リサ=ヴィクセンは美坂栞を連れて診療所を離れた後、村の中を街道沿いに歩いていた。 しきりに辺りを警戒しながら前を行くリサに、栞が話し掛ける。 「これからどうするんですか?」 「……少し時間が必要よ。まずは落ち着ける場所を探しましょう」 宗一の死で全ての歯車が狂ってしまった。 現状では主催者を倒す為の戦力が圧倒的に不足している。 はっきり言って、このまま策も無しに動き続けても勝算は皆無だ。 まずは作戦を練り直す必要があった。 そんな時である。 リサが突然斜め後ろの方へと振り向いたのは。 女―――宮沢有紀寧が、女優顔負けの完璧な笑顔で歩いてきたのは。 ・ ・ ・ 「なんて酷い事に……」 「ええ……正直、参ったわ」 「何て言えば良いか分かりませんが……とにかく、お悔やみ申し上げます……」 リサが宗一の死について話すと、有紀寧はまるで自分の事のように表情を大きく曇らせた。 有紀寧は先程からこの調子で、人が死んだ話を聞く度に深い悲しみを見せていた。 自分達以外にもゲームの破壊を企てている人間達がいる事を伝えると、パッと極上の笑顔を浮かべる。 美坂香里の死については、栞を何度も慰めていた。 あの感情の機微を殆ど見せなかった弥生とは全く違う。 そのような有紀寧の様子は、リサと栞の信用を勝ち取るに十分であった。 「それで―――脱出の段取りはどのように?」 有紀寧が真剣な面持ちで尋ねてくる。 リサは申し訳無さそうな顔をしてから、紙を取り出して現状を書き綴った。 ・会話は全て盗聴されている事 ・エディが死んでしまった以上、首輪を解除し得るだけの技術を持った人物には心当たりが無い事 ・つまり、今の所―――脱出の足掛かりさえ掴めていない事 これらの内容を書いた紙を見せると、有紀寧は難しい顔をしたまま考え込み始めた。 きっと必死に脱出の術を探しているのだろう。 リサはパチッと音を立てながら爪を噛み締めた。 こんな少女でさえ健気に頑張っているのに―――自分はこれまで、何を築き上げてきた? ただ悪戯に仲間の死体の数を増やしてきただけではないか。 (……は……トップエージェントが、聞いて呆れるわね……) 肩を竦めて心の中で自嘲気味に呟いた。 「リサさん……」 自分を責めているリサを気遣って栞が声を掛けようとする。 だがそこで三回目となる、絶望を告げる放送が始まった。 リサが祐一の死を隠し続けてきたのは、逆効果だったとしか言いようが無い。 ―――栞が、第三回放送を耳にした時に感じたもの。 抗いようの無い無限の喪失感。 自分の中で、人が生きていくのにとても大事な何かがガラガラと音を立てて崩れ去ってゆく。 「ゆ……うい……ち……さん」 相沢祐一の笑顔を思い出す。 余命いくばくも無い状態で姉にも避けられ、直ぐにでも砕けてしまいそうだった自分の心を救ってくれた人。 大好きだったあの人は、もうこの世にいない。 栞は床に崩れ落ちて、死人のような瞳で、虚空に視線を漂わせた。 ―――リサが、第三回放送を耳にした時に思った事。 観鈴を自分達に託して出発したあの勇ましい青年、国崎往人が死んだ。 また一人、ゲームを破壊する為の貴重な戦力と成り得る人物がいなくなってしまった。 彼だけでは無く、見知らぬ多くの人間達も命を落としてしまっている。 「宗一……。私どうすれば、良いの……」 絶望的な現実に打ちのめされて、リサは地に伏した。 残り人数は約三分の一。 死人の出るペースから考えれば、殺戮者達は未だ健在だろう。 この状況で主催者を倒す?……馬鹿な。 最早ゲームの破壊どころか―――この事態を引き起こしたマーダー達の殲滅すら、成せるかどうか危うい状況である。 そして―――絶望感に苛まれるリサに掛けられる声。 「どうすればいいか―――簡単ですよ。ゲームに乗れば良いんです」 それは紛れも無い、人の皮を被った悪魔の囁きだった。 「―――――!?」 リサが驚愕に顔を上げると、有紀寧が見下ろすように立っていた。 心優しい純真な少女の笑みを、その顔に貼り付けたままで。 しかしその唇の動きと共に発せられる言葉は。 「優勝すれば願いが叶えられるんでしょう?だったら参加者全員殺した後に、優勝者への褒美でこのゲームを無かった事にすれば良いじゃないですか。 出来もしない脱出を馬鹿みたいに夢見ているより、そちらの方が余程現実的です。私は何か間違った事を言っていますか?」 数多の戦場を渡り歩いたリサですらも寒気を覚えるくらい、非情なものだった。 次の瞬間、リサは動いた。 「ふざけないでっ!」 目にも留まらぬ、文字通り常人には目視も困難な速度でトンファーを振り下ろす。 トンファーは有紀寧の頭上、後数センチで彼女の頭に達そうかという所で停まった。 「貴女何を考えてるの?次そんな事を言ったら……」 「次そんな事を言ったら何ですか?もしかして、殺すと仰るつもりですか?」 「Yes。私はゲームに乗った『悪』相手には容赦しないわ」 殺気を剥き出しにして、射殺すような目で警告する。 しかし有紀寧は余裕の表情を崩さなかった。 「―――何を勘違いしているんですか?この島での殺人に善悪などありません」 「戯言を……。罪の無い人を襲う―――これが『悪』じゃなきゃ、何が悪だっていうの?」 「そうですね……強いて言うなら、『悪』とは貴女のような、現実から逃げている人の事ではないでしょうか」 「……私が現実から逃げてる?」 「ええ。ゲームに乗った方達も、元から悪い人という訳では無かったでしょう。自分なりに目的を持って、仕方なくその道を選んだんだと思います。 それが間違っている事だと言い切れますか?」 「…………っ」 リサは答えに窮し、沈黙した。 確かに有紀寧の言い分の方が正しいかも知れない。 醍醐や篁はともかく、他の参加者達の殆どは名前も聞いた事の無い一般人だった。 彼らの中にゲームに乗った者がいたとしても、それは自ら望んでの事ではないだろう。 ある者は生き延びる為に、ある者は大切な人を生き返らせる為に、否応無しにゲームに乗っただけなのだ。 彼らを『悪』と断定する権利が、自分にあるのだろうか? エージェントとして仕事を行う上で、何人もの敵を殺してきた自分に。 「そして、冷静に考えれば分かる筈です。今からゲームの破壊を目論むのと、優勝への褒美がブラフで無い可能性に賭けてゲームに乗る。 どちらの勝算が高いかという事くらい」 「…………」 「自らの手を汚してでも現実を直視して懸命に戦っている方々と、自分だけ綺麗なままで居続けようと現実から逃げているリサさん。 さて、『悪』いのはどちらでしょうね?」 有紀寧は揶揄するような調子を混ぜて、自信満々に言い放った。 対するリサはトンファーを投げ捨て、代わりにM4カービンを取り出して、それを有紀寧に向ける。 「貴女の言うとおり、ゲームの破壊は絶望的よ。でも―――私がゲームに乗ったら……最初に死ぬのは貴女よ」 「分からない人ですね……良いですか?こんな事言うまでも無いと思いますが、一人より二人の方が有利です。 つまりリサさんと私が協力して勝ち残れば良いんですよ。最終的に同じ志を持った人間の中の誰かが生き残れば、それで良いんですから」 「お生憎様、私はそんなに弱くないわ。その気になれば一人でも勝ち残ってみせる」 それは地獄の雌狐としての、絶対の自信。 だが有紀寧は超一流エージェントのその自信を、一笑に付した。 「何が可笑しいの!?」 「これでは宗一さんという方も浮かばれませんね。その油断と慢心が宗一さんを失う原因となったんですよ」 「―――――!」 「いいですか?二人で行動すれば交代で休憩も取れるし、私も銃を持っていればリサさんの援護くらいは出来ます。 それに、こう言ってはなんですが……貴女は甘すぎます。私が貴女の立場なら、もうこの場で栞さんを撃ち殺していますよ?」 「―――え……?」 リサは意味が分からず呆然となった。 何度か頭の中で有紀寧の言葉を反芻して、栞を殺せと言っている事に気付き、憤慨した。 「どうしてっ!?栞は関係無いじゃない」 「ええ、優勝する為には関係の無い……只の足手纏いですね。そんな人間はここで切り捨てるべきです。 ここで栞さんを殺せなければ、貴女はきっとまた躊躇う。無抵抗の人間を殺す事など永久に不可能でしょう」 一旦言葉を切ると、有紀寧は真剣な表情をして、告げた。 「選んでください。ここで栞さんを殺して、私と組んで勝ち残るか。それとも偽善を掲げて、誰も救えないままに野垂れ死ぬかを。 選択肢は二つ―――他に道はありません」 優勝……優勝すればやり直せる。 宗一の推理が間違っていなければ褒美の話はブラフでは無い。 誰も救えなかった自分にとって、それはどうしようもなく魅力的な話だ。 それでも―――リサの脳裏に浮かぶ、柳川と交わしたあの約束。 『私もあなたと同じよ。栞は絶対に守るわ。』 それが、リサの決壊寸前の堤防をぎりぎりの所で支えていた。 「私は栞を守るって決めたの。絶対に……それだけは譲れないわ」 「妄言を……。主催者は倒せない、栞さんは殺せない。ではどうなさるおつもりですか?まさか漫画のように都合良く、奇跡が起こるとでも?」 「……きっと……諦めなければきっと……奇跡だって起こせ……」 途切れ途切れになる言葉を懸命に繋げながら、なおもリサは反論しようとしていた。 冷徹なエージェントとして何をすべきか、自分の中でもう結論が出ているのに、だ。 だがそれ以上彼女が話を続ける事は無かった。 理想と現実―――その狭間で苦しんでいるリサ。 今も戦い続けている彼女を、暖かい感触が包み込む。 栞がその小さい体で、リサを優しく抱き締めていた。 「―――リサさん」 「……栞」 栞は小刻みに震えるリサの肩を掴んで僅かながら距離を離した。 顔を向き合わせながら、全てを受け入れた悲しい笑顔で栞が口を開く。 「起こらないから、奇跡って言うんですよ。それに―――」 栞は一瞬言葉を切らして、息を吸い込んでから続ける。 「奇跡が起こっても、私はもう駄目なんです。祐一さんもお姉ちゃんもいない世界で生きていくなんて嫌です。 だったら私はもう一つの可能性に賭けます。リサさんが優勝して、みんなを生き返らせてくれる可能性に」 栞はリサの腕を取って、M4カービンの銃口を自分の胸に突き当てた。 リサの体も、栞の体も、ガクガクと揺れていた。 「うあ……あああ……」 「お願いします……。勝って……お姉ちゃんと祐一さんを……」 栞は恐怖に震えながらも、リサの指を引き金に掛けさせる。 「し……おり…………」 リサが無意識のうちに目の前の少女の名前を紡ぐ。 ―――死んだらどうなっちゃうんだろう。 ―――お姉ちゃんと祐一さんにまた会いたいな……。 そんな事を考えながら、栞はリサの人差し指を押した。 「うああっ……ああああああっ!!」 銃声と共にリサの悲痛な絶叫がこだまする。 胸を貫かれた栞はドサリと、仰向けに崩れ落ちた。 赤く濁った液体が地に広がってゆく。 目を閉じ、笑顔のままで。 ―――栞はもう、動かなかった。 リサは一目散に栞の体に駆け寄ろうとしたが、その背中を呼び止められる。 「あらあら、栞さんのお気持ちを無駄にするつもりですか?栞さんはリサさんに優勝して貰いたくて、自分からその命を差し出したんですよ? それなのにリサさんがまだ甘い感情を捨てきれないのなら―――栞さんは本当に無駄死にですね」 その言葉でリサはピタリと動きを止めた。 それから壊れた機械のようにゆっくりと、有紀寧の方へ振り返る。 「……OK。貴女のお望み通りゲームに乗りましょう」 答えるリサ……その瞳から色は消え去っていた。 どんな感情も、もうそこからは読み取れない。 「でもね、私は貴女を信用していない。最後の二人になったら……貴女も殺すわ。本気になった地獄の雌狐の実力―――たっぷりと、見せてあげる」 今有紀寧の眼前にいるのは、もう数分前までのリサ・ヴィクセンではない。 目的の為なら躊躇無く手を汚す事の出来る、宗一と出会う前の復讐の亡者だった。 「―――ご自由に」 その亡者に、悪魔が一際大きな笑みを浮かべて答えた。 ―――有紀寧は掌に付着した汗を、ポケットの中で拭き取っていた。 これは有紀寧にとってもかなり危険な賭けだった。 栞を人質にしてリサを隷属させる、というのが当初の作戦であった。 しかし、である。 リサの能力は正直予想以上だった。 話してみて分かったが、リサは強いだけで無く頭も切れる。 栞の首輪爆弾を作動させるくらいは出来るかもしれないが後が続かないだろう。 そんな事をすれば確実に組み伏せられ、武器を奪い取られる。 リサは間抜けでは無い……解除は自分しか出来ないと嘘を吐いても欺けまい。 だから嘘をほぼ用いぬ方法で説得するしか無かった。 今回有紀寧は殆ど嘘を付いていない。 主催者の打倒よりも優勝を目指す方が現実的なのは疑いようも無い事実。 リサが優勝を目指すべきだと思っているのも本当だし、一人より二人よりの方が勝利に近付けるというのも真実だった。 リサが戦っている最中は、自分の身が危機に瀕しない範囲で援護だってするつもりだ。 もっとも――― 「私は優勝者への褒美なんて夢見事、信じていませんけどね」 小さく呟く。 自分は要らぬ事を口にしていないだけだ。 これからはリサが積極的に参加者を襲うように仕向け、自分はサポートに徹する。 いくらリサといえども前線で戦い続ければ傷付いてゆく筈。 頃合を見て残り人数が僅かになった時に、消耗したリサを後ろから撃ち殺せば良い。 当然ながらリサも警戒しているだろうから、騙し合いの勝負にはなるだろう。 しかしリサやその他の猛者達とまともにやり合うよりは、遥かに勝ち目のある戦いだった。 ―――地獄の雌狐、悪魔の策士。 その二人が、それぞれの目的を果たす為に手を組んでしまった。 【時間:2日目・18:10頃】 【場所:I-7】 宮沢有紀寧 【所持品@:コルトバイソン(4/6)、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(2/6)】 【所持品A:ノートパソコン、包丁、ゴルフクラブ、支給品一式】 【状態:前腕軽傷(治療済み)、マーダー、自分の安全が最優先だが当分はリサの援護も行う、リサを警戒】 リサ=ヴィクセン 【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式×2、M4カービン(残弾28、予備マガジン×4)、携帯電話(GPS付き)、ツールセット】 【状態:マーダー、目標は優勝して願いを叶える。有紀寧を警戒】 美坂栞 【所持品:無し】 【状態:死亡】 - BACK