白い部屋に、時計の音が響いていた。 破壊された壁から、風だけが吹き抜けていく。 床には白く濁った液体がこびりつき、無数の小物が散乱している。 破壊された壁と窓ガラスの破片も相まって、さながら廃墟のようだった。 七瀬彰はそんな部屋の中で、膝を抱えていた。 涙はもう、枯れ果てていた。 いまだに熱の引かない身体と、どろりと黒い感情を持て余しながら、ベッドの上でぼんやりと壁を見つめている。 がらりと扉を開けて高槻が戻ってきたのは、時計の長針が真下を向いた頃だった。 膝を抱えたまま、彰が目線だけを動かす。 相変わらず焦げたようなパーマ頭に、風采の上がらない顔立ち。 どこか濁った、死んだ魚のような瞳は自分の悪感情がそう見せるのか。 知らず、彰は口を開いていた。 「お前が……」 それは、しわがれた老婆のような声だった。 泣き疲れ、叫び疲れた果ての、醜い声。 そんな声しか出せない自分に余計に嫌気が差して、彰は刺々しく言い放つ。 「お前が遅いから、こんなことになったんだ」 指差すのは、芳野祐介のミイラのような死体。 そして、破壊されつくした室内だった。 全身からかき集めた憎悪と軽蔑を視線に込めて、彰は高槻を責める。 「僕を放って、どこ行ってたのさ」 悪意だけが、声に乗っていた。 「僕を愛してるとか、言ってたくせに。危ないときには姿も見せないで、何が愛してる、だ。 僕がどんな目に遭ったか、想像がつく? つくわけないさ、お前なんかに」 無言で立ち尽くす高槻の姿に、彰の苛立ちは加速する。 「何とか言ったらどうなのさ。言い訳してごらんよ。 どこで何をしてたら、愛してる僕を見捨てる理由になるのかは知らないけどね」 歪んだ笑みを浮かべて、彰は言葉を投げつける。 そんな彰を、どこか茫洋とした表情で見つめながら、高槻が小さく口を開いた。 「……すまん」 「―――何だよ、それ!」 短いその言葉に、彰が激昂した。 「お前、僕を馬鹿にしてるのか!? それで謝ったつもり!? この、……ふざけるなよ、お前!」 彰が、握り締めた拳で傍らの壁を叩いた。 鈍い音が室内に響いた。 「お前さあ……なんなんだよ、それ。 僕が……僕が、どんな気持ちでいたか、わかんないのかよ……!」 身勝手な言葉だった。 それが高槻に対する甘えであると、自分でも理解していた。 そんな自分が許せず、彰の憤りは出口を見失って彼自身を灼いていた。 「冗談じゃないよ……なんなんだよ……!」 あとは言葉にならなかった。 喘鳴と、小さな叫びとがない交ぜになって、彰の口から迸っていた。 細く、高い、それは絶叫だった。 「―――!?」 が、その絶叫が、唐突に止まった。 じっと彰を見つめていた高槻が突然、彰の腕を掴み、己の方へと引き寄せたのである。 「な……!」 何をするんだ、と言いかけた彰の声が、途切れた。 思わず息を呑んでいたのである。 少し遅れて、ガラン、と大きな音がした。 つい今しがたまで彰が座り込んでいたベッドが両断され、バランスを失って床に崩れた音であった。 ベッドの断面は、ぶすぶすと黒い煙を上げている。 高熱を伴う何かに焼き切られたのだと、彰の考えが及ぶのとほぼ同時。 「う……うわっ!」 高槻が、無言のまま彰を抱えあげていた。 途端、彰の足元から嫌な臭いが立ち込める。 「今の……光……?」 何か、光の帯のようなものが床を焼いたのを、彰はかろうじて目にしていた。 光条の飛んできた先、窓の外に目をやって、彰は悲鳴を上げた。 窓枠に、小さく細い指がかかっていた。 その向こう側にあったのは、ぎらぎらと光を反射して輝く眼鏡。 異様に広い額を持った、それは少女であった。 少女は、一人ではなかった。 いつの間に忍び寄っていたのだろうか。 窓の外、グラウンド一面に、まったく同じ顔をした無数の少女が群がっていたのである。 「ひ、ひゃああっ!?」 高槻に抱き上げられたまま、彰が暴れる。 不気味な少女たちから一歩でも遠ざかろうとする、本能的な動きだった。 だが高槻の腕は緩まない。がっちりと彰を抱え、離すことを拒んでいた。 「くそっ……降ろせよ、このっ! 僕を、僕を守れ……!」 矛盾する物言いにも表情を動かさず、高槻は彰を抱えて、開け放たれたままの扉から飛び出した。 がらんとした廊下に、次々と小さな音が響いていた。 それが、沢山の窓ガラスが割られる音だと気づいて、彰は必死に辺りを見回す。 左手、薄暗い廊下の先に、少しだけ明るい空間が見えた。昇降口のようだった。 「あっちだ、走れっ!」 指差した瞬間。 「―――そっちはダメだ! 戻れっ!」 聞き覚えのない声が、廊下に木霊した。 突然のことに戸惑う彰の視界に、小さな光が映った。 それは高槻の足が向かう先、昇降口からのものだった。 無数の眼鏡が煌いているのだと気づいたときには、遅かった。 「と、止まれ……っ!」 彰の切羽詰った声が、空しく響く。 長く延びる廊下の直線上、遮るものは何もなかった。 彰が、光線の餌食になるために飛び込んだようなものだったと悟った刹那。 「―――鳳翼天翔!」 背後から、凛とした声がした。 同時に、頭上を何かが飛び越していくのが見えた。 彰の視界を朱々と染め上げたそれは、 「炎の……鳥……!?」 廊下の幅いっぱいに広がったそれが、彰の前方、少女たちの群がる昇降口へと翔んでいく。 直後、炸裂した。 熱風が廊下を吹き抜け、遠く離れた彰の髪を揺らす。 「今だ、走れっ!」 背後からの声が、彰の意識を引き戻した。 「た、高槻! 後ろ、……引き返してっ!」 「……ああ」 彰の言葉に従うように、高槻が踵を返す。 どこか生気のないその動きにも、彰は気を払う余裕がない。 「こっちだ!」 見れば、保健室の向こう側。小さく開かれた扉から、手招きするものがあった。 罠を警戒することもなく、彰を抱えて高槻が飛び込む。 瞬間、扉が素早く閉ざされた。 彰がその小さな部屋に抱いた第一印象は、やけに薄暗いな、というものだった。 立てかけられた大きな旗と、頭上高く並ぶ何枚もの写真。どうやら校長室らしい。 陽射しが射しこむはずの窓が、ソファーやテーブル、棚といった機材で塞がれている。 まるでバリケードのようだった。 そしてまた、何よりこの部屋を特徴付けているのは、床一面に散乱した瓦礫の山と、 「天井が、崩れてる……?」 「ぶち抜いたんだよ」 その声に、彰が慌てて振り向く。 「……大丈夫か、あんたら」 彰たちを部屋に招き入れたと思しき者が、そこにいた。 険しい表情で扉の向こうを見やる、それは奇妙な鎧を身に纏った少年だった。 鎧下に学生服を着込んでいるらしいのが、ひどく違和感を醸し出している。 「君は……?」 「ま、話は後だ。とにかく、そいつに掴まってくれ」 言って顎で指し示したのは、天井の大穴から垂れ下がる一本のロープだった。 戸惑う彰を、鎧の少年は強引に促す。 「よし、いいぞ柳川さん。頼む」 困惑顔のまま、彰がロープを掴んだのを確認して、少年は階上に声をかける。 瞬間、彰の視界が猛烈な速度で流れた。 凄まじい力で二階へと引き上げられたのだと気づいたときには、彰はその身を投げ出されていた。 「痛ぅ……」 全身を床にしたたかに打ちつけ、顔を顰める彰。 乱暴な扱いに、文句の一つも言ってやろうと顔を上げた彰が、小さな悲鳴を上げた。 「ひ……っ!」 一階の校長室よりは幾分か広い間取りの部屋に、異形の影があった。 彰の悲鳴に、影がゆっくりと振り向く。 漆黒の肌に恐ろしい巨躯、真紅の爪とずらり並んだ乱杭歯。 見下ろすその瞳は、鮮血の赤に染まっていた。 それは、正しく伝承に伝えられる鬼、そのものの姿であった。 「ば……化け、物……!」 あまりに異様な光景に、満足に声も出せない。 尻餅をついたまま後ずさりする彰の背中が、何かに突き当たった。 「ひぁ……!」 涙目で見上げたそれは、鎧の少年であった。 いつの間に上がってきたのだろうか、階下にいたはずの少年が、震える彰を宥めるように口を開く。 「……ああ、大丈夫だ。柳川さんは敵じゃねえよ」 言いながら、鬼の腕を軽く叩く少年。 鬼が、ひどく心地良さそうに喉を鳴らし、眼を細めた。 まるで飼っている犬か猫をあやすかのような少年の姿に、彰がようやく声を絞り出す。 「き、君は、一体……」 「俺か? ……俺は藤田、藤田浩之だ。こっちは鬼の柳川さん。……あんたらは?」 浩之と名乗った少年は、奇妙な鎧を身に纏ったまま、そう問いかけた。 【時間:2日目午前10時30分過ぎ】 【場所:D−6 鎌石小中学校・2F】 七瀬彰 【所持品:アイスピック】 【状態:右腕化膿・発熱】 高槻 【所持品:支給品一式】 【状態:彰の騎士?】 藤田浩之 【所持品:鳳凰星座の聖衣】 【状態:鳳凰星座の青銅聖闘士】 柳川祐也 【所持品:俺の大切なタカユキ】 【状態:鬼(最後はどうか、幸せな記憶を)】 砧夕霧 【残り29218(到達0)】 【状態:進軍中】 - BACK