刻をこえて




「くそ、離せ……! 離せよ!」

藤田浩之は必死に暴れてみせるが、しかし鬼の太く硬い腕はその身体をがっちりと抱き締めたまま、
こ揺るぎもしない。

「あそこにはまだ川名たちが残ってるんだぞ!」
「タカユキ……今度コソ、護ル……!」

浩之の言葉を聞いているのかどうか、自らに言い聞かせるように呟く柳川の声には確かな決意が宿っていた。
鬼に自分を解放する意思がないことを悟り、浩之は唇を噛みしめる。
遠ざかっていく白い巨像の影を、せめて記憶に焼き付けようと目を凝らす浩之。
木々の切れ間に垣間見えるそれは、この歪んだゲームに翻弄される者たちの見る悪夢の具現の如く、
或いは浄罪の為に地を焼き払う告死の天使のように美しく、禍々しく、殺戮の島にその威容を晒している。

「川名、深山、るーこ……無事に逃げ延びてくれよ……!」

ルーシー・マリア・ミソラが名無しの少年もろともに叩き潰されたことを、浩之はまだ知らない。


******


深山雪見はその厳しい視線を白い巨像へと向けながら、梢の陰に身を潜めている。
その手には、いまだ意識の戻らぬ川名みさきのぐったりとした体を抱えていた。

(これじゃ戦いようがない……か)

燃えるような憤怒をその瞳に浮かべ、雪見は奥歯を噛み締める。
あの巨像は、るーこをその手にかけた。一瞬たりとも生かしておきたくはない。
しかし、

(今は、みさきを安全な場所に移す方が先……!)

腕の中で力なく横たわる親友の体温を感じながら、雪見は今にも怒りに任せて飛び出そうとする
己の身体を、強引に抑え込む。
決然と顔を上げ、巨像から死角となる木々の間を縫うように走り出す。

(るーこ……あんたの仇は絶対に取ってあげるからね……!)

黄金の名を背負う少女は、再戦への誓いを胸に刻んで疾走している。


******


「ど、どうすんのよ!?」

天沢郁未は動転している。
何か巨大な気配が落下してくることは感知していたが、まさか女性型の巨大ロボなどという物理的に巨大、
かつ非常識を遥かに通り越して不条理ですらある代物が降ってくるとは思ってもいなかった。
傍らで鉈を構える長髪の少女、鹿沼葉子が少なくとも表面上は冷静な口調で答える。

「……重要アイテム入手を目前に登場した謎の巨大人型兵器、ですか。
 見事倒してキャラを立てるには、実においしい相手と言えますね……」
「いや、倒せれば、ね!? さっきの鬼なんかよりよっぽどヤバそうじゃない!」

四階建ての建築物にも匹敵しようかというその巨像を見上げ、郁未は叫んだ。
雷光のような速度で落下し、その質量で大地をクレーター状に陥没させておきながら、巨像は損傷した風もなく
立ち上がり、少女を叩き潰したその手を眺めるようにしている。

「……郁未さん」
「よしきた逃げましょう!」

臆面も無く言い放つ郁未。しかし葉子の返答は鈍い。

「……いえ」
「何よ!? グズグズしてるんなら置いてくわよ!
 あんなのと関わってたら命が幾つあったって足りないわ!」
「それが……」
「実際、私たちより強い不可視の力を持ってたハズのあいつだってやられたじゃない!」
「……その通りです」
「だったら!」

答える代わりに、葉子はその白く長い指を伸ばしてみせた。
つられてその指の先に視線をやる郁未。

「……え」
「……どうやら私たちは、機を逸したようです」

郁未の視界が捉えていたのは、自分たちの方をじっと見下ろしている、白い巨像の美しい顔であった。
巨像の腕が、ゆっくりと振り上げられる。
五指をいっぱいに開いて、風を巻く轟音と共にその手が落ちてきた。

「……うぉわぁっ!?」

慌てて飛び退いたその場所に、一瞬遅れて巨像の手が叩きこまれ、文字通り大地を震わせた。
郁未たちを捉えそこねたその掌が、ず、と音を立てて引き抜かれていく。
巨大な手形が残るその地面を見て、郁未の血の気が引いた。

「冗談じゃないわよ……」
「ですが、向こうに逃がしてくれる気は無さそうですね」
「って……またっ!」

轟、の一字を伴って、巨像の手が、今度は横殴りに襲いかかる。
全力で地面を蹴り、どうにか回避する二人。
巨像の手に巻き込まれ、決して細くない木々が数本まとめて薙ぎ倒されていく。

「やるしか……ないっての!?」
「いささか無謀ですが……そのようです」
「冷静ね……」
「いえ、こんぼうとぬののふくを装備して街を出たら、いきなりしにがみのきしに遭ったような気分です」
「どういう意味だか、訊いてもいい?」
「絶望的、ということです」
「……聞かなきゃよかった」
「でしょうね」

じっとりと汗をかいた手で薙刀を握り締め、焦燥にざわめく精神を必死に抑えて不可視の力を練り上げながら、
郁未と葉子は次なる一撃に備える。


******


『にはは……手、真っ赤』

大地から引き抜いた自らの手を眺めて、観鈴が疲れたように笑う。
一度握って開けば、少女の血肉がねちゃりと糸を引くように感じられた。

「ボーっとしとったらあかんで、観鈴!」

晴子の声に、観鈴はゆっくりと辺りを見回す。
気がつけば、まだ大勢いたはずの人影は既に三々五々、散っている。
その場に残っていたのは、刃物を構えた少女が二人だけだった。

「ちッ、ちょこまかと逃げ回りよってからに……!
 ま、ええ。観鈴、まずはあいつらを殺るで! 残りはその後で追っかけて殺せばええわ!」
『にはは……』

晴子の言葉に、観鈴は小さく笑うことで答える。

少女たちを見下ろして、何も考えないようにしながらゆっくりと手を振り上げる観鈴。
羽虫を叩くように、掌で押し潰そうという動きだった。
使うのは、先程の少女の血に塗れた左手ではなく、石像を砕いた右手。
握った左手の中で、少女の血がその粘り気を増しているような気がしていた。
叩き潰さんとする少女たちを視界に入れないように、目を逸らしながら振りおろされた手は、
あっさりと回避されていた。

「何やっとんねん観鈴! ちゃんと狙わんかい!」

晴子の檄が飛ぶ。
振りおろした手をそのままに、今度は消しゴムのカスを払うような仕草で大地を薙ぐ観鈴。
これも、少女たちにはかわされる。
ろくに目標を見ないまま繰り出された攻撃である、回避されるのも当然といえば当然ではあったが、
それにしても少女たちの動きは常人離れしていた。

「ふん、ちびっこくてもバケモンはバケモン、ちゅうわけかい……構へんわ、こっちは無敵の観鈴ロボや」

篭ったような晴子の声を聞きながら、観鈴は心中で深く溜息をつく。
と、それまで回避一辺倒だった少女たちの動きが、変化を見せた。
手にした刃物を構えて、観鈴の足元へと突っ込んできたのである。

『わ……』

銃弾を軽々と弾き返す表面装甲が小さな刃物でどうにかなるとも思えなかったが、それでも
攻撃される、という感覚は恐怖の対象である。
むき出しの敵意に、思わず観鈴の身が竦む。一歩、二歩と下がった足が、倒木を踏みしだいた。
それで更にバランスを崩し、観鈴は大きく手を振り回しながら後傾姿勢を維持しようとするが、
それも叶わない。尻餅をつくような格好で倒れこんでしまう。
その拍子にはね上げられた脚が、巨大なギロチンの如く落ち、大地を裂いた。土埃と飛礫が舞い上がる。
突撃の体勢だった少女たちは、予期せぬ頭上からの打撃に、慌てて軌道を変え飛び退いていた。

「……観鈴ぅ……」
『にはは……失敗』
「……いや、そうとも言えんで。あれ見ぃや」

晴子がニタリと笑う。
見れば左右に飛んだ内の一人、薙刀を持った方の少女が倒れこんでおり、いまだ立ち上がれずにいるようだった。
腹の辺りを押さえて苦しそうな表情を浮かべている。
どうやら吹き飛ばした砂礫の一つに直撃を受けたらしい。
深刻なダメージというほどではないようだったが、ほんの数瞬であってもこの近距離で
動きを止めるのは致命傷といえた。

「蹴散らせ、観鈴!」

晴子の声が、高らかに少女の死刑を宣告する。
尻餅をついた姿勢のまま、観鈴が左足を地面に擦り付けるようにしながら広げていく。
鉈を持つ少女が駆け寄ろうとするが、間に合わない。
膨大な土砂と倒木の津波が、少女を飲み込むかと見えた、そのとき。

闇を裂くように、或いは夜が形を成したように。
音も無く舞い降りた黒い壁が、少女を護るかの如く、その寸前で暴力的な質量を遮断していた。
高い音を立てて、観鈴の脚が弾かれる。

『痛っ……』
「何や!?」

壁と見えたそれは悠然と身を起こすと、その背から、周囲を覆わんとするかのように闇を拡げた。
それは漆黒の翼であった。
夜の森に偏在する暗黒よりも更に昏く静かに翼を広げ、それは顔を上げる。

「く、黒い……ロボ、やと!?」

白と黒の巨像が、夜陰の支配する森の中で、向かい合っていた。




【時間:2日目午前2時過ぎ】
【場所:G−6】

 神尾晴子
【持ち物:M16】
【状況:優勝へ】
 アヴ・ウルトリィ=ミスズ 
【状況:契約者に操縦系統委任、一部兵装凍結/それでも、お母さんと一緒】
 天沢郁未
【所持品:薙刀】
【状態:九死に一生】
 鹿沼葉子
【所持品:鉈】
【状態:窮地】
 柳川祐也
【持ち物:俺の大切なタカユキ】
【状態:逃亡、最後はどうか、幸せな記憶を(鬼)】
 藤田浩之
【所持品:無し】
【状態:慙愧(鳳凰星座の青銅聖闘士)】
 深山雪見
【所持品:みさき】
【状態:逃亡、決意(牡牛座の黄金聖闘士)】
 川名みさき
【所持品:無し】
【状態:意識不明(女神)】
 柚原春夏
 アヴ・カミュ
【所持品:おたま】
【状態:健康】
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