「…表、か」 冬弥の目に映ったコインの面。すっかり酸化して輝きを放たなくなってはいるが、それでも冬弥にはまるで新品のように輝いているように見えた。 「いいだろ。決め事は決め事だ」 10円玉を拾いなおすと、もう一度冬弥は親指でそれを弾いた。 軽い金属音がしてくるくると宙を舞う。てっぺんまで舞った後、重力に引き摺られて10円玉が落ちる。それを横から、しっかりと掴み直した。 ゆっくりと手のひらを開き、今一度、10円玉の面を見る。 表。 予想通り。 「行くか。ま、冷静に考えれば片っ端から襲って弾薬を浪費するのも意味がないよな」 観音堂の外へと歩を進める。由綺や理奈が、がんばれ、と言っているのが、聞こえたような気がした。 問題はここからだ。どのようにして殺人鬼どもを放逐していくか。いかに手元にP-90があろうとも自分は一般人。おいそれと戦闘の手練に手を出せば敵を討つどころじゃない。 仲間が必要だ。自分と同じく、殺人鬼を殺すことに躊躇の無い人間が。 共に行動した少女、七瀬留美のことがふと頭に浮かんだが、すぐにその考えを打ち消した。彼女はとてもじゃないがそんなことのできる人間とは思えない。 「当たるも八卦、外るも八卦、か…」 適当に出会った人間が自分と同じような人間であることを願うしかない。 何はともあれ、まずは鎌石村だ。 * * * 鎌石村消防署の一室、かつて英二達が休憩していたところで、篠塚弥生は目を覚ました。 どうやら、まだ自分は生きているようで呼吸も普通に行える。だが、両手両足を縛られ今寝転がっている所――消防署備え付けのベッドだ――からまったく動く事ができない。 もっとも、縛り付けているもの(そこらへんのロープだろう)を解こうとしても英二に撃たれた脇腹が痛んだのですぐに諦めてしまったが。 なんと無様な。 弥生は地面にツバでも吐きたい気分になった。まったく似つかわしくないことだと自分でも思ったが、英二の甘さに助けられ、生き長らえているという事実がそう思わせたのだ。 だが、すぐに弥生は思考を切り替え現在の状況を把握しようと努める。あれからどのくらい時間が経ってしまったのか。寝ている間に放送はあったのか。 何か手がかりになるものはないかと首だけ動かして周囲を見まわしてみるがこの部屋には窓がないばかりか時計すらない、完全な密室であった。 あるいは、英二がそうなるように手配でもしたのか。唯一確認できたのは部屋の隅に、申し訳程度に置かれている弥生のデイパックがあったということだけだ。 デイパックの膨らみ具合からして、まず武器は取られているだろう。当然だが。 結局、それだけしか分からなかったのでまた眠る事しかやることがなくなった。 ゲームに乗っているにしろ乗っていないにしろ人が来るのを待つしかないのだ。 ぼーっと見た天井には、恐らく英二がつけっぱなしにしていった蛍光灯が、煌々と輝いている。暗闇で怖くならないようにという英二の配慮だろう。もっとも弥生は暗闇などに恐怖するという性質の人間ではなかったが。 この部屋に窓がない以上、この明かりを頼りに誰かが訪れるという可能性は低い。これがどう影響するのか。 そんな風にして色々考えながら時間を潰していると、不意に閉ざされた扉の向こう、廊下のほうで規則正しい(たぶん人間の足音だ)音が聞こえてきた。 どうやら部屋を探しまわっているようで徐々にこちらに近づいているようであった。 誰かは知らないが、この部屋だけ探さないという理由はない。 鬼が出るか、蛇が出るか。 弥生にしては珍しく、動悸が加速度的に増していた。何しろ生か死かを賭けた至上最大の賭博なのだ。ゴクリ、と弥生の喉が鳴る。 ガチャ、とドアノブが回される音がして足音の主が侵入してきた。そして、その相手は―― 「…弥生さん、か?」 ――森川由綺の恋人(今となっては元、とつけるべきか)、藤井冬弥だった。 * * * 「…なるほど、そんなことがあったんですか」 冬弥の助力でようやく拘束から抜け出した弥生は、これまでの経緯を説明した。 英二の件に関しては、もちろん真実を話したわけではなく、「いきなり何者かに撃たれ、気絶させられて気がついたら縛られていた」と説明した。 弥生にとって、冬弥がまだ敵か味方か判断できなかったためだ。スターダムにのし上げるべき人、森川由綺を失ったことで、今や弥生にとって他の人間などどうでもいい存在になっていた。 藤井冬弥でさえも。 その冬弥はというと、立ち話に疲れたのか部屋に置かれてあった椅子に座ると何か考えるような目をしてからぽつりと喋る。弥生は縛られていたベッドに座ったまま、その言葉を聞く。 「しかし…どうして襲った相手は殺さずに武器だけ奪っていったんでしょう? 殺しこそすれ、気絶させるだけなんてことはないはず」 「さあ…襲った人間の心理など、私には図りかねます」 それもそうですね、と冬弥は嘆息し顔を天井に向かせた。 「ですけど、ひょっとしたら…襲った人間は、弥生さんの知り合いだったのかもしれませんね」 一瞬、どきっとしたが相変わらず無表情なまま弥生はどうしてそう思うのですか、と尋ねる。 「殺すには忍びない、だが武器を持って殺戮はして欲しくない、そんな風に考えるのは弥生さんの知り合いだけでしょう?」 「…なるほど、そういう考え方もありますね」 英二はまさしくその考え方だっただろう。 「…ところで、今は何時くらいでしょうか。気絶させられてからずっとそのままでしたので」 いつまでもこんな話題に拘泥しているのは得策ではないと思い、話題を転換する。 「ああ、今はちょうど…7時半といったところですね。…2回目の、放送がありました」 「…教えていただけますか」 デイパックから参加者一覧を取り出して死亡者を確認する。冬弥のものと示し合わせてもみたが実に20人以上もの人間が死んでいた。 この殺し合いは、間違いなく加速している。 チェックを終えた弥生が、また冬弥に尋ねた。 「これから藤井さんはどうなさるおつもりですか」 この質問だけは必ず先手を取っておかなければならなかった。返答次第で、行動を変えねばならないからだ。 冬弥は少しだけ笑ってから、肩にかけていたP-90を壁の方向へと向けた。 「由綺や理奈ちゃん…はるかや美咲さんをやった奴らを探し出して…殺します」 顔色を窺ってみる。そこには静かだが、激しい憎悪の色が表れていた。 「…ですけど、さすがに無関係の人間までは殺しません。目的が同じような人間がいたら一緒に行動するつもりでした。…弥生さんは、どうなんですか」 今度は、こちらに質問が飛んで来る。返答次第では、こちらも撃つという考えがありありと出されていた。 それはすでに察知していたので、明確な返答を避けておいた。 「由綺さんを殺された私には…もう、目的というものはありません。恨みは、ありますが」 冬弥同様、由綺を殺した人間に報復したいという気持ちはあったがそれ以上のものはない。それは、偽らざる弥生の本心だった。 「そうですか…なら、俺と一緒に行動しませんか?」 P-90を再び肩にかけ、冬弥が目をこちらにむけて提案する。 「最終的な目的は違うかもしれませんが…由綺の仇をとるという点では利害は一致するはずです。その時まで」 その後はどうする、と返答しようかと思った弥生だったがそんな未来のことなど、誰にも分かりはしない。 「分かりました…協力しましょう」 だから、完結にそう答えた。冬弥の目に感謝の色が広がっていく。 「助かります。弥生さんはもう今では数少ない、信頼できる人ですから」 信頼――その言葉が、どこか弥生には遠い国の言葉のように思えた。弥生は自らのデイパックを持ち上げると、最後に問う。 「ならば、行動は早いほうがいいでしょう。それから…藤井さん。他に、何か伝えることなどありますか? 例えば、気をつけるべき人物とか」 ゲームに乗っている者の情報は、手っ取り早く掴んでおきたかった。いつどこで、冬弥と離れ離れになるやもしれないのだから。 「…いや。今まで何人もの奴と出会ってきましたけど交戦は一度だけです。まあ、返り討ちにはしましたが…一応、これまでに会った奴らの名前を言っておきましょうか?」 「いえ、結構です。知ったところで別に利益もないでしょう。他には?」 「他には…ああ、そうそう。放送の時に珍しく主催者から直接の声がかかりました。何でも…優勝者には、何でも願いが叶えられるとか」 その瞬間、弥生の心に戦慄が走った。平常心が失われていくのを隠しつつ「…続けてください」と先を促す。 「死人を生き返らせることも出来るとか言ってましたけど…それは与太話でしょう。普通に考えてそんなこと出来るはずありませんからね」 確かにそうだ。冬弥の言う事は…理に適っている。 「俺には…もう由綺以外の望みなんてありませんから、褒美なんていりません。だから、仇だけは取るつもりです」 だが…もし、万が一にでも、『それ』が本当だとしたら? もし、森川由綺がこの世界に戻ってこれるとしたら? 冷静な、普段の篠塚弥生がその考えを必死で否定しようとする。だが――こんなにも多くの参加者、来栖川財閥、倉田家の礼嬢までもこの殺し合いに参加させている彼らなら…そんな事も可能なんじゃないか? 弥生の額に、冷たい汗が流れ落ちる。 恐らく――藤井冬弥が弥生のような考えに至らなかった理由は、単純に由綺の仇を討つということに固執しているのでそこまで考えていない、ということかもしれない。あるいは違うかもしれない。 だが、もし弥生の考えている通りだとしたら。 由綺の仇をとった後、彼はどうするだろうか。もしかしたら――自殺を図る可能性すらある。 ここで、彼女に新たな疑問が生じる。 仮に生きかえらせることが出来たとして、果たして『何人』生きかえらせることが出来るのだろうか? 一人か、あるいは何人でも、か? その辺りの事を尋ねてみようかとも思った弥生だが、すぐにその考えを打ち消す。 冬弥が知っているはずがないと思い至ったからだ。主催者のことだ、生きかえらせることができる、とだけ言ったに違いない。それに、下手に聞けば――冬弥に、敵だという疑念を抱かせることにもなりかねない。 代わりに、弥生はもう一度尋ねてみた。 「藤井さん…藤井さんは、このゲームに乗っているわけではない、ということですよね」 為された質問に首をかしげながらも、冬弥は言う。 「ええ…まあ、一応は。敵ならば容赦なく撃ちますが、こっちに害を及ぼさないのなら」 そうですか、と弥生は答える。そして、それが引き金となった。 「なら、私は協定を破ります」 何のことだ、と冬弥が問おうとしたときには、弥生が冬弥の肩から、P-90を奪い取っていた。 「藤井さん。朗報を教えてくださって感謝します。これで…私はまた、戦う理由ができました」 冬弥の顔面に、P-90を押しつける。唖然としていた冬弥だが、すぐに大声を上げて反論した。 「まさか…あの与太話を信じてしまったんですか!? あんなもの、大嘘に決まっているでしょう!」 「万が一、ということもあります」 「そんな理由で!」 冬弥が大声を上げるのを遮るかのように、さらに強く銃口を押しつける。ぐっ…と声を詰まらせる。 「信じがたい話ではあります。ですが…信じなかったところで、由綺さんは帰ってきません。なら、それが悪魔の所業だとしても私はそれに賭けようと思います。私には…由綺さんしか、由綺さんしか、いません。私の人生は…由綺さんそのものなんです」 冬弥がまた反論しようと口を開けたが、いたずらに刺激するだけだと考えたのか、堅く口を結ぶ。 「藤井さんは私とは違います。私よりは、よほど強い人間。だから…まず手始めに」 言い終わる前に弥生の次の行動を察知した冬弥が、思いきり体を捻った。 銃弾が、何発か冬弥の脇をすり抜けていく。 間髪いれず冬弥が、部屋を脱出して廊下へと駆ける。逃がすまいと思った弥生だが、大ぶりなP-90ではすぐに第二射を放てない。 連射を諦め、弥生も冬弥の背中を追った。 【時間:2日目7:00】 【場所:鎌石村消防署(C-05)】 篠塚弥生 【持ち物:支給品一式、P-90(46/50)】 【状態:ゲームに乗る。冬弥の殺害を狙う。脇腹の辺りに傷(痛むが行動に概ね支障なし)】 藤井冬弥 【所持品:支給品一式】 【状態:逃走、マーダーキラー化】 - BACK