やさしさ




「ん……」

朝の森で目を覚ましたのは、岡崎朋也である。
雨に打たれた身体は、すっかり冷えていた。
妙な頭痛と虚脱感を抱えながら、身を起こす。

「ここは……? 俺は、いったい何を……え?」

朋也の眼前、距離にして1メートルも離れていない場所に、猛獣がいた。
白い毛並みも美しい、それは人の子供ほどもある虎であった。

「う……うわあああっ!?」

後ずさりしようとするが、身体に力が入らない。
虎は、その口に何かを咥えていた。
それが何なのかを認識し、朋也は更に驚愕することになる。

「ひ……人の、腕……!?」

虎が、口を開いた。
硬直する朋也の眼前に、ぼとり、と誰のものとも知れない腕が落ちる。
ずい、と顔を近づけようとする虎を前に、朋也は悲鳴を抑えきれない。

「く……来るな、来るな……来るなぁ……っ」

震える声。
血に塗れた虎の鋭い牙の間から、生臭い息が朋也の顔に吐きかけられる。
思わず目を閉じる朋也。
だが、虎の吐息は、唐突に途切れた。

「―――え?」

目を開けると、虎の姿は掻き消えていた。
周囲を見回しても、その姿はおろか、気配さえ感じられない。
眼前に置かれた人の腕だけが、その存在が幻覚などではなかったことを示していた。

「くそ……何だってんだ……!」

状況を把握しかねて毒づく朋也だったが、これが千載一遇の好機であることは疑いようもなかった。
倦怠感の残る身体に鞭打って立ち上がる朋也。
走り出そうとして、置き去られた腕につまずきそうになる。

「う……うわっ!」

慌ててそれを蹴り飛ばす朋也。
腕は、小さく宙を舞うと、近くの水溜りに落ちてべしゃりと音を立てた。
それを見届けようともせずに、走り出す。
小枝に引っかかれて細かい傷を作りながら木立の間を抜け、茂みを跨ぎ越そうとして転び、
頭から泥を被りながら、駆けた。

やがて、木々が途切れる。
薄暗い林を、抜けた。

左右に林道が伸びる、小さな広場のようになっているそこに、ひとつの塊が転がっていた。

「あ……ああ……」

泥と、血と、そして粘性のある液体に塗れたそれは、かつて人間と呼ばれる何かだったように、見えた。
血の気を失った、ひどく気味の悪い色の肌。
柔らかい腹は何かとてつもない力で引き裂かれたように、その中身を雨に晒している。
地面いっぱいに広がった長い髪の向こう側で、見開かれた瞳が、虚ろに朋也を映していた。

「ぅ……ぁ……き、杏……」

こみ上げる嘔吐感に抵抗せず、朋也はその場に蹲って胃液を吐き散らす。
藤林杏の遺骸には、腕が一本、足りなかった。




【時間:2日目午前8時前】
【場所:E−06】

岡崎朋也
【持ち物:お誕生日セット(三角帽子)、支給品一式(水、食料少し消費)】
【状態:絶望・夜間の変態強姦魔の記憶は無し】

伊吹風子
【持ち物:彫りかけのヒトデ】
【状態:ムティカパ妖魔・再び認識を消して朋也の傍に】
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