その手が離れない




「……ん? 何だ、柳川さんにビビってんのか?」

浩之と名乗った少年が、柳川を凝視したまま言葉もない彰を見て言う。
苦笑して、傍らの巨躯を軽くひと撫でする浩之。

「ま、無理もねーか。凶悪なツラ構えだしな。
 けどな、見た目はこんなんだけど、頼りになる人なんだぜ?」
「人……? 何がヒトなもんか!」

浩之の言葉に、尻餅をついたままの彰が噛み付いた。
表情には紛れもない恐怖と怯えが浮かんでいる。

「そんな化け物を頼りにする……? どうかしてるんじゃないのか、君は……!」

叫ぶ彰の剣幕を浩之に対する攻撃と受け取ったものか、柳川が一歩を踏み出す。
悲鳴を上げて逃げようとする彰が、無言で立つ高槻のズボンの裾を見つけ、しがみついた。
その様子を見て、浩之と名乗った少年がため息をつく。

「……ああ、いいんだ柳川さん。……すまねえが、ちょっとだけ元の姿に戻れるか?」
「タカユキ……オレ、コワイカ……?」
「そうじゃねえって。ただ時間もねーし、さっさと話を進めたいんだよ」
「ワカッタ……」

ひび割れた声で言うや、柳川の身体に変化が現れていた。
漆黒の皮膚が見る見る人肌の色を取り戻し、背も縮んでいく。
生理的な恐怖を催させる鬼面もまた、肉食獣を思わせる牙が小さくなり、真紅の瞳が鳶色へと変わる。
突然の変化に声が出ない彰の目の前で、柳川と呼ばれた鬼が、見る間にその姿を変えていくのだった。

「ふぅ……。これでいいのか、貴ゆ……いや、藤田君」

数瞬の後、そこに立っていたのは、一人の理知的な顔立ちをした男であった。
鋭い眼光を隠すように、浩之から受け取った眼鏡をかける。
全裸であることを除けば、奇妙な点はどこにも見当たらない。

「浩之でいいって。昨夜、さんざん話し合っただろ。
 ……それよりあんたら、これで納得してくれるか?」

どこか悲しげな柳川の言葉をたしなめるように言った浩之が、彰に向き直る。
思考に整理がつかず、彰は言葉を紡げずにいた。
状況の変化に追いつこうと必死な彰だったが、どうしても脳が上手く働かない。
短時間の内に起こった様々な事柄が頭の片隅をよぎっては消えていく。

「……時間がねえ。手短に状況を説明するぜ」

彰の無言を肯定と捉えたか、浩之が口を開いた。

「さっきので分かったと思うが、俺たちは連中に包囲されてる。
 一人づつは大したことねーんだが、とにかく数が多すぎてキリがねえ。
 囲みを抜けてこの学校から出ないことにはジリ貧だ」

言いながら、床に小さな図を描き始める浩之。

「で、だ。この学校は、大きく分けて東西二つの棟に分かれてるらしい。
 東側が、俺たちの今いる中学校棟。で、西側が小学校棟だ」
「……それぞれ北東、北西を角にしたL字型の校舎が、北側で渡り廊下によって結ばれている。
 南側を残して校舎に囲まれた中庭があり、校舎の東西はグラウンドになっている。
 人口の割りには大仰な校舎だ」

冷静な口調で浩之の言葉を引き取ったのは柳川だった。
指の腹で眼鏡を押し上げると、図形を指して続ける。

「俺たちはヤツらに押されて中庭からここ、」

と言って東棟の南北に伸びる部分、その中央あたりを指差す。

「校長室に退避した。お前たちのいた保健室はそのすぐ南側にあたる」
「で、俺たちも色々と脱出経路ってやつを考えてたんだけどな……。
 出入り口はいくつかあるが、使えるのはほとんどねえ」
「まず西側の小学校棟はダメだ。完全にヤツらの巣になっている」

息の合った調子で交互に言葉を続ける浩之と柳川。
彰は口を挟む隙を与えられない。

「南側、正門も連中の大群がそっち側から押し寄せてきてて話にならねえ。
 東西のグラウンドを突っ切るのも難しい。開けた場所じゃ狙い撃ちにされるからな」
「……そこで、俺たちが狙うのはここだ」

柳川が指差したのは、東西二つのL字型が接触する場所だった。

「北側、職員玄関。渡り廊下の脇にある。
 ここを突破し、裏門から北へ抜けるのが最善と判断した」
「で、一階は窓から連中が入ってくるからな。
 この二階廊下を伝って職員玄関の真上まで辿り着こうってハラだ。……どうだ?」

と、浩之が唐突に彰へと言葉を振る。
問われた彰は一瞬、呆気に取られたような顔をしていたが、慌てて口を開いた。

「ちょ、ちょっと待ってよ。僕らにはまだ、何がなんだか……」
「あー……、いや、無理もねえが……」
「やめておけ、……浩之」

少しだけ照れたようにその名を口にした柳川が、すぐに表情を引き締めて彰の方を向いた。
冷徹とすら見える眼光に射竦められ、彰がたじろぐ。

「状況説明は以上だ。問いは一つ。我々と来るか、ここで果てるか、だ」
「おい柳川さん、そういう言い方は……」
「……」

たしなめる浩之をよそに、彰は熱で鈍った思考を必死に巡らせていた。
自身の置かれた環境、手持ちの戦力、眼前の異形。
結論は単純だった。

「……一緒に行くよ。僕たちだけじゃ、どうにもならないみたいだ」

座り込んだまま、言う。
彰に、選択肢はなかった。

「話が早くて助かるぜ。……よろしくな」

差し出された手は取らず、彰はふらつく足で立ち上がった。

「……二階にもさっきみたいなのが出たらどうするんだい?」
「出たら、つーか……現にうようよしてるけどな」

事も無げに言い放つ浩之に、彰の表情が曇る。

「心配いらねーよ。何度か戦りあって、コツは掴んでる」

ちらりと窓の方に目をやる浩之。

「あいつらの……ビームか? ありゃ太陽の光を集めて発射してるみたいだからな。
 屋根のある場所じゃ、思うように力を発揮できねーらしい」
「……屋外からの光線を中継する個体を、浩之の技で遠距離から潰していけば恐るるに足らん。
 廊下の直線上では射線も限定される。撃ち合いになれば俺が浩之の盾になれる」
「ニ、三発食らっても柳川さんの身体なら、あっという間に治っちまうからな。
 頼りにしてるぜ」
「ああ、任せろ」

不敵な笑みを浮かべて拳を打ち合わせる浩之と柳川。
その仕草がどこか癇に障る気がして、彰は二人から視線を逸らすと高槻に声をかける。

「ねえ、ずっと黙ってるけど……あんたはどうするの?」
「……俺は」

ぼそりと、高槻が呟いた。
ひどく湿った、聞き取りづらい声だった。

「俺は、彰と一緒だ。……どこまでだって」
「……そう」

ざわざわと、胸の奥に嫌な感触が広がる。
陰気な声だと、彰は内心で眉を顰めていた。
こんな喋り方をする男だったかと思い返そうとして、彰は自身の思考を中断する。
自分の中に高槻という男の像を結ぶことは、何故だか屈辱のような気がしていた。
悪心を振り払うように、彰はことさら何気ない風を装いながら浩之たちに話しかける。

「……で、ここから脱け出したらどうするつもり?
 僕たちは殺し合いの最中だったはずだけど」

言いながら、彰はちらりと柳川に目をやって考える。
記憶が確かなら、柳川祐也という名はターゲットに含まれていたはずだ。
なるほど、思い出してみれば放送で言っていた通りの化け物だった。
アイスピックでどうにかなるとも思えない。

「……んなこと、後で考えりゃいいだろ。今はここから出るのが先決だ」

困ったように、浩之が言う。
考えてもいなかったのかと、彰は内心で藤田浩之という少年に対する評価を一段下げる。
たしかに自分たちとは比べ物にならない強大な戦闘力を有しているが、案外と脇は甘いようだった。
上手く扱えば面白いことになるかもしれないと、彰がそこまで考えたとき、扉の外を窺っていた柳川が
張り詰めた声を上げた。

「―――どうやら、こちらに気づいたようだ。何体か向かってくるぞ」
「マジかよ……。おい、あんたら」

表情を引き締めた浩之が、彰たちを一瞥する。

「俺たちの後ろにくっついて離れるなよ。それと窓には不用意に近づくな」
「行くぞ、浩之―――!」

遮るような言葉と共に、柳川が再びその姿を変えていく。
見る間に異形の鬼と化した柳川と目配せすると、白い鎧を纏った浩之が扉を蹴り開ける。
一瞬の間を空けて、柳川が飛び出した。
途端、光の束が狭い廊下を奔る。
その数本を身体で受け止め、黒い煙を上げる柳川の背後から、浩之が火の鳥を飛ばす。
たちまちの内に、廊下は戦場となっていた。

「勝手なことばっかり言って……!」

舌打ちすると、彰が浩之を追って廊下に出ようと様子を窺う。
ほんの数瞬しか経っていないにもかかわらず、戦局は既に柳川たちの勝利に傾こうとしていた。
初撃を柳川が受け止め、浩之が的確に撃ち返す。
と見れば、浩之が炎の鳥を弾幕として展開し、稼いだ時間で柳川が傷を癒している。
見事に息の合ったコンビネーションだった。
瞬く間に、廊下の制圧が完了する。

「……今だ、出てこい!」

浩之の声に、彰が教室から足を踏み出す。高槻もまた、無言で続いた。
廊下は惨憺たる有様だった。
至るところに黒ずんだ焦痕があり、ムッとした熱気に包まれている。
そこかしこに倒れた少女たちの躯から、嫌な臭いのする煙が上がっていた。
眉を顰めながら走る彰。
と、前方の教室の扉を開けて、新たな少女たちが行く手を塞ぐ。

「数が多いな……!」

言いざま、浩之が傍らの扉を蹴り破る。
ちらりと中に目をやって、背後の彰たちに叫ぶ。

「流れ弾に当たると危ねえ、この中に隠れててくれ! ―――鳳翼天翔ッ!」

巨大な火の鳥が浩之の手の中から生み出され、飛んでいく。
前方の少女たちの何人かが、炎にまかれて隊列を乱した。
皮膚を焼け爛れさせながらも、絶叫を上げるでもなく、くるくると回転しては倒れていく少女たち。
眉筋一つ動かさずに次の火の鳥を撃ち出す浩之を、何かひどく気味の悪いもののように見ながら、
彰は教室に駆け込んだ。

「―――」

薄い壁一枚を隔てて戦闘は続いているが、ここはどこか別世界のような気がした。
ひんやりとした空気を胸一杯に吸い込んで、大きく吐き出す。
深呼吸をしたら世界がくらりと歪んで、彰は自身の体調不良を思い出した。

「勝手に殺しあえ、化け物ども……」

小さく呟いて、気づく。
傍らに、音もなく高槻が立っていた。

「なに突っ立ってるのさ、気持ち悪―――」

言葉が、止まった。
高槻がその手を伸ばして、彰の腕を掴んでいた。

「いたっ……痛いって! 何だよ、離せよ……!」

もがく彰。しかし高槻の手は離れない。
それどころか、ますます強い力で彰の腕を握り締めてくる。
痛みと困惑で半ば涙目になりながら、彰が拳を固めて高槻を叩く。
しかし非力な彰のこと、熱で弱っていることも相まって高槻はこ揺るぎもしない。
ただ無言のまま、腕を締め付けてくる。

「な……何なんだよ……っ!?」

続けて罵詈雑言を投げつけるべく息を吸い込んだ彰だったが、それが果たされることはなかった。
視線は、窓ガラスに釘付けにされていた。
それは、雲間が切れ始め、時折青空を覗かせる空を背景に、そこにいた。
まるでトカゲのようだ、と彰が心のどこかで思う。
手足をべったりと硝子に張りつけて、ぎょろぎょろとした目玉で周囲を窺う、醜い蜥蜴。
あまりに非現実的な光景に、脳が状況を把握することを拒んでいた。
眼鏡の少女が、逆さ吊りにされたような格好で、窓ガラスの向こう側からこちらを、覗いていた。

「―――ッ!」

上の階の窓から、何人かで手足を支えあって、ぶら下がっている。
理解した瞬間、高い音が教室内に響き渡った。
身を反らして勢いをつけた少女が、その広い額を窓ガラスに叩きつけたのである。
ガラスにヒビが入り、小さな穴が開いた。
眼鏡の向こう側で、ぎょろりと少女の目玉が動いた。
目が合った、と彰が慄いた瞬間、にたりと笑って、少女が彰の視界から消えた。

「落ち……た……?」

思わず一歩を踏み出そうとして、彰は悲鳴を上げることになる。
窓ガラスの向こう、上の階から、新たな少女がずるりとその身を現していた。
新たに降りてきた少女が、やはり身を反らす。

「やめ……、」

彰が叫ぶより早く、ガラスに開いた穴が大きくなった。
割れた破片を眼鏡の向こうの眼球に刺したまま、にたりと笑って少女が落ちる。

「あ……、ああ……」

絶句する。
高槻に掴まれたままの腕の痛みも忘れていた。
新たな少女がずるりと現れ、ガラスに額を叩きつけ、にたりと笑って落ちていく。
ずるり、ぱりん、にたり、……べしゃ。
ずるり、ぱりん、にたり、……べしゃ。

「もう……やめ……」

悪夢のような光景に、彰が弱々しく声を上げたとき。
何人目かの少女が、ついに血塗れのガラスを突き破ることに成功した。
ぐしゃり、じゃり、と、音がした。
少女が頭から教室の床に着地して、散らばったガラスの破片に額を擦りつける音だった。
少女が、ゆっくりと立ち上がる。
その顔は、やはり、にたりにたりと、笑っていた。

「ひ……ああ……」

顔を鮮血で真っ赤に染めて、少女が一歩、また一歩と近づいてくる。
後ずさりしようとして、彰が呆然と横を見た。
高槻の手が、がっしりと腕を掴んでいた。

「おい……何やってんだよ……、冗談だろ……?」

彰の震える声にも、高槻はぼんやりとした瞳で見返すだけだった。
手は、微動だにしない。
少女が、次の一歩を踏み出す。

「はな、離せよ……おい……!」

ぐいぐいと、高槻の指が食い込んでくる。
血塗れの少女が、ゆっくりと手を伸ばす。

「高槻……高槻さん、やめ、助け、」

高槻のどろりと濁った瞳が、彰の泣き顔を映していた。
少女の手が、彰の肩にかけられた。

「―――ッ!!」

か細いその手は、服越しにもひどく冷たかった。
少女の、にたりと笑う表情が、彰の視界を埋めつくす。
その額、小さなガラス片が刺さったままの、たらりと血を流す広い額が、ゆっくりと輝きを帯びていく。
高槻の手は、離れない。

「―――」

少女の額が、輝きを増した。
白一色に染まった視界の眩しさに、彰が思わず瞼を閉じた。
からからに渇いた喉からは、悲鳴も上がらなかった。
煮詰められた思考の中で、すべての言葉が空回りして、何一つ浮かばず、

「―――鳳翼天翔―――ッ!」

刹那、響く声があった。
彰が目を開けて見たのは、にたりにたりと笑ったまま爛れていく、少女の顔であった。
数瞬の後、少女は燃え尽きると、ゆっくりと倒れていった。

「……っ、……はぁ……っ」

汗が、全身から噴き出した。
呼吸もままならず、その場にへたり込む。
痛いほどに締め付けていたはずの高槻の手は、いつの間にか離れていた。

「おい、大丈夫かっ!?」

声の方に、涙で歪んだ視界を向ける。
白い鎧を纏った少年、浩之が心配そうな顔で覗き込んでいた。
その姿を目にした途端、彰は己の意識が途切れるのを感じていた。
黒く染まる意識の中で、にたりと笑う少女の顔が、何故だか高槻のどろりとした瞳に重なって見えた。




【時間:2日目午前10時30分過ぎ】
【場所:D−6 鎌石小中学校・2F教室】

七瀬彰
 【所持品:アイスピック】
 【状態:気絶・右腕化膿・発熱】

高槻
 【所持品:支給品一式】
 【状態:彰の騎士?】

藤田浩之
 【所持品:鳳凰星座の聖衣】
 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士】

柳川祐也
 【所持品:俺の大切なタカユキ】
 【状態:鬼(最後はどうか、幸せな記憶を)】

砧夕霧
 【残り28988(到達0)】
 【状態:進軍中】
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