「この島は、いいところだ」 サングラスの男は、そう口にした。 「手前ェの器ってもんを試すチャンスが、いくらでも転がってやがる。男にとっちゃ最高だ。 あんたもそう思うだろう、爺さん?」 言って、笑う。 どこまでも快活な笑みだった。 対する老爺は、黒い三つ揃いの襟を正すと、白い手袋の拳を握り込んだ。 静かに構える。軽い前傾姿勢のボクシングスタイル。 「―――名を聞いておこうか。口が利けんようになってからでは遅いからの」 老爺の静かな言葉に、サングラスの男がニヤリと口の端を上げる。 「人に名を尋ねるときはまず自分から―――、そいつが紳士の嗜みってもんじゃねえのか」 言われた老爺は眉筋一つ動かさず、答える。 「失礼した。長瀬源蔵、号をダニエルと申す。 ……いざ、尋常に立ち合われたい」 「長瀬……源蔵……? マジかよ、爺さん……!」 老爺、源蔵の名乗りに、サングラスの男が短く口笛を吹いた。 心底から楽しそうな笑みが、口元に浮いている。 「ハハッ、こりゃあいい、こりゃあいいや!」 「……そこもとの名は」 腹を抱えんばかりに笑う男に、源蔵があくまでも静かに問いかける。 男がぴたりと笑いを止めた。正面から源蔵を見据え、口を開く。 「古河秋生。……あんたは知らないだろうが、爺さん。 俺さ、あんたの役、演ったことあるんだぜ」 言ってサングラスの男、秋生がまた笑う。 それはまるで、少年のような、笑みだった。 「―――」 雨が、降りしきっていた。 秋生の手にはいつの間にか、一丁の奇妙な形状をした拳銃が握られていた。 その銃口は、拳を構えた源蔵の正中線をぴたりと狙っている。 しかし源蔵は微動だにせず、じっと秋生を見据えていた。 二人の男は、動かない。 「……飛び道具なぞに、長瀬が膝を折るとでも?」 「はは、そいつはやってみなけりゃわからねえさ。 実際、俺の演ったホンじゃあ爺さん、あんた結構苦戦してたぜ? もっとも満州にいた頃のあんただがね」 「ふむ」 源蔵の、しとどに濡れた髭から雨粒が滴り落ちる。 「十四、五の時分のこととてな。ようは覚えておらなんだが……そのようなこともあったかの」 「俺に聞くなよ」 秋生が苦笑する。 「立志伝中の人物、ってやつだ。 本当のあんたが何をしたのか、何を見たのか―――そいつはあんたにしかわからねえさ」 「さて、芝居の種になるような生き方じゃったかの」 「充分さ。がむしゃらで、破天荒で……爺さん、若い頃のあんたは、俺のヒーローだったんだぜ」 「小僧に多くを望むでないわ」 「違いねえ」 秋生が一瞬だけ、どこか遠くを見るように小さく笑う。 「ガキどもにはいつだって苦労させられる」 「それが老いる楽しみでもあるさ」 「爺さんの境地に達するには、俺は若すぎるんだよ」 「そのひよっこが、さて何を見せてくれるのかの」 「そいつは見てのお楽しみ、だ」 閃光が奔った。 言い終えるや、秋生が引き金を引いたのである。 一瞬の静寂。 雨滴の、地面を叩く音が、一際大きく聞こえる。 「……おいおい」 秋生が、呆れたように呟く。 赤い光線は、雨を裂いて確かに源蔵を貫いたかに見えていた。 しかし、秋生の視線の先には、いまだ平然と立つ源蔵の姿がある。 「……あんま無茶すんなよ、爺さん」 「ふむ」 片足を引くことで半身をずらす、ただそれだけの動作で必殺の第一射をかわしてみせた源蔵が、 息一つ乱さず言葉を返した。 「……まさか光線銃、とはの。少々肝を冷やしたわ」 「見てから避けられるはず、ねえんだがな」 「なに、見えずばその先を取るだけの話よ」 「簡単に言ってくれるじゃねえか」 「そも、」 源蔵が、一拍置く。 「見たことがなくては防げぬ、では……警護は務まらぬからの」 「そらまあ、そうだ」 「……さて、今度はこちらの番かの―――」 言いながら源蔵が、す、と足を踏み出す。 何気なく踏み出されたはずのその一歩は、しかし、接地と同時に轟音を響かせた。 「ぬぅぅぅぅ……ンッ!」 周囲の大気が、震えた。 老人の痩身が変化を遂げていく。 上品な仕立てのシャツが、ぴんと張り詰めた。 内側からの圧力。源蔵の肉体が、膨れ上がっていたのである。 半世紀もの間、来栖川の盾として磨き上げられてきた、それは鋼鉄の肉体だった。 「何だ、そりゃあ!? 反則じゃねえか爺さん!」 「―――参る」 言葉と共に、源蔵が跳んだ。 踏み出した足の下で、泥濘が爆発的に弾ける。 巌の如き拳が、轟と風を巻いて秋生に迫った。 「ちぃッ!」 迎撃しようとした秋生は、瞬時に間に合わぬと判断。 前に出れば砕かれる。後ろへ避ければ詰められる。 「なら―――こっちだろッ!」 横っ飛び。 タックルにいくような低い姿勢で身を捻り、肩甲骨から接地する。 そのまま重心移動だけで起き上がり、肩越しにめくら撃ちで三点射撃。 軸足で回転した秋生の眼前に、歯を剥き出した源蔵の笑みがあった。 「……ッ!」 その左の袖が千切れ、隆々たる筋骨が覗いていた。 紙一重でかわされた、と秋生が理解した瞬間、その腹を衝撃が貫く。 「がァ……ッ!」 一気に数メートルを吹き飛ばされる秋生。 回転する視界の中で、しかし秋生は地面に向けて光線を放っていた。 泥濘が陥没し、小さなクレーターを作る。 射撃の反動で、秋生の回転が止まっていた。空中での強引な姿勢制御。 追撃すべく飛び出していた源蔵が、その表情を凍らせる。 「悪ぃな爺さん、ゾリオンには色んな使い道があるんだよ……!」 笑う。カウンターでの斉射。 赤光が、源蔵に迫る。 「ぬぅぅぅッ!!」 瞬間、秋生は己の目を疑った。 絶対にかわせぬタイミング。必中の光線を、源蔵は己が腕を交差させて受けたのである。 肉を焼き、骨を断つはずの赤光は、しかし、源蔵の腕を貫くことはなかった。 源蔵の腕から立ち昇った黄金の霧に、光線が阻まれているように、秋生には見えた。 「焚ッッ!!」 大喝と共に、赤光は弾かれていた。 驚愕に目を見開きながら、秋生が着地する。 「クソッタレ……無茶しすぎだろ、爺さん……!」 突進を止めることには成功したが、しかし秋生の前に立つ源蔵は、まったくの無傷であった。 ゾリオンの赤光を防いでみせたその両の袖口がズタズタに裂けているのが、唯一の瑕疵といえた。 「ふむ……、替えは持ち合わせておらんのだがな」 「服の心配かよ……!」 「何、わしに闘気を使わせた男は久しくおらん。誇ってよいぞ」 「闘気だぁ……? さっきの、金色のやつか……」 光線を受けた一瞬、源蔵の腕から湧き出した、黄金の霧の如きものを、秋生は思い起こしていた。 源蔵が、重々しく口を開く。 「貴様の銃に様々な使い道があるように、わしの闘気にもそれなりの使い方というものがある」 「気合がありゃあ何でもできる、ってか……これだから大正生まれはタチが悪ぃんだよ」 「せめて半世紀を生きてから物を言え、ひよっこ」 「ハ、戦前に帰りやがれ、満州の爆弾小僧!」 走り出しながら、秋生が光線を放つ。 距離をとろうとする動き。 させじと、源蔵が詰めていく。 逃れ、詰める。時折、赤光が奔り、風が唸る。 それは雨の森を舞台と見立てた小さな輪舞の如く、穏やかにすら見える暴力の応酬だった。 「ああ畜生、楽しい、楽しいなあ、爺さん」 秋生が、泥を撥ね上げながら口を開く。 表情は快の一字。 「楽しいついでだ、聞いてくれよ、爺さん」 源蔵は答えず、横蹴りで秋生の腹を狙う。 大きく跳ぶ秋生。 「俺の女房は、ちっとばかし頭の弱い女でな」 構わず言葉を続ける。 「世界が平和になりますように、なんて本気で言い出すような女でよ。 俺みてえなヤクザ者もあいつにかかりゃあ、本当はいい人、素敵な人、ってな。 他人のいいところしか見ねえ、いや見えねえんだ。ま、言ってみりゃあ病気だぜ、半分方」 秋生の鼻先を、源蔵の磨き上げられた革靴が掠めた。 「……ああ、勘違いすんなよ? どんだけ頭が弱くたって俺は女房を愛してるからよ。 うおお、無性に叫びたくなってきた、早苗、愛してるぜぇぇーっ!」 拳圧だけで周囲の木々を薙ぎ倒さんばかりの一撃を、紙一重でかわしながら叫ぶ秋生。 「ま、そんな感じでな。ついでに娘もとびっきりの器量よしだぜ、写真見るか?」 「わしは孫を亡くしたよ」 「そうかい、そりゃ残念だ」 秋生の手にした銃から、光線が飛ぶ。 赤光は一瞬前まで源蔵がいた空間を切り裂き、草木を灼く。 「でまぁ、そのちっとおつむの弱くてとびっきりのいい女が、だ」 連射。 矢継ぎ早に飛ぶ赤光を、源蔵は左右に身を振ることで回避。 秋生は後退しながら広範囲に弾幕を張る。 「俺のことをな、ヒーローだって、本気で信じてやがるのよ」 なおも詰める源蔵。 眼前に展開される飽和攻撃を、最低限度の動きでかわしていく。 「だから俺は爺さん、あんたにだって負けねえ。……負けられねえッ!」 だが秋生は、その動作を予測していたかのように速射。 疾風の如き源蔵の回避軌道に合わせ、それ以上の速度をもって赤光が駆ける。 しかし、 「―――若いな」 命中の瞬間、再び源蔵の腕から闘気が立ち昇っていた。 右正拳、一閃。黄金の拳が、赤光を粉砕した。 秋生が次の弾幕を展開するよりも早く、源蔵が肉薄する。 「信念だけでは、この拳は撃ち抜けぬ」 左が、秋生の顔面をかち上げる。 間髪をいれず右。たまらず秋生がのけぞった。 体を引きながら、空いた腹に打ち下ろしの左。下向きのベクトルに、秋生の体が釘付けにされる。 流れるような三連打。既に右の拳は引き絞られている。 源蔵の拳に、黄金の闘気が宿った。 「さらばだ、小僧―――!」 古河秋生を葬り去る、必殺の一撃。 昇竜天を衝くが如き右の拳は、 「ぬぅ……ッ!?」 秋生の眼前で、止まっていた。 「―――爺さん、やっぱりあんた爺さんだ」 否。源蔵の拳は、止められていた。 「歳食って、磨り減っちまってる」 秋生が手にした拳銃から、赤光が伸びていた。 常であれば瞬間に飛び去り消えるはずの赤光は、しかし燃え盛る炎の如く、その場に留まっていた。 それはまるで、銃口を柄と見立てた、一振りの剣。 真紅の剣が、黄金の拳を押し返す。 「昔のあんたなら、胸を張って応えたはずさ。手前ェの負けられねえ理由、ってヤツで」 「ぬ、ぬぅゥゥッッ!?」 「信念の無ぇ拳が……俺のゾリオンを止められるかよッ!!」 ぎり、と源蔵を見返した秋生の瞳が、大剣と同じ色に燃え上がった。 赤光が、黄金を飲み込んでいく。 ついに秋生の大剣が、源蔵の拳を包む闘気を弾き飛ばした。 「ぐぅッ……!?」 「名づけて必殺、ゾリオンブレード! ―――サヨナラだ、俺のヒーロー!」 真紅の刃が、鋼鉄の肉体を肩口から、切り裂いた。 【時間:二日目午前10時前】 【場所:F−5、神塚山山頂】 古河秋生 【所持品:ゾリオンマグナム、他支給品一式】 【状態:ゾリオン仮面・戦闘中】 長瀬源蔵 【所持品:防弾チョッキ・トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)・支給品一式】 【状態:肉体増強・戦闘中(斬られている)】 - BACK