Victorious smile




向坂環は朝霧麻亜子と対峙していた。両者の間は約十メートル、事が始まれば一瞬で無になってしまう距離だ。
「たまちゃんに弾を撃つつもりは無いけど、コレで殴られたらすんごい痛いよ?謝るんなら今のうちだぞ」
話しながらデザートイーグルを握る麻亜子。デザートイーグルクラスの大型拳銃ならば、鈍器としての役目も充分に果たしうる。
「御託は結構です。早くかかってきたらどうです?」
対する環は麻亜子の言葉を軽く受け流すと、余裕の表情を崩さず、空手のまま手招きをした。
武器など使おうとは思わなかった――素手で、相手に無駄な怪我を負わす事無く制圧してみせる。
環にはその自信があった。自分が小柄な麻亜子に遅れなど取る筈が無い、と。

「ふーん、素手でやるつもりなんだ?余裕なんだね。でもこっちはね……遊びでやってんじゃないんだよっ!!」
麻亜子が地を蹴り、疾駆する。だが、そのまま真っ直ぐに攻撃を仕掛けるような真似はしてこなかった。
麻亜子は走りながら地面の土をかき上げると、それを環の目に向けて投擲する。
「賢しい真似を!」
環がその攻撃を手を振るって弾いた時にはもう、横薙ぎに振るわれるデザートイーグルが、眼前に迫っていた。
走り込んだ勢いも上乗せされ、正に空気を裂くといった表現が相応しい一撃を、環は姿勢を低くする事でやり過ごす。
頭上ぎりぎりを通過する麻亜子の腕を掴み取り、背負い投げの要領で投げ飛ばす。
宙を舞う麻亜子の体。しかし、投げる途中で手を離してしまったのが拙かった。
麻亜子は己の身軽さを最大限に活かし、体操団よろしく回転すると、スタっと足から地面に着地した。
「……やるじゃない!」
環がすぐさま追撃しようと走り出すが、そんな折に男の叫び声が聞こえてきた。



「うぉぉっ!」
「――っ!?」
環と麻亜子の戦いを傍観していた国崎往人に向けて、背後から学ラン姿の男が走り込んできていた。
男――長瀬祐介は、鬼気迫る形相で包丁を振りかぶっている。
その姿を認めた往人は、神尾家で見た出来の悪いホラー映画のワンシーンを思い出した。
映画では、そのまま被害者は喉を切り裂かれてしまった。血飛沫を舞わせ、倒れ伏せる役者の姿が鮮明に思い起こされる。
だが自分は役者ではないし、ここは現実世界だ。映画の再現をする訳にはいかなかった。
「――くっ!」
間一髪の所で反応し、ワルサーP5の銃身で、迫り来る包丁を受け止める。
鍔迫り合いの状態で顔を向き合わせる。往人を睨みつけてくる襲撃者の瞳には明確な殺意が宿っていた。
――この少年は誰なのか?一体何故いきなり自分が狙われているのか?疑問は尽きない。
しかし考えている暇など与えられていないし、その必要も無かった。
この殺し合いのゲームの舞台で、今自分は命を狙われている。応戦する理由としては、それだけで充分過ぎる。

「神岸、下がってろ!」
「は……はい!」
状況はまだ飲み込めないが、このままではやられる。まずはあかりに退避を促がした。
そして後方に跳びながら、祐介の胸部に向けて銃を構えようとする。しかしそれよりも早く、祐介がフライパンを投げつけてきていた。
飛来物が手に命中し、銃を取り落としてしまう。その隙を逃さず飛び掛ってくる祐介。
自分に真剣白羽取りのような芸当が出来るのなら話は別だが、生憎やれる事と言えば人形芸ぐらいだ。
だから往人には、特別な技量を要さない対応――ポケットに入れてあった、トカレフTT30の弾倉を投げつけるのが精一杯だった。
それは祐介の顔を捉え、相手の突進を止める事は出来た。自分の命を一時の間繋ぐ事には成功した。
しかし相手の手には、いまだ包丁が握られている。対する自分は武器を落としてしまい、拾う時間も無いだろう。
往人の不利は明確だった。





「させるもんですか!」
――仲間の窮地を、環がみすみす見逃す筈はない。
環にとって、麻亜子との対決は優先すべき事項ではない。もっとも重要な事は仲間の命を守ることだ。
環は猛烈な勢いで駆け寄ると、肩を突き出し、祐介の背中に当て身を放っていた。
「――がっ!?」」
全体重を乗せた一撃を受け、祐介が低い呻き声をあげる。そのまま第二撃を入れるべく、環は足を振りかぶる。
祐介は何とか振り返ってはいたが、防御姿勢はまだ不十分だ。不意の一撃により包丁は地面に落としており、構えもまだ取れていない。
だからこそ環には、このまま祐介を倒せるように思えたのだが――


「あたしを放っておくとは、どういう了見だい?」
――後ろから声を掛けられる。
「まーーりゃんきーーっくっ!」
「あぐっ!?」
麻亜子もまた、環の隙を見逃してはくれなかったのだ。
先の祐介と同じ形で自身の背中に衝撃を受けた環は、地面を這うように前のめりに転んでしまう。
環はがばっと顔をあげ、麻亜子に向けて不満をぶちまけた。
「先輩!こんな事をしてる場合じゃりません、今は突然現れたあの男を倒すべきでしょう!」
「別にあたしとたまちゃんにさえ手を出さなきゃ、どうでも良いよ。今は乱入者君より、たまちゃんとの対決が優先さ」
麻亜子としては祐介の存在は寧ろ有り難かった。麻亜子の目的は、あくまで生徒会メンバー以外の人間の排除だ。
排除対象同士で潰しあってくれるのなら、それに越した事はない。
祐介と往人達の戦いが終わる前に環を倒し、漁夫の利を得る形で祐介と往人の双方を殺害するのが理想だ。
「この……分からず屋!」
このまま問答を続けても時間の無駄だと悟り、環が再び標的を麻亜子に定める。
環は飛び上がるように跳ね起きると、麻亜子に向かって駆け出した。





その頃、往人もまた態勢を立て直して、祐介に殴りかかっていた。
僅か一発に過ぎぬ環の援護だったが、それは充分な効果を為していた。
往人も素手だが、祐介も包丁を取り落としてしまっている。素手同士なら――体格面で大きく勝る自分が有利だ。
往人の拳は、正確に祐介の腹へと突き刺さった。苦しそうに息を吐き、たたらを踏んで後退する祐介。
この絶好の機会を逃す手は無い。往人は祐介に追い縋り、そのまま勢いに任せ押し倒し、馬乗りの態勢となった。
これで勝負は決した筈だったが――往人の脳裏に一つの疑問が浮かぶ。
――ここから、俺はどうするんだ?俺は人を殺すのか?
相手が動かなくなるまで殴りつけるべきか、首を絞めつけ命を断つべきか。
往人は人を殺そうという明確な覚悟をしていたのではなく、ただ自分の身を守る為に応戦しただけだった。
自身の身を守る為には戦えても、無防備な状態となった敵を攻撃する事には迷いが生じてしまった。

だが、祐介は違う。相手が襲ってこようと襲ってこまいと、殺さなければ初音が犠牲になる。
知らない人間と初音の命では天秤にかけるまでもない。本望では無いにしろ、祐介は人を殺す覚悟と、然るべき理由を持っているのだ。
その覚悟の差は、時として実力差を覆しうる要因になる。体の大きい者が必ず勝つとは限らないのだ。
「――シッ!」
「うおっ!?」
どんなに体の大きい人間だろうと、鍛えようの無い急所は存在する。祐介は手をチョキの形にし、そのまま往人の目を狙って奔らせた。
往人は咄嗟に両腕で顔を覆い、下手をすれば自身の視力を奪いかねない凶器の軌道を遮った。
だがそれは同時に、祐介を押さえ付けていた手を離してしまったという事を意味する。
「がっ……」
鳩尾に肘を打ち込まれ、往人の呼吸が一瞬止まった。その隙に祐介は強引に往人を押し退けていた。
遅れて往人も立ち上がったが、その時にはもう祐介は包丁を拾い上げていた。

――これで状況は振り出しに戻った。
往人は自分の甘さを悔やんだ。一瞬の躊躇が、環の助力を無駄にしてしまったのだ。
それでも往人は、自分を射抜く殺意の視線から逃げる事なく、逆に真っ向から見据えた。
「お前……ゲームに乗っているのか?俺は人に恨まれるような事はした覚えが無いぞ」
自分がした悪行と言えばせいぜい、あかりの食料を拝借した事と、秋子を気絶させた程度だ。
その二人以外に襲われるという事は、相手はハナから殺し合いをするつもりだったと考えるのが自然だ。
だが、祐介の瞳の奥に移る一つの色が気になった。強い殺意の影に埋もれている……迷いのようなものが、見て取れたのだ。
「――貴方に恨みは無いんです。ゲームに乗っている訳でもありません」
「ならどうして……どうして俺を襲うんだ?」
何となく、予想はしていた。こいつには何か理由がある、と。それを知った所でどうなる訳でも無いが――真の狙いは別の所にあった。
尤も最初から作戦を立てて話し掛けた訳ではない。話している最中に、往人はある事に気付いたのだ。
「ごめんなさい、それを話すのは無理なんです」
「そうか。なら、せめて名前だけでも教えてくれ。殺される相手の名前くらい、知っておきたい」
「――諦めたんですか?とてもそうは見えませんが……」
「無論黙って殺されてやる気はない。それでも世の中は上手くいかないもんでな。万一の事態に備える事は必要だろ」
話を続けながらも、往人は微妙に足を動かして、少しずつ間合いを広げていた。
ようやく祐介もその事に気付き、これ以上の会話は自分を不利にするだけだと理解した。
「く――もういい!」
祐介は迷いを振り切るように叫ぶと、再び走り込んできた。しかし往人にとって、それは計算の内。
今度はもうさっきのような醜態は晒さない。

「――神岸、今だ!」
「はいっ!」
祐介と麻亜子――二人の襲撃者が戦いに没頭している間、あかりは何もしていない訳では無かった。
往人が落とした銃を、隙を見て回収していたのだった。
往人はその事に気付いたからこそ、銃を受け取るに充分な時間を作る為、無駄な問答を続けていたのだった。
あかりが放り投げた銃は、綺麗な放物線を描いて往人の手元に届いた。
「っ!?」
往人はそれを受け取ると素早い動作で握り込み、構えた。祐介にはそれが二人掛かりの手品か何かのように思えた。
何しろ突然銃が、往人の手に降ってきたのだから。ともかく祐介は、向けられた銃口の前に、動きを止めざるを得なくなった。
「――やっぱり僕は駄目ですね。結局僕は弱いままだった……」
「そう自分を貶す事は無い。一対一の勝負を続けていれば、恐らくお前の勝ちだった」
「貴方だって分かっているんでしょ?これは決闘なんかじゃない――どんな手段を使っても、勝てば良いという事を」
「ああ。悪いが俺はまだ死ねないし、俺の命を狙う奴を放っておく事も出来ない――さよならだ」
往人は既に一度、自分の甘さで仲間の援護を無に帰してしまっている。そして、また仲間に救われたのだ。
年長者である自分が、これ以上失態は犯せない。それに観鈴との約束もある。一時の感情に流され、命を落とす訳にはいかなかった。
殺人への禁忌は残っているが、それ以上の責任感が往人に強固な覚悟を与えていた。

(ごめん椋さん、初音ちゃん。僕はここまでみたいだ……)
祐介の心に沸き上がる感情は二つだ。一つ目は罪悪感。椋に救われた命を、こんなにも早く散らせてしまう事が申し訳なかった。
初音をあの悪魔から救い出せぬまま逝く事が、口惜しかった。
だがもう一つの感情は、安堵感。もう少しで、罪の無い人間を殺してしまう所だった。
そうならないまま死ねる事に、祐介は恥ずかしながらもほっとした気持ちになっていたのだった。

だが事態はそんな二人の思惑とは、別の方向へと進んでいく。
「――そう、勝てば良いんですよ。たとえどんな手を使おうとも、ね」
「きゃああっ!」
往人が引き金を絞る寸前に、落ち着いた声、そして悲鳴が聞こえてきた。
往人も祐介も、そして環も麻亜子も動きを止めて、視線を一点に集中させる。
そこには、一人の悪魔の姿があった。勝ち誇った笑みを浮かべながら、宮沢有紀寧が立っていた。
有紀寧は、片腕をあかりの首に巻きつけている。そして、もう片方の手で、あかりのこめかみに銃を突きつけていた。




【時間:2日目・14:45】
【場所:I−6】

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン、サバイバルナイフ、投げナイフ、バタフライナイフ】
【所持品2:防弾ファミレス制服×2(トロピカルタイプ、ぱろぱろタイプ)、ささらサイズのスクール水着、制服(上着の胸元に穴)、支給品一式(3人分)】
【状態:マーダー。スク水の上に防弾ファミレス制服(フローラルミントタイプ)を着ている】
【目的:驚愕。目標は生徒会メンバー以外の排除、最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと。】

国崎往人
【所持品:ワルサーP5(8/8)、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ、支給品一式(食料のみ2人分)】
【状態:驚愕、腹部に痛み】

神岸あかり
【所持品:水と食料以外の支給品一式】
【状態:有紀寧に捕まっている、月島拓也の学ラン着用。打撲、他は治療済み】

向坂環
【所持品@:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(15/15)、包丁、ロープ(少し太め)、支給品一式×2】
【所持品A:救急箱、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:驚愕、頭部に怪我・全身に殴打による傷(治療済み)】

宮沢有紀寧
【所持品@:コルトバイソン(4/6)、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(2/6)】
【所持品A:ノートパソコン、包丁、ゴルフクラブ、支給品一式】
【状態:あかりを人質に取っている、前腕軽傷(治療済み)】

柏木初音
【所持品:鋸、支給品一式】
【状態:不明、首輪爆破まであと18:00(本人は42:00後だと思っている)、有紀寧に同行(本意では無い)】

長瀬祐介
【所持品1:包丁、ベネリM3(0/7)、100円ライター、折りたたみ傘、支給品一式】
【所持品2:懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、支給品一式】
【状態:驚愕、有紀寧への激しい憎悪、腹部に痛み、有紀寧の護衛(本意では無い)】


【備考】
・トカレフTT30の弾倉、フライパンは地面に放置
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