きょろきょろと辺りを見回しながら林の中を歩く、二人の青年がいた。 藤井冬弥と鳴海孝之である。 「な、なあ……やっぱり勝手なことしたらマズいって」 「だけど、このままじゃ余計にヤバいだろ」 二人は焦っていた。 オーラを放つ男―――芳野祐介との戦いから命からがら逃げ延びて以来、七瀬留美はずっと口を閉ざしたままだった。 むっつりと座り込む七瀬の醸し出す空気にいたたまれず、辺りを見回ってくるという建前で逃げてきた二人だが、 離れれば離れたで、嫌な想像が膨らむのを抑えきれないのだった。 「相当怒ってたからな……」 「そりゃま、そうだろうな……」 仲間を無為に失った。 その上、自分たちも殺される寸前で、またもや七瀬に助けられた。 「元はといえばあの子が言い出したことなんだけどな……」 「それ、面と向かって言い出せるか?」 「悪い冗談はやめてくれ」 「だな……」 顔を見合わせて、深々とため息をつく二人。 「だからこうして、歩き回ってるんじゃないか……」 「しかし、丁度いい相手といってもな……」 七瀬の怒りに対して、二人の出した結論は単純だった。 自分たちの不甲斐なさに七瀬留美は落胆し、あるいは憤慨している。 ならば、失望を吹き飛ばすだけの成果を見せてやればいい。 それはつまり、強敵に挑んで勝つということだ。 「強敵に勝つ……か」 「俺たちにできるのか……?」 「やるしかないだろ……。このままじゃ、教官に殺されかねん」 「いや、とにかく正々堂々と敵を迎え撃って、追っ払えればいいんだろ」 「まあ……な。この際、強敵じゃなくてもよしとするか」 「そうだな、とにかく誰かを追っ払えればそれでいい」 そうだそうだ、と頷きあう二人。 当初の目標が際限なく下方修正されていくが、気にも留めない。 よし頑張って褒めてもらうぞ、などと怪気炎を上げている。 「……ん? おい、あれ……」 「なんだ? ……お」 意気揚々と歩く二人が前方に人影を見つけたのは、そのときである。 つい先程の窮地も記憶に新しい二人、さすがに慎重に相手を見定めようと試みた。 「見た目……は、普通だな」 「高校生か……。わりとガタイはいいが……それだけっぽいな」 「それに見ろ、あの覇気の無さ」 「ああ、何があったか知らないが……すっかりしょげちまってるみたいだ」 「……よし」 顔を見合わせる。 チャンスだ、と互いの瞳が語っていた。 ****** 岡崎朋也はぼんやりと歩いていた。 長い時間を雨に打たれたその身は冷え切っていたが、省みることもなく歩き続けていた。 野晒しにされた藤林杏の無惨な骸が、脳裏をよぎる。 千切り取られた肉の赤さを思い出し、傍らの木に寄りかかって嘔吐する朋也。 もう、吐く物は残っていなかった。 涙だけが滲み出す。 行くあてなどなかった。 ただ、杏の遺骸から逃げ出したかった。それは、死の具現だった。 走り出し、すぐに息が切れた。 かつて運動部でならした体力は、すっかり失われていた。 苦笑しようとして、失敗した。 僅かに顔を歪めたまま、朋也はふらふらと歩き続ける。 雨は既にやんでいたが、頭蓋の内側にはいつまでも雨音が残響しているようだった。 だから、その目の前に二人の青年が現れたときも、朋也はぼんやりと目をやっただけだった。 何か喋っているようだったが、聞き取る気になれなかった。 人の声は、この世界に自分以外の誰かがいることを思い出させた。苦痛だった。 だから、聞かない。目の前にいるものも、生きている何かと、それだけの認識に留めた。 靄がかかったように、視界が書き換えられていく。 網膜に映った像が、朋也が見たいと望んだものへと塗り替えられていくのだった。 何か、鉛筆で塗り潰された落書のようなものが、ノイズを発している。 恐怖はなく、嫌悪もなく、ただ不快だった。 それが、岡崎朋也の見る世界のすべてだった。 だから、朋也は足を止めることもなく歩き続けることにした。 その果てにはきっと終わりがある。 嫌なことも、思い出したくないことも、見たくないものもない、ただの終わりがある。 そのことだけを胸に抱いて、朋也は足を進める。 ノイズを発するものに目掛けて、どこからか大きな星のようなものが飛んでも、朋也は目をやらなかった。 それは、終わることと関係ない。関係ないから、気にならない。朋也は歩く。 ノイズを発するものが一つ増えた。 関係ない。 一つ増えたノイズを発するものが、赤く染まった。 岡崎朋也が、足を止めた。 真っ赤なそれが、地面に倒れる。 じわりと、赤いものが拡がっていく。 岡崎朋也が、呼吸を止めた。 心臓の鼓動がうるさいほどに高鳴り、雨の残響を掻き消していく。 ノイズを発するものを赤く染めたのは、白い「何か」だった。 意識するなと、朋也の精神が警告を発していた。 見るな。聞くな。考えるな。思い出すな。 あれは、あってはいけないものだ。あんなものは、ないのだ。 白い虎など、いない。 ノイズを発するものを、人間を、鋭い爪で押さえ込み、剥き出した牙で食い殺す獣など、目の前にはいない。 獣などいない。直立する獣など存在しない。 全身に長い体毛を生やした人間などいない。 野獣の体に人の面影を宿すものなどいない。 ヒトの言葉を口にするような獣などいない。 「―――風子、参上」 そんな声など、聞こえない。 わからない。意味を理解しない。してはいけない。 杏は死んだ。 「う……ぅぁぁぁああああああああああああああああああああああ」 我知らず、声が漏れていた。 杏は食い殺された。知らない。 逃げなければ。逃げる理由などない。 そこにいる。そこにいるものなどない。 足は、止まらなかった。 何か恐ろしいものが、追いかけてきているのがわかった。 恐怖に涙を流しながら、悲鳴を迸らせながら。 岡崎朋也は、逃げ出した。 ****** 藤井冬弥と鳴海孝之は、困惑していた。 状況の激変に認識がついていかない。 鳩羽一樹が、突然現れた人面獣身の少女に食い殺された。 かと思えば標的たる少年はこの世のものとは思えぬ悲鳴を上げて逃げ去っていった。 そして少女もまた、それを追うように消えていた。 「……なんなんだよ……」 冬弥の呟きに、孝之が応える。 「さあな……。けど……」 「けど?」 「あいつ……女の子残して、逃げやがった……」 冬弥が、小さく眉をひそめる。 「あれ、女の子なのか……?」 「俺にはそう見えた」 「まあ、あいつを守ろうとしてたのは……確かだよな」 少年を庇うように立ちはだかった、獣少女の姿を思い起こす冬弥。 同時に、その姿を眼にするや絶叫して逃げ出した少年の姿が脳裏に浮かぶ。 「すげえ……カッコ悪かったな……」 「ああ……」 「けどさ」 「……何だよ」 「俺たちのやってきたこと、あいつとあんま変わんないよな……」 「……」 「……」 無言のまま、顔を見合わせる二人。 「……戻ろうか」 どちらからともなく、言い出していた。 ****** 「―――すんませんっした!」 大きな声が、梢を揺らした。 葉に溜まった水滴が陽の光を浴びてきらきらと輝いている。 「な、何よ突然……?」 戸惑う七瀬留美の前に、深々と頭を下げる冬弥と孝之の姿があった。 「俺たち、結構どうしようもない奴らだったな、って……」 「色々あって、思い知りました」 言葉を切って頭を上げると、冬弥は七瀬の瞳を真っ直ぐに見据える。 少し頬を染めてたじろぐ七瀬。 「え、いや、その……」 「もう一度、鍛え直してくれますか、俺たちのこと」 孝之も言葉を添える。 「いつか、教官に頼りにされるような男になりたいと思ってます。だから……」 「……」 二対の視線をしばらくじっと見つめ返していた七瀬だったが、やがて小さく咳払いをして口を開いた。 「―――これまで以上にビシビシいくわよ?」 その顔には、小さな笑みが浮かんでいた。 二人の返事が、同時に響く。 「はいっ!」 よろしい、と頷く七瀬。 だが次の瞬間、その表情は険しく引き締まっていた。 「……?」 突然のことに、また何か失態を犯したかと背筋を伸ばす二人。 しかし七瀬はそんな二人の様子には構うことなく、厳しい眼で周囲を見回していた。 「あの、どうし……」 冬弥の言葉を遮るように、七瀬が鋭い声を放つ。 「―――囲まれてるわ」 言い放った七瀬の視線の先で、木々の間からぎらぎらと光を放つ無数の眼鏡が、覗いていた。 【時間:2日目午前10時30分すぎ】 【場所:E−6】 七瀬留美 【所持品:P−90(残弾50)、支給品一式(食料少し消費)】 【状態:漢女】 藤井冬弥 【所持品:H&K PSG−1(残り4発。6倍スコープ付き)、 支給品一式(水1本損失、食料少し消費)、沢山のヘタレボール、 鳴海孝之さん 伊藤誠さん 鳩羽一樹くん(死亡)】 【状態:ヘタレ?】 岡崎朋也 【所持品:お誕生日セット(三角帽子)、支給品一式(水、食料少し消費)】 【状態:絶望・夜間の変態強姦魔の記憶は無し】 伊吹風子 【所持品:彫りかけのヒトデ】 【状態:ムティカパ妖魔】 砧夕霧 【残り29438(到達0)】 【状態:進軍中】 - BACK