「そん……な……」 幼い、といっていい年頃の少女、スフィーが荒い息の中、膝をつく。 その表情には隠しようもない疲弊の色が浮かんでいた。 小さな身体に纏うにはいささか大きすぎる黄色のワンピースが、少女の肩から落ちかけている。 「―――それが、本当の姿というわけですか」 静かな声が響く。 スフィーの眼前、数メートルの位置に奇妙なオブジェが存在していた。 それは、言うなれば人ひとりをすっぽりと包み込めるほどの大きさをした、真紅の繭だった。 表面は宝石の如き光沢に覆われ、うっすらと淡い赤光を放っている。 声は、その中から聞こえていた。 「……あんたに説明してあげる気は、ないよ」 憎々しげに睨むスフィーの目の前で、繭がゆっくりと割れていく。 まるで地面に溶けるように消えた繭の中から現れたのは、水瀬秋子であった。 「そうそう、魔力を使いすぎるとそのような姿になってしまうんでしたね」 「―――ッ!」 頬に手を当てて悠然と微笑む秋子に、スフィーが射殺さんばかりの視線を向ける。 「なぜ魔法が効かないのか……いいえ、どうして私が魔法への対処など知っているのか。 気になりますか? 魔法王国グエンディーナ、第一王女スフィー=リム=アトワリア=クリエール殿下」 「なっ……!?」 愕然とした表情で秋子を見るスフィー。 一瞬、殺意すら忘れたかのようだった。 だが次の瞬間、スフィーが猛然と口を開く。 「あんた……っ! リアンに、リアンに何をしたの……ッ!?」 魔力を使い果たした身体に鞭打ち、震える足で立ち上がるスフィー。 その姿を見ても、秋子は笑みを湛えた表情を崩さない。 「ですから何度も申し上げている通り、リアンさんは私たちの大切な同志です。 無理に何かを伺ったり、まして危害を加えることなどありません」 「おためごかしをっ!」 「安心してください。リアンさんからは何も伺っていません。ただ……」 「ただ、何!?」 スフィーの剣幕にも、秋子は動じない。 ただ静かに頷いて、スフィーに語りかける。 「私は、知ってしまったのです。……すべてを」 「何を……!」 「すべて。この世界のすべてです。来し方から行く末までの顛末を」 「……」 理解できぬものを見る目で、スフィーが秋子をねめつける。 しかし秋子の、独白じみた言葉は止まらない。 「黙示録。あるいは……図鑑、と呼ぶ方もいます。 そこにはすべてが刻まれているのですよ。 ……我々の世界、そしてあなた方の王国の滅亡も、また」 「―――もういい! 教祖様の戯言はたくさんだよ!」 スフィーの叫びが、洞穴の天井に反響する。 一瞬だけ静寂を取り戻した玉座の間に、秋子の静かな声が染み渡った。 「……そうですか。残念です」 溜息を一つ。 「それでは、これで終わりにしましょうか。……もう少し、楽しみたかったのですけれど」 「……ッ!」 目を伏せた秋子の足元、灯火に揺らめくその影から、じわりと染み出すものがあった。 どこか粘性の高い液体を思わせる、触手じみたそれは、内部から赤い光を放ちながら、 一気にその体積を増していく。 秋子の周囲が、瞬く間に赤い触手で埋め尽くされた。 「くっ……」 おぞましくも震え蠢く触手を目にして、スフィーが表情を歪めていた。 それはつい先刻、全力の一撃をいとも容易く受け止めてみせた、あの繭を形作った力に他ならなかった。 「既に魔力も底を尽き―――」 秋子の声が、スフィーを刺す。 「抗うこともできず、仇と狙う私の軍門に下る……。 哀れですね、スフィー=リム=アトワリア=クリエール」 ぞろりと伸びた触手が、スフィーの足首に絡みつく。 冷たい感触に、スフィーが思わず小さな声をあげそうになる。 「”グエンディーナの魔女”ほどの力があれば、あるいはこの場を切り抜けることくらいは できたかもしれませんが」 「な……何を、言って……?」 触手に腰まで絡みつかれながら、スフィーが秋子の言葉に反応する。 体幹から響く奇妙な感覚が、スフィーを襲っていた。 「……なつみさん、と言っても今のあなたたちには分からないでしょう」 「なつみ……誰……?」 「既に繰り返しをやめた彼女のことを語るのも、詮無い話です」 どこか寂しげに、秋子が呟く。 微笑を絶やすことのない表情に、憂いの翳が差したようだった。 「魔王の力、光の神の剣、そしてグエンディーナの魔女……。 比肩するものなき力は、いずれ消え行く定めなのかもしれません。 勝ち続ける内、己で己に厭いていく。……身勝手な話です。 ならばその力は優位の象徴などではなく、―――限界にすぎないというのに」 スフィーの応えはない。 既に、その全身を赤い触手に包み込まれていた。 「さようなら、魔法人類。 ……残された私は、足掻き続けてみせましょう」 秋子の憂いに満ちた声と共に、赤い触手がスフィーを呑みこもうとした、その瞬間。 「―――!?」 触手が内側から膨れ上がり、弾け飛んだ。 一瞬遅れて鈍い爆発音が、洞窟中に響き渡った。 飛散する触手の破片が次々に中空へと溶けていく。 その中に、消えずに宙を舞うものがあった。 はらりと舞うその一つを、秋子の手が掴み取る。 黄色い布の切れ端。 それはスフィーの纏っていた、ワンピースの成れの果てであった。 「……自決、ですか。どこまでも誇り高く、……愚かな散り際です」 言って、秋子は再び目を閉じた。 【時間:2日目午前7時過ぎ】 【場所:B−2 海岸洞穴内】 水瀬秋子 【持ち物:支給品一式】 【状態:GL団総帥シスターリリー】 スフィー 【状態:死亡】 - BACK