血糊を払った刀身の先から、雨粒が雫となってこぼれ落ちていた。 川澄舞の身体が、ゆらりと傾ぐ。 どうにか倒れずに踏みとどまるが、その瞳は半ば虚ろであった。 喪われた左手の断面からは、とめどなく血が流れ出していた。 白い肌が、青に近い色に変わっていく。 「お、おい、大丈夫か嬢ちゃん!?」 それを見た聖猪、ボタンが慌てて舞の元へと飛んでこようとする。 喉笛を噛み破ろうとする蛇の顎に毛針を叩き込み、吹雪を巧みにかわして、舞へと近づくボタン。 虚ろな目にその光景を映した舞が、いまだ治まることを知らずに血潮の流れ出す左腕を、す、と力なく掲げた。 「嬢ちゃん、しっかりしろ……って、おい、何してんだ!?」 ボタンの驚愕も無理からぬことであった。 駆け寄ったボタンの、その灼熱の毛皮に、舞は己が左腕を躊躇なく差し入れたのである。 雨を裂いて、肉の焼ける匂いが立ち込める。 「―――ッ……!」 がち、と。 堅く、小さな音がした。 舞の、必死で噛み締めた奥歯が砕ける音であった。 血の混じった痰と共に、歯の破片を吐き出す舞。 傷口を焼いたことで血管が肉もろとも潰れ、出血は止まっていた。 左手の断面から嫌な臭いのする湯気を上げながら、川澄舞は立っている。 その眼は既に先程までの虚ろなものではなく、鬼気迫る光を取り戻していた。 「無茶苦茶しやがるな……嬢ちゃん、生きてるか?」 「……戦える」 「返事になってねえよ……」 苦虫を噛み潰したようなボタンの声にも、舞は無反応。 青白い顔に爛々と眼だけを光らせて、抜き身の刀を片手で構える。 その視線は、真っ直ぐにもう一匹の魔獣、ポテトを捉えていた。 「……人間のやることは、時折理解に苦しむぴこ」 「それについちゃあ同感だ……な、っと!」 言い合いながら、互いに飛びかかろうとする二匹の獣。 その後ろで、舞がゆらりと足を踏み出す。 「バカ野郎、そんな身体で何ができるってんだ!?」 「……戦う」 「ったく、強情な嬢ちゃんだな……!」 全身に脂汗をかきながら、なお走り出そうとする舞。 振り下ろされた鋭い爪を牙で受け止めながら、ボタンが叫ぶ。 「分かった、分かったから無理に動こうとするんじゃねえ!」 「……」 荒い息のまま、舞が踏み出そうとした足を止めた。 牙を跳ね上げ、空いた胴に一撃を加えながら、ボタンが続ける。 「いいか、よく聞け嬢ちゃん! テメエでも分かってるだろうが、嬢ちゃんにはもうまともに動く力なんぞ残っちゃいねえ!」 横薙ぎに振り回された蛇の胴をしたたかに打ちつけられてよろけるボタン。 「だが、だがそれでいい、今の嬢ちゃんにはそれで充分だ!」 「……」 続けざまに繰り出される下からの爪が、ボタンの前脚を傷つける。 鮮血が飛沫を上げた。 「どの道、その手じゃあ力任せってのは、無理だ! だが思い出せ嬢ちゃん、さっきの鬼を斬ったあのとき、嬢ちゃんは力任せだったか!?」 灼熱の業火を全身から噴き出すボタン。 噛み付こうとしていたポテトが、慌てて首を引っ込める。 「そう、そうだ嬢ちゃん。 あれがそいつの使い方だ、抜けば玉散る氷の刃、そいつは伊達じゃねえ!」 炎の勢いに任せて牙を跳ね上げ、そのままトンボをきるように縦回転を始めるボタン。 瞬く間に、業火を纏った円盤と化す。 「そいつは手数で押しまくるようなもんでも、まして力任せにぶん回すもんでもねえ。 極限まで研ぎ澄ました、ただ一刀で何もかんもを斬り伏せる、そういう業物よ!」 「―――」 炎の円盤が、ポテトを襲う。 至近からの攻撃に回避が間に合わず、円盤がその顎に直撃する。 ポテトの牙が数本、折れて飛んだ。 「―――今だ!」 「―――!」 ボタンの声が、響くか響かないかの瞬間。 舞の足が、泥濘を吹き飛ばすように、大地を踏みしめていた。 数メートルの間を、文字通りの刹那に駆け抜けて、舞の一刀が奔っていた。 音が、消えたように感じられた。 ポテトの絶叫が響いたのは、その大蛇の尾が、遠く離れた水溜りに落ちた後だった。 「―――上出来ッ!」 快哉を叫んで、ボタンが追撃をかけるべく飛ぶ。 炎の円盤が、二度、三度とポテトの身体を撥ね上げ、焼き焦がしていく。 「これで……どうだッ!!」 言葉と共に一際大きく燃え上がった業火が、ポテトの全身を包み込んだ。 【時間:2日目午前6時すぎ】 【場所:H−4】 川澄舞 【所持品:村雨・支給品一式】 【状態:肋骨損傷・左手喪失・左手断面に重度の火傷・出血停止も重度の貧血・奥歯損傷】 ボタン 【状態:聖猪】 ポテト 【所持品:なんかでかい杖】 【状態:魔犬モード・尾喪失】 - BACK