正面から、少女が駆けてくる。その姿はまるで疾風のよう。 だけど、私は風を恐れない。 手にした拳銃を少女に向けると、引き金を絞る。 躊躇はなかった。 少女の殺意は明確で、ひどく鋭角な、それは奪うという意思だった。 隆山では毎日のように向けられていた、殺意。 来栖川の差し向ける刺客は山といて、年齢も性別も扱う道具もバラバラだったけれど、 私たち姉妹を殺すという一点においてのみ、共通していた。 その全員が死に、内の何人かは私が殺した。 銃を扱ったことはなかった。面倒だったからだ。 私たち姉妹に限って言えば、そんなものに頼る必要など、ありはしなかった。 だが今、私は少女を殺すために、銃を撃つことにした。それがルールだと、思った。 人間は銃で撃たれれば死ぬ。 否、最も効率よく人を殺すための方法論が突き詰められたのが、銃というものだった。 だから無数の人間が殺し殺される、下らない戯れの中では、人は銃によって死ぬのが相応しいと、 ただそう思ったのだった。 ―――しかし。 「―――!?」 私は眼前の光景に驚愕していた。 疾風の少女は、銃弾に屈することはなかったのだ。 肩に担いだ猟銃を何気なく振り回した、ただそれだけのように、見えた。 そして、ただそれだけの動作で、私の放った銃弾は正確に叩き落されていた。 「そんな”ドーグ”で……湯浅さんが止められるッ!?」 嬉しそうに笑いながら、叫んでいた。加速する。 あり得ないと、そう思う。 私たちの一族ならばともかく、常人に銃弾を見切り、ましてそれを迎撃するなど、不可能だった。 「眠たい真似……してんじゃないよっ!」 不可能が、爛々と目を輝かせて迫っていた。 眼下、死角から、猟銃が振り上げられる。思考に硬直していた私は、反応が一瞬遅れた。 衝撃。 かち上げられた猟銃が、私の手を直撃していた。 激痛と共に、掌中の拳銃が天高く跳ね上げられる。 顎への直撃は、かろうじて避けていた。 唸りを上げる猟銃が前髪を弾く、ち、という音が耳を打つ。 身体が重い。重心移動が遅い。手足の統制が取れていない。 それらをまとめ上げるべき頭脳はいまだ第二撃を予測しきれずにいる。 振り上げた猟銃を返す刀で落としてくるのか、それとも勢いを殺さずにもう一度下からか。 どちらだ。思考を認識できる段階で、遅きに失している。 切り替えが鈍い。 あり得ないというノイズが、戦闘本能の枷になっている。 そんなことだから、 「……が……っ!」 神速をもって跳ね上げられた少女の脚を、かわすこともできない。 視界に閃光が散る。 猟銃をかわしてのけぞった、その姿勢の戻りを正確に狙われた。 顎が、抵抗もできず天を向く。回復しつつある視界が、少女の靴先だけを捉えていた。 仰向けに倒れることは避けようと、後傾の姿勢をなおも強引に引き戻そうとする。 そしてそれが、更なる悪手だった。 瞬間、右腹部、肝臓の部分に、追撃が入っていた。 が、とも、げ、ともつかない無様な声を漏らしながら、私は吹き飛ばされていた。 吹き飛ばされながら、私は苦笑する。 何をしているのだろう。 人間相手に、こうも一方的に連打を浴びて。 咥内には、鉄の臭いと胃液の味が充満していた。 歯も、欠けているかもしれない。 す、と血が冷めていくのを感じる。 ―――いつまで、人間を相手にしているつもりでいるのか。 ただの棒切れ一本で、エルクゥである自分に傷をつける者が、人間だと。 鬼の眼に見切れぬ蹴りを放つ存在が、常人の域に留まっているなどと。 ―――私は何を、寝ぼけている。 じわり、と脳が熱くなる。 刃の上を裸足で歩くような、眼球を針で擦るような、そんな、思わず笑い出したくなるような、悦楽。 人と交わって生きる上では不要な、感覚。 右手の爪が、伸びていく。 黒く染まった指から伸びる、真紅の爪。 人を殺すための武器ではなく、ヒトを狩るための、凶器。 鬼としての自分が、ようやく陽のあたる場所に出られたと、快哉を叫んでいた。 いま鏡を覗けば、紅の瞳孔を煌かせる私は、さぞ化け物じみているだろう。 文字通りと飛ぶように流れていた視界が、急に緩やかになったように感じられる。 どろりと濁った空気の中で、私は手近な民家の塀に、手を差し入れた。 ブロック塀が豆腐のように崩れるが、気にしない。 そうして制動をかけると、空中で軽く身体を丸めて体勢を立て直す。 そのまま足を伸ばせば。 私はコンクリート製の電信柱に、音もなく「着地」していた。 重力が私を絡め取るよりも早く、地面と平行の視線が、少女を捉える。 この瞬間より、少女は私の敵から、獲物へと成り下がった。 撓めた足に、必殺の意思を込める。 ―――もう、時間は私に追いつけない。 足場とした電信柱が、背後で折れ砕ける。 その音をすら追い抜くように、飛ぶ。 絶対の速度、それこそが私、柏木の三女、楓の狩り。 速さという概念の限界をもって、少女に迫る。 目を見開く暇すら与えず、裂く。 右の手が、閃いた。 「―――」 着地。 学校指定の革靴の底が、煙を上げた。 私は憮然とした表情で、自らの右手を見る。 少女の首筋を掻き切るはずの爪。 その爪を宿した人差し指は、第二関節から手の甲の側に反り返っていた。 脳裏に甦ったのは、拳銃を跳ね上げられたときに感じた衝撃だった。 トリガーにかかったままの人差し指は、あの瞬間に折れていたらしい。 鬼の血の影響で、痛覚が鈍っていたのが災いした。 あれから実時間にして、数秒。治癒もまだ間に合わなかった。 「……命拾い、しましたね」 言いながら、振り向く。 我ながら、空々しい言葉だった。 命拾いなどと言ってみても、ほんの数十秒の話だった。 人差し指こそ届かなかったが、他の爪の手応えはあったのだ。 滴る鮮血が、与えた傷の深さを物語っていた。 だが、 「……っ……」 皮を裂かれ、肉を抉られた苦痛にのたうっているはずの、少女は。 「……っはは……っ」 絶望と、眼前に迫る死に怯えているはずの獲物は。 「……はははっ……はっははははは……っ!」 私に背を向けたまま、大笑していた。 痛みに狂ったかと考え、すぐに思い直す。 ―――これは、そんなものではない。 少女の笑いは、心からの悦びに満ち溢れた、それだった。 嬉しくて仕方がないというような、思わずそれが零れてしまったかのような、笑い声。 震える肩に合わせて、少女の外套に大書された『狂風烈波』の四文字が揺れている。 その異様に、私は思わず身構えてしまう。 「……ははは……はははははっ……、―――ねえ、あんた」 笑い声が、やんだ。 異様が、ゆっくりと振り返る。 まず見えたのは、血塗れの顔面だった。 少女の右眼、そのすぐ上から斜めに一直線、耳の下辺りまでがざっくりと裂けていた。 紛れもなく、私の親指の爪がつけた傷だった。 傷口からはじくじくと血が流れ出している。 見開かれたままの目にも鮮血が流れ込んでいるが、少女は瞬き一つしない。 完全に私へと向き直った少女を見て、私は、己の手応えが正しかったことを確認する。 少女の肩口から、ほぼ平行に三本。 日本刀で袈裟懸けに斬られたような傷が、開いていた。 特攻服というのだろうか、裾の長い派手な外套の、千切れた襟元から覗く傷は、決して浅くない。 下に着込んでいたらしい学校の制服も下着ごと裂け、血塗れの乳房が露になっていた。 肋骨の最下段にまで達しようかという傷からとめどなく鮮血を流しながら、少女は立っている。 そして、あろうことか。 「―――やってくれるじゃない」 それでも少女は、笑んでいたのである。 ひどく現実離れした、その鮮血の笑みを前に、私は。 ―――ああ、この少女はどこか、梓姉さんに似ている、と。 そんなことを、思った。 【時間:2日目午前10時】 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】 柏木楓 【所持品:バルキリースカート(それとなく意思がある)・支給品一式】 【状態:武装錬金】 湯浅皐月 【所持品:『雌威主統武(メイ=ストーム)』特攻服、ベネリ M3(残弾0)、支給品一式】 【状態:大出血】 - BACK