無力




「―――!」
有紀寧は息を飲んだ。
予定外の出来事が起きてしまった。
祐介は人を連れてきてしまったのだ。それも、二人も。
「長瀬さん、その人達は―――」
「外で出会ったんだ。大丈夫、二人ともゲームは乗ってないから」
予想通りの答えに、有紀寧は頭を抱えたくなった。

全くこのお人好しは……まるで話にならない。
祐介が外に出てから戻ってくるまで三時間足らず…その程度の長さの付き合いで、何が分かるというのか。
祐介と違って連れの二人は警戒心丸出しでこちらを観察している。
それが正常、このゲームでは当たり前の行動なのだ。
だが祐介の手前門前払いにする事は難しい。

「そうですか……ではお近づきの印に、ご一緒にお食事しませんか?」
有紀寧は柔らかい笑顔でそう切り出した。
まずは次の策を講じる時間が必要だった。

・

・

・


一同は一つのテーブルを囲んで座っている。
有紀寧はそれぞれの様子を注意深く観察していた。
「お味はどうですか?」
「うん、なかなかイケるわよ」
「ふふ、ありがとうございます」
郁未はごく自然な態度で、勢いよくピラフを頬張っていた。
まるで警戒する風は無い……彼女も祐介と同じお人好しなのかも知れない。
だが出会った時に感じたあの鋭い視線。何かが引っ掛かる。

祐介も特に変わった様子は見せず、同じように食事を取っている。
こちらはもうただの馬鹿に過ぎないという事が分かっている。
椋は何とか料理を口にしているものの、まるで何かに怯えているような感じだった。
ここに来るまでに何かあったのだろうか?
まあ、自分にはどうでもいい事だったが。

初音は……落ち着き無く視線を泳がせ、まともに箸をつけていなかった。
リモコンの事を話そうか話すまいか迷っているのだろう。
有紀寧が制すように睨み付けると、初音は慌てて目を逸らした。
自分の正体がバレてしまう時ももう遠くない、と有紀寧は思った。
初音の性格上、保身の為に黙秘を続ける事は期待出来ない。
観察を終えた有紀寧は素早く次の策を頭の中で構築していった。
そしてそれはすんなりと成し遂げる事が出来た。
警戒すべき対象は、もう一人に絞れていたから。

―――そして、転機は思ったよりも早く訪れた。
「あれ?初音ちゃん、どうしたの?」
「………」
祐介が初音の異変に気付いたのだ。
よく見ると、初音の体は小刻みに震えている。
自然と周りの視線が初音に集中する。
だがこれは想定内の事態、慌てる必要は無い。
有紀寧は落ち着いた動作で、ポケットの中身を確認していた。
「……駄目」
「え?」
初音が下を向いたまま声を絞り出した。
他の者達はまだ初音の異変の原因が分かっていない。
全ての事情を知っている有紀寧を除いて。
もう、この先の展開は考えるまでもない。
ポケットの中のリモコンを握り締め―――
「みんな、今すぐここから逃げて!」
「初音ちゃん、一体何を……」
「―――そこまでです」

有紀寧が初音の言葉を遮るのとほぼ同時。
郁未の首輪が、赤く点滅を始める。
有紀寧は郁未の首輪に向けてリモコンのスイッチを押していた。
その事に気付いた郁未が、毒々しげに舌打ちをする。
「く!……マズったわね」
「ゆ……有紀寧さん、何を……?」
「何をされたか、郁未さんだけはお分かりのようですね。私の勘に狂いはありませんでした」
郁未を狙ったのは、この中で唯一得体が知れない何かを感じさせる人物だったからだ。
いち早く有紀寧の行動の意味に気付いたあたり、狙いは正しかった事が分かる。

「動かないでくださいね。このリモコンで天沢さんの首輪の爆弾を作動させました……初音さんの爆弾ももう作動済みです。
動けば彼女達の爆弾をすぐ爆発させますので」
その一言で有紀寧以外は動くに動けなくなってしまった。

一番得体の知れない郁未は自身の命が握られてる以上動けない。
今にもこちらに飛び掛らんと殺気を放ってきてはいるが、ボタンを押すより早く掴みかかるなど不可能だ。
椋にはこの状況で動くような度胸は無いだろう。
見れば、ただ震えているだけだ。
お人好しの祐介や人質に過ぎない初音も問題にならない。

「さて、ここまでは予定通りですが……、これからどうしたものですかね」
有紀寧は相変わらず笑顔のままだった。
その笑顔には一点の曇りも狂気も感じられない。
女優顔負けの、完璧な笑顔だった。
「ま、まさか……。有紀寧さん、ゲームに……?」
もう疑う余地は無いのだが、それでもまだ祐介は認めていなかった。


有紀寧さんは、有紀寧さんは……。
笑顔がよく似合う子だった。優しい子だった。
僕達の為に料理も作ってくれて、放送があった時には一緒に悲しんでくれた。
そんな有紀寧さんがゲームに乗っているだって?
ハハ、冗談はよしてよ。こんな冗談、全然面白く無いよ?


――しかし、現実は無情なもので。

「ええ、乗っていますよ。詳しい事は後で初音さんに聞けば分かるかと」
祐介が目を向けると初音は今にも泣き出しそうな顔で震えていた。
祐介は、有紀寧の言葉が嘘偽りで無いと認識する他無くなった。
「大勢で組んで向かってこられたら厄介ですし……。一人か二人、死んでもらうべきでしょうかね?」
ショックを受ける祐介を尻目に、有紀寧が淡々と告げる。
だが有紀寧以外にも冷静な思考を保っている者が、この場に一人存在した。

「―――待ちなさい」
「何ですか天沢さん?命乞いなら聞きませんよ?」
有紀寧が訝しげな顔になる。
だが、郁未の考えていた事は命乞いなどではなかった。

郁未は鞄の中から黒いノートを取り出した。
「これ、何だか分かるかしら?」
「……ただのノートでは?」
「それが違うのよね――――これを見てみなさい」
郁末は表紙の裏を開いて見せた。
すると有紀寧は口をぽかんと開いて固まった。
有紀寧にはそこの最初の一文が何と書かれてあるかすぐに分かった。

「ま、まさか―――」
「そう。これは死神のノート。人の名前を書くだけで殺せるノートよ」
「まさか……そんなものが……」
「このノートに本当にそんな力があるかどうかはまだ分からない。でも、今なら丁度良いモルモットがいるじゃない」
「―――なるほど」
そう。あれこれ考えるよりも試した方が早いし確実だ。
有紀寧と郁未は二人揃って歪んだ笑みを浮かべた。

「今あなたが私の首輪を爆発させれば、このノートも一緒に吹き飛んでしまうかもしれない。
貴女にとってもこのノートは強力な武器になるし、それは避けたいでしょ?
そこで交換条件よ。このノートの効果が本物なら私と協力して人を殺しましょう」
「……解せません。生き残れるのは一人、私が貴女を生かすとでも?」
疑うように―――事実疑っているのだが、怪訝な顔をする有紀寧。
しかし郁未もその辺りの事は考えている。
「分かってるわ。最後の二人になったら私を殺して、主催者の褒美で生き返らせてくれればそれで良いわ。
そのリモコンだけで戦い続けるより、優勝出来る見込みはうんと高くなると思うけど?」
「成る程―――良いでしょう。私としては、生きて帰れさえすれば褒美なんてどうでも良いですから」
「話が分かるわね。じゃ、早速実験を始めましょうか?」
「そうですね。では……まず藤林さんをそのノートで殺してもらいましょうか」
「オッケーよ」
まるで友達と遊びに行く約束でもするかのように軽い調子で恐ろしい事を言ってのける。
祐介は二人のあまりの豹変ぶりに驚きながらも、精一杯声を張り上げて意見を挟んだ。
「有紀寧さん、郁未さん、何を考えてるんだ!本気でそんな事言ってるのか!?」
「ほとほと長瀬さんには呆れさせられます。これまでのやり取りが、冗談で行なっていたとでも?」
「全く、本当に馬鹿ね……。そんな事だから、良いように使われるのよ」
交渉の余地などどこにも無い。
二人はあっさりと祐介の意見を受け流した。

(そうか……。二人ともこの島の狂気に溺れてしまったんだね……)
瑠璃子への異常な愛情のあまり狂ってしまった月島拓也のように。
有紀寧も郁未もこの島の環境に耐えられず、冷静に狂ってしまったのだろう、と祐介は考えた。
今までやり取りも全ては狂気を覆い隠す為の演技でしか無かったのだ。
なら……現実を認めて、今やらないといけない事をしよう。

「……なら、せめて、僕を実験台にしてくれ」
「―――は?」
「聞こえなかったかい?僕を実験台にしてくれ、と言ったんだ」
「祐介さん!?」
「祐介お兄ちゃん!?」
突然の提案に、この場にいる全員が驚きを隠せない。
祐介は項垂れながら話を続ける。
「椋さんをここに連れてきてしまったのは僕だ……。馬鹿な僕に巻き込まれただけの椋さんが殺されるのは嫌なんだ」
「本当に馬鹿な方ですね……。良いでしょう、では貴方から死んでください。さあ天沢さん、お願いします」
「ええ、任せといて。こんな偽善者には虫唾が走るしね」
「しかし……必要なのは、名前だけなんですか?それが本当なら、ゲームはそのノートと名簿さえあれば優勝が確定する事になります。
もう私達は死んでいるはずです」
「うん、それが問題なのよ。どうやらこのノートで人を殺すには、対象の顔も知っておく必要があるみたいでね。
そこまで甘くは無いってワケよ」

相手の顔が必要―――その言葉を聞いた椋の体が、ピクリと硬直した。
全員の様子に細心の注意を払っていた有紀寧がそれを見逃すはずもない。
有紀寧の鋭い視線が椋に向けられる。
椋は悲鳴を上げてしまいそうになった。
「……ちょっと待ってください」
「どうしたの?」
「いえ……念の為、藤林さんの鞄の中身を調べようと思いまして。
藤林さん、テーブルの上に貴方の鞄を置いてください。拒否権が無いのは、分かりますよね?」

(私、どうしたらいいの…………?)
椋は大量の冷や汗を掻いていた。
今鞄を渡せばどうなるかは明らかだった。
しかし―――渡さなければ今すぐ死ぬ事になる。
結局椋は素直に鞄をテーブルの上に置いた。
有紀寧はその中身を漁り……やがて、今の自分に一番必要な物を見つけ出した。


「……お喜びください、天沢さん。そのノートが本物なら、私達は生きて帰れます」
「え?」
「―――参加者全員の、写真つき名簿です」
「…………アハハ、アハハハハハッ!これは良いわ、なんてラッキーなの!」
郁未は自身の命も有紀寧に握られている事を忘れ、高笑いした。
有紀寧も同じように笑っている。
作り笑いでは無い本心からの笑み―――しかし、不気味な笑みだった。


(なんて事だ……)
祐介は絶望に打ちひしがれていた。
この島にいる全員の命が有紀寧に握られてしまった可能性があるのだ。
可能性が現実のものとなった時、有紀寧以外の参加者は死に絶える(実際にはロボットや本名が名簿に載っていない者は死にはしないのだが)。
そして―――栄えある犠牲者第一号は、自分だ。

崩れ落ちそうになる祐介をよそに、郁未は鉛筆と名簿を取り出した。
ノートに名前が一文字一文字、ゆっくりと書き綴られていく。
死神のノート……あまりにも現実離れしている。
しかしこの島は常識で計りきれない面がある、100%偽物であるとは断定出来ない。
本物なら、祐介は何らかの変調を起こし死ぬ。
全員の注意は自然と祐介に集中する。
―――あの有紀寧の注意すらも。
それは、最初で最後の好機に"見えた"。


瞬間、郁未は駆けた。
この時を待っていたのだ。
褒美なんて不確かなものに生死を任せるなんて冗談じゃない!

制限されているとはいえ、郁未は不可視の力の持ち主。
隙さえ作れればそこを突く事など容易い。
「つっ!?」
郁未は一瞬にして間合いを詰め、有紀寧のリモコンを持つ手を蹴り飛ばしていた。
リモコンは有紀寧の手を離れ、宙を舞う。
この状況でリモコンの奪取に固執する事は下策に過ぎる。
人を殺す手段は、首輪を爆発させる以外にも幾らでもあるのだから。
郁未は鞄から素早く包丁を取り出した。

「死になさいっ!」
振るわれる包丁は有紀寧の喉を貫かんと唸りを上げ―――
一つの銃声が響いた。

「がっ!?」
困惑の色の混じった呻き声が、聞こえた。
「―――天沢さん。貴女は二つ、愚を冒しました。第一に、貴女は殺人に対して躊躇いが無さ過ぎた。
そんな貴女が襲い掛かってくる事くらい簡単に予想出来る事です。そして第二に―――」
包丁は有紀寧を切り裂くまで後少しという所で止まっていた。
それ以上刃先が進む事は無く……郁未の体がどさりと崩れ落ちた。

「貴女の見積もりは甘かった。切り札は、ぎりぎりまで取っておくものです」
有紀寧の手に、銃が握られていた。
コルトバイソン―――大型の回転銃だ。
ポケットに隠されていたのは、リモコンだけでは無かったのだ。
どうやってこのような物をポケットの中に入れていたのか。
彼女は料理を作ってる間に、ポケットに銃が収めきれるよう、銃身のみを通す穴をポケットの底に開けるという細工をしていた。
いざという時に備えて、切り札はすぐに使えるようにしておかねばならないからだ。
それが早速、役に立った。

(後一歩だったのに―――間抜けね……)
郁未の腹から血が留まる事無く流れ出す。
(色々あったわね……。 始めに葉子さんと出会って。
あの時の葉子さんの提案、傑作だったわね、あはは……。
その後は芳野祐介に返り討ちにされて。
くそっ、結局借りは返せなかったわね……。
クラスAが、聞いて呆れるわ……。
ああ、意識が朦朧と……してきたわね……。
葉子さん…………少年。あんた達は私みたいにドジったら駄―――)
そこで、天沢郁未の思考は途切れた。
有紀寧が拾った包丁が、郁未の首を貫いていた。



「全く、無駄死にもいいとこですね。どうせ私を殺しても、助かりはしないというのに……」
「……どういう事だ?」
「言葉の通りです。作動した爆弾はこのリモコンでは解除する事は出来ませんから」
「―――!?」
「ああ、勘違いしないでくださいよ?解除する機械はあります。
ですが―――それは別の場所に隠してあります。そして私しかその場所は知らない、故に貴方達は私を殺せない。
反撃を警戒するなら、当然の措置でしょう」
それは完全に出鱈目だったが、その正否を祐介達に確認する手段は無い。
何とか有紀寧の隙を突いて殺害したとしても、首輪の爆弾が解除出来なければ初音と耕一は助からない。
祐介達にとっては、一か八かで動くにはリスクが大きすぎる。

「では実験を再開しましょうか。安心してください、これが本物なら私の優勝は決まったようなものです。
主催者の言う褒美が本当なら、後で貴方達だけは生き返らせてあげます」
「有紀寧お姉ちゃん……?私達だけって……他の参加者の人達は……?」
「―――耕一さんが今頃私の事を言いふらしているかもしれません。
折角優勝したのに、知らない人にいきなり後ろから刺されては堪りません。
ですから、人畜無害な貴方達以外をわざわざ生き返らせる気はありませんよ?」
有紀寧は既に生きて帰った後の保身も計算している。
この島で自身が行なったのはまさに悪魔の所業だ。
自分への恨みを持った人間を生き返らせてしまっては、復讐の対象にされるかも知れない。
当然他の参加者達も―――そして、本当は祐介達も生き返らせるつもりは無かった。
褒美が本当だったのなら有紀寧の望みはたった一つ、今は亡き兄を生き返らせてもらう事だけだ。
もっとも、そのような甘い話に多くは期待していなかったが。


祐介が有紀寧を睨んでいた。
お人好しの彼が初めて見せる、明確な殺意。
有紀寧はその視線を受け流しつつ、ノートを拾い上げる。
「……有紀寧さん―――いや、有紀寧。お前は自分さえ良ければ、それで良いのか?」
「はい、そうですよ。この島のルールに則るのならそれが自然な姿勢です」
「本当にお前は……それで満足なのか?」
「ええ、生きて帰れさえすれば満足です。では―――さようなら、”祐介お兄ちゃん”」
有紀寧はにやっと笑ってそう吐き捨てると鉛筆を手に取った。

完璧な流れだった。
リモコンのターゲットに郁未を選んだのも。
彼女の反撃を予測していつでも反撃出来る心構えをしていたのも。
もし他の者をターゲットにしていたら、油断していたら、きっと殺されていただろう。
運もあった。
まさかこんなノートがあるとは思わなかったし、お誂えむきに写真まで手に入った。
このノートが本物なら、これで生きて帰る事が出来る。
褒美が本当なら死別した兄との再会すら果たす事が出来るのだ。
これで……全てが終わる。

そう有紀寧が考えた時にこそ、見せ掛けではない本当の意味での隙が初めて生まれた。
有紀寧の目にはノートしか映っていない。
「させませんっ!」
「!?」
ノートが、取り上げられていた。
開いた有紀寧の視界に入ったのは祐介でも初音でもなく―――
「藤林さん……!?」

有り得ない―――理解出来ない。
この女は今まで何もしなかった。
警戒する価値もない、一番脆弱な相手。そう判断していた。
ただ怯えているだけだった女。あの初音ですら少しは自分を咎めていたというのに、この女は何もしていない。
お人好しの祐介や初音にも劣る臆病者に過ぎぬこの女が何故こんな蛮行を!?




狼狽する有紀寧とは反対に、椋は止まらない。
「長瀬さん、これを!」
ノートを後ろにいる祐介に向かって投げ渡す。
もしこのノートが本当に死神のノートなら、この世にあってはならないものだ。
姉や朋也があんな訳の分からない物で命を奪われるなど想像したくもない。

次に椋は有紀寧を制圧しようと振り返り―――
「―――調子に乗らないでください」
銃声。
強烈な衝撃と共に、椋の胸から鮮血が噴き出した。
「う……あ……」
噴き出しているのは鮮血だけでなく、彼女の命そのもの。
急激に力を失っていく椋は、重力に逆らえなくなり地面に倒れた。


有紀寧は自身が手にしかけていた優勝のチケットの行方を追った。
そして、見た。
「あああああああっ!?」
ノートは激しい火を上げて燃えていた。
祐介が持っていたライターで火を点けたのだ。
ノートの材質が紙なのかそれとも別の何かなのかは分からない。
しかし、火は異常な速度で燃え上がっていた。
有紀寧は慌てて机の上のヤカンに入れてあった茶をかけ鎮火したが、もう遅い。
後に残ったのは、ただの灰だけだった。

・


・

・

椋の息が小さくなっていく。少しずつ、胸の鼓動が緩慢になっていく。
「椋さん、しっかり!」
祐介はただ叫ぶ事しか出来なかった。
「祐介さん……ノートは……?」
何とか口を開いて、それだけ尋ねる。
「……安心して。ちゃんと処分しておいたよ」
「そうですか……良かった……」
椋は血に塗れた唇で、笑みを形作った。

祐介は目から涙が零れそうになるのを抑えながら、一番の疑問を口にする。
「どうして、こんな事を?」
分からなかった。どうして椋が突然、あんな行動を取ったのか。
何もしなければ―――少なくともすぐに椋が死ぬ事は無かった。
もしノートが偽物なら、十分生き残るチャンスはあっただろう。
どうしてそのチャンスを捨てるような真似をしたのか。

「祐介さんが……私を、庇ったから、です」
「……え?」
気を抜けば今にも閉じてしまいそうな目蓋を気力で支え、祐介の目を見つめながら。
「祐介さんや佐藤さんがお人好し過ぎるから……私も真似、したくなっちゃいました……」
「椋さん……」
「ごめんなさいお姉ちゃん、先に逝くね……。祐介さん達も、どうか最後まで諦めずに生きて……」
「……うん。やれるだけやってみるよ」
そう言って、強く手を握った。その言葉を聞いた椋は満足げに微笑み、目蓋を閉じた。
祐介が横を見ると同じように涙を堪えている初音がいた。

その小さい体を抱いて―――
「うわああぁぁっ!」
祐介はようやく、涙を流した。


・

・

・


それから少しして背後から冷ややかな声が聞こえた。
「……やってくれましたね」
声の主は確かめるまでも無い。
祐介は拳を握りしめながらゆっくりと立ち上がった。
頬を伝うは涙―――もう、怒りと悲しみを抑える事など出来なかった。
「ならどうする。僕を殺すか?」
「―――いいえ。簡単に楽にはしてあげませんし、ノートが無くなった以上その余裕もありません。
祐介さんには私の護衛をしてもらいます。逆らえば初音さんとそのお兄さんがどうなるか、分かりますね?」
「……後悔する事になるぞ。僕はお前を絶対に許さない」
「引き換えに初音さんが死んでも良いのならどうぞ。どんなに私を憎もうとも貴方が私を殺せないのは分かっていますよ?」
「……悪魔め」
「私は生き延びる為なら悪魔にでもなります。さて、銃声を聞きつけて人が集まってきたら厄介ですし少し場所を移しましょうか」
人の命を次々に奪ったこの悪魔を前にして、自分は何もする事が出来ない。
祐介は悔しそうに有紀寧を睨み付けた。
そこで、祐介はある考えを思いついた。
電波で有紀寧を操れば……。
そうすれば、何とかなるんじゃないか。
この悪魔に対して電波を使う事には何の罪悪感も感じない。



(壊れろ……壊れろ、壊れろ、壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ、壊れてしまえぇぇぇぇぇっ!!)
祐介はありったけの憎しみと狂気を籠めて電波を生成し、有紀寧にぶつけた。
本来なら周囲一帯の人間全てを壊してしまうくらいの電波が放たれていただろう。

しかし、それが有紀寧に変化をもたらす事は無い。
制限されている電波では、この悪魔の精神には通じない。
(くそ……くそぉぉぉぉぉ!!)
やり場の無い怒りに歯をギリっと噛み締める。
―――無力だった。




【時間:2日目正午頃】
【場所:I−6】
宮沢有紀寧
【所持品@:コルトバイソン(4/6)、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(2/6)】
【所持品A:ノートパソコン、包丁、ゴルフクラブ、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(治療済み)、少し移動】

柏木初音
【所持品:鋸、支給品一式】
【状態:精神状態不明、首輪爆破まであと20:45、有紀寧に同行(本意では無い)】

長瀬祐介
【所持品1:包丁、ベネリM3(0/7)、100円ライター、折りたたみ傘、支給品一式】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、支給品一式】
【状態:有紀寧への激しい憎悪、有紀寧の護衛(本意では無い)】


天沢郁未
【所持品:他支給品一式】
【状態:死亡】

藤林椋
【持ち物:支給品一式(食料と水二日分)】
【状態:死亡】
-


BACK