浩之がドアを開けた時、目に飛び込んできた光景は正に地獄絵図だった。 顔を大きく切り裂かれた上に、喉を突き破られ、血で構成された水溜りの中に倒れ伏す女性の死体。 その女性の死体を抱きかかえて、悲しい喚き声を上げ続ける少女。 そんな中、返り血を浴びて至福の笑みを浮かべている女――もはや完全に鬼と化した、柏木千鶴。 「あ……あああ……」 凄惨に過ぎるその光景を呆然と眺めながら、チエが小さく声を漏らす。 それに反応して、まるで機械のように千鶴の首が動き、続いて目がぐるりと回り浩之達の姿を捉えた。 その瞳は赤く染まっており、奥底に昏い光を携えていた。そして千鶴の喉の奥から、酷く掠れた音が紡がれる。 「フフ……新しいお客さんかしら。貴方達も私の邪魔をする気?」 「……!」 千鶴の『壊れた』姿を目にし、更にその声を聞いた時にはもう、浩之は完全に言葉を失っていた。 実の所浩之は、役場にゲームに乗った者がいても、まずは説得を試みる気であった。 やはり自分は、柳川裕也のようには割り切れない――だから、ゲームに乗った者すらも出来れば救いたいと、そう思っていた。 だがしかし、今目の前に居る者はとても話が通じる状態ではない。平瀬村で見た時の柏木千鶴とは、まるで別人である。 そして目が見えずともこの場の異様な雰囲気を察し、不安げに浩之の服の袖を掴んでいるみさき。 これまでの反省を活かすなら、仲間達の死を無駄にしない為には、今こそ非情にならねばならない。 「吉岡……川名……、下がってろ」 「――え?」 二人の返事を待たずして、浩之はデザートイーグルを手に駆け出した。 仲間が殺されてしまってから戦うのでは遅すぎる。迫る脅威から仲間を守るには、手遅れになる前に戦わなければならないのだ。 頑なに殺人を拒んできた浩之ですらそう決断してしまうだけの狂気が、この死臭漂う部屋の中には満ちていた。 「このぉっ!」 浩之は初めて明確な殺意を持ち、千鶴の胴体を狙って……人を殺す為に拳銃の引き金を絞る。 だが震える手から放たれた銃弾は滅茶苦茶な方向へと飛んでいき、千鶴の体に命中する事は無かった。 湧き上がる焦りの感情を抑え込み、両手で拳銃をしっかりと固定して、もう一度銃弾を放つ。 浩之の両肩に大きな反動が伝わったが、今度は確かに銃弾は狙い通りの位置へと飛んでいった。 だがその時にはもう、千鶴の姿は浩之の銃口の先から消えていた。 「くそっ!」 浩之は咄嗟の判断で地面を全力で蹴り、跳ねるように移動する。 遅れて連続した銃声が鳴り響き、それまで浩之がいた場所を数発の弾丸が切り裂いていた。 素早く体勢を整えて、もう一度銃を放とうとしたが、既に千鶴の銃口は浩之の方を向いている。 浩之はその場に転がり込んで、銃口より直線状に伸びる死の軌道から体を外した。 再び千鶴の89式小銃が火を噴き、浩之の頭のすぐ上の空気を銃弾が貫いていく。 圧倒的な火力による攻撃を何とか凌いだ浩之ではあったが、避け方が悪かった。 地面に転がってしまった大きな隙を、敵が見逃してくれる筈も無い。 「死に……なさい」 頭上より聞こえる、冷え切った声。 浩之が顔を上げると、千鶴がもうすぐ傍にまで迫っていた。 その手に握られた89式小銃が、浩之の眼前に突き付けられる。 「しまっ――!?」 浩之が完全に状況を飲み込むよりも、みさきやチエが悲鳴を上げる早く、部屋中に銃声が響き渡る。 訪れるのは、あまりにもあっけない死。 連続して放たれる銃弾は間違いなく浩之の胸を貫いて、一瞬にしてその命を奪い尽くすだろう。 だが―― 刹那のタイミングで何かが飛んできて、千鶴の放った銃弾の悉くがその物体に弾かれた。 「これは……?」 呆然としたまま、驚きの声を上げる浩之。 浩之には知る由も無いが、その物体はかつて少年が使用していた道具。 アサルトライフルの銃弾すらも防ぎきる、頑強な強化プラスチック製の盾だった。 「千鶴姉ぇっ!」 「――ッ!?」 聞こえてきた声に、浩之とみさきが、そして千鶴も反応する。 浩之が振り向くと、部屋の入り口に、見覚えのある女――柏木梓が立っていた。 梓は豹変しきってしまった姉の姿を前に、信じられない、といった風に目を見開いていた。 「あ、梓……!?」 浩之が声を掛けると、梓ははっと我に返り、そして少し間を置いて返事をした。 「……久しぶりだね。すまないけど、ここはあたしに任せてくれないかな?」 「けど、その女は……」 浩之は素直に頷く気にはなれなかった。千鶴はもはや話が通じる状態では無い。 誰が説得を試みようとも、結果は決まりきっているように思えた。 それでも梓は静かに、しかし力強く首を振った。とても悲しそうな目をしながら。 「あたしだって分かる。今の千鶴姉は正気じゃない……けど。それでも、あたしの大事な家族なんだ!」 梓はそう叫ぶと、重い足取りで千鶴の目の前まで歩いていった。何故か浩之には、その背中が霧に包まれたように霞んで見えた。 「千鶴姉……」 目を背ける事無く、逆に千鶴の紅く光を放つ目をじっと見つめながら、梓が静かに話し掛ける。 対する千鶴はまるで子供のように、きょとんとした顔で梓を眺めていた。 「一体どうしたってんだよ……千鶴姉はあたし達家族の中で一番しっかりとしてたのに……」 そう。叔父の死後、柱を失って悲しみに暮れていた家族達を、千鶴は常に支えてきた。 どんなに辛い事があろうとも逃げ出さずに、たとえ自分を犠牲にしてでも、ただひたすらに頑張り続けてきた。 それが梓の中で形成されている、決して揺らぐことの無い強い姉の姿――柏木千鶴の生き様だった。 「頼むから正気に戻ってよ……人殺しなんてもうやめてくれよ……」 「人殺しをやめて……どうしろっていうの?」 「――――!」 梓がここを訪れて以来初めて、千鶴が口を開いた。それは思いの外、落ち着いた声に聞こえた。 良かった、千鶴姉はまだ『戻れる』――千鶴が錯乱せずに話し合いに応じた事で、梓の心に希望が芽生える。 「そりゃ勿論、皆で協力してこの島を脱出するんだよ。ついでに、主催者の野郎もぶっ飛ばしてさ」 「そんな事が出来ると思ってるの……?」 「あたし達家族が力を合わせれば十分いけるでしょ。それに他の皆だってこんな殺し合いは望んでないし、協力してくれるよ」 訝しげに尋ねてくる千鶴だったが、梓は明るい調子で自信満々に言った。事実梓は、脱出は十分に可能だと思っている。 それも仕方の無い事だった。梓は耕一が死んだ事を知らない上に、これまで出会った人間の大半がゲームに乗っていない者だったのだから。 それに加えて、主催者側の人間であるという少年を打倒した事も、梓の楽観的な考えに拍車をかけていた。 しかしそれでも、梓はもっと事態を重く見るべきだったのだ。 忘れてはいけない――僅か1日で40人以上の人間が命を失い、そして妹の楓もその中の一人であるという事を。 この島の現状は決して甘く考えれる物では――それどころか、今もなお絶望的と言える状況下にある。 狂った頭でも、追い詰められた現実を十二分に理解している千鶴には、梓の軽率に過ぎる言葉が届く筈も無かった。 千鶴は歯を食い縛って、わなわなと震え出す。それからポツリと、一言呟いた。 「――――――るさい」 「……え?」 それは聞く者全てを凍りつかせるような、とても冷たい声。梓は思わず聞き返してしまった。 「うるさい!梓も愛佳ちゃんも、みんなみんな理想論ばっかりで!私を一人ぼっちにして!」 「ちが……あたしそんなつもりじゃ……」 千鶴は首を振って涙を零しながら、心の底から絶叫した。 これまで決して弱さを見せることの無かった姉の、とても悲痛な叫びの前に激しく動揺する梓。 それは話を聞いていた浩之達も一緒で、声を発する事が出来なくなってしまっていた。 「もうたくさんよ!耕一さん以外、誰も私を分かってくれない!みんな――死んでしまえばいいのよ!」 ――誰一人として、全く動けなかった。起こっている出来事を、ただ傍観している事しか出来なかった。 千鶴は泣き叫びながら89式小銃を構えると、目の前にそれを向けて思い切りトリガーを引いた。 正面には梓がいて――立ち尽くす彼女の体を、荒れ狂う幾多もの銃弾が容赦なく蹂躙してゆく。 蜂の巣と化してしまった梓の体は、支えを失った人形のように、どさっと床に倒れ込んだ。 ずたぼろにされた梓の腹部と胸から大量の血が流れ出し、その目から流れる涙もまた、地面を濡らしていた。 それから少しして、ようやく浩之が声を絞り出す――ゆっくりと、震えながら。 「あんた……何してんだ?」 僅か数回とはいえ会話を交わした知人の死による悲しみや、目の前の狂人への恐怖を押し殺して、叫ぶ。 「梓は、あんたの妹だったんだろ!?それをどうしてっ……!」 「…………」 千鶴は答えない。喚く浩之を無視して、89式小銃の銃口をすっと別の方向へと向けた。 その先には愛佳が、泣き腫らした目で座り込んでいた。愛佳は千鶴の行動に気付くと、唇を動かした。 「ちづる……さん……?」 その声にはまるで生気が無く、自分の身が緊急事態に置かれている事を、全く理解していないようだった。 「――くそったれ!」 次の瞬間、浩之は思い切り地面を蹴った。形振り構わず、力の限り駆けた。 今の浩之の脳裏を占めている想いはたった一つ――守りたい、という意思だけだった。 これ以上、自分の前で誰も死なせたくない。一人でも多くの人を救いたい。 今にも火を噴きそうな銃口を省みず、足の筋肉を酷使して、全力で飛び込んだ。 浩之が愛佳の体を抱いて転がるのと、ほぼ同時。89式小銃が、暴力的な唸りを上げた。 「く……ぁ……っ!」 「ふ、藤田先輩!」 チエが声を張り上げて叫ぶ。弾丸のうちの一つは、浩之の脇腹を掠めていた。 急激に襲い掛かる激痛で、浩之が低い呻き声を漏らした。 千鶴は弾丸が尽きた89式小銃を捨てて、美佐江の死体の傍まで歩くと、そこに転がっているウージーを拾い上げた。 「ウフフフ……」 何が楽しいというのだろうか。自らの手で妹を殺害し、目から涙を流したままなのに、千鶴はにやりと口元を歪めていた。 まだ起き上がれないでいる浩之に向けて、のろりとした動作でウージーを構える。 「おりゃぁぁぁっ!」 「っ!?」 しかし千鶴の背後から、これまで全く動きを見せなかった者――吉岡チエが、飛び掛かってきた。 意外な人物の唐突な乱入に、千鶴は初動が大きく遅れてしまってる。 チエは走り込んだ勢いのままナイフを振り下ろし、それは千鶴の身体を見事に捉えていた。 「ああああああああっ!」 背中を大きく切り裂かれた千鶴が、迸る激痛に大きな叫び声を上げる。 それでも千鶴はどうにか横へステップを踏んで、続けざまに振るわれたチエの一撃だけは回避した。 意表を突かれたのは千鶴だけではない。仲間である浩之も、突然のチエの行動に驚いていた。 「お前、下がってろって言っ――」 「嫌ッス!」 諌めようとした浩之だったが、それを遮るようにチエが叫んだ。とても、強く。 「あたしはこれまで、ただ守られてばっかりで……、戦いが終わった後に、悲しむだけで……」 「吉岡……?」 「あたしだって、戦えます!仲間が傷つくのを黙って見てるなんて、もう嫌ッス!」 それは無力だった少女に芽生えた、強い意志だった。仲間の死を乗り越えた少女の、固い決意だった。 浩之は一瞬戸惑うような仕草を見せ――そして、大きく頷いた。 「分かった……いくぞ、吉岡っ!」 「了解ッス!」 頷き合った後、千鶴を挟み撃ちにする形で、二人は同時に走り出した。この戦いを終わらせる為に。 敵の――柏木千鶴だった人間の抜け殻による、悲しい殺戮を終わらせる為に。 「うおおおっ!」 もう躊躇もクソも無い。浩之は乱暴にデザートイーグルの引き金を二度、引いた。 驚くべき吸収力で何事もそつなくこなす浩之は、拳銃の扱いに関してすらも、飲み込みが早かった。 デザートイーグルの銃口より放たれた弾丸は、正確に千鶴の胴体向けて飛んでゆく。 回避行動を取ろうと上半身を捻った千鶴だったが、避けきれない。千鶴の左肩から鮮血が迸る。 背中の怪我や、平瀬村の戦いで負った傷も含めれば、今の千鶴はまさに満身創痍。 肉体も精神も、もはやボロボロの状態だったが――千鶴は止まらなかった。 千鶴は残る右腕でウージーを堅持し、浩之に向けてそれを斉射する。 「ぐうっ!?」 脳に、焼け付くような感覚が伝達される。急所にこそ命中しなかったものの、浩之は左腕と右足を負傷してしまった。 続いて千鶴はくるりと後ろを向きながら、ウージーを横一直線に振り回した。 「あぐっ……」 千鶴の背後から迫っていたチエは、左腕を銃身で殴りつけられて、大きくたたらを踏んで後退した。 傷付いた三者は距離を置いた状態で、それぞれが自身の体勢を立て直す。 「く……そ……」 浩之は左腕を押さえながら、よろよろと立ち上がった。敵は恐ろしいまでの強さだ。 正気を失ってもなお、千鶴に流れる鬼の血は猛り続けている。それでも浩之には、逃げる気など毛頭無かった。 ここで千鶴を放置すれば、夥しい数の犠牲者が出るだろう。何としても今、倒さねばならないのだ。 床に倒れている見知らぬ女性や梓の為にも――そして、千鶴自身の為にもだ。 千鶴が血に染まった顔で、こちらを見つめてくる。浩之はそれを睨み返し、デザートイーグルを持ち上げた。 もうこれで、何度目になるだろうか――血の匂いの充満する部屋の中に、銃声が響き渡った。 その場を飛び退く事で、千鶴は猛然と迫る脅威から身を躱した。 地に降り立った千鶴は再びウージーを構え、引き金にかけた指に力を入れようとする。 だが千鶴は足に異物が進入する感覚を覚え、次の瞬間、凄まじい激痛が彼女を襲った。 「ぎゃああああああっ!」 たとえ背後からの攻撃とはいえ、予想していれば、そして直接斬り掛かってくるのならば反応するのは容易い。 だからこそ千鶴は飛び道具を持つ浩之に狙いを絞っていたのだが、チエは予想に反してナイフを放り投げた。 そしてチエの武器は投げナイフである以上、本来はそういった使い方をするものなのだ。結果、ナイフは千鶴の足に突き刺さっていた。 これまで凶暴なる殺意に翳りを見せる事の無かった千鶴が、足を貫かれて、とうとう地面に膝を付く。 千鶴の外見を見渡してみると、もう血に濡れていない部位を探す方が難しかった。 返り血と、そして己の血で、千鶴の服も身体も、赤い色で埋め尽くされている。 そんな風体を晒しながらもなお、千鶴は抵抗を続けようとした。 「アアアアアアアアアアアアアッ!」 もはや言葉を成していない叫びを上げながら、千鶴はウージーの銃口をチエに向ける。 この世の物とは思えぬ千鶴の形相を目撃し、チエの身体は硬直してしまった。 勇気を振り絞って抵抗したが、圧倒的な存在を前に、チエは恐怖を拭い切れなかった。 そして同時に―― (こんなに悲しそうな顔をしてる人、見た事ないよ……) 湧き上がる同情という名の感情も、消し切れなかった。 チエは千鶴の顔を凝視し――そして、銃声と共に千鶴の胸から大量の血が噴き出した。 千鶴の肩の向こうを見ると、浩之が立っていた。その手には、デザートイーグルが握られている。 動きの止まった千鶴は、浩之にとって絶好の的だったのだ。 「ア……ア、ァァ……」 千鶴が口から盛大に吐血し、ずるずると床に崩れ落ちていく。 そのまま千鶴の身体はぴくりとも動かなくなり、ただ血だけが零れ落ち続けていた。 「終わった……のか?」 血の海に沈んだ千鶴を見つめた後、浩之がぼそりと呟いた。それはチエも同感だった。 時間にすれば僅か30分にも満たぬ出来事だったが――永遠にも感じられる、長く苦しい戦いであった。 それ程この戦闘は厳しいものだったのだ。複数の人間が命を失い、残された者も傷付いている。 そこで浩之は、ふともう一人の仲間の事を思い浮かべた。 「そうだ、川名は――」 浩之はみさきの姿を探し出すべく、首を回そうとした。しかしそれより早く、浩之を衝撃が襲う。 「浩之君っ!」 「うおっ!?」 服越しに伝わる、柔らかい感触。そして女性特有の、鼻を刺激する心地好い香り。 ――みさきが、浩之に抱きついていた。光を失ったその瞳が、涙で滲んでいる。 「こんな事言うのは不謹慎だけど――良かった……浩之君が死ななくて、本当に良かったよ……」 目の見えないみさきだったが、音声と気配だけでも戦いの凄惨さは容易に推し量れた。 浩之の事が心配だった。しかし自分がその場に飛び込めば、確実に足手まといになる。 だからこそみさきは、戦火の及ばぬ位置で浩之の無事をただ祈り続けるしか無かったのだ。 「川名……」 浩之は、みさきの震える肩を抱きしめた。少しでも、彼女を安心させようと。 何としてでも守りたいと思った。目が見えなくとも心優しき、この健気な少女を。 「大丈夫だ、俺は死なねーよ。絶対生き延びて、そして皆と一緒に帰るんだ」 「浩之君……」 ぎゅっと抱き締めあう。そうしているうちに、少しずつみさきの震えが収まってきた。 最後に一際強く腕に力を込めてから、みさきの背に回している手を放した。 「さて、まずは後始末か」 いつまでもお互いの無事を祝っている訳にもいかない。死体の埋葬、傷の手当て、他にも色々しなければならない事はある。 銃声を聞きつけた殺人者が、いつこの場に飛び込んでくるとも限らない――最優先事項は、武器の回収だった。 武器を探そうと思いふと横を見ると、チエが僅かに顔を赤くしてこちらを眺めていた。視線に気付き、慌ててチエは背を向ける。 「くあっ……」 浩之の頬を、冷たい汗が伝う。そう、抱き合うシーンは当然の如く見られていたのだ。 しかし、これはまさに自業自得というものである。浩之はバツが悪そうに頭の後ろを掻いて、武器の回収を始めようと歩く。 ダダダダッ!! 「――――ッ!?」 「何っ!!?」 響き渡った銃声に浩之が振り向くと、千鶴が――死んだと思っていた千鶴が、倒れたままの姿勢でウージーを放っていた。 鬼の力の恩恵によるものか、当たり所がマシだっただけなのかは分からないが、ともかく千鶴はまだ生きていたのだ。 「……ァ……ァァァァ……」 喉の奥から聞き取れぬ程小さい呻き声を出しながら、千鶴は銃口をすっと浩之に向けた。 浩之はデザートイーグルを構えトリガーを引き、そして弾が尽きている事に気付いた。 鞄の中に予備マガジンはあるが、取り出している時間は無い。今の自分の足では、身を躱そうとしても間に合うとは思えない。 いや、最後まで諦めちゃ駄目だ――! 跳躍するべく、浩之は傷付いた足に力を入れた。だがそれより先に、一つの銃声が聞こえた。 浩之は自分が撃たれたものだと勘違いしたが、そうでは無かった。見ると、千鶴の眉間から血がシャワーのように噴き出していた。 千鶴はウージーを手放し、がっくりとその首が垂れ落ちて、今度こそ紛れも無い完全なる死を迎えた。 助かったのだ、とにもかくにも。しかしこの場で銃を持っているのは、自分と千鶴だけの筈。 一体誰が―― 「……したくなかった」 聞こえてきた声に、浩之は首を向けた。そこでは浩之にとっては名も知らぬ少女――小牧愛佳が、ドラグノフを構えていた。 「私……千鶴さんを助けたかった……。こんな事したくなかった……したくなかったよぉ……」 愛佳はドラグノフを地面に捨てて、目からぼろぼろと大粒の涙を零し、床に崩れこんだ。 事情を知らぬ浩之は、どうして良いか分からず呆然と立ち尽くした。 だが――何かが引っかかる。何か、大事な事を忘れていないか? そうだ、千鶴が死ぬ前に放った銃弾は、誰を狙っての物だったのだ? 湧き上がる焦燥感と共に、浩之は周囲を確認する。そしてデザートイーグルが、浩之の手から落ちた。 「か……か……、川名ぁぁぁぁぁっ!」 みさきが床に突っ伏していた。その腹の辺りから流れ出す、夥しい量の血。 止まる事の無い、赤い血。彼女の生命が、その血と共に失われてゆく。 自分の怪我などどうでもいい。浩之は走った。僅か数メートルの距離が、酷く長くて煩わしい。 みさきの身体を抱き上げる――それは、とても軽く感じられた。 みさきは浩之に向けて、微笑みかけた。信じられないくらい、穏やかな笑みだった。 「ごめんね浩之君。やられちゃったよ……」 「馬鹿、何で謝るんだよ!俺が……俺が油断したせいだっ……!」 「ううん。浩之君は何度も私を守ってくれたよ。浩之君がいなきゃ、私もっと早くに死んでた……」 「でも――」 それ以上言葉を続けられない。何か言おうとした浩之の口を、みさきの人差し指が抑えていた。 「それより――お願いがあるんだけど、良いかな?」 浩之達は、役場の外に出ていた。太陽が見える場所に行きたい――みさきの要望はそれだけだった。 すぐ近くで、平瀬村で見た謎の生物――柏木千鶴が騎乗していたウォプタルが、寂しげに佇んでいる。 「そうか、あいつは主人を失ったんだな……」 呟く浩之は、今にも息絶えそうなみさきをしっかりと背負っていた。 「ねえ、浩之君……」 みさきが話し掛けてくる。注意していなければ聞き落としそうなくらい、とても小さい声だった。 「――何だ?」 「今日の夕焼けは……何点くらいかな?」 言われて浩之は、天を仰ぎ見た。少し考えた後、浩之は答えた。 「――綺麗な夕日だぞ。文句無しの、100点満点だと思うぜ」 「ふふ……浩之君は優しいね……」 「……どうしてだ?」 「この時間に……夕焼けなんて見えるわけ、ないよ」 ――そう、嘘だった。夕焼けなど見えない。まだ陽は天高くに昇ったままだった。 浩之は何も言えなかった。首を回して、ただみさきの顔を見つめる。 「そんな優しい所も……好きだよ」 「……え?」 浩之は自分でもおかしく思えるくらい、間抜けな声を出してしまった。 それくらい、みさきが発した今の言葉は浩之を驚かせていた。 みさきは最後の力を振り絞り、顔の筋肉を強引に動かして、笑みを作って見せた。 「私ね……浩之君の事――」 そこで突然、言葉が途切れる。それは本当に、いきなりだった。 「川名……?」 声を掛けるが、返事は無い。 「嘘だろ?ここからが……大事な所だったじゃねえか!」 みさきを背中から降ろして抱きかかえ、がくがくと揺さぶる。 だが結果は変わらない。みさきは穏やかな笑みを浮かべたまま、もう事切れていた。 この時浩之は、神というものを心底憎んだ。せめてみさきに――最後の言葉くらい、言い切らせてあげて欲しかった。 浩之は両腕でぎゅっとみさきの身体を抱き締めて、そして唇を一文字に引き結んだ。 すぐに顔が崩れそうになって、また唇を引き締めて、その繰り返し。 何度も何度も、傍から見れば滑稽なその行為を続けた。やがて、それを見かねたチエが言った。 「……駄目だと、思うッスよ」 みさきの手に、自身の手を重ね、もう一度。 「こんな時くらい我慢せずに、思いっきり泣かないと駄目だと思うッスよ。じゃないと、いつ泣けって言うんスか……!?」 「…………!」 浩之はようやく――顔をくしゃくしゃにして、子供のように泣きじゃくった。 【時間:2日目14:30】 【場所:C-03 鎌石村役場】 藤田浩之 【所持品1:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾0/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1】 【所持品2:ライター、新聞紙、志保とみさきの支給品一式】 【状態:号泣、脇腹と左腕と右足を負傷(それぞれ痛みはあるが、動けないほどでは無い)】 吉岡チエ 【所持品1:投げナイフ(残り1本)、救急箱、耕一と自分の支給品一式】 【所持品2:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)】 【状態:悲しみ、左腕負傷】 小牧愛佳 【持ち物:ドラグノフ(6/10)、火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】 【状態:号泣】 ウォプタル 【状態:役場の近くに放置】 川名みさき 【状態:死亡】 柏木梓 【状態:死亡】 柏木千鶴 【状態:死亡】 【備考】 以下の物は役場内に放置 ・投げナイフ、グロック19(残弾数7/15)、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×11、包丁、食料いくつか、 特殊警棒、強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、支給品一式×4、支給品一式(食料を半分消費)、 89式小銃(銃剣付き・残弾0/22)、89式小銃の予備弾(30発)×2、ウージー(残弾3)、ウージーの予備マガジン弾丸25発入り×3 - BACK