACK