「―――ん〜、いい感じ」 ぐつぐつと煮える鍋をかき回しながら、相楽美佐枝がひとつ頷いた。 その背後から、力ない声がする。 「うぅ、お腹のすく匂い……美佐枝さん、まだ〜?」 放っておけば液状化してしまいそうな、情けない顔で机に突っ伏しているのは長岡志保である。 振り返る美佐枝。 「はいはい、もうすぐできるからね。食器、並べておいてもらえる?」 「やたっ! ごはん、ごっはん〜♪」 先程までの脱力はどこへやら、小躍りする勢いで立ち上がると鼻歌交じりに食卓を整えていく志保。 そんな志保の現金さに苦笑すると、美佐枝は最後の仕上げに取りかかるべく鍋へと向き直る。 「っと、その前に味見、味見……」 言いながら、美佐枝がおたまに掬った汁を啜ろうとした瞬間。 ばん、と盛大な音を立てて、勝手口の扉が開いた。 「―――それを口にするのは、やめておきたまえ」 あまりにも突然の出来事に反応できず、ただ眼を丸くして呆気にとられる美佐枝と志保。 二人の視線を受けて立っていたのは、白衣姿の女性であった。 「……」 「……」 「……こほん。突然の非礼はお詫びする」 沈黙と注視に耐えきれなくなったのか、女性が頬を染めて咳払いをする。 「あー、私はただ、そんなものを食ったらただでは済まんぞ、とだな……」 「コ……コジロー……?」 「……ん?」 おそるおそる、といった風情で女性に問いかけたのは美佐枝である。 「あなた、もしかして……コジロー、……じゃない?」 「な……その名をどこで……!? ……いや、待てよ……? ん……?」 うろたえたのもつかの間、眼をすがめてじっと美佐枝を見つめる女性。 空気についていけない志保が、とりあえず鍋の火を止めたりしている。 しばらくの間を置いて、女性が驚きの声をあげた。 「君はもしかして……トウマ、……あのトウマなのか?」 「わ、やっぱりコジローだ!」 「なんと……何年ぶりだろうな、こうして会うのは!」 「うわー、ははは、何よその格好、コスプレ?」 「やかましい、私は本物の医者になったんだ!」 「すごーい、あたしなんか寮母さんよ、寮母さん! お互い歳くったわねえ!」 いきなり盛り上がる二人に、志保が怪訝そうな顔で声をかける。 「あの……美佐枝さん、お知り合いなんですか……?」 その言葉に、同時に振り返る二人。 互いに互いを指差し、 「「不倶戴天の敵」」「だ」「よ」 綺麗にシンクロしながら言い放った二人の眼に、しかし敵意はなかった。 むしろ気脈の通じ合った仲間を見るような視線に、ああ好敵手と書いてライバルと読むってやつね、と 志保は理解する。しばらくご飯はお預けねえ、と内心で涙しながら、思い出話に花を咲かせる二人を ぼんやりと見守ることにするのであった。 と、妙にニヤニヤと笑いながら、女性が美佐枝に問いかける。 「しかし懐かしいな。……そうだ、君はそろそろ羽柴姓になったのかな?」 「……ぐ」 一瞬で固まる美佐枝。 受身も取れずに脳天逆落としを食らったプロレスラーのような表情である。 「……う、うるさいわねえ。あんたこそメキシコはどうしたのよ、メキシコは」 「が……」 石化する女性。 まるで入団会見の自己紹介で思いっきり噛んでしまったドラフト一位高校生のような赤面ぶりである。 「や、やかましい! あの後、彼はイタリアに渡ったんだ!」 「ふうん、じゃイタリア行ったの?」 「し、幸せなウェディングを見せつけてから言え、羽柴美佐枝!」 「やめてええ」 「お互い様だ、バカ者!」 へたり込んで半液状化している志保をよそに、二人の思い出話、もとい古傷の抉りあいは続く。 何という運命の悪戯であろうか。 ナチュラル・ボーン・ローディストと呼ばれた『コジロー☆大好きっ子』。 アウシターナ・オブ・アウシターナと讃えられた『トウマの花嫁』。 ―――かつて読者投稿界の竜虎と並び称された二人の、宿命的な再会であった。 ****** 「……というわけで、こちらは霧島聖。ま、昔馴染みね」 「霧島だ。よろしく」 「よろしく〜」 気を取り直して自己紹介する女性、聖。 適当なところで不毛な言い争いに決着をつけたのは、大人としての分別といえるだろうか。 しかしそこで余計な火をつけるのが、長岡志保という少女であった。 「そういえば、あたしも知ってますよ、ファンロードとかOUTっていうの」 「ほほぅ、感心な若者だ」 「本当に、長岡さん?」 「はい!」 満面の笑みで頷く志保。 「志保ちゃん情報によれば―――」 「うんうん」 言い放つ。 「―――大昔の痛いオタク雑誌! ですよね?」 「……」 「……」 「……あれ?」 … …… ……… 「まったく……大人をからかうからだ」 「そうねえ、今のは長岡さんが悪いわ……あたしだって手加減するのがやっとだったもの」 「しくしく……志保ちゃん、もうお嫁にいけない……」 乱れた着衣のまま、さめざめと涙を流す志保。 そんな志保の嘘泣きを無視して、聖が美佐枝に向き直る。 「……しかし相楽、その鍋だがな」 その真剣な口調と視線に、美佐枝が姿勢を正した。 「……そういえば言ってたわね。この鍋を食べちゃいけないとか何とか」 「うむ。正確には、鍋の具が問題なのだ」 「具……?」 言われ、美佐枝が材料を指折り数えだす。 「人参、ジャガイモ、牛蒡はそこの冷蔵庫に入ってたやつだし……」 「お味噌もそうよね」 後ろから志保も口を出す。 と、何かに気づいたように声をあげる美佐枝。 「まさか、この用意されてた食材に毒でも入ってるの……?」 「ええーっ!? それじゃ美佐枝さん、さっき危なかったんじゃない!」 「……いや、そうではない」 聖の落ち着いた声。 「実は先ほど、この家の外で見かけたものなんだが……」 「……?」 言いながら突然しゃがみ込んだ聖を、何事かと見守る二人。 そんな視線をよそに、聖はがさごそと足元に置いた大荷物を探っている。 「……これは、何だね」 言葉と共に取り出したのは、血に汚れた襤褸切れのようなもの。 しかしそれを見た美佐枝と志保は、目を見合わせると事も無げに言った。 「ああ、それ」 「さっきの虎の毛皮でしょ?」 「そうそう。臭いし、邪魔だから外に出しといたやつ」 それが何か、と言いたげな二人の視線に、聖は深いため息をつく。 「……この毛皮の持ち主の肉が、入っているだろう」 その視線は、まだ湯気を上げている鍋の方へ向けられている。 「へ? ……うん、入ってるわよ?」 「やっぱりお肉がなくっちゃ始まらないもんね〜。……やば、お腹空いてたの思い出した」 涎を垂らさんばかりに鍋を見つめはじめた志保に、聖は静かに告げる。 「……何度も言うが、やめておきたまえ」 「え、なんで〜?」 「……もしかして、虎の肉って火を通しても食べられないの?」 美佐枝の問いに、聖は首を振って答える。 「臭みはあるだろうが、鼻をつまめば食えるさ。……普通の虎なら、な」 「……?」 「君たち、普通の虎が立って歩いたりすると思っているのか」 「聖さんが何を言いたいのか、全ッ然、わかんないんだけど……」 「ごめん、あたしにも……」 要領を得ない二人に、聖は小さく眉根を寄せると、口を開いた。 「……平たく言って、君たちが料理した虎は病気持ちだ。ムティカパ症候群、と呼ばれている。 感染すればただでは済まん」 虎ではなく人間だ、とは言わなかった。 それを告げることには意味がないと、聖は考えていた。 聖の内心など露知らず、二人はその言葉に目を丸くしている。 「うっそ〜、それじゃ……」 「そうね、危ないところだったわ……」 「……そもそもどう始末したのかは知らんが、虎を相手に大立ち回りとは無茶をする。 夕餉になっていたのは君達の方かもしれなかったんだぞ」 ため息をつく聖に、美佐枝がどこか恥ずかしげに目を逸らす。 「それが、……笑わないでよ、聖」 「急になんだ、改まって」 「……あたしがまたドリー夢に目覚めた、なんて言ったら……どう思う?」 「うわははははは!」 聖、大爆笑。 「あ、あんたねえ!」 「ははは、いや、すまん、ははは」 息を切らして笑っている。 「……いやいや、君もまだまだ若い、と嬉しく思ってな」 「言わなきゃ良かった……」 「何、恥ずかしがることはない。……私はこの島で奇妙な力に目覚めた人間を何人も見てきた」 「奇妙な……力?」 美佐枝が、小さく呟く。 「ああ、それこそ虎など問題にしない力を持った者も多くいた。 君がそれに目覚めても何ら不思議は無いさ」 「……そう、なの?」 美佐枝の脳裏には、昨日の光景が浮かんでいた。 奇妙な光線銃で少年を撃退した、古河パンの店主。 「ああ。……たとえそれが、過去の少しばかり痛々しい趣味と繋がったところで、笑う者は……わははは」 「あんた、笑いすぎっ!」 「えーっと……、はい、先生!」 それまで年長者二人のやり取りを黙って見ていた志保が、手を挙げていた。 顔を赤くして食ってかかろうとする美佐枝を片手で抑えながら、聖が志保を指名する。 「何かね、長岡君」 「ドリー夢って、なんですか?」 「ふむ、いい質問だ」 「ちょ、ちょっと聖! そういうことは別に……」 慌てたような美佐枝の声を無視し、聖はひとつ咳払いをしてから重々しく答えた。 「ドリー夢とは、な……物語の登場人物などを自分と置き換えて妄想をたくましくする、 多感な若者、特に思春期の少女に特有の病気だ」 「へぇぇ……イタいですねっ」 「ああイタいな。だがあまり言ってやるな、こうして本人も恥ずかしがっている。 思うに、彼女は何かの登場人物になりきってその力を発揮する能力に目覚めたのだろう。 ……わはははは」 「聖ーっ!」 美佐枝が、聖に飛びかかった。 ****** 「……ところで聖。その大荷物だけど、他に何が入ってんの?」 ひとしきり騒動が収まったところで、美佐枝が聖に尋ねていた。 その顔にはいくつかの引っ掻き傷がある。 美佐枝の視線が向かう先にあったのは、人ひとりを包み込もうかという大きさの布袋であった。 支給品のデイバックと共に、聖の背後に置かれている。 「おっと、そうだった」 ぽん、と手を叩く聖。 いやすっかり忘れていた、などと呟きながら布袋の口に結ばれた紐を解きだす。 「なんか、ドラマに出てくる死体袋みたいで嫌ね……」 眉を顰めながら聖の手元を見ている美佐枝。 「いや、まぁ似たようなものだが……」 言いながら開けた、その布袋からごろりと顔を覗かせたのは、 「ひっ……!?」 「どうしたの、美佐枝さ……う、うわわ、し……死体ぃ!?」 青白い顔で目を閉じた、少女の頭部であった。 瞬間的に後じさり、壁に張りつく美佐枝と志保。 「ん? どうした、二人とも」 「ど、どうしたって、あんた……」 「そ、それ、まさか……聖さんがこ、殺したの……!?」 震える指で差され、聖はようやく合点がいった、というように頷く。 「や、やっぱり!」 「聖、あんた……!」 「いやいやいや、そうではない。落ち着きたまえ」 身構える二人に、聖は害意が無いことを証明するかのように両手を広げてみせる。 「そもそも君たちは重大な勘違いをしているぞ」 「な、何よ……!?」 「彼女は死体ではない。限りなくそれに近い状態ではあるが……まだ生きている」 「……」 「……」 数秒の間。 何度か瞬きをしてから、美佐枝がようやく口を開く。 「……今、なんて?」 「だから、彼女はまだ辛うじて生きていると言っているんだ。死体扱いは可哀想だぞ」 「……」 更に数秒の間が空いた。 見る見るうちに、美佐枝の表情が変わっていく。 「……あ、あ、あんたねえ! そういうことは早く言いなさいよ!」 怒りと、ある種の使命感が混じった顔でそう怒鳴ると、美佐枝は聖を押し退ける勢いで 布袋に包まれた少女へと駆け寄った。 それからの美佐枝の動きは、誠に迅速といえた。 志保に矢継ぎ早に指示を出し、なぜ私がと訝しがる聖の尻を叩いて、瞬く間に寝室を整えていく。 大急ぎでベッドを空け、湯を沸かして泥で汚れた少女の身体を拭き、火傷で張り付いた制服を切って 上から新しい寝間着を着せ、布団に寝かせて額に濡れタオルを乗せるまで、実に二十分とかからなかったのである。 【時間:2日目午前7時前】 【場所:F−2 平瀬村民家】 相楽美佐枝 【所持品:ガダルカナル探知機、支給品一式】 【状態:健康】 長岡志保 【所持品:不明】 【状態:空腹】 霧島聖 【所持品:魔法ステッキ(元ベアークロー)、支給品一式、エディ鍋、白虎の毛皮】 【状態:ドクター形態】 川澄舞 【所持品:村雨・大蛇の尾・鬼の爪・支給品一式】 【状態:瀕死(肋骨損傷・左手喪失・左手断面及び胴体部に広く重度の火傷・重度の貧血・奥歯損傷・意識不明・体温低下は停止)】 - BACK