Howl of fox




気絶――正確には衝撃によるプログラムの一時停止状態だが――から、ようやくゆめみの人格が目を覚ました。センサーがまだ上手く起動していないのか、音が聞こえない。
損傷だが、回路の一部を切断されたようで左腕が動かない。人間なら痛みはあるだろうが生憎とゆめみはロボットだったので痛みというのを全然感じない。
しかし、「痛み」は別の部分にあった。守ると約束した郁乃や七海を守れなかったという「心」の痛み。プログラムされた感情かもしれなかったが、もしゆめみが人間だったら涙を流していただろう。
――ああ、きっと折原さんや立田さん、小牧さんはもう…
無力を感じながらまた目を閉じようとした時、センサーがようやく回復し、外の音を運んでくる。
「……イヤ、…………イヤイヤ」
「まあ諦めて一緒に楽しもうぜ」
――小牧さん…! まだ、小牧さんは生きています!
徐々に音が大きくなっていく。郁乃の悲鳴、浩平の怒号、岸田の下卑た笑い声。
まだ戦闘は終わっていない。まだ、「守れなかった」という過去にはなっていない。
――お客様の安全を守るのは…ロボットの、わたしの役目です! これ以上、悲しみは増やさせません!
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「うあああぁぁっ!」
ゆめみはありったけの力をこめて立ち上がり、勢いそのままにスボンを下ろそうとしていた岸田に突進していく。
「何ッ!?」
完全に虚を突かれたのは岸田。殺したはずのゆめみが、再び立ち向かってきたのだから。
釘打ち機や銃は床に置いたまま。取る暇も無く、岸田は全力の突進をまともにくらった。
吹き飛ばされ、無様に床を転がる。岸田は立ち上がるとゆめみに叫んだ。
「貴様っ! どうして死んでいない!?」
かつて高槻にも同様の事を言ったかと思うと、胸糞が悪くなった。ゆめみはらしくない「微笑み」で岸田に言い放つ。
「わたしは…ロボットですから」


その一言で岸田は理解する。彼女はいくら撃ち抜かれようが主動力を破壊されなければ何度でも蘇る、と。
「ちっ…そうか、ロボットだったか…くく、失念していたよ。だが貴様一人で何が出来る」
「時間稼ぎです」
事も無げにゆめみは言ってのける。ロボットゆえの迷いの無い返答だった。
「小牧さん、今のうちに折原さん達を連れてどこか、出来るだけ遠くへ行ってください。わたしが必ず足止めしてみせます」
「そ…そんなこと、できるわけないじゃない! ゆめみ一人置いて逃げる事なんて…」
「ですが…」
「そんな悠長にお喋りしてる暇があるのかい、このポンコツが!」
クラウチングスタートよろしく低姿勢で突っ込んでくる岸田。狙いは勿論ゆめみの足元の銃だ。
「っ! 小牧さんっ!」
慣れない格闘、しかも左腕を欠いた状態で応戦するゆめみ。蹴りなどを繰り出すものの、軽く受けとめられてしまう。一方の岸田は先ほどの治療が効いてきたのか、徐々に調子が良くなっているようだった。
「いいぞォ! 新たな力が湧いてくるッ! いい感触だッ!」
懸命に格闘するゆめみを見て、郁乃は動こうとするが、足が動かせない、いや「動かない」。リハビリを十分に行っていなかった郁乃には逃げる事すら出来ない。――これがゆめみの懇願を断った理由でもあるのだが――
ならば出来る事は何か、と郁乃は考える。
「折原っ! 動けるの!?」
遠くで倒れている浩平に懸命に呼びかけるが…
「出来るならやってるさ! クソッ、釘が…抜けねぇんだよ!」
無理矢理にでも釘を引き抜こうとする浩平だが、固く打ち付けられた釘は抜ける気配すらない。
一方の七海も気絶しており、とても助けに行ける状態ではない。
「…なら、あたしが動くしかないじゃない!」
匍匐前進に近い無様な動き方で床の銃を拾おうとする郁乃。しかし動きが遅すぎた。
「ぐ…あうっ…!」


ゆめみが岸田の蹴りにより吹き飛ばされる。ふん、と鼻をかき鳴らして悠々と床の銃を拾う。
「残念。遅かったなお嬢さん? 足がまともだったら俺に銃弾を撃ちこめたのになぁ? くく、くくくっ」
「く…このっ、変態野郎!」
浩平が吠えるが、岸田は見下した表情で言い放つ。
「変態で結構。今からその変態に仲間が犯されるんだからなぁ、ハハハッ! …まぁ、その前に邪魔なポンコツからぶっ壊すがな」
余裕の表情で吹き飛ばされたゆめみに拳銃を向ける岸田。
「クソッ! やめろッ、やめろォォォーーーッ!」
「…何やってるのよ、早く来てよ、ハードボイルドなんでしょ、仲間がピンチなのに…どうして来てくれないのよっ、高槻ーーーっ!」
カチリ、と撃鉄が上げられる。
「死ね、ポンコツが」
「死ぬのはてめぇだ、クソ野郎」
ゾクリ、と岸田の背に悪寒が走った。この声、間違い無い、この声は。
「まさ…」
振り向こうとした時には、既に銃弾は放たれていた。四発、コルトガバメントから放たれた四発が岸田の体に吸いこまれていく。
「がは…っ!」
まともに食らって、よろめきながら倒れる岸田。…そして、寺の入り口にいたのは紛れも無い、
高槻の姿だった。
「待たせたな、郁乃」
「…ふん、遅いのよ。現れるのが」
現れた高槻の姿に、嬉しさを感じながらもつい憎まれ口を叩いてしまう郁乃。
「うるせえ。俺様にだって限度ってもんがあるんだよ」
「ぴこー、ぴこぴこー」
「み、みんなっ! 大丈夫?」
背後から、ポテトと真琴も現れる。


「何だよ、足が動かないんじゃなかったのか」と高槻。
「うるさいわよぅっ! 叫び声が聞こえたと思ったら置いてけぼりにしちゃうし…でも、そう言えば…何で? 全然平気なんだけど」
「俺様が知るか」
「何よぅっ! 人をどすんと落としといてぇ!」
「おーそうか、きっとそのショックで治ったんだな」
「そんなわけないでしょー!」
浩平が「やれやれ、えらく騒がしい救援だな」と呟いた。
「何よぅ、偉そうにーー! …って、誰よコイツ?」
「見りゃ分かるだろ。床に張り付けにされたイエス・キリストだ」
「な、なんですってー!?」「ぴ、ぴこぴっこー!?」
浩平の場違いな冗談を本気で信じる一人+1匹。
「…冗談に決まってるでしょ。この人は敵じゃないわ。釘、引き抜いてあげてくれない?」
「おいおい新手は男か…ちっ、ほらよ。一生感謝しやがれ」
高槻が渋々ながらも床から釘を引き抜いてやる。
「…そう言えば、ささらがいないんだけど」
尋ねる郁乃に、真琴が答える。
「うん、ちょっとささらとは別行動を取ってるの。後で説明するけど」
「ならいいけど…」
ようやく解放された浩平は、手をぷらぷらさせて、
「痛ててて…くそっ、あの野郎め。手に風穴が開いたじゃないか」
ま、死ななかっただけマシか、とこぼして岸田の方角を見やる。
「…死んだのか? あの野郎。ゆめみの方は大丈夫みたいだけどな」
浩平がそう言うと、座りこんだまま、ゆめみが手を上げて「わたしはまだ大丈夫です」と言うのが聞こえた。
七海も、気絶してはいるが命に別状はない。むしろ遠くで倒れていたので戦闘のとばっちりを受けなかっただけでも幸いだろう。


「ゆめみも七海も大丈夫ね…あの男も死んだはずよ。まともに銃弾を浴びてたもの。…それより、早く起こして欲しいんだけど」
未だに床に這いつくばっている郁乃に、高槻が倒れていた車椅子を起こしてから手を貸してやる。
「やれやれ、世話のかかるガキだ…お? おおっ、これは…」
「…? 何よ」
「い、いや、気付かなくていいんだ。最高…! なんて最高なんだっ、この眺めはぁっ…!」
しげしげと自分の胸元を見やる高槻に疑問の表情の郁乃。だがすぐにその原因に気付く。
「なっ…ど、どこ見てるのよっ! このバカ!」
片手で胸を隠しながら高槻の顔に頭突きする郁乃。「おごっ」と高槻が奇怪な声を漏らす。
「どうしようもないな…」「ぴこー」
呆れかえる浩平とポテト。
郁乃はこれが自分を助けてくれたのかと思うと情けない気分になってきた。胸を隠しつつ高槻への罵詈雑言を叫びながら車椅子に座る。
「…ねぇ、アイツ、ホントに死んだの?」
真琴はただ一人、岸田の様子をじっと見ていた。心なしか、かすかに胸が上下しているように見えたのである。
「ああ? 死んだに決まってるだろうが。俺様がタマをぶち込んだんだぞ」
「うーん…」
どうしても信じられない真琴は、そろそろと岸田に近づいていく。…だが、それが間違いだった。
岸田はこの機会を狙っていたのだ。誰でもいい、死んだと油断して不用意に近づいてくるのを。
真琴が岸田の前に立った瞬間、かばりと岸田は起きあがった。
「えっ!?」
動転する真琴をがっしりと掴み、ポケットからカッターを取り出し、真琴に突きつけた。
「何だとッ!?」
死んだはずの人間が起きあがる姿に全員が驚愕する。その様子を見まわした後、岸田が粘ついた声で言う。


「くくく、俺がそう簡単に死んでたまるか。偉大だよなぁ、文明の利器って奴は?」
トントンと自らの腹を叩く。それを見た浩平が「防弾チョッキか…!」と憎々しげに呟く。
「後ろのポンコツも動くんじゃないぞ! 少しでも動けばこいつの首を掻き切るからなぁ!」
虚をついて後ろから襲撃しようとしたゆめみも、その一言で動けなくなる。
「揃いも揃って俺をコケにしやがって…特にそこのカスはただでは殺さん! たっぷり痛めつけた後殺してやる」
高槻に向けて憎悪に満ちた声で叫んだ。
「まずは全員! 武器を捨ててもらうぞ! 真後ろに向かって投げるんだ。思いきり遠くになぁ!」
クソッ、と高槻が吐き捨てる。人質がいる以上手出しできない。ガバメントを放ろうとした時。
「あうーっ! なめんじゃないわよぅっ、このバカーっ!」
真琴が岸田の手に噛み付いていた。
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私はあの前に見た気色の悪いオッサンに捕まえられたとき、正直何が何だか分からなかった。
覗きこもうとしたとき、急に手が伸びてきて、気がついたらカッターの刃を押し当てられていて…
まわりのみんなは、呆然としたまま何もすることが出来なかった。
私のせいだってことは、すぐに分かった。私のせいでみんながまたピンチになってしまった。
それは分かっていたけど…カッターの刃が恐くて、何もすることが出来なかった。
そんなときだった。不意に、秋子さんの家で祐一とやりとりしたことを思い出した。フラッシュバックっていうのかな? ともかく、そのときのお喋りが頭に浮かんできたのよ。
『真琴ってホントにガキっぽいよな…』
『あうーっ! ガキじゃないもん!』
『いいや、ガキだね。ガキじゃないんだったらそんなにムキになったりしないし、人にだって迷惑なんかかけたりしないはずだろ? お前さ、いつもイタズラばかりしては秋子さんに迷惑かけてるじゃないか』
『あ、あうーっ…』
『だからさ、自分のしたことの責任は自分で取るようにしろよ。そうすりゃ俺だって真琴のことをわーカッコイイー惚れちゃうねーみたいな感じで認めてやるからさ』
『そんな感じで認められても嬉しくないっ!』


…そうよ。真琴はガキじゃないもん。一人前の大人よっ。一人前の大人が…責任も取れなくてどうすんのよっ!
負けない、負けられない、負けるかっ!
「あうーっ! なめんじゃないわよぅっ、このバカーっ!」
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「ぐぁっ!? 何しやがる、この…クソガキがぁーーっ!」
偶然にも、真琴が噛みついた場所は古傷、つまり以前高槻に切り付けられた場所だった。その激痛に耐えかねた岸田は、思わず手を離す。
「高槻っ! 今ようっ! バンバン撃っちゃって!」
真琴が叫ぶ。…しかし、その直後。どんっ、という音と共に胸に激痛が走った。岸田がカッターで真琴を突き刺したのだ。
「あ…あう…」
崩れ落ちる真琴。それを見た高槻が激昂して叫んだ。
「て、てめぇっ…絶対に許さねぇっ! 撃ち殺してやるッ!」
しっかりと構えたガバメントから銃弾が放たれるが辛うじて岸田はしゃがんでかわす。その隙をついて釘打ち機を回収し、続いて拳銃も回収しようとしたが、
「させませんっ!」
いつのまにか走ってきていたゆめみが拳銃を蹴り飛ばす。舌打ちしながら、岸田は撤退を決める。この人数差では負けは確実だからだ。
ゆめみに体当たりし、転ばせると背を向けて窓から逃げる岸田に、高槻のガバメントが火を吹く。
「逃がすかぁっ!」
だが悪運の強かった岸田には命中はしない。カチ、カチッと弾切れの音がするころには岸田の姿は森の中へと消えていた。
「ちっ! 逃がしてたまるか!」
追おうとする高槻を、郁乃が呼びとめる。
「追い返したからいいでしょ! それより、真琴が、真琴が!」


ハッとなって真琴の方に振り向く高槻。その真琴は…胸をかすかに上下させているだけ。致命傷だった。
「沢渡…さん」
震えた声で真琴の体を持ち上げるゆめみ。
「へへ…真琴、頑張ったでしょ…?」
「はい…沢渡さんは…とても頑張っていたと…思います…」
真琴の顔は笑っていたが、生気はもはや感じられない。浩平も、郁乃も、高槻さえも悲痛な表情になっていた。
「真琴…が、ガキじゃ…ないわよっ…ね?」
「…ああ、立派だったぞ、沢渡。だからもう喋るな。ゆっくり休め」
「…うん、そーする…」
「真琴っ、少しだけだからね、少しだけ休んだら…すぐに…出発するから…」
「………」
「おい、返事しろ。返事くらいしやがれっての…返事しろよっ…」
しかし、真琴の体はそれきり動く事はなかった。共に行動してきた仲間が、また一人散った。
「…クソッ」
高槻の悪態は、空しく響くだけだった。
「ぴこ…?」
一方、気絶している七海の側に来ていたポテトは、空中にふわふわと漂うものを見つけていた。
どこから来たのか分からない、不思議な光だった。それはゆっくりとポテトの目の前に落ちると…ポテトの肉球に吸いこまれていった。
「ぴ…ぴこっ?」




岸田洋一
 【持ち物:鋸、カッターナイフ、電動釘打ち機8/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
 【状態:切り傷はほぼ回復、マーダー(やる気満々)】


小牧郁乃
 【所持品:支給品(写真集×2)、車椅子】
 【状態:すすり泣き。ポテトには気付いていない】
立田七海
 【所持品:支給品(フラッシュメモリ)】
 【状態:腹部殴打悶絶中】
ほしのゆめみ
 【所持品:支給品(忍者セット、おたま)】
 【状態:左腕が動かない。ポテトには気付いていない】
折原浩平
 【所持品:支給品(要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、34徳ナイフ、だんご大家族(残り100人)、日本酒(残り3分の2))】
 【状態:全身打撲、打ち身など多数、両手に怪我。すすり泣き】
ハードボイルド高槻
 【所持品:食料・水以外の支給品一式、日本刀、分厚い小説、ポテト(光一個)、コルトガバメント(装弾数:0/7)予備弾(13)】
 【状況:やりきれない思い。ポテトには気付かず】
沢渡真琴
 【所持品:スコップ、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
 【状況:死亡】

【時間:2日目05:00】
【場所:無学寺】
【備考:全員の支給品と支給武器は部屋の片隅にまとめられている、H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、S&W 500マグナム(2/5、予備弾10発)は床に】
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