広瀬真希と少女の澱




「美凪……」

その声に、意味などなかったのだろう。
遠野美凪は既に事切れていた。
血に塗れたその巨体が、ゆっくりと崩れ落ちていく。

常識の範疇外にある出来事。
人が死ぬ。つい先程まで談笑していた人間の命が唐突に終わる。
殺される。理不尽な暴力に、対抗し得る手段も無く。

取り乱さなければいけない、と思う。
何の変哲もない、ごく普通の女子校生は、こういうときには悲鳴を上げて、あるいは涙を流して、
目の前の現実を否定しようとしなければならない。
それが当たり前、そうあるべき姿というものだ。

そして『私』は、ひどく冷静に、その光景を見つめていた。



放送で北川の死を知った。
唐突に消えたと思えば、どこかで殺されていた。
そんなものか、と思った。
それだけの、朝だった。

異形と化した遠野美凪といえば、しかし変わったのは姿かたちだけであると、すぐにわかった。
彼女の用意した朝餉を食べて、静かに時間が過ぎるのを待っていた。
外に出る気はなかった。どうせ同じことだと、思っていた。
死ぬ順番が変わるだけだ。
あるいはそうでなかったとしても、何一つ変わらない。
何故だか私はそれを、知っている気がした。

だから、突然の砲撃のようなもので壁が崩れても、『私』はちらりと目をやっただけだった。
轟音と塵芥の向こうに立つ少女を見て、ああ、ようやく来たのかと、それだけを呟いた。

「……くー……」

目の前の少女は、そう、立ちながら眠っているように見えた。
傍らで宙に浮かんだ物体が、その異様を際立たせていた。

侵入者に向かっていく遠野美凪の背に、『私』はかける言葉を持たなかった。
意味がないと、わかっていた。
それは、ここで遭ってしまってはいけないものだった。
目の前にそれが立っているという状況が、私たちの確実な死を意味していた。

だから、『私』は美凪が死を迎える様を、じっと見ていた。
覚えていようと、思った。



ずるり、と。
少女が、美凪の身体から貫手の形に整えた手指を引き抜いた。

「……くー……」

相変わらず目を閉じたまま、静かに寝息を立てている少女が、一歩を踏み出す。
革靴の底で、飛び散った硝子片が硬い音を立てた。
次は、私の番というわけだった。
告死の少女に向かって、『私』は静かに口を開く。

「カエルのぬいぐるみ、とはね……水瀬の力も、芸幅が広いわね」

『私』は、何を言っているのだろう。
水瀬の力、とは何だろう。わからない。わからないが、口からは自然と言葉が滑り出してくる。
きっと、わからないのは、普通の女子校生である私だけなのだ。
遠野美凪の死を、噴出す血飛沫や吐瀉物と共に吐き出される濡れた呼吸の音を、心乱すことなく
観察していた『私』には、きっとそれが何を意味する言葉なのか、充分にわかっているのだろう。
だから私は、今度は『私』自身を、じっと見つめることにした。

「眠っている時にだけ目覚める力? ……悪い冗談もいい加減にしてほしいわね。
 継承したんなら、それなりの格好をつけなさいよ、水瀬の当主」

継承。当主。わからない。構わない。
それが何なのかわからなくとも、私が死ぬことには変わらないと、それだけを確信していた。

「―――どうせ初めから眠ってなど、いないくせに。」

そう告げた『私』の言葉はひどく酷薄で、その声音は侮蔑に満ちていた。
言葉の内容か、それを告げた態度か。あるいは、その両方かもしれない。
いずれにせよ『私』の言葉に含まれていたのだろう何かが、少女に変化をもたらしていた。

「―――」

足を止めた少女が、私を、見ていた。
少女の目が、開いていたのだ。

「煩いな」

はっきりと、そう言った。
寝息でも寝言でもなく、明確にそう言い放った少女の、冷たい眼光が、私を射抜いていた。

「そう、その顔。それでこそ水瀬よ」
「……」

少女は、底冷えのする視線で私を見つめている。

「そうしてると母親そっくりね。人を殺した手でご飯を食べられる顔」
「……」
「どうして眠ったふりなんかしてたの? どうせ出くわした人間は皆殺しにするくせに。
 油断させるため? やめなさいよ、そういうの。水瀬ならもっと胸を張って人を殺しなさい」

『私』は、ひどく奇妙なことを言う。
会ったこともないはずの少女、その母親をよく知っているような口振りだった。

「……何だ、お前」

少女が、その視線を更に険しくする。
よくない気配のする眼だった。
水を飲む、ということと人の息の根を止める、ということを同列に捉えられる、そういう眼だと思った。
だが『私』は、まるで数秒後の死を弄ぶかのように、どこか楽しげですらある口調で、言った。

「―――それとも、そうでなければ相沢祐一には守ってもらえない、とでも?」

一瞬の、間。
少女の眼に宿る光の種類が、変わった。
重く、澱のように溜まっていたある種の薄暗さが、消えていく。
代わりに浮かんできたのは、虚を突かれたような、あるいは痛快な冗談に笑みを堪えるような、
不可思議な色だった。

「……本当に、何なんだ、お前?」

声音からも、険が取れている。

「わからないの? 水瀬でしょう、あんた」
「ん? ……お前、もしかして……『勝った』ことがあるのか?」

軽口を叩くような『私』の声に、少女は驚いたように答える。

「それは……珍しいな。
 毎回、死にぞこないは出るみたいだけど……『勝った』のがまだ残ってるなんて、思わなかった」
「お生憎さまでね。こうして元気にやらせてもらってるわ」

少女と『私』の、奇妙なやり取り。
勝つ、とは何だろう。何に勝つのか。残っているとは、何のことか。
私を置き去りにして、会話は続く。

「大抵、何度か繰り返す内に生まれてこなくなるんだがな……。
 よっぽど図太いのか、それとも『勝った』のが最近なのか」
「どっちでもないわ。こうしている私には、何がなんだかわかっていないくらいだし」

『私』は、私のことを的確に言い表す。その通りだった。
少女と『私』の会話は、私にとって未知の共通認識に基づいているようで、まったく理解できなかった。

「不完全な持ち越し……。成る程、未だ絶望せずにいられるのはそういうことか。
 ある意味、うちのお家芸に近い状態なんだな」
「そういうことになるかしらね」
「しかし、水瀬の記憶にもない繰り返し方とは……お前、よほど妙な勝ち方でもしたのか?」
「……その辺はご想像にお任せするけど」

一瞬、『私』の言葉が曇る。
だが少女がそれを気に留めることはないようだった。

「別にいいさ。覚えておけば、済むことだ」

言って、少女は口の端を上げる。

「……さて、殺す前に一つ訂正しておきたいんだが」

傍らに浮く巨大なカエルのぬいぐるみを、ぽん、と叩いて少女が言う。
自身の死を宣告された『私』は、しかし無言。
私も、特段に思うことはなかった。そうなると、わかっていた。

「お前、私が眠ったふりをしてるのは、そうしなければ祐一が守ってくれないからだと言ったよな?
 弱い私、無力な名雪、守らなければ殺されてしまう愚鈍な女」

少女は微笑む。

「……そうでなければ、祐一は守ってくれないと。こんな、」

と、カエルに視線をやる少女。

「こんな異形の力で平然と人を殺す私では、祐一が守ってくれない、と」

だが、と少女は笑む。
一片の邪気もなく、一筋の悪意もない、それは、はにかむような笑顔だった。

「祐一は、守ってくれる」

大切なものを、そっと撫でるように。
少女はその名を口にする。

「私がどんなに強かろうと、どれだけ人を殺そうと、そんなことは関係ない。
 祐一はそれ以上に強く、それ以上に人を殺しながら、私を守ってくれる。
 これまでずっとそうだったように。これからもずっと。
 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度もそうしてきたように。」

だから、と。
少女は私を見る。

「だからこそ私は、弱い名雪でいたいんだ。
 弱く、愚かな、祐一に守ってもらうに相応しい、そんな私でいたいんだよ。
 ―――わかるだろう?」

そう言った少女は、ひどく遠いところを見るように、私の向こう側にいる『私』を見ていた。
それはどこか、老いさらばえた女がする仕草のように、私には思えた。

「……けれど、あんたの知ってる相沢祐一は、もう」
「夢を」

『私』の言葉を遮るように、少女は呟く。

「こういう夢を、みていたいんだ。ずっと」

どろりと低い、声だった。

「それでいいんだ。それだけが、私の望みなんだ。私はそうして生きている。
 水瀬としての私も、名雪としての私も、それだけを望んで生きているんだ。
 だから―――どちらも本当の、水瀬名雪の顔さ」

顔を上げた少女は、疲れたように力なく笑っていた。

「……さようなら、久々に楽しかったよ。
 最近はこういう話もなかなかできなくてね」

少女が、その手をゆっくりと上げていく。

「できれば次も、こうして私に殺されてくれると嬉しいな」
「……ろくな死に方しないわよ、あんた」
「いつものことさ」

喉を裂かれ、一瞬で絶命した私の、それが最後の記憶だった。




【時間:2日目午前10時ごろ】
【場所:B−5】

水瀬名雪
 【所持品:なし】
 【状態:水瀬家当主(継承)・奥義:けろぴー召喚】

広瀬真希
 【状態:一行ロワイアル優勝者・死亡】

遠野美凪
 【状態:死亡】
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