舗装された道を、颯爽と駆け抜けて行く人影がふたつ。 それは鎌石村役場へと急ぐ、坂上智代と里村茜であった。 先立つ事十数分前、彼女らは偶然発見したロワちゃんねるに岡崎朋也と銘打たれた書きこみを見つけ、その真偽を確かめる為に走っているのだ。 二人分の吐息が断続的に吐き出される。ここまで一睡もしておらず喧嘩紛いの事までしているというのに、スタミナ切れという言葉を知らないが如く身体を動かし続けている。 仲間の為に、そして主催者に抗するために走る彼女らの姿は、まさしく月夜に照らされる戦士の姿だと言っても相違無い。 …作業着に身を包み、『安全第一』のヘルメットをかぶってさえいなければ。 「どうした茜、さっきから目をきょろきょろさせて。尾けられているのか?」 挙動不審気味な茜を心配に思ったのか、智代が小声で話しかける。茜は「いえ、そういうことではないのですが…」と、歯切れ悪く言って言葉を濁した。 「何だ、はっきり言え。少しでもおかしいと思うところがあったら警戒するに越した事はないんだからな」 言いたい事をずばずば言う茜にしては珍しく口を濁したので智代はさらに言葉を入れる。茜はしばらく反応しなかったが、一分くらい経ったところでようやく、「くだらない事ですけど…」と前振りをして言った。 「やっぱり、この服装はおかしい…というか、恥ずかしいのですが」 「…だから、もうそれは言うな。私だって恥ずかしいんだ…もしこれをあいつにでも見つかったら一生の不覚になるんだぞ」 あいつ、とは恐らく智代の友人の事(岡崎か、春原とかいう人のどちらかに違いない。口ぶりから判断して)だろうと茜は思った。 茜とて、折原浩平には見つかりたくない。格好のネタにされる気がする。 ここで弁明しておくが、彼女らは決して工場の作業員を馬鹿にしているわけではない。二人ともが、普段の姿とギャップがあり過ぎると思っているからだ。まだ二人は、花も恥らう乙女なのである。 「…だったら、作業着だけでも脱ぎませんか」 茜が提案するが、智代は首を振る。 「確かに恥ずかしいが…命には代えられないだろう」 その一言で、茜は沈黙せざるを得なかった。 そうだ、忘れてはいけない。これはたった一つの命というチップを賭けた史上最悪のゲームなのだ。 都合が悪くなったからといって、リセットは出来ないのだ。電源ボタンはあるけれどもそんなものを押す気は、茜にはさらさらない。 「それより、ここからはより一層の注意が必要だぞ」 智代が道の先を指差す。まだ暗くてよく見えないが、僅かに住宅街が見えてきたような気がする。 「ここから先は、どんな人間が隠れていてもおかしくない。細心の注意を払って進もう」 黙って茜は頷いた。一応武器は調達したとはいっても性能は銃器、爆発物には遠く及ばない。役場につくまでは派手な行動を起こさず慎重に進むことが肝心だ。 「私が前衛になる。茜、バックアップを頼むぞ」 また、黙って頷く。智代はそれを確認すると茜の前に立って、ゆっくりと走りから歩きにヘと転じる。茜もそれに倣って左右へと警戒を始めた。 村に入ると、まずは一番近くの民家の壁へと張りつき、回りの様子を窺う。どの民家も明かりはついておらずまるでゴーストタウンに迷い込んだかのような感触が二人を覆った。 だがそれに怖気づく事なく、慎重に状況を確認しゆっくりと先に進んでいく。 「明かりはどの家にも付いてませんね…敵を警戒するなら当然ですが」 「だな。何にしろ、無闇に街の真ん中を歩くことはないぞ。街中というのは狙撃されやすいからな」 「それにしても…」 「ん? 何だ?」 「智代、随分と手際がいいですね。サバゲーにでも参加したことがあるんですか?」 一瞬何の事か、と智代は思った。さばげー? 鯖? 海で何かするのだろうか。 「よく分からんが、漁に出た事は一度もないぞ」 「…生まれ持った素質だと思う事にします」 呆れるように茜がため息をついた。失礼な。人をランボーみたく言って、と智代は心中で憤慨する。 ともかく、二人は細心の注意を払いながら夜が明けるくらいの時刻に役場に到着することができたのだった。 既に内部に誰かがいるかもしれないとのことで警戒は崩さず、むしろより警戒しながら役場の扉を押す。 ギィ、と重厚な音が響き少しづつ日の光が入り始めた役場の光景が目に入る。 街中とは違う、紙と建築材の匂いがまず鼻を刺激し、続いて埃が風によってふわりと舞いあがるのが見える。ドアを閉めると埃がまた地面に舞い戻っていく。 「流石に、まだ誰もいないのでしょうか」 茜が耳元で智代に問い掛ける。極力気配を悟られるのを警戒して、だ。智代はまだ分からない、と首を振った。 前衛は智代、後衛は茜という基本スタイルは崩さず一歩一歩奥へ進んで行く。床に敷き詰められたリノリウムがミシ、ミシっと音を立てて軋む。 役所に所狭しと並べられた机には何かしらの本や書類が乱雑に並べられている。何か脱出の鍵になるものはないかと内容を確認してみるがやはりただの本や書類であった。 「やはりそう簡単にはあるわけないか…しかし、やたらと机が多いような気がしないか?」 部屋に所狭しと並べられている机のせいでまるで迷路のように通路が狭くなっている。誰かが隠れたりするには絶好の場所だ。必然的に、智代達の注意も足元へと向く。 「そうですね…それに、机の配置からして適当に並べただけというような感じもします」 茜が何気なく口にした言葉。それが智代の何かに引っかかる。この島に来た時から度々感じている違和感だ。だが、その違和感の正体について考えを巡らせるのは、今はやめた。 「奥にも部屋はあるみたいだな」 迷路のような通路を抜けると、奥にはさらに何部屋かあるようだった。恐らく、応接室や給湯室なのだろう。さらにその近くには階段も見えた。 「2階も探索するか?」 「そうしましょう。まだ予定の時間まではまだまだ余裕がありますし、この建物の構造を把握しておいて損はありません」 同感だ、と智代も頷きゆっくりと二人は2階へと足を進めた。 * * * 2階は1階以上に乱雑になっていて、古い机やその他備品などが言葉通り『放置』されていた。一応物置の体裁は保っているがとても清潔感があるとは言えない。 「汚いな…ロッカーも横倒しになってるぞ。まるで地震の後みたいだな」 棺桶のように床に寝かせられているロッカーを、軽く足でつつく。カンカンというロッカー特有の金属音が音の無い室内に響く。 「遮蔽物も多いですね…隠れる分には最適だとは思います」 ダンボールの山をかき分けながら茜が奥へと進む。 「だな…人が隠れててもまず気付かない」 智代は机や床の上にばら撒かれているプリントを拾う。ここにも何かヒントになるようなものは落ちていないかと思ったのだがやれ料理のレシピだの学校で扱っているような授業のプリントなどてんでヒントにもなりそうにないものばかりだった。 「物置じゃなくて、ゴミ捨て場だなこれは」 嘆息していると、部屋を一周してきた茜が戻ってきた。 「特に何もありませんでした。本当に誰もいないようですね」 「そうか、だったらここで『自称』岡崎を待つことになるんだが…ただ待つのもな」 壁に身を預けてうーむ、と悩む。それを見た茜は、「こんなのはどうでしょう」とあるアイデアを持ち出す。 「罠?」 「そう、罠です」 茜が持ち出したアイデアはこの役場に罠を仕掛けてやってきた人物を迎撃する、という内容だった。確かに自分達に有利な状況で戦えるというのは魅力的ではある。 「…だが、関係ないというか乗っていない奴が引っかかったらどうするんだ」 「そこはそれ。仕掛ける場所を限定するんです。例えば2階とか…つまり、戦闘になったらさっさと撤退して罠を使いながら迎撃するんです」 なるほど…と智代は感心する。武装の貧弱さは地の利でカバーする。戦闘にならなくても無駄にはならないだろう。用心に用心を重ねる事は悪い事ではない。 「しかし罠なんてどうやって作るんだ? 私は経験がないからさっぱり分からないが」 すると茜はどん、と胸を叩いて高らかに(全然似合わなかったが)言った。 「任せて下さい。とあるクラスメイトの馬鹿騒ぎをいつも見ているお陰で多少知識はあります」 「ぶえっくしょーい! うおお、何か噂をされてる気がするぞ」 「おい、鼻水垂れてるぞ折原」 話のタネになっていることを、浩平は知らない。 そして智代も知らない。有紀寧がやったものだとはいえ、その名前で書きこまれた張本人、岡崎朋也が既にこの世からいなくなっていることも。 【時間:2日目8:30】 【場所:C-3、鎌石村役場】 坂上智代 【持ち物:手斧、ペンチ数本、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】 【状態:作業着姿。罠の設置開始】 里村茜 【持ち物:フォーク、電動釘打ち機(15/15)、釘の予備(50本)、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】 【状態:作業着姿。罠の設置開始】 - BACK