波乱の前兆




鎌石村を出立して、一路氷川村を目指す河野貴明様御一行。しかし彼らの足取りは芳しくなかった。
彼らの――特に、貴明の怪我は本来なら即時入院するべきレベルだ。
その上彼らは最短距離、つまり山を越えるルートを選択しており、その事も疲労の蓄積に一役買っていた。
「貴明さん。辛そうですけど――荷物を持ちましょうか?」
息を荒くしている貴明に対して、ささらが心配そうに提案を持ちかける。
「疲れてるのは、否定しないけど……先輩だって肩を怪我してるじゃないか。俺だけ楽するなんて、出来ないよ」
貴明の言葉通り、ささらの右肩は名雪によって撃ち抜かれているのだ。右腕を動かせない事は無いが、余計な負荷は加えない方が良いだろう。
「それより久寿川先輩さ、普段通りタメ口で良いよ。ずっと堅苦しくしてても疲れるだろ?」
「あ、ソレ私も同感。久寿川さんの方が年上なんだし、敬語なんて必要無いわよ」
「そうですか?……そうね、じゃあそうするわ。気を遣ってくれてありがとう」
ささらはそう言って僅かに頬を緩ませた。それを見て貴明も満足げに微笑んだ。
穏やかな雰囲気の中、三人は再び道を歩いてゆく。精神的には少し楽になった気がしたが、それも一時の事。
すぐに次の疲労の波が押し寄せてくる。脂汗を滴らせている貴明を見かねて、マナが口を開く。
「貴明やっぱり辛そうだよ。あたし大した怪我はしていないし、貴明の分も荷物持ってあげるわよ」
言われて貴明は目をパチクリさせた。確かにマナの怪我は自分やささらに比べて浅いが――それ以前の問題がある。
少し思案してから、貴明はタブーを口にした。口に、してしまった。
「うーん……あれじゃない?観月さんの体格じゃ、荷物を二人分持つのは……」
「――それって、あたしがチビだって事?」
「ん、まあ身も蓋も無い言い方をすれば……」
貴明がそう言うやいなや、彼の視界からすっとマナの姿が消えた。
「ぐあっ!?」
次の瞬間にはマナの強烈な蹴りが放たれて、脛を痛打された貴明は地面を転げまわってもがいていた。




――貴明が地獄の苦しみを乗り越えてから数十分後。結局貴明の荷物の大半はマナに剥ぎ取られ、ステアーAUGを残すのみとなっている。
荷物が減ったお陰で貴明の負担も軽くなり、一行は順調に神塚山の斜面を降っていた。
街道が眼下に広がっており、氷川村もそう遠くないだろう。だがそんな良い流れに反して、マナが重い声でぼそっと呟いた。
「ねえ……もし氷川村にも麻亜子さんがいなかったらどうする?」
マナが抱く一抹の不安。麻亜子はゲームに乗っている以上、人が集まりやすい村に来るだろう。
鎌石村を素通りして、平瀬村まで行くとは考え難い。自然、鎌石村か氷川村の二つに、捜索範囲は絞られるのだが……。
鎌石村では色々あり過ぎて、満足な捜索が行えなかった。もしかしたら、まだ麻亜子は鎌石村にいるのでは?
それがマナの心配事だった。氷川村に麻亜子がいなければ、あまりにも多くの時間を無駄にしてしまう事になるのだ。
しかし浮かない表情のマナとは対照的に、貴明はあっけらかんとしたまま答えた。
「それは大丈夫だよ。あの人の習性は、久寿川先輩と俺が大体把握してるから」
「どういう事?」
「あの人は基本的に、極度の目立ちたがり屋なんだよ。さっき俺達と少年が戦ってた時の音は、かなり広範囲まで聞こえていたと思う。つまり――」
「麻亜子さんがもし鎌石村に来てたんなら、その音を聞きつけて嬉しそうに寄ってきてた、って事?」
「そうだね。あの人ならきっと、ポーズでも取りながら現れるんじゃないかな」
「学校の時も思ったけど、凄い変わった人ね……。――あ、そうだ」
マナは若干顔を引き攣らせながらもそう言って、それからはっと気付いて鞄に手を突っ込んだ。取り出した物を、貴明に手渡す。
「これは――携帯電話かな?」
「うん。学校で拾ったんだけど、どうやら色んな施設の番号が、登録されてるみたいよ。これで氷川村の施設に、電話を掛けてみるっていうのは、どう?」
「良いわね。早速やってみましょう」
ささらが頷くのを確認して、貴明は携帯電話の電話帳を開いた。貴明が選んだ電話先は――


     *     *     *


観鈴と合流した英二は診療所に向かって急いでいたのだが、途中で観鈴が腹を押さえて苦しみ出した。
銃で撃たれた観鈴の怪我は、完治とはほど遠い状態にあったのだ。仕方なく、英二達は診療所は歩いて行く事にした。
だが――診療所から聞こえてきた爆発音。観鈴はもう腹の怪我が痛むのも無視して、走った。
英二も観鈴の無茶を諌めようとはせずに、彼女の荷物を持って駆けた。
その努力も虚しく、間に合わなかった。
英二と観鈴は、焼け焦げた床の上で無言のままに、身じろぎひとつ出来ないでいた。
眼前に横たわる物は、かつての仲間――那須宗一の死体。その他の者達の姿は無かった。何が起こったか、考えるまでもない。
篠塚弥生と藤井冬弥は爆弾の類の武器を使用して、世界No1エージェントを殺害せしめたのだ。
知人の凶行と、驚くべき底力に英二は戦慄した。
そして、宗一の死を悲しむ暇も無く、診療所内にけたたましいベルの音が鳴り響く――。

『……あ、もしもし』
英二が受話器を取り耳に当てると、その向こうから微かに聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。
この声は確か――
「間違っていたらすまない。君はもしかして、貴明少年か?」
『――!』
多分、合っている。英二の記憶の片隅には、学校で必死に自分達を救ってくれた貴明の声が残っていた。
『どうして俺の名前を?』
「ああ、君は僕の事を知らないんだね。僕はほら……学校の時、環君と一緒にいた眼鏡の男で、緒方英二って名前さ」
『そうですか。タマ姉は元気にしていますか?』
「そ、それは……」
一瞬言葉に詰まったが、英二は現在の状況を簡単に伝えた。環は他の数人の仲間と共にいなくなってしまった事。
環と一緒に出て行った仲間の一人が死んでしまっていた事。診療所も、既に戦火に巻き込まれた事。
朝霧麻亜子はまだ氷川村では見かけていない事。そして――向坂雄二がゲームに乗っていた事もだ。

『そんな……。雄二が……』
小さく震える声。電話越しでも、貴明の沈んだ表情が手に取るように分かる。
「彼は正気を失っている。向坂少年を説得するつもりなら、気をつけた方が良い」
『――分かりました。これから英二さん達は、どうするんですか?』
「もう診療所にはいられないし、仲間を探しに――それから、知人を懲らしめに行ってくるよ」
『そうですか。これから俺達も氷川村に向かいます。……どうか、タマ姉をよろしくお願いします』
「……任せてくれ」
ゲームに乗った、二人の知人の説得。それは困難を極める道程となるに違いない。
英二は、これから苦難が降りかかるであろう貴明達の無事を祈りつつ、受話器を置いた。
振り返って、黙って会話が終わるのを待っていた観鈴に声を掛ける。
「観鈴君、聞いての通りだ。まずは環君を探しに行こう!」
英二は観鈴が無言で頷くのを確認すると、すぐさま扉を開けて診療所の外へと歩を進めた。
(環君、無事でいてくれよ……!そして青年に弥生君、僕は君達を――殺さなくてはいけない)
宗一の死は、元を辿れば自分の落ち度だった。消防署での一件――弥生をあの時殺しておけば、結果は違っていた。
だからこそ、自分の落ち度は自分でケジメをつける。それが仲間達に対しての、最低限の責任だった。


――普段の元気な姿は、最早何処にも見られない。観鈴は、ただ英二の後ろを歩き続けていた。
ポケットに大切な人が作ってくれた紙人形を入れて、両手でしっかりとワルサーP5を握り締めて。
(往人さん、私頑張るから……。往人さんの分も頑張って、あの人を撃つから……見守っててね)
純真だった心に宿った、ドス黒い感情。一方で、心の奥底に残っている祐一との約束。
様々な想いが、氷川村の舞台で交錯しようとしていた。




【時間:二日目・16:45】
【場所:G−5】
河野貴明
【所持品:ステアーAUG(残段数30/30)、予備マガジン(30発入り)×2】
【状態:中度の疲労、左脇腹、左肩、右腕、右肩を負傷・左腕刺し傷・右足、右腕に掠り傷(応急処置および治療済み)、氷川村へ、目標は雄二と麻亜子の説得】

観月マナ
【所持品1:ワルサー P38(残弾数5/8)、ワルサー P38の予備マガジン(9ミリパラベラム弾8発入り)×2、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録

済み)】
【所持品2:38口径ダブルアクション式拳銃(残弾数0/10)、9ミリパラベラム弾13発入り予備マガジン、、SIG・P232(0/7)、仕込み鉄扇、支給品一式×3】
【状態:若干疲労、足にやや深い切り傷(治療済み)。右肩打撲、氷川村へ】
久寿川ささら
【所持品:Remington M870(残弾数4/4)、予備弾(12番ゲージ弾)×27、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、他支給品一式】
【状態:若干疲労、右肩負傷(応急処置及び治療済み)、氷川村へ、目標は麻亜子の説得】


【時間:二日目・16:45】
【場所:I−7】
緒方英二
【持ち物:H&K VP70(残弾数0)、ダイナマイト×4、ラッシュメモリ、ベレッタM92(6/15)・予備弾倉(15発×2個)・支給品一式×3】
【状態:健康、目標は仲間、特に環の捜索と弥生・冬弥の殺害】
神尾観鈴
【持ち物:ワルサーP5(2/8)、紙人形】
【状態:目標は綾香の殺害、脇腹を撃たれ重症(歩く分には大きな支障が無い程度に回復)、英二に同行】
-


BACK