「あ、綾香っ!?」 浩之は迂闊過ぎた。綾香の怒りと狂気を軽く見過ぎていたのだ。 彼女はもう4人の命を奪っている。もう戻ってこれるような状態では、無かった。 そして更に悪い事に、綾香には平瀬村の一件で学んだ事があった。 それは―――― 「情報も聞き終わったしこれ以上の問答は無意味よ。とっとと終わらせてもらうわ」 無駄に時間をかけてもリスクが増すばかりだという事である。 それを思い知らされた綾香は何の猶予も無しに引き金を引いた。 「駄目ぇぇぇぇっっ!」 一つの叫び声と、銃声がこだまする。 浩之には何故かその銃声がひどく遠く現実離れしたものに感じられた。 綾香が銃口を引く刹那、瑠璃が珊瑚の前に飛び出していた。 姉を守る――――ずっと変わらぬその誓いを守る為に。瑠璃にとってはその誓いが全てだった。 S&W M1076の銃口から発射された弾丸は瑠璃の胸のあたりに命中し、彼女の内臓に致命的なダメージを与えていた。 瞬間、飛び散る鮮血。力の殆どを一瞬にして失った瑠璃の体がドサリと地面に崩れ落ちた。 「瑠璃ちゃぁぁぁぁぁん!」 「チッ……またか……。昨日のあの女と言い、どうしてこう自分から命を捨てる馬鹿が多いのかしら……。死んだらお終いなのにね」 ぐったりとしている瑠璃に必死に縋り付いて号泣する珊瑚。 その様子を見ていかにもくだらなさそうに肩を竦めている綾香。 そして、 「綾香ぁぁぁぁぁぁっ!」 理性を失い弾かれるように飛び出し綾香に殴りかかる浩之。 しかし怒りに任せたその動きは直線的で単純であり、綾香に通用する道理はない。 綾香がほんの少し上半身を後ろに傾けただけであっさりとその拳は外される。 そのまま綾香は浩之の無防備な腹部へと膝蹴りを打ち込んだ。 「がはっ……」 カウンター気味に打ち込まれたその衝撃に耐え切れず、浩之はそのままその場に崩れ落ちた。 「ひ、浩之君っ!」 みさきが浩之の元へと駆けつける。 目の見えない彼女だったがこの場の異様な雰囲気と叫び声、銃声で大体の事情は察していた。 「そういえばそっか……一人殺した以上はあんた達にとって私は完全に敵って訳なのね。 良いわ、目撃者を残すわけにもいかないしまずはあんたから引導を渡してあげる」 綾香は銃を構えながらゆっくりと浩之に近付いてゆく。 そこでみさきが綾香と浩之の間に両手を広げ、毅然とした態度で割り込んでいた。 「何、貴方の方が先に死にたいってワケ?死ぬ順番が変わるだけなのに随分と無意味な事をするわね。 どうせなら、私に殴りかかってくるくらいすればいいのにさ」 「嫌だよ……。私は戦う事なんて出来ないし、人を傷付けたくもない」 綾香は知らない。みさきが目を見えない事を。戦うなどとても不可能な事を。 それでもみさきは首を振りながら綾香の前に立ちはだかった。 綾香は心底面倒臭そうに溜息を一つついた。 「ま、あんたの好きにすればいいわ。現実から目を逸らしたまま死になさいっ!」 火のついてしまった綾香はもう止まらない。その引き金にかけた人差し指に力を入れようとし――――― 「死ぬのは貴様だ、殺人鬼」 後方から投げかけられる静かな声を聞いた。 ほぼ同時に二つの銃声が辺り一帯に響く。 最初に綾香の拳銃が弾き飛ばされ、次にその脇腹に強烈な衝撃が走り彼女は傍の茂みへと吹き飛ばされた。 浩之が銃声のした方を見ると銃を構えた長身の男、そして浩之と同じ年頃の少女が立っていた。 鋭い眼光を放つその男は浩之の知っている人物だった。 「あんたは……」 「お前は確か、藤田浩之か。久しぶりだな」 男―――柳川裕也は銃を下ろし倒れている少女、瑠璃へと顔を向けた。 今にも息絶えそうなその様子を見て柳川の表情は僅かに、だが確かに歪んでいた。 「……倉田、もう手遅れかもしれんがそこの少女の手当てをしてやってくれ。俺はあの殺人鬼にトドメを刺す」 「は、はいっ!」 佐祐理は素早く救急箱を取り出し走り出し、浩之とみさきも遅れて瑠璃の所へと向かった。 (クソッ、まずいわね……) その会話の一部始終を聞いていた綾香は焦っていた。 倒れた場所が茂みだったのは、綾香にとって僥倖と言える。 背の高い雑草のおかげで防弾チョッキには気付かれないだろう。 だがそれも相手が油断していればの話だ。男の足音は確実にこちらへと近付いてくる。 このままではいずれ気付かれ、殺されてしまう。相手の注意がこちらから逸れるのを待つなどという悠長な作戦は通用しそうもない。 拳銃はどこに飛ばされたか分からない。マシンガンを鞄から取り出す暇があるとも到底思えなかった。 綾香は死体を演じながら反撃の糸口を捜し求め―――指先に何か硬い物が触れているのに気付いた。 それを絶対に悟られないように慎重な動作で握りこむ。 そして柳川が後数メートルといった所まで近付いてきた時、綾香は反撃を開始した。 「――――何!?」 綾香は撃たれた衝撃でポケットから落ちていたマガジンを柳川の銃目掛けて投げ付けた。 奇襲は完全に成功し、柳川の銃が弾き飛ばされる。 間髪いれずに起き上がり柳川の顎を狙って鋭い蹴りを放つ。 (――獲った!) このタイミングなら絶対に避けられない。 綾香の豊富な格闘技経験がそう確信させる。 しかし、柳川の反応速度は常識で計りきれるものでは無かった。 「……くっ!」 「嘘でしょ!?」 柳川は迫り来る蹴りを間一髪で避けていた。 すぐに柳川も綾香も次の行動に移り、肉弾戦が始まった。 柳川は腕を振りかぶり、綾香の顔を狙った一撃を繰り出した。 だがその一撃の軌道を読み切っていた綾香は腰を落として避ける。 綾香はその態勢のまま柳川の足元目掛けて足払いをしかけた。 「その程度っ!」 柳川はそれを避けようとせず、逆に綾香の蹴り足に対して蹴りを放つ事で対抗した。 「つうっ……!」 先手を取り十分な予備動作を得ていたにも関わらず、綾香が逆に押し負け後退する。 その機を見逃さず柳川が一気に間合いを詰めた。 柳川の正拳が風を切りながら放たれる。 綾香は上半身を横に傾け、目標を失ったその右腕を両腕で掴んだ。 「ヘシ折れなさいっ!」 そのまま関節技の態勢に持っていき、柳川の右腕の機能を奪わんと全ての力を両腕に籠める。 今までの相手ならばこれで勝負は決していた。そう、今までの相手ならば。 だが柳川は咆哮と共にその腕を力の限り振り回した。腕を掴んでいる綾香ごとだ。 「うおおおぉっっ!」 「なっ!?」 勢いに耐え切れず綾香が振り払われる。綾香はそのまま勢いに身を任せ間合いを取った。 「―――貴様、やるな」 「あんたもね」 綾香も柳川も予想以上の相手の力量に驚いていた。 両者は再び地を蹴り間合いを詰め、場違いな決闘の続きが行なわれる。 騒ぎに気付いて柳川に加勢しようとしていた浩之だったが、その戦いの凄まじさに魅入ってしまっていた。 離れた地に落ちた銃を拾いにいく事など自殺行為に他ならないと二人とも分かっている。 両者の拳と殺意が交錯し続ける。 柳川の攻撃は綾香から見ればまだまだ粗く技術的には大したレベルではない。 だが――― (……一体何なのよコイツ!) ―――スピードが違う。必殺のタイミングで繰り出した綾香の一撃が悉く防がれる。 ―――パワーが違う。柳川の繰り出す一撃一撃がまともに食らえば戦闘不能に追い込まれかねない威力を秘めている。 それは綾香の知りうる全ての格闘技の枠組みを越えたものである。 猛獣のような柳川の攻撃の前に、綾香は次第に追い詰められていった。 綾香の常識が、修練の日々が、否定されていく。 湧き上がってくる感情は戦いによる高揚感などではなく、焦りと理不尽な思いだった。 「――――シッ!」 素早い突きが柳川の喉に向かって伸びる。 柳川は裏拳でその突きを弾き飛ばし、綾香の左脇腹へと拳を叩き込もうとし――― 「――――!?」 「くらえっ!」 すぐにそれを止めて綾香の頭部目掛けて上段蹴りを放っていた。 既に綾香は数回フェイントを用いていたが、柳川がこのような動きをするのは初めてだった。 大きく反応が遅れた綾香はその強烈な一撃を受け止める以外に選択肢が残されていない。 受け止めた綾香の右腕に鈍い痛みが走る。 「……こんのぉぉぉぉっ!」 それでも綾香は歯を食いしばって耐え、膝蹴りを柳川の脇腹へと繰り出す。 柳川は肘でそれを防いだが、梓に殴られた傷跡にもその衝撃が伝わり一瞬動きが止まった。 綾香にとってそれは明らかな隙だったが、敢えて追撃をしない。 既に幾度となく柳川の隙を狙って攻撃を仕掛けているがそのどれも通用していないので。 先の一撃で受けた右腕のダメージも大きく不利は明らかだ、加えて左肩の傷も気になる。 綾香は素早く飛び退いて自身のデイバッグを拾い上げ、次の瞬間にはもう林を目指して一目散に走り出していた。 (……予想外の展開だったけど―――収穫はあったわ) レーダーは手に入れ、マシンガンも残っている。この場でこれ以上無理をするのは愚かな選択だ。 珊瑚という女を仕留めておきたい所だが、今それを成すのは非常に困難だろう。 自分が格闘戦で遅れを取った事実も非常に気に食わないが、借りを返すのならば後日万全の状態で戦うべきだ。 あくまで至上目的はまーりゃんの殺害、今この難敵との決着に固執していてはいけないのだ。 「貴様、待てっ!」 綾香の突然の逃亡に柳川は一瞬反応が遅れたがすぐに自分の拳銃を探し始め、見つけると迷わず綾香の背中に向けて発砲した。 だがその銃弾は虚しく空を切り、二発目を撃とうとした時にはもう綾香の背中は林の中に隠れて見えなくなっていた。 「チ……逃がしたか」 追撃を諦めた柳川はその場に放置された綾香の拳銃とその弾層を回収し、瑠璃達の方へと戻っていった。 「――――!」 戦いに集中していて気付かなかったが、珊瑚の泣き叫ぶ声が響き続けている。 瑠璃の胸からとめどもなく血が溢れていた。肺を傷付けられたのか口から血も吐いている。 これはもう―――――助からない。 医者でない佐祐理にはどうする事も出来ず、ただ力なく項垂れるだけだ。 いや、例え医者がいたとしてももう打つ手はないだろう。 柳川も浩之もみさきも呆然と立ち尽くすだけで何も出来ない。 だがそんな時、瑠璃が微かに声を発した。 「さ、ん……ちゃん……ぶじ、だったん……だね……。よかっ、た…………」 「瑠璃ちゃん!しっかりして!」 「さん……ちゃん、ごめん……うち、もうだめ……みたい……」 「そ、そんな……瑠璃ちゃん……」 「何言ってんだ、諦めんな!」 浩之が座り込んで叫んでいた。その手は瑠璃の手を握っている。 「きっとまだ何とかなるから……駄目だなんて言うなよっ!」 涙を流しながら力の限り叫ぶ。 認めたくなかった。 諦めたくなかった。 だが、そんな彼の肩を柳川が掴んでいた。 「止めろ、藤田」 「何でだよ!瑠璃が……瑠璃がっ……!」 「楓のときは遺言を聞く時間も与えられなかった……。だが、まだその女は生きている。 ならばせめて最後まで話を聞いてやれ」 「…………」 それで浩之は何も言えなくなり、黙って瑠璃の言葉を待った。 「さんちゃん……うちら、ずっと、いっしょ……やったね……」 「……うん、瑠璃ちゃんとうち、ラブラブラブやもん」 「うちは……死んでも、さん……ちゃんの、こころのなかに、生き続けるから……から、これからもずっと、いっしょやで……」 「うん、うん……」 「だからさんちゃんは、生きて……浩之も……みさきも、死んだらあかんよ……」 「……分かった。俺達、お前の分も頑張るからな」 浩之が瑠璃の右手を、珊瑚が瑠璃の左手をしっかりと握り締める。 瑠璃の暖かさを忘れないよう、強く、強く。 「やくそく、やで……」 瑠璃の手から力が失われ、その目が閉ざされる。 後はただ浩之達の啜り泣く声が聞こえるばかりだった。 【時間:2日目午前8時20分頃】 【場所:G−5】 来栖川綾香 【所持品1:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×5)】 【所持品2:防弾チョッキ・支給品一式・携帯型レーザー式誘導装置 弾数3・レーダー】 【状態@:逃亡、右腕と肋骨損傷(激しい動きは痛みを伴う)。左肩口刺し傷(治療済み)】 【状態A:まーりゃんとささら、さらに彼女達と同じ制服の人間を捕捉して排除する。好機があれば珊瑚の殺害も狙う】 姫百合瑠璃 【持ち物:デイパック、水(半分)、食料(3分の1】 【状態:死亡】 藤田浩之 【所持品:なし】 【状態:啜り泣き】 川名みさき 【所持品:なし】 【状態:啜り泣き】 姫百合珊瑚 【持ち物:デイパック、水(半分)食料(3分の1)】 【状態:啜り泣き】 柳川祐也 【所持品@:出刃包丁(少し傷んでいる)、S&W M1076 残弾数(4/6)予備マガジン(7発入り×4)】 【所持品A、コルト・ディテクティブスペシャル(2/6)、支給品一式×2】 【状態:左肩と脇腹の治療は完了したが治りきってはいない、教会を経由して平瀬村へ】 倉田佐祐理 【所持品:支給品一式、救急箱、二連式デリンジャー(残弾2発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】 【状態:啜り泣き 柳川に同行、教会を経由して平瀬村へ】 - BACK