「……ねえ琴音ちゃん、どうして私のお鍋つついてるの?」 松原葵の素朴な疑問に大仰に驚いてみせたのは、姫川琴音であった。 雨を避けた、大樹の陰である。 「ひどいっ……!!」 たちまち琴音の目尻から涙が溢れ出す。 涙の粒をきらきらと輝かせながら、琴音は首を振ってみせた。 「ひどいわ、葵ちゃん……! わたし、あと5時間もしたら儚く散ってしまう命なのよ……! 最後に少しくらい、おいしいご飯を食べたいって思ったらいけないの!?」 「っていうか、私の朝ご飯、なくなっちゃうんだけど……」 朝食にと作った鍋がどんどん琴音の胃袋に収まっていくのを見ながら、葵は溜息をつく。 どうせ食べ終わったらまた逃げるフリするんだろうなあ、と思っている。 一晩中、人の少し先を行きながら、わざと姿が見え隠れするように歩き通した琴音の図太さは伊達ではない。 「っていうかホントに爆発するの、その首輪……?」 「さあ」 首を傾げる琴音。白菜を噛み締めている。 「さあ、って……」 「でもそう言われたんだもの。本当だったら怖いじゃない!」 「いや、怖いっていうか死んじゃうけどね……」 「何でそんなこと聞くの?」 よく煮えた椎茸を口に放り込みながら、琴音。 「いや、その割には元気そうだなあ、って思っただけだけど……」 「ひ、ひどい……!」 人参の欠片を汁ごと飲み込んでから、器用に涙を流して口元を覆う琴音。 「わたしはこんなに怖がってるのに……! そんなこという葵ちゃん、透視してあげる! えい、クレアボヤンス!」 「セクハラ禁止」 いつも通りの超能力、いつも通りの回避。 物騒なやり取りも、二人にとってはコミュニケーションだった。 後は言葉もなく、黙々と食事に集中する。 鍋をあらかた空にしてから、琴音は立ち上がった。 「じゃあね、葵ちゃん……お鍋、おいしかったわ」 「あー……もう行くの?」 「ええ、追ってきたりしちゃダメよ……? 絶対だからね?」 「はいはい」 ひらひらと手を振ってみせる葵。 そんな葵を、すがるような目で見てから踵を返す琴音。 しかし琴音が走り出そうとしたそのとき、葵が何かに気づいたような声を上げた。 「あ」 「……な、何、葵ちゃん?」 つんのめりそうになりながら、恨みがましい目で振り返る琴音。 とりあえず荷物を置き、葵のほうに向き直る。 「今、気づいたんだけどさ」 「うん」 「琴音ちゃん、テレポートできるじゃない」 「まぁ超能力者のたしなみだし、かじった程度だけど、一応……それが、どうしたの?」 「飛んだらいいんじゃない?」 「……?」 顔一杯で疑問を表現する琴音。 こういう素でアホなところ、男に見せてやればいいのになあ、と思いながら、葵は続ける。 「だから、その首輪」 「首輪が、どうしたの」 「テレポートで外せるんじゃないの?」 「無理よ、やってみたもの」 言下に否定する琴音。 だが葵は意に介することなく問いかける。 「服ごと飛んだでしょ」 「当たり前じゃない、葵ちゃん変態?」 「自分の身体だけ飛ぶこと、できるでしょうが」 「……?」 「ほら、体育が水泳のときとか、やってたじゃない」 葵の言葉に、傾げられた琴音の首の角度が90度に近くなっていく。 「すぽーん、って。時間ないときさ」 「…………あー!」 ぽん、と手を打つ琴音。 「ストリーキングジャンプね!」 「いや、そんな名前付けてたの……?」 こめかみを引き攣らせる葵の様子を気にすることもなく、琴音はうんうんと頷いている。 「確かに、あれならいけるかも……」 「まあ、今はまだ雨も降ってるし、後で試してみたら……ってもういないし!?」 ぱさり、と軽い音がした。続いて、コトリ、という小さな金属音。 琴音の着ていた制服が、そして忌まわしい首輪が地面に落ちた音であった。 「うわちょっと、外した途端に爆発するような仕掛けだったらどうする気なの……!」 慌てて飛び退く葵だったが、首輪は一向に爆発する様子がない。胸を撫で下ろす葵。 と、遠くから葵を呼ぶ声がした。 「やった……やったわ、葵ちゃん! これでわたしは自由の身なのね!」 言わずとしれた、姫川琴音の声である。 遠目に見れば、丘の上、雨中全裸で両手を大きく振っている琴音の姿が見えた。 「何やってんだか、あの子は……」 軽い頭痛を感じ、こめかみを揉み解す葵。 琴音が駆け寄ってくる。 舞い上がっているのか、上も下も隠すことなく喜色満面の様子だった。 「あのね、年頃なんだからちょっとは恥らおうよ……って、琴音ちゃん?」 一目散に走ってきた琴音は、脱ぎ捨てられた制服を省みることもなく、裸のままで自分の荷物を漁りだした。 あれでもない、これでもないと散らかし始める琴音。 「ちょっと琴音ちゃん、何してるの……って、……え?」 琴音が取り出したのは、掌に収まるほどの小さな拳銃であった。 鼻歌すら歌いだしそうな雰囲気で、琴音はそれを掴み出すと、おもむろに銃口を咥えた。 止める間は、なかった。 小さな小さな発砲音。 姫川琴音の脳漿が、鮮血と共に飛び散った。 どれくらいの間、そうしていたのか分からない。 ほんの一瞬だったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。 松原葵は、じんじんと痛む頭を軽く押さえながら、その光景をじっと見ていた。 凍りついた時間を動かしたのは、一つの声であった。 「どうしたんだ、大丈夫かい、君……?」 心配そうな、男の声だった。 歩み寄ってきた男が、血みどろの光景を目にしたらしく、呻いた。 「うわ、これはひどいな……。やったのは君……、じゃなさそうだね」 琴音の遺体の状況をつぶさに確認し、男が葵の方を向いて声をかける。 声と同様、心配そうな表情だった。 「自殺……かな? 何があったかは分からないけど、こんなところで立っていたら危ないよ。 良かったら僕と一緒に……」 「―――ひとつだけ」 葵が、口を開いた。静かな声だった。 「ひとつだけ、聞いておきます」 淡々としたその声に、男は怪訝そうな様子で問い返す。 「何かな……? 僕に答えられることだったら、何でも……」 「どうして、殺したんですか」 「……え?」 唐突な言葉に、男の表情が固まる。 葵は無表情のまま、問いを繰り返す。 「どうして、琴音ちゃんを殺したんですか?」 「な、何を言っているんだ、君……?」 す、と。 葵の視線が、動いた。 近くに立つ大樹の陰を、真っ直ぐに見据える。 「―――それとも、あちらの方に聞いた方が、よろしいですか?」 葵の言葉に、男が目を見開いた。 「……チッ!」 舌打ちして飛びかかろうとする男を、葵は静かに見つめていた。 僅かに片足を引き、軽く右の拳を握る葵。 次の瞬間、男は葵に迫る勢いのまま、正反対の方向へと吹き飛ばされていた。 泥を跳ね上げて倒れ伏す男。 それを追撃するでもなく、葵は再び大樹へと目を戻した。 「……この、頭がチリチリする感じ。これが琴音ちゃんを殺した力ですか」 葵の言葉に答えるように、大樹の陰から細い人影が現れた。 つい、と足を踏み出したその姿は、病的に白い肌とどこか焦点の合わない瞳を持った、痩身の少女であった。 少女は葵の視線を受け流して、嗤う。 「くすくす、酷いことするねえ。……大丈夫、お兄ちゃん?」 「……ああ。ああ、大丈夫だよ、瑠璃子」 げたげたと笑いながら、男―――月島拓也が立ち上がる。 だらりと垂れ下がった左腕を、空いた手で掴む拓也。 ゴグリ、と鈍い音がした。脱臼した肩を、強引に戻したのである。 「ほぅら、大丈夫。痛くないから心配しないでおくれ、瑠璃子」 少女、月島瑠璃子へと視線を向けた拓也は、そう言ってにっこりと微笑んでみせた。 どろりと濁った細い目が、半月型の弧を描く。ひどく醜悪な笑みだった。 「……もう一度だけ、聞きます」 雨に濡れるその身体を庇おうともせず、葵が粛然と口を開く。 「どうして、琴音ちゃんを、殺したんですか」 「……言ったら、信じてもらえる?」 「……信じますよ。本当のことなら」 視線を交わさぬまま続けられる、低く、静かなやり取り。 ほんの少しだけ間を置いて、瑠璃子が、嗤った。 「―――人を壊すのに、理由なんか要るのかな」 くすくすくす。 げたげたげた。 兄妹の笑い声が、輪唱となって雨を侵した。 「そうですか。……ありがとうございます」 葵が、礼を言いながら視線を下げた。 俯いたままの葵を、瑠璃子の視線が舐る。 「よかった。信じてもらえたみたいだね」 「はい」 葵が、顔を上げる。 その瞳には静かに、しかし隠しようもなく確かな、憤怒の炎が宿っていた。 「……理由もなく人を害するものを、私は悪と呼称します」 握られた拳が、顎の前に引かれる。 「そして友人に災禍をもたらすものを、私は敵と名付けます」 踵が、大地を踏みしめる。 「覚悟してください。私は、悪であり敵であるあなたを―――赦さない」 松原葵が、走った。 【時間:2日目午前7時ごろ】 【場所:E−7】 松原葵 【持ち物:お鍋のフタ、支給品一式】 【状態:戦闘開始】 姫川琴音 【状態:死亡】 月島拓也 【所持品:支給品一式】 【状態:電波全開】 月島瑠璃子 【持ち物:鍵、支給品一式】 【状態:電波使い】 - BACK