Thirty Thousan' Tea Party




「……雨は、上がったか」

少年は、空を見上げて呟いた。
と、傍らに佇む少女が、小さな声で何事かを口にする。

「ん? 何度も言っているだろう、報告はもう少し大きな声で……」
「―――別働隊の配置も完了したようだ。……頃合だな」

背後からの声に、少年が振り向いて頷く。
そこにいたのは、一分の隙もなく軍服を着込んだ、屈強な男であった。
頑強な意思を湛えた瞳と、歳にあわぬ白髪が印象的なその男の名を、坂神蝉丸という。

「ええ。……本当によろしいんですか、坂神さん」
「俺の考えは何度も話した通りだ。砧と、その主人である君を守る」
「……しかし」
「光岡らのことは気にしなくていい。俺たちの問題だ」
「……はい」

表情を曇らせながら、それでも少年は頷いてみせる。

「さて、時間もあまり残されていない。
 三万の軍勢が君の言葉を待っているぞ、……久瀬」

言われて顔を上げた少年の瞳に、海岸を埋め尽くす少女の群れが映っていた。


******


久瀬少年の朝は、絶望から始まった。
放送が告げたのは、彼自身の存在基盤の崩壊に他ならなかった。

光岡悟も、御影すばるも、彼に言葉をかけることはなかった。
同情の視線すら、彼には向けられなかった。

そんな久瀬に唯一、付き従っていたのが砧夕霧である。
三万の意思持たぬ複製身、その中核をなすという触れ込みの少女であった。
怒鳴りつけても決して傍を離れようとしない、少女の能面のような無表情が癇に障って、
ついに手を上げようとした久瀬を止めたのが、坂神蝉丸である。

島内散策に出たゲストたちを引き連れて帰還したという蝉丸が淡々と告げたのは、
久瀬にとって驚愕に値する言葉であった。
―――曰く、自分は軍籍を離れ、砧夕霧の直衛を請け負う。
ひいては砧夕霧の所有者である久瀬をも護衛する、と。

蝉丸は表情を変えぬまま続けた。
砧夕霧群は現状、この島における最大戦力であり、その主こそは久瀬自身なのだと。
掌中に逆境を跳ね除ける力を得、何を腐ることがあるのかと。

雷に打たれたように固まる久瀬とは別に、その言葉に激しく反応したのは光岡悟であった。
命令無視に軍籍離脱、どちらも死に値する行為だと糾弾する光岡に、蝉丸は釈明しようとはしなかった。
ついに愛刀の鯉口を切った光岡を止めたのは、石原麗子であった。
一触即発の空気の中、常のように婉然と笑みを浮かべたまま光岡に歩み寄ると、その耳元に何事をか囁いたのである。
何を聞かされたものか、驚くべきことに光岡は無言の内に刀を収めたのだった。
その後は誰も言葉を発することなく、撤収作業は完了する。
光岡、御影、石原、猪名川の各名は本部のある艦艇へと戻っていった。

残された久瀬が決意を秘めた眼差しで口を開いたのは、それからしばらく経ってのことである。

―――そして、現在に至る。


******


「―――最後に作戦を確認する。まずこの場に残った二万五千はニ隊に分ける。
 A隊一万五千は僕と共にこのまま西進。鷹野神社山道より神塚山山頂を目指す。
 B隊一万はここから北上して東崎トンネルを経由、E-6登山道より山頂北側の制圧。
 別働隊として展開したC隊五千はI-5より上陸。平瀬村分校跡を経由して西側を押さえる。
 三万のすべてが山頂に辿り着く必要はない。二千、ただ二千でいい。
 それだけの数がいれば、この島を焼き尽くすことができる。
 正午までに二千の砧が、山頂に存在していること。それが僕たちの勝利条件だ。
 ……そうですね、坂神さん」

目線をやれば、蝉丸は腕を組んだまま小さく頷いている。
それを見ると久瀬は、無言のまま傍らに佇む少女に目配せをした。
少女が虚空を見つめて動きを止める。
別働隊も含めた三万の同胞へ意思を伝達しているのだった。

「進軍の時だ。……采配を振るうのは君だ、久瀬」

蝉丸の言葉に、久瀬が表情をこわばらせる。
握られた拳が小さく震えていた。
跳ね上がる脈動を強引に押さえ込んで、一歩を踏み出す。

眼下には、二万五千の砧夕霧。
五万の瞳が、久瀬を真っ直ぐに見つめていた。
一瞬だけ眼を伏せ、大きく息を吸い込むと、少年は口を開いた。

「―――時は来た。」

その声は、不思議に朗々と響き渡った。
吹き荒んでいた風や、潮騒すらもが少年の声に耳を傾けているかのようだった。

「打ち捨てられた僕らが、歩を進める時だ。
 理不尽を捩じ伏せ、立ちはだかる全てを超えて、高みへと歩みだす時だ。
 これは進攻でも、宣戦でもない。純然たる抵抗の意志だ。
 君たちは無用と置き捨てられた戦争の遺物だ。
 僕は見限られ、省みられることもない歯車の残骸だ。
 僕らは敗者たるべくここに集められた廃物の山に過ぎない。
 だが、だが僕はここに立っている。立っている限りは抗おうと心に決めた。
 僕は抗う。君たちに抗えと命じる。
 嘲り笑う者を焼き、侮り蔑む敵を蹂躙して進め。
 君たちにはその力があり、僕がそれを許す。
 だから、」

少年はただ一点、聳え立つ山の頂を指し示すと、言った。

「―――諸君、反撃だ」




【時間:2日目午前10時前】
【場所:G−9】

久瀬
 【状態:悲壮】
坂神蝉丸
 【状態:健康】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り30000(到達0)】
 【状態:進軍開始】
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