罅割れた絆




無慈悲な第三回放送により、相沢祐一の死を知らされてから約二刻程。
長森瑞佳はあの手この手を尽くして、水瀬名雪を元気付けていた。
最初は錯乱状態に戻りかけていた名雪だったが、瑞佳の懸命な励ましを受けて、徐々に落ち着きを取り戻していった。
それもこれも、死んだと思っていた水瀬秋子が存命である事が分かったからだろう。
もし秋子まで死んでしまっていたら、瑞佳がどれだけ頑張ろうとも、名雪は二度と戻れぬ狂気の世界へと足を踏み入れていた筈であった。
「水瀬さん、そろそろ出発しよ。ふぁいと、だよっ」
「それ、私の口癖……」
まだ気持ちが沈んだままであった名雪だが、瑞佳に促されどうにか立ち上がる。
このまま茂みの中で座り込んでいても、秋子とは再会を果たせない。
『頑張りなさい、名雪! 私は絶対に貴女を見つけ出してあげるから……諦めちゃ駄目よっ!』
それは幻聴か――心の中で何度も繰り返される、母親からの叱咤激励。
未だ傷付いた身で自分を探し回ってくれているに違いない母親と、少しでも早く逢いたかった。
(お母さん、ありがとう……。私、頑張るからね……お母さんは……せめてお母さんだけは、無事でいてね……)



(やれやれ……全く世話が焼ける……)
二人の少女が立ち上がるのを見て、月島拓也もすくっと腰を起こす。
名雪の中に響いていた声。それは拓也が毒電波を用い、名雪の母親の声を模して聞かせたものだった。
制限されている毒電波でも、名雪の衰弱し切った精神に侵入する程度の芸当は出来る。
名雪の精神を垣間見た拓也は、彼女にとって一番大事な者の声を借りて励ましていたという訳である。
勿論……言うまでも無い事だが、名雪の為に電波を使ったのではない。
拓也としては名雪のような役立たずなど捨て置きたかったのだが、瑞佳がそれを許さないだろう。
今は比較的容態が落ち着いているものの、瑞佳が重傷である事に変わりは無い。
治療、そして食事が必要だ。穏便に、極力早く、鎌石村を目指さなければならなかった。
「よし瑞佳、おんぶしてやるぞ」
「うん、ありがとっ」
拓也はくるっ背を向け、瑞佳も大人しく彼に身を任せた。
出会って半日と経たぬ二人だったが、彼らの間には既に本当の兄妹のような信頼関係が芽生えつつあった。

拓也は瑞佳を背負いながら、茂みを後にし街道まで歩いてきた。その後ろを名雪が追従する形で、三人は鎌石村を目指す。
天を仰ぎ見ると、沢山の雲が上空を覆い尽くしつつあった。拓也は、雨が降り出したら厄介だな、と思った。
そんな矢先、瑞佳がぼそっと拓也に話し掛ける。
「お兄ちゃん、一つ不安があるんだけど……」
「どうした? 僕の事なら心配しないでいいぞ。こう見えても体力はあるんだ」
「そうじゃなくて、放送についてだよ。また大勢死んじゃったから、優勝を目指そうとする人が増えてくるかも……」
「……? すまん、言ってる事がよく理解出来ない。死人が増えたからって、なんでやる気に奴まで増えるんだ?」
拓也には瑞佳の危惧している内容が分からなかった。
死人が増えるという事は、それだけ多くの戦いが起きたという事。やる気になっている人間だって死んでいる筈である。
主催者を打倒するに当たって人手が減ったのは痛いが……少なくとも、主催者以外の敵は減ったのではないか。
だが拓也の疑問は、瑞佳の次の一言によって完全に払拭される。
「だって優勝したら何でも願いを叶えるって、主催者が言ってたでしょ? あの言葉を信じて、死んじゃった人間を生き返らせようって考える人も増えそうじゃない?」
「――は?」
寝耳に水といった諺がピッタリと当てはまる事態に、拓也の頭の中が真っ白になる。
「な、何だそれは……。主催者が何時そんな事を言ってたんだ?」
「二回目の放送の時だよ。お兄ちゃん、聞いてなかったの?」
「…………」
僅かの間、沈黙。そして次の瞬間には、拓也は瑞佳を抱えた手を離していた。
それまで拓也に身体を預けていた瑞佳は、反応する暇も無く地面に尻餅をついた。
「きゃっ! ……もう、どうしたの?」
突然の出来事に、事態がまるで把握出来ない瑞佳。そんな彼女の疑問に答えたのは――
「おにい……ちゃん……?」
瑞佳の眼前に突き付けられる物。それは闇夜の中悠然と輝く、八徳ナイフの刃だった。

「瑞佳……そんな大事な事はもっと早くに言ってくれなくちゃ駄目だろ? 僕は危うく、瑠璃子を生き返らせる機会を逸してしまう所だったじゃないか」
「何を言ってるの!? あんな出鱈目、信じたら駄目だよ!」
「出鱈目? ハハハ、瑞佳は主催者の力を知らないからそんな事が言えるんだよ。このゲームを運営してる奴らは、底知れない力を持っている……。
 人を生き返らせる事だって、本当にやってのけるかもしれないぞ」
瑞佳は詳しく知らぬ事だが――主催者は、異能による力の大半を封じてしまっている。
そのような化け物じみた離れ業をやってのける主催者なら、人間の蘇生すらも不可能とは言い切れない。
実際に力を制限されてしまっている拓也がそう考えるのも、仕方の無い話であった。
「止めてお兄ちゃんっ! 今なら許してあげるから!」
「許してくれなくていいよ。僕は君を殺して……偽りなんかじゃない、本当の妹を蘇らせるんだ」
「そんな……そんなのって……」
瑞佳は目の前の光景が信じられなかった。先程まであれだけ優しかった拓也が、今は自分を殺すと言っている。
確かに主催者の提案は魅力的なものだったが……本当である筈が無い。どうして?
どうして拓也はそんなに簡単に、主催者の話を信じてしまったのだ?
極度の恐怖と混乱で視界が半ば硬直してゆき、背筋を冷たい汗が伝い落ちてゆく。



しかし――拓也は怯えきった瑞佳の表情を見て、胸のどこかがズキンと痛む感覚を覚えた。
頭の中に浮かぶのは、瑞佳の可愛い笑顔、恥ずかしがって真っ赤になった顔、そして過去の拓也が置かれていた境遇を聞いた時の泣き顔。
短くも心温まる瑞佳との一時は、拓也にとって掛け替えのない思い出の一つとなっていた。
(く……迷うな! 瑠璃子を……瑠璃子を生き返らせるには、コイツも殺さなきゃいけないんだ!)
八徳ナイフを握った拓也の手が天高く翳される。それは浩平という想い人がありながら、拓也に運命を託した瑞佳への、裁きの鉄槌のようであった。
「……じゃあね、『妹』よ」
断罪すべく振り下ろされた鉄槌が、空気を切り裂いて奔る。瑞佳は死を覚悟し、ぐっと目を瞑った。
「ぐがぁっ!?」
ところが、拓也の八徳ナイフが振り切られる事は無かった。拓也は背中を押さえて、二、三歩、よろよろと後退する。
それから拓也はくるりと半回転して、自分を襲った衝撃の正体を確かめた。

「ぐっ……そうか……。君の存在をすっかり失念していたよ……」
瑞佳のすぐ傍に、名雪が肩を突き出す形で立っていた――つまり、拓也に体当たりを食らわせたのだ。
「水瀬さんっ!?」
「長森さん、駄目だよ。こんな人を説得しようたって無駄に決まってるんだから」
名雪は地面に落ちている大きめの石を拾い、強く握り締めて、それから言った。
「私はね、何度も殺し合いの現場に遭遇したんだよ。だから分かる……人殺しには、何を言ったって無駄なんだよ。
 殺さなきゃ殺される。だったら私は殺すよ。殺人鬼なんか殺して、それからお母さんを探しに行くっ!」
名雪の瞳に、強い憎しみの光が灯る。名雪はゲームに放り込まれて以来、ずっと『被害者』だった。
伊吹公子に肩を刺され、神尾晴子に人質として利用され、河野貴明に追い掛け回された。
そんな彼女の中に強く根付いたマーダーへの憎しみ――衰弱した彼女の精神では、芽を咲かせる事は無い筈だった。
だが皮肉な事にも、拓也が聞かせた秋子の声が、戦いに耐え得るだけの活力を名雪に与えていた。

だが、直ぐに畳み掛けなかったのは、名雪の失策だった。
非日常の世界を歩んできた拓也にとって、向けられる殺意の眼差しは逆に心地の良いものだった。
状況を把握して落ち着きを取り戻した拓也は、ナイフを構え直して、歪な笑みを浮かべた。
「自慢じゃないけど、僕は運動神経に自信がある方でね……。まずは君から壊してあげるよ」

     *     *     *


「名雪……何処にいるの…………!?」
娘を探して島の中を駆け回る一人の母親。それは水瀬秋子という名の女性だった。
放送で、また多くの人間が死んでしまった事が分かった。名雪の名前はその中に無かったが、もう一刻の猶予も無い。
残り人数が少なければ少なくなるほど、次の放送で名雪が呼ばれる可能性も高くなるだろう。
最後に見た名雪は錯乱しきっていた。あの状態で第三回放送まで生き延びていた事が、既に奇跡だ。
絶対に、何を犠牲にしてでも見つけ出して、そして守ってやらねばならない。
「つっ……」
腹部の傷に灼けつくような痛みが走る。服の上から傷口を押さえていたにも関わらず、手が真っ赤に染まっている。
定まらぬ視界、乱れる呼吸――国崎往人によって休息を取らされなければ、とっくに死んでしまっていただろう。
水瀬秋子は自分自身の命を削りながらも、確実に娘の下へと迫っていた。




【時間:2日目・19:10】
【場所:D−8街道】
月島拓也
 【持ち物1:八徳ナイフ、トカレフTT30の弾倉、支給品一式(食料及び水は空)】
 【持ち物2:トボウガンの矢一本、支給品一式(食料及び水は空)】
 【状態:背中に軽い痛み、マーダー(ただし瑞佳を殺す事には迷いがある)】
 【目的:まずは名雪を殺害、最終目標は優勝して瑠璃子を蘇らせる】
長森瑞佳
 【持ち物:なし】
 【状態:呆然、尻餅をついている。重傷、出血多量(止血済み)、一時的な回復】
 【目的:不明】
水瀬名雪
 【持ち物:大きめの石】
 【状態:やや精神不安定、マーダーへの強い憎悪】
 【目的:拓也を殺害後に秋子の捜索】

【時間:2日目・19:10】
【場所:D−8下部街道】
水瀬秋子
 【所持品:ジェリコ941(残弾10/14)、澪のスケッチブック、支給品一式】
 【状態:腹部重症(傷口は開いている)、出血大量、疲労大】
 【目的:何としてでも名雪を探し出して保護、マーダーには容赦しない】
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