鬼教官の名は、伊達ではなかった。 「男は体力! まずは基礎体力作りから始めるわよ!」 七瀬の言葉に容赦はない。 とても逆らえる雰囲気ではなかったが、とりあえずそろそろと手を挙げてみる冬弥。 「あの、七瀬さん……」 「教官と呼びなさい」 「では、教官……」 即座に言い直す。 「何か質問でも? つまんないこと言ったらはっ倒すわよ?」 「あ、いえ、だったらいいで……」 言い終わる前に、殴られていた。 「男なら言いたいことは最後まで言い切る!」 「は、はひ……」 腫れた頬を押さえながら、涙目で答える冬弥。 「……で、質問は何? モタモタしてると左のほっぺたも真っ赤になるわよ?」 「ぐ、グーはもう勘弁してください!」 「だったらさっさと言う!」 「は、はい……! ええっと、体力づくりって何をするんでしょ……」 言い終わる前に、左の頬に鉄拳がめり込んでいた。 「登山」 「こ、答えるなら何で殴ったんだ……?」 青い顔で呟いた孝之が、七瀬にぎろりと睨まれ、慌てて目を逸らす。 「つまんないこと訊くからよ。前もって訊いたからってメニューが変わるわけでもなし」 「ひでぇ……」 「……何か?」 「いえ、何でもありません、教官!」 わかればよし、と頷く七瀬。おもむろに遥か彼方を指差す。 その指の先を、おそるおそる見やる冬弥たち。 木々の切れ間から見えていたのは、 「あれって……」 「地図によれば、神塚山……だったか?」 「ダッシュ」 「……え?」 聞き返した瞬間に、殴られていた。 「走りなさいって言ってんの!」 「ひ、ひぃぃ!」 そこからは、地獄だった。 ****** 「ぜぇ……はぁ……」 「おぇぇ……」 「ったく、だらしないわねえ……」 神塚山、山頂。 腕組みをした七瀬が、うずくまる二人を呆れ顔で見下ろしていた。 「どうして男が女の子より力が強いか、わかってる? いざって時に女の子を守るためよ! なのにあんた達ときたら……」 はあっ、と大きなため息をつく七瀬。 「……もういいわ、しばらく休憩にします」 うずくまる二人は、呼吸を整えるのに精一杯で返事すらしない。 心底から情けなさそうな顔をして、七瀬は一人、その場を離れる。 近くの平らな岩に座り込んで、またもや特大のため息をついた。 「あんなんじゃ女の子を守るどころか、逆に守ってもらうことになるわよ……」 「―――同感じゃな」 「ひゃあっ!?」 突然背後からかけられた声に、七瀬が文字通り飛び上がる。 「だ、誰!?」 「驚かせてしまったようですまんの。わしは―――」 慌てて振り向いた七瀬が見たのは、厳しい顔つきをした一人の老人であった。 とうに楽隠居していてもおかしくないような歳に見えたが、ぴしりと黒の三つ揃いに身を包み、 背筋は微塵も曲げることなく、真っ直ぐに立っている。 その顔に刻まれた無数の皺が、深い人生経験を物語っているようだった。 「―――長瀬源蔵。来栖川の家令を勤めておる者じゃ」 声の張りも見事に、老人は名乗った。 そして文句のつけようのない、見事な一礼。 つられて七瀬もぺこりと頭を下げる。 「く、来栖川って、あの……?」 「知っておるなら話が早いの。そう、来栖川のお嬢様方が酔狂でこの催しに加わっておってな。 わしはそれを連れ戻しに来たんじゃが……」 そこで、源蔵は眉根を寄せる。 「色々と、手違いがあるようでな。お嬢様方の居場所が掴めなくなってしもうた。 残された気を辿ってはおるが、この島にはどうにも強い気が多すぎていかん」 「はぁ……」 「そこで、じゃ」 ずい、と顔を近づける源蔵。 話の流れが掴めずに聞き流していた七瀬が、思わずのけぞる。 「な、なんですか!?」 「お主ら、お嬢様方を見かけんかったかの」 「い、いえ、見てませんけど……」 「本当に?」 「は、はい」 「ふむ……ま、綾香お嬢様はかなり羽目を外しておられた様子……。 出会っておれば、お主らただではすまんだろうしの」 「わかってもらえたら、顔を離してほしいんですけど……」 「おお、すまなんだな……む?」 邂逅が平和裏に終わろうとしていた、そのとき。 事態を致命的に悪化させる者たちがいた。 いわずと知れた、ヘタレどもである。 ****** 「お、おい、あれを見ろ……!」 孝之が指差したのは、七瀬が頭を下げて一礼した、その場面であった。 見やった冬弥が色めき立つ。 「誰だ、あの爺さん……いつの間に!?」 「七瀬さ……教官、何か謝ってるぞ……?」 「まさか、因縁つけられてるのか……!」 勘違いもはなはだしかったが、勝手に盛り上がっていくヘタレども。 その脳裏には、つい先刻の七瀬の言葉が浮かんでいた。 『どうして男が女の子より力が強いか、わかってる? いざって時に女の子を守るためよ!』 絶好の機会というわけだった。 ヘタレもヘタレなりに、頑張ろうとはしているのだった。 丁度そのときである。二人の見ている先で、源蔵が七瀬に顔を近づけていた。 「爺さん、なんて破廉恥な……!」 「七瀬さんが危ない……!」 「お、俺たちで教官を助けるぞ……! ヘタレボールを出せ、藤井君!」 「よ、よし、わかった!」 俺たちで助ける、と言ったその舌で助っ人に任せようとする二人。 その行為に何の疑問も持っていない。 「よし、来栖秋人くん―――君に決めた!」 冬弥の投擲したボールから、一人の少年が飛び出してくる。 引き締まった筋肉質の体つきが頼もしい。 「何だかわからんが、あの爺さんをぶっ飛ばせばいいんだな!」 「ああ、頼んだぞ!」 一直線に駆けていく来栖の背を、信頼をこめて見守る二人。 その目の前で、 「―――ぐぁらばっ!!!」 来栖の身体が、弾け飛んでいた。 「「……え?」」 驚愕に漏らした声が、ハモった。 ****** (あの……バカども……!) 七瀬は内心で頭を抱えていた。 引き攣るこめかみを、必死で押さえる。 「……お嬢さん、説明してもらえるかの?」 老人が、目を細めている。 その眼光から、温度というものが失われていくのがわかった。 白い手袋からは鮮血が滴っていた。 振り返ることもせず、裏拳一発で来栖を文字通り木っ端微塵に破壊せしめた拳である。 「あの……ですね……、あれは……その」 口ごもる七瀬を色の無い眼で見やると、源蔵は飛び散った血飛沫の前にへたり込む、冬弥と孝之へと視線を移した。 「……お嬢さんがご存じでないなら、あちらの二人に直接聞くとしようかの」 言いながら、血塗れの拳を握りこむ源蔵。 ざり、と磨き上げられた革靴が山肌を踏みしだく。 「ちょ、ちょっと待ってくださ……!」 七瀬が血相を変えて源蔵に手を伸ばそうとした、その瞬間。 「―――ちょっと待った、爺さん」 山頂に、新たなる声が響き渡っていた。 ****** 「……む?」 源蔵が足を止め、声のほうへと振り向く。 声は、山肌に聳え立つ巨岩の上から。 「いい歳こいて弱いもの苛めはいただけねえな、爺さん」 声の主は、サングラスをかけた、一人の男であった。 黒いレンズの下で、男がにやりと笑う。 「退屈ならよ、俺と……戦ろうぜ」 「……お主、わしに気配を悟らせず近づくとは、只者ではないな」 男が笑みを深める。 「なあに、それほどのもんじゃあねえさ」 男の手には、奇妙な形状の銃が握られていた。 それを見た源蔵が、ゆっくりを構えを取る。 戦闘が、始まろうとしていた。 ****** 「……あんたたち……」 呆然と成り行きを眺めていた冬弥と孝之の耳に、背後から小さな声が聞こえてきた。 振り向く。七瀬留美が、険しい表情でそこに立っていた。 囁き声のまま、七瀬が二人を促す。 「逃げるなら今の内よ……、急ぎなさい……!」 「そ、それが……」 「何よ……!」 情けなさそうな声をあげる二人。 「腰が抜けてて……」 「動けません……」 吊り上がっていた七瀬の眉が、ハの字を描いた。 「もう……いいわ……」 うなだれたのも一瞬。 決然と顔を上げると、七瀬は二人の首根っこを引っつかむ。 「うわっ!?」「ぐぇっ!」 そのまま、猛然と斜面を駆け出した。 後ろで上がる悲鳴は完全に無視する。 「ヘタレどもを引きずって一気に山を駆け下りる……乙女にしかなせない業ね……」 目尻を濡らす感触は、幾分弱まってきた雨の雫だと思い込むことにした。 【時間:二日目午前9時ごろ】 【場所:F−5、神塚山山頂】 七瀬留美 【所持品:P−90(残弾50)、支給品一式(食料少し消費)】 【状態:鬼教官】 藤井冬弥 【所持品:H&K PSG−1(残り4発。6倍スコープ付き)、 支給品一式(水1本損失、食料少し消費)、沢山のヘタレボール、 鳴海孝之さん 伊藤誠さん 衛宮士郎くん 白銀武くん 鳩羽一樹くん 朝霧達哉くん 来栖秋人くん(死亡) 鍋島志朗くん】 【状態:ヘタレ】 長瀬源蔵 【所持品:防弾チョッキ・トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)・支給品一式】 【状態:戦闘開始】 古河秋生 【所持品:ゾリオンマグナム、他支給品一式】 【状態:ゾリオン仮面・戦闘開始】 - BACK