「はぁ……、はぁっ……」 大きく呼吸を乱しながら、ちらりと後ろを振り向いて舌打ちしたのは長岡志保である。 「まだついてきてる……しつこいわねえ、もうっ!」 眼鏡の少女、砧夕霧の集団に包囲される前に離脱した志保だったが、しかし診療所へと向かう途上には 数は少ないものの、林道から溢れ出した夕霧が展開していたのだった。 濡れた下生えに革靴の足を取られながら、志保は逃走の一手に徹していた。 (これじゃ、いつまでたっても……!) 迂回と逃走を繰り返し、一向に診療所へと近づけないことに志保は苛立つ。 しかしすぐに首を振って、気を取り直した。 「……ううん、きっと美佐枝さんが来てくれる、よね」 一人残った相楽美佐枝の身を案じながら、走り続ける志保。 と、唐突に目の前が開けた。 「森を抜けた……の? ん、あれは……?」 雲間から射す陽射しに目を細めながら志保が見たのは、二人組の男の姿だった。 自分と同じように走っている。 参加者であることは間違いなかったが、得体の知れない殺人眼鏡少女軍団から逃げる志保にとっては、 それは救いの神にも思えた。 「おーい、おーい!」 両手を大きく振る志保。 向こうも気がついたらしい。手を振って走ってくる。 「ねえ、あんたたち! ちょっと助けてほし……って、え?」 志保が目を丸くする。 手を振りながら必死の形相で走ってくる男たちの背後に、キラリと光るものを見たのだった。 「おい、お前! 早く逃げないと危ないぞ!」 「ひぃぃっ(;゚皿゚)」 男たちは、砧夕霧の大集団から追われているようだった。 「う、嘘でしょー!?」 思わず足を止めてしまう志保。 見る見るうちに、男たちが迫ってくる。 「おいお前、何をボサッとして……うぉぉっ!?」 男たちの片割れ、目つきの悪い方を背後からの光線が掠める。 「何とかしてくださいよ国崎さん! って、ひいいっ!?(;゚皿゚)」 もう一人の、少し腹の出た頭の悪そうな少年を光線が直撃していた。 「きゃあ! ちょっと大丈夫!?」 大丈夫なはずがないのだが、志保はそう声をかけてしまう。 しかし国崎と呼ばれた男は撃たれた少年の方を見ようともせずに平然と答える。 「気にするな、そいつは大丈夫だ。おい春原、早く立て」 「ってそんなわけないじゃな……え?」 「メチャクチャ熱くて痛いんですけどねえっ!(;゚皿゚)」 金髪の頭をチリチリのアフロヘアーにしながら、春原と呼ばれた少年が立ち上がる。 思わず一歩引く志保。 「あ、あんた本当に人間……?」 「アンタ初対面の相手に失礼っすねえ!(;゚皿゚)」 「こいつの個性だ、気にするな。それよりお前、こんなところで突っ立ってると……」 言いかけた国崎の背後で、また光線が閃いた。 「くそっ、とにかく逃げるぞ!」 「……ってちょっと、そっちは!」 「―――うぉぉっ!?」 「ひいいっ!?(;゚皿゚)」 「言わんこっちゃない……!」 森に踏み入りかけて、今度は正面から迫る夕霧の群れを目にしてたたらを踏む男二人。 急いで引き返してくる。 「おい、どういうことだ!」 「あたしが聞きたいわよ! 自慢じゃないけどあたしだって逃げてきたんだから!」 「ホントに自慢じゃないっすねえ!」 「っさいわね! あんたたち男なんだから、なんとかしなさいよ!」 「無茶言うなっ!」 背中合わせになって言い合う三人。 既に退路は塞がれていた。 ぐるりと周りを取り囲む夕霧に目をやりながら、国崎が苦々しげに口を開く。 「完全に囲まれたか……」 「も、もしかして志保ちゃん大ピンチ?」 「もしかしなくても大ピンチだ。……こうなったら、春原を盾にして強行突破するか」 「アンタねえっ!(;゚皿゚)」 「……冗談だ」 「その微妙な間が気になるわね……」 「アンタら余裕っすね!」 じり、と包囲の輪を狭めてくる夕霧軍団。 「くそ、せめて武器があればな……お前、何か持ってないのか?」 「あ、あたし!? ……そういえばバッグの中、まだ見てなかった」 「いいから早く出せっ」 「そ、そんなこと言われても……」 必死にバッグを開けようとする志保だったが、手が震えてジッパーを開けることもままならない。 焦ったように国崎が叫ぶ。 「くそ、いいからそいつごと貸せっ!」 「うわ、国崎さん! あいつら撃ってきますよ!」 春原の声に、二人が同時に顔を上げる。 周囲に展開した夕霧の額が、淡い光を帯びていた。 斉射の兆候だった。 「くそっ……!」 「芽衣……今行くからな……」 「そんな……美佐枝さん、助けて……!」 周りを取り囲む光が、三者三様の絶望を明るく照らし出す。 「いや……嫌ぁぁぁぁっ―――!」 絶叫が、響いた。 ****** 「―――?」 志保は、そっと目を開けた。 痛みも衝撃も、来なかった。 「あたし……まだ、生きてる……?」 「―――動くな」 冷たい声が、頭の上からした。 見上げようとして、志保は自分が抱えられていることに気づく。 「え……あんた……?」 自分を抱えている腕が、国崎と呼ばれていた男のものだと分かってなお、志保は己の眼を疑っていた。 国崎の発する雰囲気が、先ほどまでと一変していたのである。 今の国崎は見る者の背筋を凍らせるような、ひどく鋭利な雰囲気を漂わせていた。 「動くな。任務の妨げになる」 短くそれだけを告げると、国崎は走り出した。 見れば、もう片方の腕には春原と呼ばれた少年を抱えている。凄まじい膂力だった。 「ってそういえば、さっきのビームを、どうやって……?」 志保の疑問は、すぐに払拭された。 正面から新たに放たれた光線を、 「ぎゃああっ!?(;゚皿゚)」 国崎は無造作に春原で受け止めたのである。 「ってちょっとあんた、それはいくらなんでも……」 「問題ない」 「ありまくりっすよねえ!」 「死にたくなければ黙っていろ」 国崎の声は、ひどく冷徹だった。 先ほどまでのどこか憎めない男という印象は、今やまったく感じられない。 次々に光線に対し、何の躊躇もなく春原をかざし、的確に攻撃を避けていく。 「(;゚皿゚)! (;゚皿゚)!? (;゚皿゚)!!」 口から黒煙を吐き出す春原に絶句する志保。 と、国崎が短く口を開く。 「武器を確認しろ」 「え? ……あ、バッグの中……?」 「迅速に済ませろ」 抱えられたまま、志保はバッグの中を漁る。 中から出てきたのは、 「拳銃……?」 「……モーゼル・ミリタリー、7.62mmか。丁度いい」 古風で無骨なデザインのそれを一目見て、国崎は頷く。 春原で光線を弾きながら包囲網に近づくと、同じく手にした春原で夕霧の一体を殴り倒した。 ざ、と包囲網が割れる。一気に駆け抜ける国崎。 「……ここで大人しくしていろ」 言って志保を下ろしたのは、大樹の陰だった。 志保が、おそるおそる声をかける。 「あんた……本当にさっきまでのあんた、なの……?」 「……任務を続行する」 それだけを告げて志保の手から拳銃を取ると、国崎は踵を返す。 一片の感情も感じられない、まるで機械のように怜悧な動作だった。 「じゃ、僕もここでおとなしく……って、ひいいっ!?」 春原の襟首を掴むと、国崎は大樹の陰から飛び出した。 射線の方向が集中することで、光線による攻撃は激しさを増していた。 しかしそのすべてを、国崎は的確に捌いていく。 「もう!(;゚皿゚) どうとでも!(;゚皿゚) してくれよっ!!(;゚皿゚)」 左手に春原、右手に拳銃。 ただそれだけの装備をもって、国崎は周辺を埋め尽くす夕霧を薙ぎ払っていく。 盾として、あるいは鈍器として春原を振るい、時折銃火を閃かせながら、国崎が駆ける。 「すご……い、けど……」 その様を大樹の陰から覗く志保。 しかしその表情は暗かった。眉根を寄せ、何事かを考えている。 嫌な予感が、黒雲のように膨らんでいた。 「―――任務、完了」 その声に、はっと顔を上げる志保。 気がつけば、周囲を埋め尽くしていたはずの砧夕霧が、一人残らず地面に倒れ伏していた。 ボロ雑巾と見分けがつかなくなった片手の春原を、国崎が無造作に投げ捨てる。 「生まれて、すみません……」 どさりと落ちる春原。 慌てて駆け寄る志保の目の前で、国崎がゆらりと揺れた。 「え、ちょ……」 咄嗟に身をかわす志保。国崎が、顔面から倒れた。 「ちょ、ちょっとあんた……どうしたのよ!?」 恐々と伸ばされた志保の手が、触れるか触れないかの寸前。 国崎が、ゆっくりと身を起こした。 びくりと手を引っ込める志保。 「……っ痛ぅ……! なんだ、一体何が……」 頭を抱えながら何事かを呟いていた国崎が、周囲を見回した瞬間、凍りついた。 「って、うぉぉっ、何だこれは!?」 「あんたが……やったのよ……?」 志保の声に、国崎が驚いたような眼を向ける。 「俺が……?」 「まさか……、覚えてない……?」 「いや、まったく記憶にないが……どうした、顔色が悪いぞ?」 心配もされるだろう、と志保はどこか他人事のように思う。 今の自分はきっと、ひどく青白い顔をしているはずだ。 体の芯からくる震えが止まらない。全身に嫌な汗が噴き出していた。 「……おい、本当に大丈夫か? 具合が悪いなら、」 「あたし―――」 国崎の言葉を遮るように、志保は口を開いていた。 「あたし、行かなきゃ……! このままじゃ美佐枝さんが……美佐枝さんが……っ!」 言うや、踵を返して走り出す。 「おい! ちょっと待て、お前!」 背後の声など、既に耳に入らない。 志保の予感が確かなら、事態は既に遅きに失していた。 それでも、走らずにはいられなかった。 自分を逃がした相楽美佐枝の背中が、脳裏をよぎる。 (美佐枝さん……どうか、無事でいて……!) 国崎の変貌。 突然の超絶能力、そして記憶の欠損。 志保には、その光景に覚えがあった。 昨晩、虎と戦ったときの美佐枝と、それはひどく、符合していた。 国崎と、美佐枝。 それぞれ同じ類の能力に目覚め、その力を発揮したのであれば、それでいい。 しかし、もしも。 もしも二人の共通項が、自分だったとしたら。 ドリー夢と美佐枝が呼んでいた能力は、相楽美佐枝のものではなく―――、 (あたしの、力だ……!) 他人に、何らかの能力を付与する異能。 それが昨晩の美佐枝をして虎を仕留める力を与えたのであれば。 今の相楽美佐枝は、無力であった。 (美佐枝さん……!) 長岡志保の祈りに似た呼びかけは、虚しく心中に響いていた。 【時間:2日目午前10時すぎ】 【場所:G−4】 長岡志保 【所持品:なし】 【状態:異能・ドリー夢、疾走】 国崎往人 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ、支給品一式×2】 【状態:唖然】 春原陽平 【所持品:なし】 【状態:妊娠(;゚皿゚)・ズタボロ】 砧夕霧 【残り29438(到達0)】 【状態:進軍中】 - BACK