それは約束の時間の10分前―――13:50分頃に訪れた。 「美佐枝さん……何か聞こえませんか?」 「……え?」 美佐枝が耳を澄ますと、小さな音が聞こえた。 地響きのようなその音は次第に大きくなってゆく。 「これは……足音?」 足音と呼ぶには余りにも派手過ぎるが……一定のリズムで刻まれるそれはどんどん接近してくる。 そして音は美佐枝達のいる建物の傍で止まった。 「どうやら誰か来たみたいですね……」 「そうね。さて、鬼が出るか蛇が出るか……運命の分かれ道って所ね」 武器を手に、緊張した面持ちで話す二人。 今愛佳達がいる広間は、役場の玄関を入ってすぐの所にある。 もう殆ど時間を置かずに、来訪者がこの場に現れるだろう。 誰かが来る事は分かっていたが、ゲームに乗っている人間が来たかどうかは対面してみるまで計りようがない。 案の定、すぐにドアの前に人が立つ気配がした。 ドアのノブがガチャッと音を立てて回された瞬間、愛佳は思わず声を漏らしそうになる。 それは何とか堪えたが―――入ってきた女性を見た瞬間、今度こそ愛佳は声を漏らしてしまった。 「ち、ちづ……る…さ……ん?」 愛佳は呆然としながら、疑問系で呟いた。 その女性は確かに柏木千鶴だった。 しかし千鶴の姿はあまりにも変わり果ててしまっていた。 愛佳の記憶の中にある千鶴と同一人物とは思えない程に。 「こ……この女、一体何なの……!」 美佐枝は思わずそんな事を口走ってしまっていた。 顔に、手に、服に、付着している赤い液体。 艶やかだった髪はくすみ、奇妙に歪んだ泣き笑いのような表情。 そして一番恐ろしく感じられたのが―――目だ。 以前のような凍りついた冷たい目をしているのならまだマシだった。 だが、今の千鶴の瞳は爛々と熱を帯びて赤く輝いていた。 それを目の当たりにした瞬間、美佐枝はぞくりと寒気を感じた。 そして理解した―――柏木千鶴はもう、壊れてしまっていると。 その事に気付いているのか、気付いていないのか―――愛佳は体を震わせながらも千鶴に話し掛ける。 岸田洋一と対峙した時のように精一杯の勇気を振り絞って。 「ち、千鶴さん……お話があります」 「なあに、愛佳ちゃん?」 紅い瞳がぐるりと動いて愛佳に向けられる。 本能が逃亡を訴えかけてくるが、愛佳はそれを強引に押し留めた。 「あの……色々大変な事があったんでしょうけど……その……もう、人を襲うなんて止めてくださいっ!」 「……どうして?」 「どうしてって……そんなの当たり前じゃないですか!人を襲うなんておかしいですよぉ!」 愛佳が叫ぶと、千鶴の顔から笑みが消えた。 暫しの間、静寂がこの場を支配する。 それから千鶴はゆっくりと語り始めた。 「私の大事な妹―――楓は死んだわ」 それは愛佳の質問の答えになっていない。 「本当に良い子だった。とても……とても……」 愛佳はどう答えて良いか分からず黙ってしまっていた。 「あの子はね、絶対ゲームに乗るような子じゃなかったわ。それなのに、殺されたのよ?」 それでも構わず千鶴は一人で言葉を続けてゆく。 「耕一さんも初音も、とても酷い目にあっていタわ。この島の人間達は、私と家族を苦しめるだケなのよ」 もう愛佳の方を見ようともせず、視線を虚空に泳がせながら。 「ソんな連中と協力し合えるわけが無いじゃナい。だったらコロしてしまった方がいいデしょ?」 語調すら、徐々に狂ってゆく。 「死をもっテ償わセルのよ。優勝すればワタしの家族も蘇らセられルし一石二鳥でしょ?」 無表情だった顔が、段々と一つの形に変わってゆく。 「もちろん愛佳ちゃンは特別扱いするわよ?ちゃんと後で生き返らセテあげるわ」 それは笑顔と呼ばれているものだった。 「すべテが終わっタらわたしの家にあそビにきなサイ。きっと楽しイわよ」 笑顔と呼ばれているものだったが――― 「だかラ――マナかちゃンも、ワタシといっしょにヒトをコロシましょう?」 見る者全てを竦み上がらせるような、おぞましい笑顔だった。 千鶴は威嚇するように手にしたウージーの先を揺らした。 まるで従わなければ殺す、という意思表示のように。 愛佳の顔が恐怖と絶望に歪む。 (ここまでね……!) 美佐枝は逃げ出したい衝動を必死に抑え、今やるべき事を考えた。 もう説得は無理だろう……なら自分が、愛佳を守らなければならない。 あの化け物に銃を向けてトリガーを絞る。 一秒にも満たぬ、それだけの動作で決着はつく筈だ。 先手必勝―――美佐枝は即座に行動に移った。 「愛佳ちゃん、下がって!」 叫ぶとほぼ同時に美佐枝の手元から閃光が発される。 だが―――89式小銃の向けられた先では千鶴の姿がもう消えていた。 「いまワタしはまなカちゃんとおはなシしているの……ジャまものハきえなさい!」 ぞっとするような声が横から掛けられる。 美佐枝は嫌な予感がして、ばっとその場を飛び退いた。 その直後にはもうそれまで美佐枝がいた空間を銃弾が切り裂いていた。 背後に置いてあった接客用らしきカウンターが派手な音と共に砕かれてゆく。 「このぉっ!」 照準を定める時間は無い。 美佐枝は振り向き様に89式小銃を連射した。 水平方向に死の直線が描かれる。 その圧倒的な破壊力で広間の設置物が次々に壊されてゆく。 だがまたしても目標の体はその射線上に無い。 千鶴が膝を折って銃撃の軌道から逃れ、その姿勢のまま地面を蹴って突進してきていた。 その手元の銃口の向いた先には美佐枝の体――― 美佐枝は慌てて上体を捻った。 それで何とか千鶴のウージーから吐き出される銃弾を躱す事が出来た。 だが態勢は完全に崩れてしまっている。 迫る千鶴から逃れる事はかなわず、次の瞬間には美佐枝の視界は反転していた。 瞬きする間もなく千鶴は倒れている美佐枝にのしかかる。 美佐枝は、紅い瞳に間近で射抜かれただけで心臓が止まるかと思った。 「シね」 ウージーの銃口を額に押し付けられる。 体を凄まじい力で押さえつけられている美佐枝には対応する術が無い。 そして凶弾が美佐枝の額を貫こうとしたその時だった。 「やめてぇぇぇ!」 背後から腕を引っ張られ、ウージーを地面に落としてしまう千鶴。 振り向く千鶴の視界の中に愛佳がいた。 「もう……もうやめてください!」 異常なこの状況に気押されながらも愛佳は戦いを止めようとしていた。 「まなかちゃン……」 千鶴の動きが一瞬止まる。 その注意が愛佳に逸れたかと思われたが……そうでは無かった。 千鶴はさっと手を伸ばし、美佐枝の89式小銃を奪い取った。 そして猛獣じみた動きで乱暴に鮮やかに腕を一閃する。 89式小銃の先には銃剣が取り付けられてあり、刃物としての機能も併せ持つ。 完全に不意を討たれた美佐枝は反応が間に合わない。 せいぜい、微かに肩を動かせた程度だ。 「ごっ……ぼっ…」 美佐枝の喉を鋭利な銃剣が一閃し、血煙が周囲を赤く染める。 さらに返す刃が美佐枝の顔面を縦に深く斬り裂いていた。 「ああああっ…美佐枝さぁぁぁんっ!!」 三人の視界が真紅に染まる。 千鶴は噴水のように噴き出る美佐枝の鮮血を全身に浴び、恍惚の笑みを浮かべた。 美佐枝は激痛とショックでごぼごぼと声にならない悲鳴を上げている。 千鶴は大きく腕を振り上げ、美佐枝の喉に銃剣の先端を突き刺した。 (愛佳ちゃん……芹香ちゃん……守ってあげられなくてごめんね…………) 最後にそれだけを思って、美佐枝の意識は途切れた。 「あああっ…ああっ…いやああああああっ!!」 愛佳が絶望の叫びを上げる。 美佐枝の亡骸に縋りつきながら。 千鶴はすくっと立ち上がり、そんな愛佳を見下ろし――― その時ドアが開いた。 「こ……これは……!?」 そこから現れた者達は息を切らしたまま呆然と立ち尽くしている。 彼女達の名は川名みさき、吉岡チエ、そして、藤田浩之だった。 【時間:2日目14:00】 【場所:C-03 鎌石村役場】 柏木千鶴 【持ち物:支給品一式(食料を半分消費)、89式小銃(銃剣付き・残弾14/22)、ウージーの予備マガジン弾丸25発入り×3】 【状態:左肩に浅い切り傷(応急手当済み)、肩に怪我(腕は動く)、マーダー、狂気、血塗れ】 藤田浩之 【所持品1:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1】 【所持品2:ライター、新聞紙、志保の支給品一式】 【状態:呆然】 吉岡チエ 【所持品1:投げナイフ(残り2本)、救急箱、耕一と自分の支給品一式】 【所持品2:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)】 【状態:呆然】 川名みさき 【所持品:護の支給品一式】 【状態:呆然】 小牧愛佳 【持ち物:ドラグノフ(7/10)、火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】 【状態:絶叫】 相楽美佐枝 【持ち物1:包丁、食料いくつか、他支給品一式】 【所持品2:89式小銃の予備弾(30発)×2、他支給品一式(2人分)】 【状態:死亡】 【備考:ウージー(残弾12)は床に転がっている】 ウォプタル 【状態:役場の近くに放置】 - BACK