狂気の果てに




静寂に包まれた夜の村を二人の少女達が走る。
前方を往く、つまり追われる立場にある宮沢有紀寧は、聞き耳を立てながら逃亡を続けていた。
自分の後を追う足音はただ一つ、柏木初音のものだけだ。
他の三人――藤井という男とその仲間達は、撤退したと考えて間違いないだろう。
それならば後は初音を殺害すれば、自分に降りかかる火の粉は全て払った事になる。
だが有紀寧は敢えてそれをしなかった。勿論初音に情けを掛けようなどとしている訳では無い。
ただ単に銃弾を温存したかっただけだ。コルトバイソンの銃弾は残り二つ、これ以上の消費は極力避けたかった。
包丁を用いて迎え撃つという手もあるが、接近戦などという危険過ぎる真似を行うのは馬鹿らしい。
となると残る選択肢は一つ、逃げの一手だ。自分は体力がある方ではないが、初音は大怪我を負っている。
このまま走り続ければ、程なくして振り切れるだろう。
初音は決死の覚悟で追ってきているようだが、こちらの知った事ではない。わざわざ決戦に応じるなど単細胞のする事だ。
放っておけばいずれ野垂れ死ぬであろう愚物相手に、貴重な弾丸を使う価値は欠片も無い。
そう考えて、有紀寧は走り続けていたのだが――
「はっ……はっ……はぁっ……」
大きく乱れる吐息、痛みを断続的に伝える事で肺が限界を訴える。
ノートパソコンやコルトバイソンはこの島で生き抜くに当たって大きな武器となるが、今はその重量が恨めしい。
(――しつこいですね……)
ほぼ無傷の自分がこんなにも一生懸命走っているのに、初音の気配は一向に遠ざかる気配を見せなかった。
終わりの見えぬ追走劇の末、有紀寧の体力は限界に達しつつあった。
有紀寧の誤算はたった一つ、初音に流れる鬼の血による力をまるで理解していなかった事だ。
初音も鬼の端くれ――片腕に致命的な損傷を受けている状態であろうとも、有紀寧程度の身体能力で引き離せる相手では無い。
とうとう観念した有紀寧が突発的に足を止め、振り向きざまに背後へとコルトバイソンの銃口を向ける。

「――――!」
銃口を向けられ、初音もすぐに勢いのついていた体を押し留め、その場に静止する。
無理をして激しい運動を続けた所為で、左肘から先は言い訳程度にぶら下がっているだけであり、少し力を加えれば千切れそうな状態だ。
有紀寧は乱れる呼吸をゆっくりと整え、それから忌々しげに言葉を吐き捨てた。
「いい加減にして下さい……貴女のその傷ではすぐに治療をしなければ命に関わるでしょう。そこまでして早死にしたいんですか?」
「言った筈だよ。全てを失った私は止まらないって」
「……勝てると思っているんですか? その身体で銃弾を躱しながら距離を詰めれるとはとても思えません。
 貴女を殺すのは簡単ですが、私としては無駄に弾丸を消費したくないんですよ。ここは退いて頂けませんか?」
有紀寧は威嚇するように軽く銃口を上下させ、極めて冷淡な口調で言った。
すると初音は多くの血を失い青白くなっている唇を歪め、薄ら笑いを浮かべてみせた。
「そっか、有紀寧お姉ちゃんはここで弾を使いたくないんだね。だったら私がここで殺されちゃっても、少しは意味があるって事になるね?」
「……正気ですか?」
たった一発の弾丸を失わせる事と引き換えに、初音は己が命を散らそうとしている。
立っているのも辛い筈なのに未だに鋸を握り締めているその姿が、彼女の決意の固さをどんな言葉よりも雄弁に物語っていた。

(さて――こうなった以上は確実に、一発で仕留めなければなりませんね)
強力な切り札であるコルトバイソンを使用する以上、銃弾の消費は一発で抑えたい。
一発目を外して二発目を使わざるを得なくなれば、初音を倒したとしてもこれから先の戦いが大きく不利になるだろう。
最悪の場合、二発共回避されて手痛い一撃を受けてしまう可能性すらもある。
ならばどうするか――
有紀寧は小さく溜息をついて、それからゆっくりと口を開いた。
「仕方ありません、ここで雌雄を決する事にしましょう。ですが一つだけ、貴方を殺す前にお教えしておきたい事があります」
「…………?」
有紀寧の顔に、微かに笑みが浮かび上がる。
良く言えば悪戯をする前の子供のような、悪く言えば計画を着々と進めている犯罪者のような、押し殺した笑みだった。
「――長瀬さんは、第三回放送の後に死にました。私がちゃんと殺しておきましたよ」
「……有紀寧お姉ちゃん、それは本当なの?」
初音の瞳に宿った明らかな動揺の色を見て、有紀寧は作戦の成功を確信した。
それから初音と出会ったばかりの頃の、優しい笑みを形作りながら言葉を繋いでゆく。
「あの人には苦渋を嘗めさせられた恨みもありますので、たっぷりと苦しめてから止めを刺してあげました。
 長瀬さんは最後まで――貴方を、馬鹿みたいに心配していましたよ。それなのに貴女はここで犬死にするんですから、あまりにも報われませんね?」
「祐介……おにい……ちゃん……うわあああああああああああっ!!」
初音が動物のような叫び声を上げながら一直線に向かってくる――そう、銃口の先から逃れる事すら忘れて。
人間とは錯乱してしまえば、ごく簡単な判断すらも誤るようになるのだ。
初音の精神を乱す方法は簡単、彼女にとって最早一番大切な存在となったであろう、長瀬祐介を用いて話を捏造すればよい。
「さようなら初音さん。貴女は十分に役立ってくれました」
初音はもう眼前に迫っている。有紀寧は引き金にかけた指に、静かに力を加えた。
 
   *     *     *

「この音は……!」
夜の静寂を切り裂いて響き渡る銃声は、長瀬祐介の耳にも届いていた。
それは聞き覚えのある銃声――宮沢有紀寧が藤林椋の命を奪った時に聞いた、殺戮の鐘だった。
銃に詳しくない祐介でも聞き分けられるくらい、その音は近くから聞こえてきた。
有紀寧が銃弾を無駄に使用する愚を犯すなどありえない……戦闘が行われていると考えるのが妥当だろう。
勿論有紀寧が初音と戦っているとは限らない、例えばゲームに乗った者と殺し合いっている可能性もある。
だが何故か確信が持てた。今有紀寧と戦っているのは初音で……戦いは既に始まってしまっていると。
「初音ちゃん……お願いだ、無事でいてくれっ!」
民家の密集地帯を抜け、街道を越え、ひたすら音の出所を目指して駆け抜ける。
初音を探し始めてから二時間以上も走り続けた祐介の体力は、とうに限界を超えていた。
もうどれだけ走ったかも分からないし、戦いの現場に辿り着いた所で何が出来るかも分からない。
それでも走った。形振り構わず全力で、祐介は走り続けた。
やがて祐介の瞳に、闇夜の中に一つのシルエットが伸びているのが映った。
僅かな月の光に助けられ、その影の正体が何であるかはすぐに見て取れた。
「有紀寧っ……!」
祐介は足を止めて、冷笑を携えた人影――宮沢有紀寧を睨みつける。
数多の人間の命を踏み躙った絶対悪。祐介にとって有紀寧は、もう主催者以上に憎むべき対象となっていた。
殺人を重ねてきた少女が放つ、言葉では表せぬ身の毛もよだつ迫力。自分如きが敵う相手とは思えぬが、それでも祐介は有紀寧から目を逸らさない。
有紀寧は自身に向けられた殺意の眼差しを、余裕の表情で受け流す。
「ふふ、一足遅かったですね。もう――終わりましたよ」
「終わった、だって……?」
「ええ、そちらをご覧下さい」
有紀寧が指差した方向を追って、祐介が首を動かした。呼吸が止まるような思いだった。

空を覆う雲の間より漏れる月明かりに照らされた、冷たい地面の上。そこに形成された円状の、紅い水溜り。
その中央部に大きなゴミ袋か何かみたいなものが転がっていた。
祐介はその物体が何かを確認しようと少し足を進めて、そして自分の中の世界が崩れてゆくのを感じた。
「う……あ……初音ちゃあああああんっ!」
見間違えるはずも無い、祐介の探し人――初音がぐったりと土の上に倒れ伏せていた。
祐介が慌てて駆け寄り初音の身体を抱きかかえると、その胸から止め処も無く血が流れ落ちているのが見えた。
あの愛らしかった瞳は光を失い、どろりと濁っている。
儚げな白い肌は血で赤く染まり、胸の奥に赤黒い臓器が見え隠れしていた。
「うそ……だ……」
祐介が喉の奥から掠れた声を漏らした。
「初音ちゃん、分からないのかい? 僕だよ、祐介だよ。僕は初音ちゃんを助けにきたんだよ。
 あ、首輪の事なら心配いらないよ。どうにかなりそうなんだ」
初音の身体を支えながら、矢継ぎ早に言葉を続けてゆく。
「だからさ……、早く起きようよ。 やっと……やっと会えたんじゃないか。僕がずっと初音ちゃんを守る……から………、一緒に行こう」
だが、かつて祐介を優しく慰めてくれた少女の口からは、もう何の言葉も紡がれはしない。
「初音ちゃん……。お願いだから、目を開いてくれよーーーーーーっ!!」
数多くの悲劇を生み出した氷川村に、また一つ、悲痛な叫びが響き渡る。
視界がぐにゃりと歪んでいく。それでようやく祐介は、自分が涙を流しているのだと分かった。
続いて自分の意識すらも、段々と薄れてゆく。正常な思考能力は既に失われている。
どうしてこんな事になってしまったのか、祐介にはまるで分からなかった。
自分が死ぬのは、ある意味まだ許容出来る。強要された上での事とは言え、無実の人間を襲ったのだから。
だがこの子が……初音が何をした?彼女はとても心優しい女の子だった。
いつだって初音は自分よりも周りを第一に考え、その小さな身体で頑張ってきたのだ。
人に感謝されこそすれ、不当に命を奪われる謂れなど存在し得ない。
初音の人生は本当に尊い、何者であろうと奪ってはならないものだった。
それがただ一人の悪魔による身勝手な謀略で、完膚無きまでに踏み躙られてしまった。

後ろであの女の声がする。
「……憎いですか? 悔しいですか? 『祐介お兄ちゃん』」
初音の胸に顔を埋めていた祐介が、ゆらりと幽鬼のように立ち上がり、涙に塗れた瞳で有紀寧を捉えた。
「お前の所為だ。お前みたいな生きる価値も無い外道の所為で、初音ちゃんがっ……!!」
祐介の頬を伝う涙。初音の血が混じり薄い赤色に染まったそれは、まるで血の涙のようだった。
有紀寧はその赤い涙に対して、コルトバイソンの暗い銃口を向ける事で応えた。
「貴方如きに銃弾を使うのは本来なら避けたいのですが、窮鼠猫を噛むという諺もありますからね。念には念を押させて貰います」
体力を消耗しきった祐介では、銃弾を躱すなどという芸当は到底無理だ。
コルトバイソンに装填されている最後の銃弾は確実に祐介を貫き、彼の抱いている想いなど意にも介さず全てを終わらせるだろう。
しかし祐介は武器も持たずにすっと目を閉じて、頭の中で『あの日の事』を思い出していた。

   *     *     *

――月島拓也と対峙し、彼の毒電波によって精神を破壊されそうになったあの日。
自分はただ月島瑠璃子を救う事だけを願った。それを成す為のより強い力を願った。
その時に瑠璃子が教えてくれた、祐介の中に隠された最強の兵器。
もう二度と使う事が無い……憎しみと狂気の大半を失った自分では使える筈の無かったあの爆弾。
世界を燃やし尽くし、人という人を例外無くドロドロに溶かす最悪の狂気。
それは確かに、まだ自分の心の奥底に存在している。原型はとうの昔に完成させてある。
後はただ感情に――次から次へと溢れ出す、憎しみと狂気に身を任せるだけだ。
憎い憎い憎い憎い憎い憎いニクイニクイニクイニクイニクイ……!
全てが憎かった。宮沢有紀寧も、主催者も、初音にあんな仕打ちを与えたこの世界そのものも憎かった。
自分も憎かった。初音を守ると誓ったにも関わらず、結局何も出来なかった愚かな自分が。
みんな壊れてしまえばいい。瑠璃子も初音ももう死んでしまった。
初音を救えなかった自分に生きる資格など無いし、この世界にだって存在する価値など無い。
だってそうだろう?仮に首尾よく主催者を倒せたとしても、瑠璃子も初音も決して生き返りはしない。
彼女達が余りにも理不尽に命を奪われたのに、今この瞬間だって世界の至る所で人々は能天気に笑っているのだ。
そんなの、許せる筈も無い。こんなどうしようも無い世界など、壊れてしまえば良い。
初音や瑠璃子と同じように、みんな死んでしまえば良いのだ。
今自分の眼前には、一つの導火線がある。月島拓也と戦った時を遥かに凌駕する、圧倒的な爆弾の導火線だ。
誰かの為などと言う意識の混じっていない、純粋な破壊を願う狂気のスイッチだ。
祐介は一度だけ瑠璃子と初音の顔を思い出し――そして、全ての終わりを望んだ。

   *     *     *

「くっ……これは……!?」
目を開くと、銃を取り落とした有紀寧が、何が起こったのか全く分からないといった感じの顔をしていた。
当然だろう、電波による攻撃を受けた経験なんて無いに違いないから。
祐介が生成した巨大過ぎる毒電波は、制限を受けてなお宮沢有紀寧の身体の自由を完全に奪い去っていた。
だがその程度で済んだ事実に有紀寧は感謝せねばならない。
今の祐介の毒電波は、制限さえ無ければこの島に存在する全ての人間を壊し尽くす程のものだった。
突然頭の中に侵入され、意識がある状態で身体の自由を奪われる恐怖は、実際に体験した自分が良く知っている。
祐介はにやりと歪んだ笑みを浮かべ、それから口を開いた。
「やっとお前の心を犯す事が出来たよ。これが、僕の力――『毒電波』だ」
「……毒……電波……?」
「そうだ。人の脳に侵入して、自分の思い通りに相手を操れる史上最悪の力さ。
 制限されていたから今の今まで殆ど使えなかったけど……お前のおかげで多少は使えるようになったよ」
有紀寧が否定しようと口を動かそうとした瞬間、祐介は電波の力を強めてそれを遮った。
「分かる……分かるよ。『何を馬鹿な……そんなの力が存在する訳無い』って言おうとしたんだよな。
 でも実際にお前の身体は動かない。それが僕の言葉が真実である、何よりの証明だろ?」
かつて自分がされたように嘲笑うような口調で告げると、有紀寧の顔が見る見るうちに絶望の色に染まっていった。
少し前まではまるで勝てる気のしなかった悪魔が、今はとても矮小な存在に思えた。

祐介は鞄の中から金属バットを取り出すと、有紀寧の身体を操って転倒させ――そして敢えて、電波の力を少し緩めた。
恐怖に歪んだ顔でこちらに視線を送る有紀寧に、弾んだ声で話し掛ける。
「僕はお前の言うように『お人好し』だからね、少し電波を弱めてあげたよ。これ以上は力を強めないから、逃げたきゃ逃げてみろよ」
「…………っ!」
有紀寧は体を動かして立ち上がろうとしたが、すぐにバランスを崩して転んでしまう。
ばっと顔を上げると、バットを持った祐介がゆっくりと自分の方へ近付いてきていた。
「ほらほら、早く逃げないとお前の頭を砕いちゃうぞ? それとも得意の悪巧みで何とかするつもりか?」
粘りっこく纏わりつくような、そんな重い声が有紀寧の耳に届く。
説得は無意味――祐介はどんな言葉を掛けられようも、決して止まりはしないだろう。
「――ぁ、うぁ……」
有紀寧は迫り来る恐怖から逃れる為に手足をバタバタと動かして、必死に地面を這った。
顔が地面と擦れ合い、口の中に苦い土の味が広がってゆく。
――時間など与えず即座に祐介を殺していればこんな事態にはならなかった。
有紀寧の心は、強い後悔と途方も無い恐怖で覆い尽くされていた。
「いいザマだな。その調子で芋虫みたいに這って、僕を楽しませてくれよ」
背後から何か声が掛けられたが、もう聞こえはしなかった。
死んだらどうなってしまうのだろうか。死後の世界?……馬鹿らしい、そんなものある訳が無い。
全ての人間は命を失えば等しく、蛋白質の塊となってしまうだけだ。
死は人間にとって完全な終幕――身内を失った経験のある有紀寧は誰よりもそれを理解しており、だからこそ死を異常に恐れていた。
(嫌……嫌だ……私はまだ……死にたくないっ……!)
有紀寧が涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、不恰好な匍匐前進を続ける。
程なくして、そんな彼女の脇腹を強烈な衝撃が襲った。
呻き声を上げる暇すらなく、有紀寧はその衝撃に吹き飛ばされて仰向けに倒れた。
空を仰ぐ有紀寧の視界に足を振り上げた祐介の姿が映り、それで自分は蹴り飛ばされたのだという事が分かった。

「がはっ……げふっ……」
「僕なんて『如き』で表現出来るような小物なんだろ? 早く宮沢有紀寧様の大物な所を見せてくれよ。
 沢山の人をゴミみたいに扱ってきたお前ならそれくらい簡単だろ?」
痛み苦しんで、もがく有紀寧の腹を無造作に蹴り上げる。
「あぁ、うあああっ!」
有紀寧の口から次々と漏れる苦悶の声は、祐介にとって何よりの快楽だった。
腹を蹴るのを止めると見せかけて、次は左腕を思い切り踏みつける。
「ひぐぅっ!」
祐介の足に肉を踏み潰す嫌な感触が伝わり、有紀寧が奇声を上げた。
祐介は最後に有紀寧の髪を乱暴に掴むと、大きく拳を振り上げた。
相手の意図に気付いた有紀寧が、必死の形相で許しを請う。
「や、やめ――」
「駄目だね。お前も初音ちゃんの苦しみを味わってみろよ」
全力で振るわれた拳が有紀寧の頬に突き刺さり、歯を数本叩き折っていた。
本来身体を吹き飛ばしていた筈だった衝撃は全て頭皮に吸収され、大量の髪が有紀寧の頭から千切れ落ちた。
「…………っっ!!」
口の中に血が溢れているので、悲鳴を上げて苦痛を紛らせる事すら叶わない。
血反吐を吐きながら苦しそうに咳き込む有紀寧を見て、祐介は満足げに哂った。
「さて……本当なら月島さんがやったみたいに陵辱してから殺したいけど……。僕はまだまだやる事があるからね。そろそろ死んで貰おうか」
有紀寧を痛めつけるのは、祐介にとって人生最大の愉悦だったが、まだまだ殺すべき敵は残っている。
何しろ自分は参加者を全て殺し、主催者も殺し、世界も壊さなければならないのだ。
祐介はその第一歩を踏み出すべく、地面に落ちていたコルトバイソンを拾い上げて、有紀寧の額に押し付けた。
「た……助けて……」
息も絶え絶えといった様子で、有紀寧が助命を懇願してくる。祐介はそれを、一笑に付した。
「あの優しい初音ちゃんに対して、お前は何をやった? 僕がお前を許す訳が無いだろう」
余りにも見苦しい命乞いに、祐介はほとほと呆れ果てていた。
この世界でこれ以上有紀寧が生命活動を続けるなど、到底許容出来ぬ。
祐介がコルトバイソンの撃鉄を上げた後、大きな銃声が夜の氷川村に反響した。

――銃声は祐介がコルトバイソンの引き金を絞る寸前に聞こえてきた。
それから一瞬遅れて、祐介は身体の数箇所に跳ねるような痛みを感じた。
コルトバイソンを取り落とし、地面にがくりと膝をつきながら横を見ると、金色の髪をなびかせた美しい白人女性が立っていた。
その女性の手にはコルトバイソンの数倍はあるであろう、大きな銃が握られていた。
あの銃から吐き出された銃弾が、自分の身体に、恐らくはもう助からない程の損傷を与えたのだ。
女性――リサ・ヴィクセンの手元にあるM4カービンが再び祐介に向けられる。
祐介はその銃口から逃れようとはせずに、自身に残された力を全て精神の集中に費やした。
腹の中で熱の感触が膨れ上がってゆく――気にしている暇など無い。
痛みにのたうち回るのも、初音の死体を弔うのも、死ぬのも、目の前の敵と有紀寧を屠った後で良い。
今は自分が持ちうる最強のカードを使用する事に全てを注ぎ込むんだ――!
「壊れろ……壊れろ……壊れてしまええええええっ!!」
一瞬で形勢された毒電波の塊を、リサに向かって乱暴に放出する。
回避も目視も不可能な電波の雪崩は一瞬でリサの身体を制圧するかのように思えたが、そうはいかなかった。
「く……あ……!?」
リサの身体を大きな脱力感が襲ったが――それ以上は何も起こらなかった。
「そ、そんな……こんな筈は……!」
再び電波の力を集めようとしたが、その前にリサの手元から強烈な閃光と轟音が放たれる。
祐介の胸から腹にかけて、複数の大きな風穴が開き、そこから血が噴き上げた。
上半身をくの字に折り曲げながら、祐介は思った。
時間が足りなかった――制限された環境下においては、一瞬で集めれる程度の電波くらいで敵の自由を奪えはしなかった。
朦朧とする意識の中で、しかし冷静に失敗の原因を分析した祐介は、再び電波のエネルギーを収集する。
もう身体の感覚は無いし、自分が呼吸をしているかさえ分からなかったが、問題無い。
最後の電波を生成する為に必要な、脳の機能さえ保てていれば十分だ。

イメージするのは世界の崩壊、身を任せるのは熱くねっとりとした殺戮の衝動。
罅割れる大地、猛り狂う空、灼熱地獄のような炎の中、逃げ惑う愚民共の姿。
妄想の世界の中では神である自分が描いた爆弾によって、民衆が次々と溶けてゆく。
彼らの悲鳴と懇願を無視しながら、自分は最後の爆弾を放つのだ。
――祐介がそこまで想像した時には、十分過ぎる程膨大な電波が集まっていた。
「ア……ア……アアアァァァァッ!」
今度こそ膨大な量の電波に飲み込まれ、リサの身体は完全に制御を失っていた。
もう祐介の筋肉はその機能を果たさなくなっているので、相手を停止させるだけでは意味が無い。
残された手段はたった一つ、リサの身体を操って有紀寧を殺した後に自害させるのだ。
だがそこまで考えた時、祐介は突然喉に異物が侵入してゆく感触を覚えた。
(…………ッ!?)
奇跡的にまだ機能を維持していた祐介の瞳に、包丁を構えた有紀寧の姿が映った。
その顔にはいつものような余裕の笑みは無く、戦慄に引き攣っていたが――ともかく自分は、負けたのだと分かった。
恨みを籠めた言葉の一つでも浴びせたかったが、切り裂かれた喉からはひゅうひゅうと、耳障りな音が発されるだけだった。
(初音……ちゃん……)
横を見ると、初音の見開かれた目が自分の方を向いている気がした。
(初音ちゃん、初音ちゃん、初音ちゃん……!ごめんよ……僕は……)
もう電波を生成する時間も余力も、自分には残されていない。
祐介が最後にイメージした世界は、自分と初音の、二人だけの世界。
その世界の初音は穏やかな、信じられないくらい穏やかな表情をしていた。
――僕は結局、最後まで何も出来なかった。ごめんね、初音ちゃん……。
――ううん、良いよ……気にしないで。
――でもっ……!
――あんな世界なんて、もうどうでも良いじゃない。それよりこっちの世界で、楽しくやろうよ。
――……そうだね。僕もあんな世界、どうなったって構いはしないよ。
――うん。それじゃ、行こっか?
差し出された初音の小さな手を取って――そこで、もう一度銃声が響き、彼の世界は終わった。

    *     *     *

「…………」
「…………」
宮沢有紀寧とリサ・ヴィクセンは無言のままに、祐介と初音の死体を眺め下ろしていた。
何処にそんな力が残っていたのか、祐介は地を這うように移動して、しっかりと初音の手を握り締めたまま息絶えていた。
そう、息絶えている筈だ。リサが放った銃弾は確かに祐介の後頭部を破壊し、疑いようも無く殺害せしめた筈なのだ。
それでも次の瞬間にはまた狂気の力を放ってくるような気がして、二人共何も言えなかった。
地面に横たわる少年の、何も映さぬ漆黒の瞳。それが何よりも恐ろしかった。




【時間:2日目19:45】
【場所:I−7】
リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式×2、M4カービン(残弾7、予備マガジン×3)、携帯電話(GPS付き)、ツールセット】
【状態:精神的に疲労、肉体的には軽度の疲労、マーダー、目標は優勝して願いを叶える。一路教会へ】

宮沢有紀寧
【所持品@:参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(2/6)】
【所持品A:ノートパソコン、包丁、ゴルフクラブ、支給品一式】
【状態:肉体精神共に疲労、前腕軽傷(治療済み)、腹にダメージ、歯を数本欠損、左上腕部骨折】

長瀬祐介
【所持品1:コルトバイソン(1/6)、100円ライター、折りたたみ傘、金属バット・ベネリM3(0/7)・支給品一式×2、包丁】
【所持品2:懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手】
【状態:死亡】

柏木初音
【所持品:鋸、支給品一式】
【状態:死亡】
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