「―――どういう事だ?」 「ですから私は善人の皮を被り人を謀る橘敬介を許さないと言っているのです。私は彼を殺して澪ちゃんを救います」 「…ちょっと待てよ、何かの勘違いなんじゃないのか?」 「勘違いなどではありません。あの男が現れた事が発端で悲劇が起こってしまいました。あの男の所為で罪の無い子供達が二人も命を失ってしまいました」 秋子は理緒と佳乃の死に様は目撃していない。見たのは物言わぬ死体となった彼女達の姿だけだ。 秋子にとっては、敬介こそが全ての元凶に思われた。 何せ彼が現れてから全ての歯車が一気に狂ってしまったのだから。 そして宗一と秋子の口論を聞きつけて、当の本人は登場する。 「―――ちょっと待ってくれ!僕は本当に何もしてないんだ!」 「!?」 宗一の後ろ―――診療所の玄関から秋子の聞き覚えのある声が聞こえた。 それは彼女の駆逐対象、橘敬介その人のものだった。 「貴方はあれだけの惨劇を引き起こしておいて…よくもぬけぬけとそのような事が言えますね」 「違う、あれは僕がやったんじゃない!大体僕がゲームに乗っているのなら、どうしてあの女の子をここに連れてくる必要がある? そんな事をして僕になんのメリットがあるって言うんだ!?」 「メリットならありますよ?貴方は重度の怪我を負っていた…それなら治療は必要でしょう。 そして女の子を連れて行けば、診療所にいる人を騙して信頼を得る事も容易いでしょう。この方のようにね」 「な……!」 秋子は宗一を顎で指しながら言った。その暴論に敬介は絶句してしまう。 敬介にとって、澪は信頼を得る為の道具―――それが秋子が出した結論だった。 そしてそれは秋子と宗一にとっては道理に適っている考えでもあった。 人を謀るような男なら闇雲に戦おうとするよりも、そういった行動をする方が自然だからだ。 (―――どっちだ?どっちが正しい事を言ってるんだ!?) 秋子と敬介―――宗一にとってはどちらも出会ったばかりの人間に過ぎない。 二人は全く逆の事を言っている…宗一にとって彼らは二人共警戒すべき対象に相違無かった。 なら――――情に流されずに判断するのならば、結論は一つ。 「―――悪いがお前達は両方信用出来ない。俺にはどちらが正しい事を言っているのか分からない。 だから女の子――澪を連れて行くのなら勝手に連れて行ってくれ。そしてすぐに出て行ってくれ。お前達のどちらにも俺は加担出来ない」 「そ、そんな…」 それは敬介にとって事実上の死刑宣告。水瀬秋子は診療所を出た途端、間違いなく自分を撃つだろう。 だが宗一も彼を完全に見捨てるほど薄情ではない。 「そこのあんたは澪を連れて表の入り口から出て行ってくれ―――そして敬介は裏口から出て行ってくれ。 これが俺が呑めるぎりぎりの条件だ。この周りで戦う事は許さない」 これが宗一の敬介救済の為の策だった。 宗一はどちらが嘘をついていようとも、誰も死なずに済む条件を提示したつもりだった。 この条件なら秋子も澪を救えるし、敬介も無事に生き延びられる――――今思いつく限りでは最も良い解決策だと思えた。 秋子は黙って頷くと玄関へと進み、その奥に澪の姿を確認した。 「澪ちゃん!」 秋子は靴も脱がずに澪の所へ駆け寄り、眠る少女の体をしっかりと抱き締めた。 その体温を確かめるように、その命を確かめるように、強く抱きしめた。 すると澪が、ぱちっと目を開いた。 多大な恐怖を抱いたままの状態で気を失っていた澪だったが、目を覚ますとそこには今や唯一の信頼出来る人間―――水瀬秋子の姿があった。 恐怖から解放された澪は涙目で秋子に抱き付いた。 「澪ちゃん、無事だったのね…」 「(こくこく)」 「怖かったでしょう…。でももう大丈夫。後は私が絶対に、澪ちゃんを守ってあげるからね」 「(こくこく)」 秋子が澪を抱きしめながら優しく話しかけ、澪は笑顔で頷き続ける。 彼女達のやり取りをみていた宗一は再び思考を巡らせていた。 (これは―――少なくともこっちの女はゲームには乗ってないな…。しかし、これは直感だが敬介がゲームに乗っているとも思えない。 なら――やはり二人の間で何か勘違いが?…いや、直感なんかに頼ってちゃ駄目だ。今この女からは殺気が消えている…なら) 「……邪魔して悪いが、そろそろ出て行ってくれないか?俺にはやる事がある、いつまでもこうしてはいられないんだ」 穏便に済むうちに終わらせてしまおう。 時間を置けば再び揉める事になるかもしれない。 だから今はすぐに動いてもらうべきだ、と宗一は考えていた。 退去を命じられた秋子は澪に2,3言耳打ちした。 すると澪は自分を指差して… 「え、あなたも?」 「(こくこく)」 「駄目よ、そんなの…。私に任せておいて」 「(ぶんぶん)」 「…時間がもうないわ。お願いだから、言う通りにして頂戴ね」 秋子は小声でぼそぼそと喋っていた。そのやり取りはとても小さい声で行なわれていたので当人達以外には聞き取れない。 宗一は眉間にしわを寄せて彼女達の様子を見ていたが、すぐに秋子が宗一の方へと振り向いた。 「分かりました、では失礼します。ですが―――出来れば澪ちゃんの荷物を返してもらえませんか? 今澪ちゃんに聞いたのですが、荷物が無くなってるみたいなので…」 嘘だ。澪は言葉を喋れない…秋子に荷物の事など言ってはいない。 これはリスクの無い賭けだ。失敗しても適当に誤魔化せば済む。 そして成功すれば――― 「敬介、この子の荷物はどれか分かるか?」 「すまない…僕が持ってきた支給品は誰のか分からないんだ……」 「そうか、じゃあどうする?あんた達の荷物の一部は俺が勝手に取ってしまっていたんだが……出来れば携帯だけは譲ってくれないか?」 「僕には必要ないものだし構わないよ。このダイナマイトはどうしようかな……」 宗一と敬介は二人で敬介が持ってきた荷物の分配について話し始めた。 今現在宗一の鞄には敬介の鞄から抜き取ったいくつかの品が入っている。彼らは鞄の中を覗き込み、それを誰に渡すかを話し合っていた。 ―――秋子達の方を見ずに。 世界No1エージェント・那須宗一は今この島で生き残っている人間達の中でも特に優れた戦闘能力を持っている。 そしてそれは正面からの戦闘に限ったことではない。彼はこの環境の中で生き残る為の能力も、初見の相手に対する警戒心も十分に備えていた。 唯一つ欠点があるとすれば―――那須宗一は、お人好し過ぎた。 抱き合う秋子と澪の様子を見て、この二人が人を騙し討ちするような事はしないだろうと勝手に決め付けてしまっていたのだ。 それは決して意識しての事では無かったが、無意識のうちに宗一は秋子を信頼してしまっていた。 『情に流されたら……自滅するのがオチだ』 彼はその事を徹底出来る程、冷徹にはなれなかった―――それが彼の唯一の過ち。 「―――言ったでしょう、その男は極悪な男だと」 澪と話している時とは全く違う、凍てつくような声で秋子は言った。 何かを感じ取った宗一は覗き込んでいた鞄をかなぐり捨てると、反射的に敬介を抱えて素早く外へと飛び出した。 ほぼ同時に銃声が聞こえ、宗一の左肩に大きな衝撃と跳ねるような痛みが走った。 「ぐぁぁぁ!」 「子供達に害を為すその男を救うというのなら―――貴方も殺します」 肩を抑えて倒れそうになる宗一に対して銃が再び構えられるが、彼とて素人相手に簡単に殺されはしない。 宗一は倒れこみながらも玄関の扉を蹴り飛ばして強引に閉めた。 「くそ!宗一君、こっちだ!」 「ち、ドジったぜ………」 敬介が宗一に肩を貸して走り出す。今の宗一の状態では秋子から逃げ切るのは厳しい―――なら目指すはすぐ前方にある茂みだった。 それは即ち――秋子を迎撃するという事。宗一のまだ無事な右手にはしっかりとFN Five-SeveNが握られている。 秋子は澪の手を引きながら扉を蹴り飛ばし敬介達の背に向けて発砲したが、地面の土を抉り取るだけに終わった。 敬介達が茂みに入るのを確認すると、秋子は澪と共に診療所の側面に回りこみ、診療所の建物の角の壁を盾にしながら茂みの様子を窺った。 秋子は一瞬だけ壁から身を乗り出すと茂みに向かって発砲し、すぐに壁の後ろへと体を戻した。 その1秒後には彼女がいた空間を宗一が放った弾が通過していた。 秋子達は診療所の壁を、宗一達は外からは視界の悪い茂みを盾にしながら両者は対峙していた。 そんな中、澪は先程拾った鞄…宗一が落とした鞄の中身を覗いていた。 その中にはダイナマイトや包丁、様々な道具、そして―――H&K VP70が入っていた。 澪は秋子に『私が戦い始めたら澪ちゃんはしばらく安全な場所で隠れてて頂戴。良いっていうまで絶対出てきたら駄目よ』と言われていた。 しかし澪はもう一人になる事には耐えられなかった。黙って秋子が戦っているのを見守る事など出来ない。 秋子が自分にそうしてくれているように、自分も秋子を守りたい―――そう考えた彼女は銃をその手に取った。 ・ ・ ・ 祐一達は診療所を目指して走っていた。 「向坂の奴、本当に大丈夫ですかね…」 「心配いらない、彼女は考えも無しにあんな事をするほど馬鹿じゃない。きっと確かな勝算があったはずさ」 「だと良いんですが…」 残してきた環の心配をしながらも、祐一達は駆ける。 とそこで、診療所の方から銃声が聞こえてきた。 「銃声!?」 「最悪だな…。診療所のあたりで、誰かが戦っているみたいだね…」 「どうします?」 英二は祐一の背の観鈴の様子を窺った。 彼女の顔色は数時間前より明らかに悪くなっており、状態は芳しいとは言えない。 「観鈴君が危ない…このまま診療所へ向かおう。ただし警戒しながらだ」 「分かりました」 こうしてすぐに方針は決まった。 観鈴の容態も悪化しており、環も戦っている現状であれこれ悩んでいる余裕は無いのだ。 二人はペースを落とし、前方を警戒するような足取りで診療所に向かい続ける。 だが彼らが本当に警戒すべきは後ろだった―――少し離れた位置で、マルチが彼らを尾行しているのだから。 (雄二様のお力無しでは普通にやっても勝てません…。今は機を待つしかありません) ―――マルチは冷静に狂っていた。 雄二の力と彼の方針に対してだけは絶大な信頼を寄せていたが、その他の事に対しての判断までもが狂っている訳ではない。 だからマルチは冷静に祐一達を打倒する好機を待っていた。 ・ ・ ・ 葉子は診療所の窓から外の様子を窺っていた。 彼女が覗いている窓から秋子達の方は見えないが、宗一達と交戦しているのは銃声からだけでも十分予測出来る。 (さて、どう動くべきでしょうか……) 葉子は今どう行動すべきか考えていた。 足の怪我は快方に向かってきた…まだ痛みはするが歩く程度なら可能だ。 この戦いは、順当にいけば世界No1エージェント・Nasty Boyが勝つだろう。それを黙って待つのも悪くない。 しかし勝った側の人間に奇襲を仕掛け、この場にある全ての火器を手に入れるのもまた、魅力的な選択だった。 武器は先程病室でメスを見つけた、戦い終えて疲弊している相手にならやり方次第では勝てるかもしれない。 とにかく焦ることは無い、今の自分は一方的に戦況を把握出来る立場にいる。 もう少し状況を見極めてから動けば良いのだ。 しかし、彼女は知らない。茂みに隠れている那須宗一は重傷を負っており、とても万全の状態ではないことを。 そして様々な人間が診療所に近付いてきている事を。 【時間:2日目・午前7時50分】 【場所:I−7】 那須宗一 【所持品:FN Five-SeveN(残弾数19/20)】 【状態:左肩重傷(腕は動かない)、茂みに隠れている、秋子を打倒】 鹿沼葉子 【所持品:メス、支給品一式】 【状態@:肩に軽症(手当て済み)右大腿部銃弾貫通(手当て済み、動けるが痛みを伴う)。一応マーダー】 【状態A:診療所内から外の様子を窺っている、どう動くべきか迷っている】 橘敬介 【所持品:支給品一式、花火セットの入った敬介の支給品は美汐の家に】 【状態@:左肩重傷(腕は上がらない)・腹部刺し傷・幾多の擦り傷(全て応急手当済み)。観鈴の探索、美汐との再会を目指す】 【状態A:茂みに隠れている、まずはこの状況の打開を考える】 上月澪 【所持品:H&K VP70(残弾数2)、包丁、ダイナマイトの束、携帯電話(GPS付き)、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱、ほか水・食料以外の支給品一式】 【状態:精神不安定。頭部軽症(手当て済み)・秋子を助けて敵を倒す】 水瀬秋子 【所持品:ジェリコ941(残弾10/14)、予備カートリッジ(14発入×1)、澪のスケッチブック、支給品一式】 【状態:腹部重症(治療済み)。名雪と澪を何としてでも保護。目標は子供たちを守り最終的には主催を倒すこと。今は敬介と宗一の排除】 緒方英二 【持ち物:ベレッタM92(8/15)・予備弾倉(15発×2個)・支給品一式】 【状態:疲労、慎重に診療所へ向かう】 相沢祐一 【持ち物:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(15/15)支給品一式】 【状態:観鈴を背負っている、疲労、慎重に診療所へ向かう】 神尾観鈴 【持ち物:ワルサーP5(8/8)フラッシュメモリ、支給品一式】 【状態:睡眠 脇腹を撃たれ重症(容態少し悪化)、祐一に担がれている】 マルチ 【所持品:支給品一式】 【状態:マーダー、精神(機能)異常 服は普段着に着替えている。英二達を尾行】 - BACK