蜃気楼




『―――上陸が許可された全強化兵、及びゲストの皆様は至急撤収の上、
 本部への出頭をお願いいたします』
「……だとよ」

陸軍火戰試挑躰、御堂が肩をすくめて振り返る。
その視線の先にいた白髪の男、坂神蝉丸は目を閉じたままで口を開く。

「……上は相変わらずだな」
「けっけっけ、連中に少しでも前線のことがわかってりゃ、こんな負け戦になるこたあなかっただろうよ」

御堂の含み笑いには、しかし自嘲の響きはない。
絶望的な戦況を楽しむが如き精神性が、彼をして強化兵たらしめている要因であった。

「石原はどうしている」
「石原……ああ、安宅のことか? 知らねぇよ、あんな薄気味悪い女なんざ。
 いつも通り何か企んでやがるんじゃねえのか」
「……そうか」

雨を避けるように身を寄せている洞窟の奥、夜が明けてなお薄闇に包まれたそちらをちらりと見る御堂。
石原麗子は連れてきた随伴者達と、何やら話し込んでいるようだった。
話の中身など知る気もないと、御堂は蝉丸へと視線を戻す。

「それで、貴様はどうする気だ、御堂。帰還命令に従うのか」

静かな問いかけを、御堂は少し意外に思う。
上からの命令に従うかどうかなど、蝉丸が確認することなどこれまで一度もなかった。
命令とは遵守するものであり、それが適わなければ死をもって償う。
坂神蝉丸とはそういう男であると、御堂は認識していた。
しばらく蝉丸の内心を窺うようにその横顔を見ていた御堂だったが、瞳を閉じたその静謐な表情からは
何も読み取ることはできない。おどけたように肩をすくめ、口を開く御堂。

「……ケ、冗談じゃねえぞ。
 俺達がどうしてこんなところで油売ってるのか、分かってんだろうが。
 『お客さん』どもが、物見遊山がしてえなんぞと抜かしやがる、そのお守りだぜえ?
 連中は艦から出すなと厳命されてた筈が、あの坊ちゃん、自分も出るからって簡単に許可しちまいやがってよ。
 どの道、上の連中は俺らなんざ時代遅れのガラクタだと思ってやがんだ。
 今回のこたぁ、いい口実になるだろうぜ。戻ったところで命令無視で銃殺が関の山。
 悪くすりゃ、切り刻まれて実験、実験、実験だろうよ」

安宅あたりは上手くやるんだろうがな、と唾を吐き棄てる御堂。

「幸い俺らにゃ、あのクソったれな首輪とやらはついてねぇしな。
 適当にバケモン狩りでもしながら時間潰して、隙ィ見てトンズラ決め込むとするさ。
 ……第一、こう雨が降ってちゃあ、俺ァ戻るに戻れねえ」

最後は少し情けない顔になって付け加えると、御堂は懐から煙草を取り出して火をつけた。
フィルターの部分はぞんざいに噛み千切り、吐き棄てる。
そうして御堂は美味そうに紫煙を吸い込むと、蝉丸に問いかけた。

「……で、貴様はどうするよ、坂神?」
「俺は……」

問われ、蝉丸が閉じていた瞼を開けた。
強靭な意志を秘めたその瞳は、真っ直ぐに洞窟の外、雨に濡れる木々を見つめている。

「―――俺は……残ろうと、思っている」
「……はァ? 残るって貴様、この島にかよ?」

意外な答えに、煙草を取り落としそうになる御堂。

「おいおい、陸軍にその人ありとうたわれた、鉄の坂神さんがどういう風の吹き回しだぁ?
 光岡あたりが聞いたら刃傷沙汰だぜえ……」
「……砧を、な」

御堂の軽口もどこ吹く風と、蝉丸は重々しく続ける。

「砧を、護ろうと思う」
「砧、って貴様……まさか、あの薄気味悪いデコ人形どもをかよ?」

御堂の脳裏に、数隻の揚陸艇の甲板といわず船室といわず詰め込まれた無表情な顔が浮かぶ。
理不尽な扱いにも苦痛をもらすどころか、声ひとつあげようとしなかった量産体。
明確な自意識すらもない、生体光学兵器。
それは軍が研究を続けてきた複製身技術の、ひとつの到達点であった。

「おいおい、どうしちまったんだ貴様……? 勘弁しろよ、連中のおかげで俺らァお払い箱なんだぜえ?
 それとも何か、あの久瀬とかいう坊ちゃんに同情でもしちまったかぁ?」
「そういうことではない」

御堂の疑念を言下に否定する蝉丸。

「……俺には、な」
「……」

どこか遠くを見つめるような蝉丸の表情に、御堂は胡乱げな眼差しを向ける。

「俺には、分からなくなってきたのだ。
 戦場という戦場を駆け抜けてきたといっても、俺達はただの駒に過ぎん。
 それは分かっていたし、それで構わんとも思っていた。
 しかし―――」

そこで蝉丸は言葉を切って立ち上がると、洞窟の入り口近くまで歩いていく。
雨の降り続く空を見上げて、再び口を開いた。

「……しかし、今回の決定はどうしても腑に落ちん。
 久瀬という少年は文民だが、しかし司令官だ。今回の作戦の長たる方だった。
 それが何だ。俺達を盤面の上で動かしていた者までもが、いとも簡単に切り捨てられる。
 その上、決戦兵器と持て囃されていた砧たちが、捨て駒扱いだと……?
 あれはこの戦局を覆すための技術ではなかったのか」

ぎり、と奥歯を噛み締める蝉丸。

「……国の為と思えばこそ。
 我らが屍を礎に、後に続く者の道が築けると信ずればこそ、俺は戦ってこられた。
 俺は……、俺には最早、奉ずるべき義が見えんのだ、御堂」

振り返ったその眼は、深い苦悩を湛えていた。
御堂の吸う煙草が、じ、と小さな音を立てる。

「俺たちが、何の為に戦ってきたのか。
 あの砧という娘たちが、何の為に生まれてきたのか―――」

言葉を切ると、蝉丸はどこか悲しげに眉を寄せて、呟いた。

「……俺は、与えてやりたいのだ。あれらに、生まれてきた意味を」

黙って蝉丸の言葉を聞いていた御堂は、最後に一吸いすると煙草を投げ捨てた。
軍靴の底で踏み躙ったそれを眺めながら、口を開く。

「……そうかい」

それは、彼らしからぬ静かな声音だった。
しばらくの間を置いて、御堂が独白めいた口調で言う。

「……ま、俺様がトンズラするにも船は必要だ。
 まだ残ってやがるなら……俺様がいただくまで、精々しっかり守り抜いてくれや」

蝉丸の方へは目をやらないまま、御堂はひらひらと手を振る。

「じゃあな、坂神ィ―――」

口元には、いつもの肉食獣めいた笑み。

「次に会う時は……敵同士ってことで、なァ」

対する蝉丸もまた、篠つく雨に濡れる森を眺めながら、ただ一言だけを返した。

「―――さらばだ、御堂」




【時間:2日目午前6時】
【場所:G−7】

坂神蝉丸
【状態:砧夕霧の直衛へ】

御堂
【状態:雨が上がり次第、参戦】


石原麗子・猪名川由宇・スフィー
【状態:帰還】
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