『こ……これは……!』 『どうした、並列世界検索班!?』 だんご大家族は相変わらず大騒ぎである。 『は、いえ、しかし……まさか、こんな……』 『構わん、報告しろ!』 どうも先程と似たような展開だが、所詮だんごのやることなのであまり気にしてはいけない。 『は。……実に、実に驚くべきことですが……どうやらこの世界に、自力で異なる次元への道を 切り開いた者がいるようです』 『何だと……! 観測ミスではないのだな……!?』 『はい、すべての数値がそれを裏付けています……しかし信じられません。まさか、こんな……』 『ああ、我々以外にそのようなことができる者がいたとはな……』 『現地探索班の報告によれば、他にも通常の人間では考えられないようなミタラシ値が、 この島のいたるところで確認されている模様です』 『むぅ……この島でいったい何が起きようとしているのだ……いや、今は考えるまい。 ―――観測された異次元回廊の詳細なデータを回してくれ』 『3番の串で転送します』 『む……対象世界を侵蝕し、塗り替えるタイプの回廊か……これならば、あるいは……』 『はい、こちら側にもアンコ痕が多量に残っています。痕跡をトレースすることは充分に可能です』 『うむ……椎名繭の存在する次元断片は確認されている。あとはその開かれた次元ゲートをカタパルトとして、 主を射出すれば……』 『理論上では、問題なく転送可能です』 『うむ、これで主への義理が果たせるというものだ。……僥倖と言わねばならんな』 しばらくの間を置いて、折原浩平の持つカバンから厳かな声が響いた。 『ごほん。……あー、待たせたなお兄ちゃん』 「……ん? ああ、だんごか。どうした?」 『古河渚ちゃんの居場所が判った。これよりナビゲートする』 「そうか、その手があったな! ……って、できるなら最初からそうしろよ」 『我らにも都合というものがあるのだ。それよりも急いでくれお兄ちゃん』 「ああ、分かってる。繭のためにも、一刻も早くお前らを送り届けなきゃな!」 ----- 「今朝は冷えますね……」 ぐっすりと眠る愛娘の寝顔を見つめながら、古河早苗は呟く。 窓の外からは相変わらず雨音が響いていた。 しかしそこから見える景色は既に、灰色の薄明かりに包まれている。 夜が明けはじめているのだった。 「秋生さん、風邪なんてひいていないといいんですけど……」 最愛の亭主の名を口にする早苗。 診療所の扉を叩く音がしたのは、そんなときであった。 控えめなノックに続いて、元気のいい声。 「ごめんくださーい」 「はーい、ちょっと待ってくださいね」 ごく普通に応対する早苗。 悪意というものにとことん無縁な人物であった。 ベッドから降りると、服の裾を軽く引っ張って皺をのばし、簡単に髪をまとめる。 扉を開けると、そこには一人の少年が立っていた。 人差し指をあごに当てると、小首を傾げて早苗が訊ねる。 「どちらさまでしょう」 「ええと……ここに、古河渚さんっていますか?」 少年、直球。 「あら、渚のお友達ですか。ごめんなさい、あの子まだ寝てるんですよ」 眉筋ひとつ動かさず、笑顔で捕球する早苗。 「雨の中、大変だったでしょう。立ち話もなんですし、中にどうぞ」 「え? ……はい、お邪魔します」 すっかり早苗のペースであった。 「―――どうしたんですか、お母さん……お客様ですか?」 「あら渚、起きたのね」 背後からの声に振り返る早苗。 寝ぼけ眼を擦りながら、渚が早苗と少年を見比べていた。 「なら、丁度いいですね。とりあえず朝ごはんにしましょう」 ぱん、と手を叩いて早苗が提案する。満面の笑顔である。 「ね、あなたも。……でもその前に、体を拭いたほうがいいですね。 そのままでは風邪をひいてしまいます」 夜通し雨の中を歩いてきた少年に、否やのあろうはずがなかった。 ------ ずずー、とお茶をすする音が食卓に響いていた。 並んだ皿はあらかた空である。 「ごちそうさまでしたー」 「はい、お粗末さまでした」 言いながら皿を片付ける早苗、嬉しそうな表情。 少年の食べっぷりの良さにすっかり満足している。 「どれもホント、うまかったです。特にぴり辛バンバンジーなんか絶品でした」 「そう言っていただけると嬉しいですね。……時間がなくてパンが焼けなかったのが、少し残念ですけど」 「そ、それは、お父さんが帰ってきてからのお楽しみにしましょう」 なぜか慌てる渚を、少年は不思議そうに見る。 「……それで折原さん、渚にご用というのは」 「っと、そうだった。うまうまとごまドレッシングのサラダを頬張ってる場合じゃなかった」 早苗に言われて、少年はようやく診療所を訪ねてきた用件を思い出した。 折原浩平と名乗ったその少年は、がさごそと自分の荷物を探りだす。 「まずは、こいつを見てください」 言って、すっかり皿の片付けられたテーブルに並べられたのは、 「わ、だんご大家族ですっ」 出るわ出るわ、どこに詰まってたんだという量である。 中には一抱えもあるような大きさのものまであった。 「これは?」 ぷにぷにと小さなだんごを指でつつきながら、早苗が訊ねる。 「俺の支給品です。話せば長いような、そうでもないような話なんですが……」 そう前置きして、浩平はこれまでの事情をかいつまんで説明した。 勿論、尿の排泄音がどうこうという部分は自主的にカットである。 「そうですか……。繭さんという方は、もう……」 「ええ、残念ながら。けど、こいつらの力なら、もう一度俺らを会わせることもできるっていうんで」 『そういうことだ、お兄ちゃん』 「わ、だんごが喋った!」 『はじめまして、渚ちゃん。我らの同胞を大層可愛がってくれていたようで、一族を代表して感謝を申し上げる』 『ありがとう!』『ありがとう渚ちゃん』『ありがと〜』『ダンケ!』 驚く渚に、わらわらと礼を口にするだんご父以下の大家族。 テーブルの上はにわかに大騒ぎである。一通り収まるのを待って、浩平が口を開く。 「……というわけで、こいつらをもらってやっていただけますか」 「え、いいんですかっ!」 「よかったですね、渚。きちんとお礼を言わなくてはね」 「はい! 本当にありがとうございます!」 ぺこり、と音がしそうなくらい深々と頭を下げる渚。慌てる浩平。 「いや、そんな感謝されるようなこと、俺やってないからさ……」 『照れているのか、お兄ちゃん』 「うるさいぞ。それより、約束は果たしたからな。今度はそっちの番だ」 『わかっておる。我ら大家族、何より義理を重んじるのでな』 ついさっきまで大いに焦っていたことなど微塵も感じさせない、堂々たる態度である。 これぞ一族を取りまとめる父の威厳であった。 『並列世界検索班、準備はいいか』 『はい、いつでも大丈夫です!』 『技術班はどうか』 『こちらも準備完了しました! いけます!』 『よし、装置起動のカウントダウンを開始するぞ。お兄ちゃん、そこに立つのだ』 「……ああ」 すっくと立ち上がった浩平に、早苗が少し残念そうに声をかける。 「もう、行ってしまわれるんですか」 「ええ。繭が待ってると思いますんで。あいつ、泣き虫だから早く行ってやらないと」 「そうですか……どうか、お幸せに」 「はい。なんだか早苗さんにはすっかりご馳走になっちゃって。ありがとうございました」 「いえいえ、こちらこそ渚が大層なものを頂いてしまって」 「ありがとうございますっ。だんご、だんごっ」 渚はすっかりだんごの虜である。 「今度、繭さんと二人でうちのパンを食べに来てくださいね」 「はは……ちょっと遠いかもしれませんけど、頑張ります」 そういって笑う浩平の背に、だんご父の声が飛ぶ。 『可能性を接続するぞ! 準備はいいな、お兄ちゃん!』 その声に親指を立てて応じる浩平。 「じゃあな、お前ら。渚さんと仲良くやれよ? 早苗さんと渚さんも、お元気で。 ……っとこれ、つまらないものですが、旦那さんにどうぞ!」 浩平が荷物の中から投げて寄越したのは、日本酒の一升瓶である。 それが、最後だった。 『目標次元断片座標、誤差修正完了! 経由次元座標、連動!』 『最終計算結果、問題ありません!』 『次元流、波穏やか!』 『……よし、可能性接続!』 『了解、可能性接続!』 だんごたちの声を合図に、浩平の姿が、まるで魔法のように掻き消えた。 『転移―――完了』 「す、すごいです」 「秋生さんにも見せてあげたかったですね……」 第二回の定時放送が聞こえてきたのは、その直後のことである。 【時間:2日目午前6時】 【場所:沖木島診療所(I−07)】 古河早苗 【所持品:日本酒(一升瓶)、ハリセン、支給品一式】 【状態:どうか、お幸せに】 古河渚 【所持品:だんご大家族(100人)、支給品不明】 【状態:だんごをありがとう】 折原浩平 【所持品:装置、支給品一式】 【状態:別次元へ】 - BACK