LoVE & SPANNER,and LOVE(後編)




「―――失せろ、下種」

鎌石小学校の外壁を、まるで障子紙を破るように破壊してのけた男の名を、芳野祐介という。

「ゲェェーック! 何だ、貴様……ッ!?」

咄嗟に振り向いた御堂が、しかしその瞬間、凍りついたように動きを止めた。

「ゲ……ゲェェ……ック」

七瀬彰を嬲る間も肌身離さずに持っていた拳銃を抜き放とうとする手が、震えていた。
瞬く間に、御堂の全身に嫌な汗が噴き出す。

「ほう……少しはやるようだな。互いの力の差くらいは理解できるか」
「き……貴様、何者だ……!?」

だらだらと汗を流しなら、御堂が声を絞り出す。
芳野が、鋭い眼差しで御堂を射抜きながら口を開く。

「―――雑魚に名乗る名は持ち合わせていない。……そいつから離れろ」
「グ……ち、畜生……」

絞り出すような声で呻く御堂。
ぎり、と奥歯を噛み締める。

「聞こえなかったのか? ……もう一度言う。そいつから、離れろ」
「こいつ……こいつ、は……俺の……!」

御堂が言い終わる前に、芳野の手が動いていた。
風通しの良くなった室内に、軽い音が響く。

「が……っ! なん、だと……!?」

驚愕に慄く御堂を、芳野はただ静かに見つめている。
はらり、と何かが宙を舞っていた。

「き、貴様……、俺の……軍服を……!」

震える声で唸る御堂は、いまや一糸纏わぬ姿であった。
舞い散っていたのは、御堂の着込んでいた軍服の切れ端である。
御堂の戦慄も無理からぬことであった。
芳野がしたことは、ただ差し出した手の先で、指を鳴らしてみせたという、それだけのことだった。
ただそれだけの動作で、御堂の軍服は千々に切り裂かれ、ズボンに挿していた拳銃は輪切りにされ、
そして、御堂自身にはかすり傷一つついてはいなかったのである。
達人の使うという剣圧の類と見当はつけてみても、御堂は動けない。
否、何気ない仕草でそれをやってのける技量が推し量れるからこそ、御堂は身じろぎ一つできないでいた。
それだけ、彼の眼前に立つ男の力量は圧倒的であった。

「―――勘違いするなよ、下種」

全裸の御堂を見据えたまま、芳野が淡々と言う。

「お前を殺さないのは、そいつに血を見せたくないからだ」

そいつ、と口にした一瞬、芳野が御堂の背後、彰へと目をやる。
その視線にどす黒い殺意を掻き立てられながら、御堂は芳野を睨み返した。
敵う相手ではなかった。一矢を報いることすらできぬと、わかっていた。

「ゲ……ゲ……ゲェェェーック!」

ベッドの上で中腰になった御堂が、じりじりと、円を描くように動く。
芳野との距離を詰められぬまま、壁に空いた大穴へと近づいていった。
最後にちらりと彰を見ると、御堂が言う。

「ケッケッケ、覚えてろよ……俺はいつでも、お前の傍にいるからな……!」
「次に顔を見たら、素っ首叩き落す。そのつもりでいろ」
「……ゲェーック! ゲェーック!!」

芳野の視線から逃れようとするかのように、御堂が飛び退いた。
そのまま振り返らずに走っていく。
校庭を横切り、森に入ってその後ろ姿が見えなくなるまで、芳野は厳しい眼でそちらを見据えていた。


******


「……もう、大丈夫だ」

振り向くと、芳野は普段の彼を知る者が見れば驚くような、柔和な笑みを浮かべて言った。
慈しむようなその視線は、真っ直ぐに彰へと向けられている。
ベッドの上で、握り締めたシーツで身体を隠すようにしている彰へと、そっと手を伸ばす。
だが、その雪のように白い肌に触れようとした瞬間。

「……っ!」

彰が、声にならない悲鳴をあげて身を震わせた。
何か眩しいものを見るようだったその瞳も、怯えた小動物を思わせる色を浮かべている。

「す……すまん」

慌てて手を引く芳野。何をしているのだ、と自省する。
目の前の少年はたった今、強姦されかかったのだ。
見も知らぬ人間を警戒するのは当たり前だった。

「い、いえ、僕のほうこそ助けてもらったのに……すいません」

そう言って、涙目のまま頭を下げる彰。
その姿を目にしたとき、芳野は不思議な温かさが全身に広がるのを感じていた。
ずっと感じていた胸の中の棘が大きくなるような、それでいて転がる棘が決して痛みだけではない何かを
もたらすような、奇妙な感覚。
それはひどく甘やかで、懐かしい感情だった。
目の前の少年のことを、もっと知りたいと思った。

「俺……俺は、芳野祐介。お前の名前を、聞かせてくれないか」
「あ……、僕は七瀬、七瀬彰です」
「彰、か……いい名前だな」

彰、あきら。
その名を舌の上で転がすように、何度も小さく繰り返す芳野。

「その、ありがとうございます……芳野さん」
「祐介でいい。……俺も、彰と呼ぶ」
「はい……祐介さん」

上目遣いで見上げながら己の名を呼ぶ少年の瞳を見返した瞬間、芳野は心拍数が跳ね上がるのを感じていた。
動揺を誤魔化すように目を逸らし、咳払いしながら口を開く。

「そ、それより早く服を着てくれ。その格好は、その……目に、毒だ」
「え……、あ!」

全裸に近い格好のまま、シーツで前を隠しているだけの彰が、己の姿に気づいて赤面する。
白い肌が、一気に紅潮した。
赤く染まった耳と細く白い肩のコントラストから視線を剥がすのに苦労しながら、芳野はようやく口を開く。

「き、着終わったら声をかけてくれ」

そう言うと、後ろを向く芳野。
背後から、小さな衣擦れの音が聞こえてくる。
目を閉じるとあらぬ妄想が浮かんできそうで、芳野は瞬きもせず己が破壊した壁の向こうに見える景色を凝視していた。
風が吹きぬける音だけが響く静けさの中で、時が流れていく。
しばらくそうしていた芳野だったが、とうとう痺れをきらして声をかけた。

「も、もういいか……?」
「……まだ、です」
「そ、そうか」

どこか恥らうような声。芳野は自身の堪え性のなさに内心で頭を抱える。
自分にとってはひどく長い時間に感じられたが、もしかすると実際には数秒しか経っていなかったのかもしれない。
そんな風にすら思えた。
明らかに平静ではない己の精神状態が、しかしひどく心地よくて、その二律背反に芳野はまた悩む。
胸の中の棘が、転がった。
痛痒いその感覚に、胸を掻き抱いて蹲り、思う様叫び出したい衝動に駆られる。

「……ね、祐介さん」

歯を食い縛って衝動に耐える芳野の背後から、小さな声がした。
恥じ入るような、それでいながらどこか鼻にかかったような、囁き声。

「なん―――」

振り向こうとした芳野の腰に、白い腕が回されていた。

「な……!?」

彰が、芳野に抱きついていた。
見下ろした彰の、ミルク色の細い肩のラインがひどく艶めかしくて、芳野は正視できない。
彰は、その身に何も纏っていなかった。

「なに、を……」
「―――お礼が、したいんです」

芳野の腹の辺りに顔を埋めながら、彰が言う。
服越しに感じる吐息の熱さと声の振動に、芳野は体の芯から何かがせり上がってくるのを感じていた。

「さっき、とっても怖かった」

言いながら、彰は芳野のベルトに手をかける。

「ひどいことされて、殺されるって、思った」

かちゃかちゃと音を立てて、ベルトが抜き取られた。

「助けてって、思ったんです。誰か助けて、って」
「クッ……や、やめ……!」

ジッパーが、そっと下ろされていく。

「そうしたら、来てくれた。僕を助けに来てくれたんです。祐介さんが」

反射的に彰を突き飛ばそうとして、芳野は必死で己を抑える。

(駄目だ……! 今の俺がそんなことをすれば、こいつは……!)

加減のきかない力は、彰の華奢な身体をいとも簡単に破壊してしまう。
壁に叩きつけられて物言わぬ屍となる彰の姿が、脳裏をよぎる。

「……だから、祐介さんにお礼がしたいんです」

言葉と共にボクサーパンツが下ろされていくのを、芳野はなす術なく見守るしかなかった。

「僕にできることなんでもしてあげたいって、そう思ったんです。だから―――」

そう言うと、彰は躊躇なく、芳野のモノを口に含んだ。


******


―――汚らしい。

七瀬彰は、芳野のモノを舌の上で転がしながら、そう思う。
瞬く間に大きく、硬くなりはじめたそれを、一旦口から出すと、そそり立つモノに舌を這わせる。
舌全体を広く使いながら、亀頭を舐め上げていく。

「くぅ……」

芳野の、獣じみた吐息。
こいつも同じだ、と彰は内心で唾を吐く。
高槻と、軍服の男と、同じ種類の生き物だ。
汚らしい、獣欲にまみれた、畜生以下の屑どもだ。

「どう……? 気持ちいい……?」

そうして自分は、そんな屑に奉仕している、最低の人種だ。
玉袋に添えた指をやわやわと揉むように動かしながら、エラの張った雁首を、舌先でつつくように刺激してやる。

助けて、と願った。
誰か助けて、と。何でもする、生きたい―――と。
その結果が、この様だ。
どこか遠くにいる神様が、意地悪な顔で笑っているような気がした。
どうした、生き延びるためなら何でもするんじゃなかったのか。
男に身体を差し出すくらいが何だ、その程度でお前を助けてやろうというのだ、安いものじゃないか―――。
そんな声が聞こえてくるような気すら、していた。

(ああ、やってやるさ……何だって、ね。だからそこで……黙って見ていろ、クソッタレの神様め)

たっぷりと唾液をまぶした舌で、裏スジを上下に舐める。
空いた指の腹で雁首を擦りながら、上目でちらりと芳野の様子を窺う。

「う……あ、彰……」
「ん、ふぅ……」

眼が合うや、頬を真っ赤にして視線を逸らす芳野。
予想以上の反応に呆れながらも、彰は一つの確信を得ていた。

(僕には……一つの才能が、ある)

潤んだ瞳。
高く、薄い声。
少女じみた童顔。
細く華奢な体つき。
白くキメの細かい肌。
それら、これまでの人生ではコンプレックスの種でしかなかった自分の身体的な特徴が、
今のこの島では、大きな財産になり得る可能性を秘めていた。即ち、

(僕の身体は……一目で、男を惹き付ける)

特にその効果は、青年期を過ぎた男性に顕著なようだった。
高槻は出会って間もなく自分を愛していると断言し、文字通り身体を張って自分を守り通した。
軍服の男は、即座に自分を犯そうとした。
そして今、芳野祐介だ。
人間離れした能力を持ったこの男は、明らかに自分に惹かれている。
ならば、と彰は考える。

(なら、もう僕から離れられないようにしてやる……)

そのためならば、こうして奉仕することも厭わない。
口先と身体だけの愛ならば、いくらだって捧げてやる。
それほどに、芳野祐介の力は圧倒的だった。この男といれば、この場を生き延びるどころか、
ターゲットを殺害しての帰還すら現実的なものとなると、彰は思う。
澤倉美咲と合流したとしても、うまく誤魔化す自信があった。
何しろ自分の身体に群がる男たちの思考回路など、獣以下だ。

(そのためにも……今、頑張らないと)

先走り液を指に絡ませながら、彰は竿をしごき上げる。
亀頭は口にすっぽりと含んでいた。
口蓋と舌とで包み上げると、頭ごと前後に動かすようにして刺激を強める。

「く……うぅっ、彰……」

びくり、と芳野のモノが震えた。
限界が近いらしいことを感じ、彰は最後の仕上げに取り掛かった。
わざとぴちゃぴちゃと音を立てながら、咥内のモノを出し入れする。
竿に這わせた指の力を、少しづつ強めていく。裏スジを、爪の先で掻いた。
速いペースでしごき上げながら尿道を舌先でつついた瞬間、

「あ、あき、ら……くっ、うぁ……あぁああっっ……!」

どくり、と芳野のモノから、濁った液体が溢れ出した。
あまりの濃さに、白濁を通り越して黄色がかった粘液が、びゅくりびゅくりと彰の顔を汚していく。
頬といわず鼻筋といわず、芳野の精にまみれる。
垂れてきた液体を、ぺろりと舌を出して受け止める彰。
おぞましさを噛み潰しながら、上目遣いで芳野に照れたような笑みを見せる。

「祐介さんの……いっぱい、出てる……。……え?」

彰の表情が、凍った。
見上げた芳野の様子が、おかしかった。

「う……うぁ……ぉぉ……と、とまら……ない……くぉぉ……っ」

苦悶に顔を歪めながら、芳野が呻いていた。
そしてその言葉通りに、射精も止まる気配を見せない。
明らかに異常な量を放出していながら、いまだに粘液を吐き出し続けていた。

「祐介さん……! 大丈夫、祐介さ、……う、うわぁぁぁぁっ!?」

我知らず、彰は悲鳴を上げていた。
涙すら流して苦しむ芳野の、その顔が、彰の見る前で急速に痩せ衰えていた。
瞬く間に頬がこけ、眼窩は落ち窪み、肌に皺が刻まれる。
死が色濃く見て取れる老人の如く、芳野が枯れ果てていく。


******


「ぐ……おぉぉぉぉッ!」

絶望と苦悶の中で、芳野祐介は己の過ちを悟っていた。
超絶的な肉体が、禁欲と過剰薬物のバランスによって成立していることを失念していた。
天秤の片方から錘を取り除いてしまえば、そのバランスは崩壊するのが自明といえた。

精液と共に、己を支えていた無数の生殖細胞が体外へと排出されていくのがわかる。
超速移動によって断裂した全身の筋細胞が、死滅していく。
回復能力を失った骨が、そこかしこで砕けるのを感じた。

死を前にして、芳野はひどく冷静に、思う。

(―――ああ。ようやくわかった)

しばらく前から、胸の中を焦がす感覚の正体。
射精によって肉欲が薄れ、ようやくにして思い出すことができていた。

(恋、か―――)

かつて、伊吹公子と出逢った頃に感じていた、胸の高鳴り。
ざわめき、揺れ、身悶えするほどに高まった、感情。
七瀬彰という少年との出会いは、そういうものに、似ていたのだ。

(すまん、公子……俺は、最期までどうしようもない男、だったな―――)

既に視力も失われ、黒一色に染まった視界の中に、たった一人の女性を思い浮かべながら。
芳野祐介は、その波乱に満ちた生涯を終えた。


******


木乃伊の如き遺骸を前に、七瀬彰は呆然と座り込んでいた。
どうして、とそればかりが頭をよぎる。

何も残らなかった。
汚辱と恐怖とに耐えながら築き上げようとしたものは、芳野祐介と共に文字通りの灰燼に帰した。
破壊しつくされた室内。床と、壁と、そして己を穢す、栗の花の臭い。
吐き気がした。堪えきれず、白濁液が溜まる床にぶちまける。
びちゃびちゃと撥ねる吐瀉物が、白濁液と混ざり合ってマーブル模様を作り出し、その様にまた
悪心がこみ上げてきて、更に吐く。胃液に刺激されて、涙が出てきた。

「ち……く、しょう……」

感情が、決壊した。
声をあげて、彰は泣いていた。
近くにある物を掴んで、手当たり次第に投げつけた。
そうして手の届く範囲に物がなくなると、ベッドに蹲って叫んだ。
くぐもった泣き声が、ただ響いていた。




【時間:2日目午前10時過ぎ】
【場所:D−6 鎌石小中学校保健室】

七瀬彰
 【所持品:アイスピック】
 【状態:右腕化膿・高熱・慟哭】

芳野祐介
 【所持品:Desart Eagle 50AE(銃弾数4/7)・サバイバルナイフ・支給品一式】
 【状態:死亡】

御堂
 【所持品:なし】
 【状態:全裸】
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