兎を玩ぶ者たち




昔々、ある小さな“物”が生まれました。
その“物”は自身の複製、つまり子孫を残しません。ただ自分の身体の部分にかぎり複製できます。
生き物に似ていますが、そんな“物”は、自分自身が無くなればそれでお終いです。
生き物とは呼べません。
だから“物”です。
事実ほとんどすべての種類が消えて無くなりました――
                              (『誰彼』より引用)              
 静かな空間であった。
 別室ではマイク越しに聞こえるであろう生命を賭した叫びや悲鳴も、この部屋では聞こえない。
 参加者達の置かれている環境からは隔絶した雰囲気をもつ部屋に踏み入った石原麗子は青白い光を放つ水槽を
一瞥すると眼前の男に軽く頭を下げた。
「どうなっている」
「は。例の宝石は笹森花梨の死亡に伴い、同行していた湯浅皐月の手に渡った模様。それと……」
「休んでいる間になにかあったのか」
「はい、いまいちど那須宗一の動向に関してのデータを見たところ、仮想時間16時37分に死亡が確認されました」
「ほう……呆気のないものだったな。いま少しこちら側に踏み入ってくるかと思っていたが」
「彼とて万能ではないでしょう。そのような枝を選び取るしか出来ないように仕向けたわが方にも落ち度があるかと」
「手厳しいな。だがどのみち新たな薬を探すには数多の兎の屍は見ざるを得ないだろう」
 男の目が細められた気配を麗子は感じた。というのも、サングラスで隠れたままのその目元を伺い知ることが
できなかったからである。

「少年が宝石の所持者――ああ、前の持ち主の何某とかいう者に道づれにされたというのは少々予想の範囲を超えて
いたな……ところでだ、石原君。この一手、君ならどう駒を動かす? 手持ちはともかく板状にはわが方の駒は殆ど
残されておらぬといっていいかもしれないが」
「こちらしか知りえない情報も駒となりえるでしょう。掲示板に何か動きを持たせるのも一興かと愚考いたします」
「ふむ」
 あごに手を当て何か考えるしぐさをした男に、麗子は視線を注いでいる。参加者内で情報の均一化が進んでいる現在、積極的に殺しに乗る者たちの情報が拡散してしまうのを防ぐ手立てはない。ならば主催側から打てる策としては同程度の
信頼しうる情報――たとえば非マーダーの殺害人数など――をリークすることによって起こる非マーダー同士の不審や
猜疑を最大限に利用すべきだと考えた結果の、それは発言だった。それが原因でさらに人数が減ればよし、そうならずともそれは参加者それぞれが「生きようとする力」の強化につながり、光の玉の採集効率も上がる。
「その件はひとまずおくとして……兎の裏の少年、久瀬といったかな」
 側近の計算を知ってか知らずか、主催者と呼ばれる眼前の男は話を切り替えた。
「そろそろ起こしてやることだ。放送が近づいているからな」
 冷徹な、あるいはそう装った男の発言に対し、虚飾を排したただ一言のみを返す。
「……仰せのままに」
 その眼鏡の奥にある眼光を、初老の男――犬飼俊伐は知らない。

 自らがヨークと呼ばれる宇宙船を完全に掌握し、ゲームの主催として絶対の位置にいることを信じて疑わない
不老の科学者は、水槽のほうへと体を向ける。薄青にゆらぐ光の中に見える少女の裸体をいとおしむかのように、
彼岸と此岸を隔絶するガラス槽に指を這わせる。
「もう少しだ……あと少しだよ、きよみ……」

 一方、部屋を退出した麗子は失笑をこらえきれずにいた。
 飽き飽きするほど長い間仙命樹の行く末を見守ってきたが、今回は極めつけの茶番だった。
 戦時中に恋をした初老の男が、その相手の少女を完全に復活させようという夢を見つづける。
 その恋は世紀を超えて、ついには仙命樹本体と麗子自身、そして数多の人間を巻き込んで際限なく肥大化していく。
「まあ、それに乗る私も私だけれどね」
 麗子は権限の届く限り、犬飼に対して「光の玉」の情報は伏せていた。得体の知れない船を呼びだし、確たる財力の
バックアップもないまま篁や来栖川などの要人を拉致し、それと気づかさせずに、ヨーク内に設けたフィールドで
殺し合いを二度にわたって始めてのけた手腕は驚嘆するべきものだったが、完全に手を組むとなれば話は別だ。
 人が生きるとき、無意識に、あるいは意識的に選び取る選択肢。それを経るごとに、言い換えれば「生きる」ごとに
人はエネルギーを蓄積し、また消費する。そのエネルギー体が目に見える形――「光の玉」となって現れることがある。
 ヨークのパーツの一部――見かけは青い宝石であるそれが「光の玉」を吸い取る性質があることに気づいた麗子は、
前回のゲームの際それを隔離フィールドに紛れ込ませたのだった。
 光の玉のエネルギーを集めること……それは犬飼も知らない麗子の目的に沿う。
「まあ、しばらくは熟成が必要ね。美味しい酒も男もまずは待つことから」
 "見守る者"石原麗子にとってそのような時間はとるに足りぬものである。
 ふふ、と含み笑いを漏らすと、麗子は放送の準備に取り掛かった。 
 



【時間:仮想時間2日目18時前、定時放送直前】
【場所:ヨーク内部(沖木島はヨークの仮想空間内部)】
【ヨークの外がどうなっているかはお任せします】
犬飼俊伐
【状態:466の「男」、ヨークの完全動作ときよみの復活が目的】
【所持品:仙命樹コントロール装置】
石原麗子
【状態:466の「側近」、隙あらば反逆の意思あり、目的不明】
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