Requiem for the present




 何かを見落としている気がする。
 何か……そう、何か非常に重要な分岐点が欠落しているような、そんな感覚。
 この世にあらぬものと会話をする際無意識に溜まる精神的疲労からか、相当の熟睡をやらかしてしまっ
たらしい橘敬介は、そんな違和感を覚えて目をさました。折りしもひどく緊張したような上ずった女性の
声が、雨とそれ以外の無機的なノイズのむこうから自己紹介の文言を述べているところである。『よ、よ
ろしくお願いいたします』という台詞に対して敬介は何か返答すべきかとふと思ったが、そのような必要の
ないことに思い当たるとその後に続く死者たちの名前に聞き入った。

 昨日、自分を介抱してくれた少女とささやかな武器を分けてくれた少年の名が挙がったことに気づいた
敬介は瞑目し、ふうと息を吐いた。
 柏木初音という少女は三人の姉と同姓の従兄を探していたはずだ。そのうちの一人と思しき名前も放送
の中にある。一方で長瀬祐介と名乗った少年の知り合いの名は出ていない。前回の放送も考え合わせる必
要があるが、彼らと出会った者として未だ生きのびている探し人たちに彼らのことは必ず伝えよう……。
 そんな小さな決意をして目を開いた敬介に、放送の声の主はは出し抜けに、先ほど目を覚ますきっかけ
となった違和感の正体を告げた。

『続いて、た、ターゲット賞を発表いたします』

 確かに聞いていたはずだった。今放送で流れている声の主とは違う、自信に満ちみちた若い男性の声で
読み上げられたそれをはっきりと憶えていたはずなのだ。それを思い出そうとした途端に襲ってきた吐き
気に似た感覚に、敬介はうずくまった。まるで銀髪の目つきの悪い誰かに鳩尾をしたたかぶん殴られて眼
鏡を落としたような感覚。
 反芻するまでもない。ターゲットと呼称され、名指しで排除対象とされた十八名。その中に柏木初音も
長瀬祐介も、彼らの探し人も……そしてあろうことか、敬介自身の娘の名まで含まれていたのだ!


 これはどういうことか。
 自分を助けた彼らが化け物であるとはどういうことか。
 神尾観鈴が排除対象のにリストに入っているとはどういうことか。
 ……何より、娘が名指しで化け物呼ばわりされていたことを失念するとはどういうことか。
 ――――震えが収まらない。

『……同じくルーシー・マリア・ミソラ殺害は、神尾晴子さん、神尾観鈴さん両名の共同作業と認定され
ました。以上の皆様には……』

 放送は続いている。そしてその内容を敬介は正確に把握していく。娘が晴子と共にいること、彼女たち
がターゲットを殺害し優勝の権利を得たこと、観鈴の生死がプログラム終了条件から外れたこと……。だ
がその脳内作業とはひどくかけ離れたところに、彼の思考は漂い続けている。

 娘に何かを遺すために生きてきた。
 殺し合いに放り込まれ、自身の死が目に見えるところまで迫ってもそれは変わることがないと思ってい
た。
 妻の死以降、自分自身のために生きるのを放棄してしまったせいかもしれない。仕事の際にも、娘の病
気に関わりのありそうな古い文献を当たっている際にもどこか醒めた目でそんな自身を見ていた。
 ……だがそれは、娘のためではなく自分勝手なだけの行動だったのだろうか?
 ……いつかどこかで晴子が言ったように、自己中心的な思いだったのだろうか?

 ――――雨のノイズが今まで強固だった何かをかき乱し、溶かしていく。
 そのノイズが突如、途切れた。

   *


 時は夜中へと戻る。
 アヴ・ウルトリィ=ミスズを追っていた神奈は、まんまと逃げおおせた己の分を弁えぬ恩知らず共に歯
噛みしながらも、夜闇に消えた白い巨体を捜していた。一度は振り切られたが相手はあの図体、上空から
であれば向こうが派手な動きをすればすぐにわかる。そうたかをくくっていたのだが、折りしも雨が降り
出し、雨雲の上からでは視認ができず、かといって雲の下では雨をまともに受けてしまって機動力が落ち
るといったジレンマに陥ることとなってしまった。羽が雨粒で重くなるのはいやなのでとりあえず雲の上
に避難はしているが、さてこれからどうしたものかと考え込まざるを得ない。

「むう、困ったものよの」
 そう口に出してつぶやいてみるが、覚醒以降ずっと頭の中から響いてきたお気楽な「にはは」という笑
い声もツッコミのような返事もない。
 おもえば、母を探す旅の間は柳也と裏葉がそばにいた。覚醒してからは観鈴と一緒だった。
 誤解するな、淋しくなどないのだからな。そうこの場にいない誰かに説得力の薄い独り言を返す。
 しかし一人空の上にいるとどうしても思い出してしまうのだ。
 飽くほど見た翼人の継ぐ記憶の夢――――世界で一番悲しい夢。
 この世の者は誰一人として神奈を見守ってはくれず、自分をのこして去ってゆく。
 これは、そんな呪い――――だ。

 動かし慣れない背羽をもどかしく思う。
 幾度もの計画遂行、幾度もの覚醒、そして幾度もの失敗。
 母が神奈の名に「神などなし」という隠れた意味をのこしたように神などこの世界にはなく。
 なれば己の呪いを自らの手で払うため、自らが神として動くしかないではないか。
 ――――おのれ、高野山なのだ。
 神奈が観鈴に告げた言葉がある。
 観鈴が神奈のもとから去った今、採るべきはその時点での策、観鈴の母御の保護ではもはやない。
 となれば目指すべきはひとつ。雨雲をかいくぐり、羽の少女はある地点めがけて矢のごとく飛び去る。


 ――――ここでひとつ、MMR張りのこじつけをせねばなるまい。
 神奈こと神奈備命の登場する原典「AIR」SUMMER編において、このようなシーンが登場する。
「ずっと書を読んでおったのか? 柄にもないことを…」
「そう言うおまえは読めるのか?」
「だれも教えなかったのだ。読めるはずがないであろ」
「よく裏葉が放っておいたな」
 つまり神奈は文盲である、少なくとも翼人の記憶を継ぐまでは字が読めなかったのだ。
 そして翼人の記憶といえど万能ではない。記憶データというものがいかなる形式で保存されているのか
翼人ならぬ身の筆者には想像もつかぬのだが、それを理解するのに文字による媒介が必要ではないだろう
ことくらいはDREAM佳乃編などの描写から読み取れる。
 ひるがえって「おのれ、高野山」というフレーズ。これは文字媒体をメインとする掲示板にて生まれた
合言葉のようなものであり、原典には登場しない。すなわち、神奈はこの言葉を文字としては知っている
が、音声としては知らないのだ。
 筆者の言いたいことはこうである。神奈は「高野山」を「たかのやま」と読んでいたのだ!
(ここで「な、なんだってー」と続けていただけると筆者も報われるというものである)

 しのつく雨の降る夜明け。あたふたした様子の放送が終わる頃。
 付近に神奈から逃げたならず者親子がいるとも知らず、神奈は「たかのじんじゃ」上空にいた。

  *

 ――――いったい何が起こったのか、建物の中の橘敬介にはわからなかった。
 あれだけ煩く思えた雨音が忽然と消えうせたのだ。明かりとりの窓の向こうにも、雨影の細い線は見
えない。
 とすれば止んだのか。しかし雨とはこのような止みかたをするものであっただろうか。
 不思議に思い、身を起こした。
 兜を傍らに置く。昨晩話した景清ならば、隻眼を光らせて「わしも連れて行くが良い」とでも言いそう
なところだが、ちょっと様子を見に出るだけだ、兜までは必要ないだろうさとつぶやきを返し、そのま
少し笑った。
 まったく、どうかしている。ここには誰もいないのに、どうしてこうも気持ちが落ち着くのだろう。古
い道具やそれに宿った想いと……月並みな言い方をすれば幽霊と話をするだなんて、まるでだいぶ昔に観
鈴に読んでやった絵本―――たしか『グエンディーナの魔女』という題だったか―――ではないか。
 この島全体が絵本以上のカオスになっているとはつゆ知らず、敬介は戸をあけて踏み出した。

 おかしな天候であった。
 周辺の森は未だ薄暗く小糠雨が降っているというのに、神社上空だけ、まるで台風の目が静止したよう
に雲が切れているのである。角度の浅い彼誰時の陽が差すその空に、孤影があった。
 人影……なのだろうか。だがそれが中空にある、という事実がそれ以上の推論を阻む。さらに人影とし
ては余分な要素――――背羽の存在が、さらに敬介の思考を混乱させた。
「出てきおったか、高野の者よ」
 逆光の中、嘲るような少女の声が聞こえる。あの人影の主――――前回の放送の言っていた「化け物」
の一人なのだろうか。
 化け物だとしたら――――なぜ僕は、観鈴へのそれとほど近い想いをあの羽の少女に寄せていたような
そんな気持ちになるのだろうか。
 わからない。なにもかもが、わからない。


 心ここにあらずという体で空を見上げる男に向かって、神奈が羽を広げる。そしてその翼からにじみ出
た黒い瘴気は雷光の形を取り、避けようとも逃げようともせぬ男めがけて落ちていった。 

 ―――――雲もない真っ白の空間には雷鳴ひとつなく。
 ―――――その空白があげる悲鳴は、誰のための鎮魂歌であっただろうか。




【時間:2日目午前6時半】
【場所:G−06 たかのじんじゃ】

064 橘敬介
【状態:雷が直撃】
【所持品:眼鏡、庶民の具足、法師の鏡、羽根、持ち主不明の日本刀】
025' 神奈
【状態:おのれ"たかのやま"】
【持ち物:ライフル銃】

【トンカチ、武将の兜、dジキ自動連射装置は宝物殿の中】
【G−06上空にアヴ・ウルトリィ=ミスズがいるようです】
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