血に染まる青年




由真は放たれた弾丸のように飛びかかった。一瞬の逡巡の後、彰は横へと跳ねた。
奔る薙刀はあっさりと空を切る。 そのまま横薙ぎに彰の鍬が振るわれた。
由真は咄嗟に肩に下げた鞄を盾にし、突っ込んだ。
鍬の棒状の部分が鞄に当たった。その激しい衝撃は由真にも伝わり、腕が痺れるのを感じた。
斬り合いに固執せずにタックルを仕掛ける。内臓に響くその衝撃に彰が呻き声をあげる。
しかし体格差の影響は大きく、彰は足を開いて踏ん張りまた鍬を振りかぶった。
慌てて由真は鞄を捨て後ろへと飛び退き、距離を取る。

由真は悪態をつきたい思いだった。
啖呵を切ってはみたものの、やはり男と女、身体能力の違いは明白だった。
自分が上回っているのは威勢のみだ。
恐怖はある――しかし、それを遥かに上回る怒りが由真を奮い立たせる。
逃亡を訴えかけるもう一人の自分を思考の隅へとおいやる。
どうしたら――どうしたらこいつを叩きのめせる?
今考える事はそれだけ。相手の戦力と自身の戦力を冷静に比較する。
そして思いつく――起死回生の策を。
しかし失敗の代償は命だ。成功しても無傷では済まない。
こんな危険な博打は避けたいが、どうする?
「この……っ、大口叩いたくせに逃げるなよっ!」
罵声と共に、影が飛びかかって来た。迷っている暇はもう無い。


鍬が由真の脳天に向け、弧を描くように振り下ろされる――!
今度はそれをかわさなかった。前傾姿勢を取り当て身を放つ。
刃で切られ致命傷を受けるよりマシではあるが、甚大な被害は免れない。
棒の部分が由真の右肩に直撃しその部位の骨を文字通り砕いていた。
「ぐぅぅっ!」
焼けるような痛みが頭を突き抜ける。だがここまではもう織り込み済み。
肉を切らせて骨を断つ、どころじゃない。骨を砕かせ命を断つだ。
本来ならそんな漫画の世界の戦闘狂のような真似は御免だったが、生憎ここはキリングフィールド。
女だからといって我侭は言っていられない。
由真は怯む事無く、無事な左腕に薙刀を持ち替え強引に振るった。
「ぐああっ!!」
反射的に差し出された彰の右腕が瞬時に赤く染まっていく。
血に塗れたその腕は本来の機能を完全に失い、握っていた桑が地面に落ちた。
お互いに必殺の腹構えで放った攻撃はお互いの一部を破壊したに過ぎなかった。
由真の作戦は悪くなかった。自分を上回る戦力を有する相手に対して、少なくとも互角の戦果を得る事は出来たのだから。
だが神は非情であった――最後に勝負を決す要因となったのは運の差。

彰は激痛で喘ぎながらも左の拳を振るった。
狙ったのではない、半ば本能的に振り回しただけだった。
だが過程はどうあれ、拳は由真の顎を綺麗に捉えていた。
顎は人間の急所――そこを強打されればほぼ例外無く脳震盪を引き起こす。
暗転する視界の中、由真は後ろに倒れた。



「終わりだ」
意識を失っていたのはほんの数秒だろう。
しかし由真が意識を取り戻した時には、彰はもう薙刀を拾っていた。
先の一撃の影響で、まだ立ち上がれそうに無い。
「――そうね。悔しいけど、あたしの負けみたい」
彰の右腕はだらしなく垂れ下がっており、先まで真っ赤に染まっていた。
残された左腕1本で逆手に持った薙刀を振り上げる。
「最後に何か思い残すことはあるか?」
そんな問いを発したのに深い狙いは無い。ただ何となく、自分と真逆の人間の考えを聞いてみたくなっただけだ。
「そんなの沢山あるに決まってるでしょ。まずあんたに聞きたい事があるわ」
由真は焦る事も臆す事も無い。まるで日常のワンシーンのように、静かな会話は続く。
「あんたは大事な人の死を受け入れて生きる事は出来ないの?」
「僕は人を殺してしまった、もう後戻り出来ないんだ」
聞くまでもない事だった。一人の命を奪って且つ自分に凶刃を向けている男が、今更説得に応じる筈が無い。
「やっぱりね……」
「他には何かあるか?」
由真は中指をくいっと立てた。挑発のポーズだ。
それはせめてもの抵抗――絶対に、見苦しい命乞いなんてしてやらない。
「後は――あんたを殴り倒せなかったのが一番の心残りよ」
喋り終えると彰が薙刀を振り下ろそうとしているのが見えた。
いくばくの時間を経て僅かに取り戻した体の機能を総動員する。
薙刀の刃は由真の柔らかい腹部を貫き――同時に、彰は頬に鋭い痛みを感じた。
由真は上半身を起こし、腹を貫かれながらも平手打ちを見舞っていた。
選んだのは彰と逆の道、だから最後まで相手の間違いを正し続ける。
「馬鹿…こんな事……続けても…美咲さんもあんた自身も………誰も……救われない……わよ」
由真は口から血を吐きつつ懸命にその言葉を発した。
それが最期の力だったのか、そのまま後ろへ倒れもう二度と由真が動く事は無かった。

物言わぬ死体へと姿を変えた由真を見つめ、彰は呟いた。
「お前は強いよ、本当に立派な奴だ……でも僕はお前ほど強くなれない」
右腕はもう感覚が無く、動かそうとしても指1本反応しない。ちゃんとした治療をしても――もう元通りに動く事は無いと思う。
それでも鞄を肩に下げ、最低限の荷物を持ち、おぼつか無い足取りで彰は再び動き出す。




【時間:二日目午前8時20分】
【場所:C−03】

七瀬彰
【所持品:薙刀、殺虫剤、風子の支給品一式】
【状態:右腕致命傷(感覚が無い)、マーダー】

十波由真
【状態:死亡】

【備考:由真の支給品一式、双眼鏡、三角帽、スペツナズナイフの柄、鍬、トンカチは現場に放置されている】
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